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第6話 混迷と消失。


「君、大丈夫?」


 気遣う声が聞こえ、「――え?」と俺は目を瞬いた。

 長イスに腰掛けた俺の前に、いつの間にかナース服を着た女の人――看護師さんが立ち、心配そうに顔を覗き込んでいた。


「あっ………えっと」

「誰かと一緒?」


 上手く声が出ず、こくん、と頷いた。


「――雪時」


 名前を呼ばれて振り返ると、ペットボトルを手にしたじぃちゃんが立っていた。


「あ。保護者の方ですか?」

「はい。祖父ですが――」


 ほっとして看護師さんはじぃちゃんと何かを話し出したが、俺は目の前の――璃々香の病室に通じるドアを見つめた。

 突然、押しかけて来た俺を璃々香のお母さんは快く家に迎え入れてくれて、「ぜひ、見舞ってほしい」と言われた。

 そこに軽トラで駆け付けたじぃちゃんに了承をもらい、一緒に病院へ来たが――


「っ――!」

「雪時っ?」


 突然、頭を抱えた俺の肩にじぃちゃんは手を置いて何かを言ってくるも、よく分からなかった。

 病室で見た、璃々香の姿が脳裏から離れない。

 電子音だけが響く静かな室内で、幾つもの線や点滴に繋がれて横たわる姿。

 その表情は穏やかで、ただ眠っているようだった。

 俺が知る姿よりも髪は長く、やや痩せている気がしたが――。

 ……璃々香だったけど……じゃあ、神社にいたのは……?

 俺は両手を握り締め、そこに額を当てたところで、やっと自分が震えていることに気付いた。


「――落ち着いて」


 握り締めた両手と背中に、温かくて柔らかな何かが触れる。


「ゆっくり、深呼吸して。ゆっくりね」


 はっとして顔を上げると、すぐ隣に看護師さんが座っていた。

 優しく背中を擦る手に合わせ、深呼吸を繰り返した。知らずと荒くなっていた呼吸も落ち着いてきて、手の震えが消えたところで、璃々香の病室のドアが開いた。

 じぃちゃんは室内に一礼してドアを閉めると、俺に振り返った。


「雪時。帰るぞ」

「………う、うん」






 家に帰るとばぁちゃんが飛び出して来て何かを言っていたけど、気のない返事をして部屋に向かった。

 どさり、とベッドに倒れ込み、枕に頭を押し付けた。

 窓が開いていても室内は暑く、じんわりと汗がにじんで来た。それでも、扇風機や冷房をつけるために起きる気にはなれなかったが。

 どうして、これほどショックを受けているのか自分でも分からなかった。

 神社で会った璃々香は誰なのか、ちょびは何処に行ったのか(・・・・・・・・)、混乱した頭は空回りするだけで、全く、考えがまとまらなかった。

 どれぐらいの時間が経ったのかアラーム音が聞こえてきて、ベルトポーチに手を伸ばす。

 スマホを確認すると時刻は十一時。いつもなら、神社から帰る時間だ。

 ………璃々香。

 今日も、あそこにいるのだろうか。

 俺はぼんやりと画面を見つめていたが、身を起こすとベルトポーチに入れた。

 そのまま、ふらふらと覚束ない足取りで、ドアに向かう。

 ………行くしか、ないよな。

 叔父さんから神社(あそこ)に行くのは止められたが、確かめるには行くしかない。

 神社で再会した璃々香と――そして、璃々香が事故に遭った日から戻ってきていない(・・・・・・・・)ちょびのことを。



―――『結局、ちょびも見つからなくて』



 璃々香のお母さんは、ちょびの姿が消えるまでのことを話してくれた。

 璃々香が事故に遭う以前から、度々、その姿を消していたのだと。

 猫が飼い主の前から消える――その生態からして、思いつく理由は一つだけだ。

 なら、あのちょびは、と悪い想像が浮かび上がるが、俺に霊感などない。そもそも、璃々香は病室にいるのだ。世界には自分に似た三人の人がいるとかドッペルゲンガーとか、オカルトチックな考えが浮かぶが、あまりにも非現実的過ぎた。

 ……どういう……。

 俺は迷いながらも山道を進み、階段を上った。





「――あ! ユキくん!」


 本殿の階段に腰を下ろし、膝の上で丸くなったちょびを撫でていた璃々香は顔を上げて笑みを見せた。


「っ!」


 改めて見ても、病室の璃々香と瓜二つであることを確認しただけだった。

 ごくり、と生唾を呑み、ゆっくりと璃々香に近づいていく。


「遅いよ。待ち――どうしたの? 顔色、悪いよ?」


 彼女は俺の顔を見て、怒っていた表情を一変させ、心配そうに見つめて来た。


「あっ……いや」


 近づくにつれてザワザワと心は乱れ、呼吸が荒くなる。急に璃々香の後ろにある神社の扉――その向こうに広がった暗闇や木々のざわめきが気になってきた。


「夏バテ? もしかして、無理してきてくれたの?」

「いや……そんなこと、ない」


 璃々香の前に立つが、目が合わせられない。口の中が乾いてきて、ドキドキと心臓が煩かった。


「……ユキくん?」


 不思議そうな声に意を決してその左手を取ると、ぐぃっと引っ張って引き寄せるように立ち上がらせた。

 えっ、と目を丸くした璃々香の手は柔らかくて温かい――ちゃんと、そこに居た。

 ソレを確かめてほっとしたのが半分、益々、わけが分からなくなったのが半分だった。


「ユ、ユキくん?」


 璃々香は器用に右手だけでちょびを抱え、階段を降りる。


「帰ろう。小母さんが心配してると思うから」


 戸惑う璃々香の視線から逃れるように背を向け、歩き出す。

 背後から〝何か〟が迫って来るような恐怖に背筋が震えた。

 神社の境内を足早に抜け、神社を後にした。


「家の場所、分かった」

「……えっ? そう、なの?」

「昨日、叔父さんに怒られてさ」

「う、うん?」

「ココ、野生動物が出るし、人けもないから何か(・・)あった時は気づかれないから、行くなって」


 叔父さんがきつく言って来たのは、璃々香の事故が原因だろう。


「璃々香は聞いてないのか?」

「えっ……えっと、少しは。でも、それほど長くはいないし」

「危ないだろ! 言ってくれれば、違うトコで会ったのに……っ」

「ご、ごめん……」


 璃々香に謝られたところで、俺は我に返った。慌てて、璃々香を振り返り、


「わ、悪い。そんな、つもりじゃ……」


 ううん、と璃々香は首を横に振るうも顔を俯かせた。

 何、やってんだ……俺……。

 気まずい雰囲気の中、階段が終わって山道に出た。


「ユキくん……どうしたの? 何か、あった?」


 おずおず、と尋ねられ、びくっと肩が震えた。

 脳裏に浮かぶのは、眠る璃々香の姿だ。


「っ――ユキくん。痛い」

「あ………ご、ごめん!」


 無意識に握り締めていたようで、ぱっと手を離す。

 璃々香はちょびを下ろし、そっと左手を撫でた。

 困惑した様子の璃々香から逃れるように、俺はちょびを見下ろした。

 屈み込んで顔を洗っているちょびを抱き上げると、大人しく腕の中に収まった。確かな重みと柔らかな毛並みに、ほっと息を吐き、


「――行こう。璃々香」

「……うん」


 璃々香は差し出した手を、もう一度、握ってくれた。


「今度はさ、約束していた公園で会おう」

「公園で?」

「うん。……あ。でも、ちょっと記憶がぼんやりしてるな」


 帰りに寄っていくか、と笑みを見せる。

 上手く、笑っているだろうか。


「……うん」

「あと、駄菓子屋にも行きたいな。――あ。まだやってるのか?」

「うん。やってるよ」

「どこだっけ?」

「公園の近く……」

「そうだったっけ? 今日は……遅いし、また今度だな」


 帰れる、のだろうか。一度も、山道の入り口の鳥居から、璃々香が動いた姿を見ていないのに。

 嫌な予感を振り払うように会話を続けていたが、山道の入り口が見えて来たところで、知らずと生唾を呑んでいた。


「――ユキくん」

「ん?」

「ちょびを。外に出るなら、私の方が慣れてるから」

「……あ。そうだな」


 璃々香の手を離し、ちょびを渡した。

 しっかりと抱えたところで、行こう、と促すが、璃々香は立ち止まったままだ。


「璃々香?」

「ユキくん……夏祭りに行く約束、覚えてる?」

「………時期があえば、一緒に行くってことだろ?」

「うん。それでね、私――」

「璃々香。歩きながら聞くから」


 左手を取ると、璃々香は慌てて右手でちょびを抱え直した。


「お盆ぐらいだったから、もうすぐだよな? それまではギリギリいられそうだし」

「ユキくんっ――待って、ちょびが、」


 そう言われて足を緩めるも、振り返ることは出来なかった。


「ユキくんっ!」


 ぐいっ、と手を引っ張られ、その勢いで手が離れる。

 はっとして振り返ると、璃々香は今にも泣きそうな顔で俺を見ていた。


「どうしたの? 今日は、ちょっとおかしいよ?」

「だから、話は帰りながら、」

「ユキくん!」


 璃々香は、ぎゅっとちょびを抱き締めた。その強さに驚いてちょびが鳴くが、気にした様子はない。


「昨日までとは、ちょっと違う――まるで、焦っているみたいにっ」

「!」

「どうしたの? 話してくれないと、分かんないよ……」

「璃々香……」


 話すって、どうやって……?

 病室にもう一人、璃々香がいると、ちょびはずっと帰ってきていないと。

 ……どう話せばいいんだよ!

 俺は唇を噛みしめ、顔を俯かせた。


「――ちょび!」


 璃々香の慌てた声に顔を上げると腕の中から抜け出したちょびが森の中に入って行くのが見えた。

 璃々香は「待って!」と叫んで、ちょびの後を追って森に入って行く。

 突然のことに俺は目を瞬いていたが、


「おいっ、璃々香!」


はっと我に返って、その後を追った。

 覆い茂る草で足元は隠れているため、木の根に足を取られかけて速度が出ない。数メートル先を行く璃々香は歩き慣れているのか、浴衣と言う走りにくい服装でも平然と進んでいるのに。


「璃々香! ちょ――待てって!」

「だってっ……ちょびが!」

「危ないだろ! 戻れ!」


 何故、璃々香は平地のように進んでいるのだろう。


「っ――!」


 次第に遠ざかっていく璃々香の背中に気を取られていたからか、何かに躓いて派手に転んだ。左ひざに激痛が走る。

 一瞬、呆けてしまうが、動かした手と足の激痛に顔をしかめた。ゆっくりと身を起こすと、先についた左ひざは擦り剥けて血が滲み、青あざになっていた。右手の手の平もだ。

 よろめきながら立ち上がって前を見ると、璃々香の背はだいぶ遠くなっていた。時折、木々で隠れてしまい、今にも見失いそうだ。

 さぁっと顔から血の気が引くのが分かった。


「璃々香、待ってくれ! 璃々香!」

「―――ユキくん、早く!」


 打ち付けたばかりの左ひざは痛く、木に手をつきながら進む。


「璃々香? ……璃々香! 何処だ!」

「――メ、ちょ――」

「璃々香っ、行くな! 行かないでくれ!」


 叫ぶ声も虚しく、とうとう、璃々香の声は聞こえなくなった。

 ……璃々香の……声が、消えた?

 セミの鳴き声だけが響く山の中で、俺は愕然としてその場に立ち尽くした。






 それから璃々香を探し続けたが見つからず、俺は何とか森を抜け出して帰路についた。

 辺りは暗くなり始めていて、人けのない田んぼの中の道を歩いていく。前方から来る車に気付き、反射的に身体を脇に寄せた。


「―――雪時! お前、こんな時間まで、何処をほっつき歩いていた!!」


 少し前で止まった車から降りて来た人の怒声は、聞いたことのある声だったので、のろのろと顔を上げる。

 すると、すぐ目の前に叔父さんが立っていた。


「それも朝から――っ」


 ただ、目が合うと叔父さんは息を呑み、


「酷い顔をしているぞ? 何があった?」


心配そうに俺の顔を覗き込んでくる。

 その視線に耐え切れず、俺は顔を俯かせた。


「あまり、心配させるな……おふくろから電話があった時は、肝を冷やしたぞ」

「………ごめん、なさい」

「足にケガまでして……」


 叔父さんは俺の頭に手を置くと、乱暴に頭を撫でて来た。


「帰って、手当しよう。腹も、減っただろ?」


 とん、と肩に置かれた手に、俺は頷いた。




         +++




 璃々香とちょびを見失った翌日と翌々日は、俺は山に探しに行ったが見つけることは出来なかった。

 ただ、帰りが遅い俺を叔父さんが必ず迎えに来てくれていたので、とうとう、三日目には外出を禁止され、ばぁちゃんに引っ張られるように璃々香のお見舞いに行った。

 俺があと一週間ほどで帰ることを話したからか、璃々香のお母さんは快く迎えてくれた。

 ベッドで眠る璃々香は、以前に来た時と何ら変りがなかった。

 ………もし、あの時帰っていたら……っ。

 何かが――もしかしたら、目が覚めていたかもしれない。

 突然のことに動揺し、混乱したまま璃々香に会いに行ったからケンカをしてしまった。

 あの時、握った璃々香の手も抱いたちょびの重みも確かなもので、幻などではなかったのに――。


「早く目が覚めないと、ユキくんが帰るわよ――?」


 ベッドで眠る璃々香にそう語り掛ける璃々香のお母さんに、何も言えなかった。






 そして、四日目の夕方。


「兄貴にいつ迎えに来られるか聞いたが、五日後になりそうだ」


 俺の様子を見に来たついでに夕食を食べ終えた叔父さんは、お茶で一息つくとそう言った。


「! ………分かった」

「もうちょっと早く来てほしかったが……まぁ、仕方ないな。ケガをしたのは兄貴には言っておいたが、義姉さんには言ってない。あまり、心配はさせたくなかったからな」

「……うん」

「―――それとな。お前には敢えて伝えてなかったが、雅時は手術することになって、今日、無事に終わったらしい」

「―――えっ?」


 俺は目を見開いて叔父さんを見た。

 そんな話は、一言も聞いていなかったからだ。


「おふくろたちには、俺から口止めをしておいた」

「……どうして……」

「あの日から………久瀬さんトコのことを聞いてから、顔色が悪いぞ。そんな奴に話せるか」

「……っ」


 図星を指され、俺は唇を噛む。


「久瀬さんのことはショックだと思うが………目が覚めた時、今のお前の顔を見たら印象も悪いぞ。しっかり、休め」


 からかいう口調だったが、俺のことを心配しているのは分かったので、素直に頷いた。


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