第7話 ちょびと奇跡。
ばぁちゃん家の滞在も今日を除いてあと三日。
璃々香たちを探しに行くこともなく、俺は部屋に引き篭っていた。
ぼぅっと天井を見上げていると、スマホが着信を告げる。
表示されているのは親友の名前だ。
「――もしもし?」
『よぉ! 出て早々、テンション低いな』
「……お前はテンション高いな」
ため息をつき、目を閉じる。
「悪い。今は――」
『暗いなぁ。どうした? 悩み事か?』
俺の性格をよく知っているので、気を遣わずに聞いてくる。
「別に……」
『話してみろよ。お前、結構溜めすぎるからなぁ――あ。まさか、前に話してた美少女とケンカでもしたのか?』
「なっ……!」
『オイオイ、図星か?』
マジかよ、と言う呟きに、俺は顔をしかめる。
『お前が女子とケンカか。珍しいな? あんまりしたことねぇだろ』
「………」
『どうせ、テンパって変な事でも言ったんだろ?』
「……なっ?!」
『いっつもそうだからな。飄々としているクセに、一度テンパったら墓穴掘りまくって………プレーでも何回フォローした事か』
それでどうしたんだ、と聞かれたが、どう説明していいのか分からず、口を閉ざす。
『何だ。会ったのは、嘘だったのか?』
「――違う! アイツは、ちゃんといた!!」
からかう声に身を起こし、叫んだ。
向こうから息を呑む音がして、はっと我に返る。
「わ、悪い。大声、出して……」
『………いや、俺こそ悪かった』
その声には苦笑が混じっていて、怒っていないことにほっと息を吐いた。
『お前がプレー以外でムキになるなんて珍しいな。………一目ぼれか?』
「は? そんなんじゃ、」
ふと、璃々香の笑顔が脳裏にチラつく。
一目、ぼれ?……俺が?
『鈍感だなぁー』
「いや。ただの友達でっ」
『ハイハイ。けど、ちゃんと謝っておけよ? あと少ししかいないんだろ?』
「…………ああ。でも、何処にいるか分からないし」
『は? 家の場所とか、連絡先は聞いてないのか?』
「聞いてない。場所を決めて、そこで会ってたから」
はぁ、とため息が聞こえ、『スマホ持ってる意味、なくね?』と言われた。
「っ……仕方ないだろ。忘れてたんだから」
『そんなに楽しかったのか。けど、ケンカしてしまったと』
「……そうなるな」
『ちゃんと謝っておかないと、女子はずっと覚えてるぜ?』
「………」
『ったく。お前はグダグダと悩み過ぎなんだよ――色々とな』
最後に付け加えられた言葉が妙に真剣みを帯びていて、まさか、と思う。
……聞いたのか? 母さんから。
クラブチームの入団テストに落ちてから、スランプに陥っていることを。
『運動部なんだから、考えても考えても分からなかったら直感で決めろ』
「………どんな理屈だよ、ソレ」
よく分からない説得の仕方は、いつものことだ。
けれど、久々に言われたその言葉に、ばしっ、と横っ面を叩かれた気がした。
「…………でも、分かったよ。探しまくってみる」
連れ戻すためでも、璃々香のお母さんに会わせるためでもなく――ただ、話がしたい。
『ああ。ちゃんと探せよ? 次は謝ったことの報告を電話して来い』
「……分かった。ありがとう」
どういたしまして、と畏まったように返され、俺は久しぶりに笑った。
+++
夏祭り当日。
俺はばぁちゃんが用意してくれた甚平を着て、出かけた。
昨日、タカに背中を押され――璃々香の入院のことを聞いて日も経っていたので――改めて、璃々香とちょびと再会した日のことを思い返し、あることに気付いた。
……ちょびが関係してる、のか?
璃々香と再会したのはちょびに付いて行ったからで、そして、璃々香がいなくなったのもちょびが森に逃げたから――全て、ちょびがキッカケだったことに。
だが、恐らく、ちょびはもう――。
……俺の前に現れたのは、確かだけど………何で、俺に会いに?
それに璃々香と会わせたのに、何故、逃げ出したのだろう。
………一体、何のために……。
ただ、璃々香を探し回っても見つからないのなら、もう一度、ちょびに連れて行ってもらうしか手はないのかもしれない。
そう思い、午前中はちょびを探しに神社や約束の公園に行ったが、見つけることは出来なかった。
………もしかしたら、会場に……!
璃々香とケンカする前、夏祭りのことを言っていたのを思い出し、僅かな希望を抱いて会場に向かう。
明日の昼前には父さんが迎えに来てしまうので、もう今日一日しかないのだ。
このまま、話が出来ずに帰ってしまうことだけは嫌だった。
神社に着くと、既に祭りは始まっていた。
本殿に続く参道の左右には屋台が並び、人で溢れかえっていた。浴衣や甚平を着ている人も多く、一通り回ってみたが、ちょびだけでなく璃々香の姿もなかった。
一息つこうとジュースとベビーカステラを買って休憩スペースのイスに腰を下ろす。
やっぱり、いないか‥‥。
「君、この辺りの子じゃないね?」
「えっ?」
ひと息ついていると、すぐ横から声をかけられた。
振り返えれば、隣のブースで売り子をしている中年ぐらいの恰幅のいい、エプロンをつけた女の人がこちらを見下ろしていた。どうやら、隣のブースは近所の自治会が出店しているようだ。
「おばぁちゃん家にでも遊びに来てるの?」
「……えっと……まぁ」
「へぇ。何にもないところだから、暇じゃなかった? 今日は運が良いけど」
「はぁ……」
「思い出に一つどう? 全部、五百円以内だよ」
並べられた品物を見てみると様々で、バザーのようだった。
「売り上げは寄付するから、是非、買ってほしいんだけどね」
「………色々、あるんですね」
「皆の持ちより………バザーみたいなものだよ。近くの学校からの出品もあるから」
売り子さんが指した方を見ると、ひと区画だけ、手作りの小物が置かれていた。
………へぇ、こんなこともするのか。
「! これ……っ!」
並べられた品物の一角で目を見開き、俺はイスから立ち上がって前に回った。
「ん? 気に入ったものがあった?」
丸いソレは手の平に収まるぐらいの大きさで、動物の頭を模っていた。
三角の耳があり、色は黒と白の二つに分かれていて鼻の下に特徴的なちょび髭――ちょびの顔がモチーフになっているのは明らかだった。
手に取ってみると、手触りは滑らかでふわふわと軽い。
「また、可愛いものを。………確か、手芸部のものだったかしら」
「………ちょび」
ぽつり、と呟くと、
「あら。ちょびちゃんを知っているの?」
「えっ? あ、はい……」
頷くと売り子さんは、一瞬、悲しげな笑みを見せ、
「それは飼い主の子が作ったのよ」
「そう、なんですか………」
確か、手芸部だと神社にいた璃々香は言っていた。
じゃあ、やっぱり……。
「………すみません。コレ、下さい」
「あら、ありがとう」
売り子さんは、にっこりと笑みを見せた。
俺は買った品物を手に休憩スペースのイスに座り直した。
………上手いな、ホント。
自然と笑みが浮かぶ。
〝ちょび〟は綿菓子のように柔らかで、不思議な手触りの生地は聞いた羊毛フェルトなのだろう。縫い目が一切ないのも、突いて絡ませるように作るからだと言っていた。
そっと、その額を親指でこすった時だった。
―――にゃあ、
と。ざわめきの中で、その鳴き声が聞こえたのは――。
……この、鳴き声はっ?
はっとして辺りを見渡すと薄暗い森との境目に、きらり、と光る目が見えた。目を凝らせば、ぼんやりと形が見えてきて——ちょびが座っているのが分かった。
……来て、くれたのか……?
ゆらゆらと揺れる尻尾は、再会した時と同じように俺を誘っていた。イスから立ち上がって足を踏み出すと、ふぃっ、と踵を返して森の中へ入って行く。
「ちょびっ!」
慌てて、ちょびの後を追って森に入った。
十数メートルほど進んだところにある開けた場所で、ちょびは以前のように逃げることはなく、じっとこちらに視線を向けて俺を待っていた。
………ああ。違うんだな。
その行動に、何となく納得してしまった。
ずっと、ちょびのことを考えていて――ふと、至ったある結論が、正しいのだと。
ちょびまであと一メートルと言う距離で俺は足を止め、口を開く。
「ちょび――お前は、璃々香が居る場所を知っているのか?」
ゆらゆらと揺れる尻尾が、ぴたり、と止まった。
「知っているなら……俺をそこに連れて行ってくれ」
手にある、ちょびの顔をしたぬいぐるみを軽く握り締める。
「――璃々香と、話がしたいんだ」
にゃあ、と肯定するようには一声鳴くとちょびは、再び、俺に背を向けて歩き出した。
ごくり、と俺は生唾を呑み込み、スマホの明かりで足元を照らしながら、その後を追った。
ちょびに案内されて辿り着いたのは、神社からほど近い場所だった。
神社のある森から少し外れた小高い丘の上――そこにある公園の外れ。大きく開けたその場所から神社の祭りと町が一望でき、そこに見慣れた後ろ姿があった。
「璃々香!」
「ユキくん――ちょび!」
その名を呼ぶと振り返った璃々香は駆け寄って来るちょびに目を見開き、身を屈めてちょびを抱き上げた。ぎゅっと抱き締める姿は、まるで、探し回っていたようだった。
「璃々香。こんなトコにいたのか……」
スマホをベルトポーチにしまい、ゆっくりと璃々香に近づいていく。
「どうして、ココに……?」
「ちょびが案内してくれたんだ」
その言葉に璃々香は目を丸くして、腕の中のちょびを見た。
「………璃々香、この前はごめん」
俺が謝ると璃々香は、はっと顔を上げた。
「――えっ?」
「ちょっと……頭の中がぐちゃぐちゃになってて……悪かった」
ぱちぱち、と目を瞬く璃々香を真っ直ぐに見つめ、
「………小母さんから聞いたんだ。ちょびが――大雨の日から帰ってきていないって」
「――!」
目がこぼれ落ちそうなほどに見開き、唇を震わせた。
「璃々香も気付いてたんだろ? ………ちょくちょく、ちょびがいなくなっていた――姿を消していた理由」
「そ、れは……」
璃々香は顔を俯かせ、そっとちょびを抱きしめた。
「でもっ………でも、ちょびはココに――っ」
勢いよく顔を上げたその表情は、今にも泣きそうだった。
「うん。いるよ………いるけど――もう、一緒にはいられないんだ。分かるだろ?」
「――っ!」
ぎゅっと璃々香が抱きしめても、先日みたいにちょびは鳴かなかった。
ただ、大人しく璃々香に抱かれていた。
「ちょびとは、もう帰る場所が違う。……けど、ずっと璃々香か探しているから、ちょびは俺を呼びに来たんだと思う」
「……えっ?」
「璃々香と再会した日、何となく散歩に出かけようとしていた時にちょびが来たんだ。………俺、神社の場所も覚えてなかったから」
「!」
「でも、そんな俺をちょびは覚えてくれてたのかな? ちょびと会って……それで、呼んでいる気がして、ついて行ったら璃々香と会ったんだ」
驚いて目を丸くした璃々香に、俺は笑みを見せ、
「だから帰ろう、家に――ちょびもそれを望んでいると思うし、小母さんたちが心配してるから」
「でもっ……でもっ」
ぽろり、と涙をこぼし、璃々香は頭を横に振るう。
俺は璃々香に近づいて、ちょびを抱く手に触れた。
「―――璃々香……」
そっと呼びかけると、璃々香は涙で潤んだ目を俺に向けて来た。
「帰ろう。………そうしないと、ちょびが心配していけないから」
「……ユキくん」
璃々香は唇を噛みしめた。
「――けど、ちょっと嬉しかったけどな」
にっと笑えば、ぱちぱち、と璃々香は目を瞬く。
「ちょびに会えたからさ」
「……っ!」
「だから、ありがとう――」
ふっ、と震える唇から声が漏れ、璃々香はちょびを抱いたまま、俺に身を寄せて来た。
「璃々香っ!」
俺は身を固くして璃々香を見るが、彼女は俺の肩に額を置いて静かに泣いていた。
……ど、どうしよう?
数秒ほど空を見上げ、俺はそっとその頭を撫でる。
ただ、俺と璃々香に挟まれたちょびは、にゃあ、と嬉しそうに鳴いた。
ヒュルルーッと音が聞こえ、すぐに派手な音と共に辺りが照らされた。
パラパラ、と散る光の粒に、二人そろって空を見上げる。
「始まったか――」
「約束したから、良く見えるところを探したの……」
「!……ありがとう」
ううん、と首を横に振り、璃々香は俺の隣に移動したので、内心でほっと息を吐いた。
「………綺麗だな」
「……うん」
そっと右手に〝何か〟が触れ、ちらり、と璃々香に視線を向ける。
璃々香は、ただ空に輝く花を見上げていた。
ぎゅっと璃々香の手を握り返し、俺も空に視線を戻す。
それから花火が全て打ち終わるまで、ずっと花火を見上げていた。
最後に幾つもの花火が打ち上がって、辺りに静寂が訪れる。
………終わったか。
ふと、隣を見ると璃々香とちょびの姿はなかった。右手に触れていたぬくもりもいつの間にか消えていて、その名残を確かめるようにぎゅっと握り締めた。
………帰った、のか?
確証はなかったが、そんな気がした。つと、地面に視線を落とし、きらり、と〝何か〟が光った。
「?」
ベルトポーチからスマホを取り出して光を当てると、
「っ―――ちょび……っ!」
そこには、土で汚れたリボンとそこに通された――璃々香と再会した時に渡した鈴があった。
璃々香からリボンを渡された時、こんなにも汚れていなかった。
「ちょび……ココに、いたのか?」
足から力が抜け、その場に跪くと左ひざに痛みが走ったが、それに構わずに手を伸ばす。
僅かに震えている手でソレを握りしめ、目を閉じた。
+++
「どうしたの? こんな時間に」
「はぁっ………はっ――すみません。急に来て」
璃々香のお母さんは俺を見て、目を丸くした。
璃々香たちが消えた後、俺は真っ直ぐに璃々香の家を目指した。ずっと走って来たせいで呼吸もままならない。大きく深呼吸を繰り返して、真っ直ぐに璃々香のお母さんを見つめる。
「病院に――病院に、行ってください!」
「……えっ?」
「璃々香が……っ」
確信はない。ただ、自分の妄想が消えただけなのかもしれないが――。
「璃々香が、どうしたの?」
「たぶん、璃々香が目を――」
「―――母さん!」
「!」
家の中から璃々香のお母さんを呼ぶ声がして、俺たちは玄関の中へ視線を向けた。
横手にあるドアから、今にも泣きそうな顔をした男の人が顔を覗かせていた。
「い、今、病院から連絡があった! 璃々香が目を覚ましたぞ!」
「っ!」
璃々香のお母さんは息を呑み、両手で口元を覆った。
……や、やっぱり……!
俺はほっとして、その場に座り込む。
「っ――香崎くん?!」
「あ。いえ……大丈夫、です」
駆け寄ろうとした璃々香のお母さんを制して、ドアノブを掴んで立ち上がった。
「璃々香、ちゃんが目が覚めてよかったですね」
「………香崎くん、あなた、さっき――」
笑みを見せると、璃々香のお母さんは潤んだ瞳で俺を見つめてきたが、俺は何も言わなかった。
家まで送ると言われたが、一刻も早く璃々香の下に行ってほしいと断り、俺は一人、帰路についた。
ただ、明日、璃々香の見舞いに行くことを約束して――。
ばぁちゃんに今から帰ることと璃々香が目を覚ましたことを告げ、俺はスマホをベルトポーチに戻すと空を見上げた。
少し前まであった音と光はなく、ただ、月があった。
璃々香とちょびと見た花火が脳裏に浮かび上がり、目を閉じる。
「――ちょび。ありがとう」
ぽつり、と呟いた俺の頬に、温かい何かが流れた。
―――にゃあ、
と。鳴き声が聞こえた気がした。