第4話 雪時と璃々香。
翌日も「昼には帰ってくるから」と言い残して、俺は神社に向かった。
途中でジュースを二本買い、持ってきていたビニール袋に入れる。
神社に着くと、既に璃々香は来ていてちょびと戯れていた。その服装は昨日と同じ浴衣だ。
「おっす。早いな」
「おはよう。そうでもないよ」
にこり、と笑って璃々香は立ち上がった。
「………暑くないか? 浴衣」
「ううん。ちょうどいいよ」
ふぅん、と俺は小首を傾げる。
着たのだいぶ前だからなぁ……そんなもんか。
「けど、何でまた浴衣なんだ?」
「……似合わない?」
「えっ……いや、似合う、けど」
両手を広げ、浴衣を見せてくる璃々香から少し視線を逸らし、呟くように答えた。
「ホント?」
下から見上げるように顔を近づけてきた璃々香に、どきり、としながら、俺はぎこちなく頷いた。
よかった、と璃々香はにっこりと笑って、神社の階段に腰を下ろす。寝転んで、あくびをするちょびを横目に、俺もその隣に腰を下ろした。
「――あ。それ……」
「暑いし、喉乾くかなと思って」
ビニール袋からジュースを一本取り出し、璃々香に渡した。
「ありがとう」
璃々香は受け取ると、向こう側に置いた。
「でも、浴衣着るの大変じゃないか?」
「学校で夏祭りをした時、覚えたの。男の子は甚平だったけど」
「へぇー! 学校行事で夏祭りかぁ」
「近所の人を呼んでね。三年になると、着るものは自分で作るんだよ?」
「うぉっ……マジか」
俺には無理だ。
「ユキくんトコは、そういう行事とかないの?」
「そう言うのは、ないな。一応、隣町の研修センターに行って一泊する、宿泊研修はしたけど」
「! そうなの?」
「入学早々――五月にしたから班分けは名簿順で、適当だったけどな。レクリエーションとかクラス単位で考えてさせられるし、伝統工芸もやったんだ。夕食は恒例のカレー作り」
「へぇ! キャンプみたいだね?」
「そんな感じかなぁ」
ふぅん、と璃々香は何度か頷いた。
「そう言えば、ユキくんは何部に入ったの? サッカー部?」
「いや、サッカーはチームに入ってるから文化部。練習かぶると困るし」
「あっ、そっか。どの部?」
「美術部」
「えっ――美術部なの?」
「これでも、そこそこ絵は描けるから。……まぁ、中の上ぐらいだけど」
「中の上?」
よく分からないのか、こてん、と小首を傾げる。
「……そっちは、何部に入ったんだ?」
「私? 私は手芸部だよ」
「手芸部かぁ……なんか、得意そうだよな」
「そうかな? 今、羊毛フェルトで作るのにハマってるの」
「羊毛フェルト?」
「うん。ものすっごくフワフワしてて、作り方は――」
璃々香との話題は、全く事欠かなかった。
会わなかった六年間のことだけではなく、中学に入ってからのことも色々と話していると、あっと言う間に時間が過ぎていった。
その次の日は山道を進み、近くにある川に行った。
川に入ったのは俺だけで、浴衣を着ている璃々香はちょびを抱いて少し離れた場所にある石に腰掛けていた。
「うぉー、冷てぇー」
「ユキくん、気を付けて」
「分かってるって」
水嵩は、足首よりもやや上の程度。流れも緩やかだったが、ゴロゴロとした石に足を取られてコケるわけにはいかない。
魚はいるかな、と足元を覗き込んでいると「あ。ちょび!」と慌てた声が聞こえた。
はっとして璃々香に振り返れば、川に近づいて来るちょびが見えた。
「おい! ちょび!」
水面を覗き込み、頭から突っ込んでいきそうだったので、俺は水しぶきを立てながらちょびに近づいた。
辿り着く前に水滴が当たったのか、びくっ、と身体を震わせたちょびは踵を返した。
「わっ――ちょびっ」
同じく駆け寄ろうとした璃々香は、急に戻って来たちょびを踏まないように足を止めた。
「………嫌なら近づくなよ」
やれやれ、とため息をつくと璃々香は苦笑した。
「興味は、あるのかな?」
+++
叔父さんと叔母さんが、夕食を食べにやって来た。
従兄姉たち――従兄ちゃんは下宿先からまだ帰らず、従姉ちゃんは部活の合宿に行っているため、来なかった。
「あらあら。かっこよくなって」
コロコロ、と笑う叔母さんに再会早々、問答無用で写真を撮られた。
どうやら従姉ちゃんに頼まれたらしい。
……叔父さんとのツーショットだったけど、いいのかな?
叔母さんと電話番号とメルアドを交換すると、嬉々として従姉ちゃんに自慢のメールをしていた。
「こっちに来て四日になるが、どうだ? 何もないところだろ」
「えっと……のんびりしてますよ」
「彩奈がいれば、隣町のショッピングモールにでも行くんだけどなぁ」
「いえ。そこそこ楽しくやってますから、大丈夫です」
「そうか? なら、いいんだが……」
「大丈夫だよ。来てから、ずっと午前中は出かけているからね」
片眉を上げた叔父さんにばぁちゃんは苦笑しながらそう言うと、出来上がった料理を盛ったお皿をテーブルに置いた。
「何だ、そうなのか?」
「散歩していたら、前に来ていた頃に行っていた場所を見つけて……」
偶々、ちょびを見つけたから神社に行けたが、ブラブラとしていただけでは辿り着けなかったと思う。
そう言えば、何であんなところにちょびはいたんだ? 璃々香は神社にいたのに……。
「ほぅ?」
「そうだったの?」
さすがに璃々香と会っていることは言いにくくて誤魔化した。
絶対、叔父さんはからかってくる。
「そこの公園じゃないよな? 一人で行っても面白くねぇし」
「何処に行っているんだい?」
「えーと……山の中にある古い神社だよ」
「!」
「神社の名前までは分からないけど、ココから……だいたい、北西のところにあって。昔、そこで――」
声は次第に尻すぼみになっていき、俺は口を噤んだ。
叔父さんとばぁちゃんの眉が徐々に寄っていき、半ば、睨むように俺を見ていたからだ。
「……どうしたの?」
「それは神主さんもいない……山の中腹にあるところだよな?」
つい、さっきまでの明るい声ではなく、固い声で尋ねて来る叔父さんに少し目を丸くしながら頷いた。
「雪時、そこには行くな」
叔父さんの言葉に「え?」と俺は目を瞬いた。
「あそこは境外摂社――市街地にある神社が管理しているが、滅多に人は行かないし、山には野生動物もいる」
危険だ、と真剣な表情で言う叔父さんから、俺はばぁちゃんとじぃちゃんを見た。
でも、二人も真剣な表情をしていて、叔父さんの言葉に賛同しているのが分かった。叔母さんまで料理の手を止め、心配そうに俺を見ている。
理由を聞こうにも、何処か聞けない雰囲気があって、俺は視線を泳がせた。
「いいな。もう行くなよ?」
「…………う、うん」
その有無を言わせない言葉に、俺はぎこちなく頷いた。
叔父さんたちが帰って、風呂から上がった俺は部屋に戻った。
風呂に入る前に入れていた冷房のおかげで、室内はほどよい涼しさだ。
どさり、とベッドに腰を下ろし、ぼんやりと天井を見つめて夕食時のことを思い出していた。
………何で、あんなに?
熊はいないが猿や鹿などは出ると聞いていたものの、それほど危機感は抱いていなかったので、その事を怒っていたのだろうか。
………璃々香も言ってくれたらいいのに。
璃々香も同じことを言われているはずだが、知っていてもなお来ていたのか、ちょびに付き合ってのことなのか分からない。
ちょびが一緒にいなかったので、もしかしたら、いなくなったちょびを探してあての一つとして神社に行ったところに再会したのだろうか。
……明日も約束したけど……ああ言われたら行きにくいな。
璃々香に連絡するにもお互いの連絡先も住所も知らないので、早めに行って山道への入り口で来るのを待つか、ばぁちゃんに聞いてみるしかない。
……久瀬って名字は珍しいから、どの辺りに住んでいるかは知ってる、かな?
「………ん?」
スマホから着信音が聞こえ、画面を見ると夕食前に登録したばかりの携帯番号が表示されていた。
「——もしもし? タカか?」
『ああ。久しぶりだな、ユキ』
「うん。久しぶり」
相手は、転校した親友で相棒の対馬隆哉。
夏休みを利用して家を訪ねて来たと、母さんからメールが来ていたのだ。
『元気そうだな』
「そっちこそ」
変わらない声に、笑みが浮かぶ。
『――ってか、せっかく会いに行ったのに、いねぇってどういうことだよ!』
「あー……悪い」
『そりゃ、事情は小母さんから聞いたけどさ。せっかく驚かそうと思ったのになぁー』
「いや、お前もいきなり来るなよ。俺にも用事はあるんだ」
『用事? サッカー以外に何かあるのか?』
「ぐっ……」
確かに美術部も数回は行ったが、サッカーの合宿と練習を除けば、特に用事はなかった。
今回のことも、急だったのだ。
『それで、そっちはどうなんだ? 六年ぶりだって小母さんは言ってたけど』
「あー………田んぼが広がる、長閑でいいところだよ。車も大きい道じゃないと、そんなに通ってねぇし」
『ほぅほぅ。ボール蹴って走り回るには、丁度いいか』
「なっ……!」
『聞いたぜ? 昔は、ずっとボール蹴って遊んでいたんだってな』
笑いを含んだ声に、何で話すんだよ、と声には出さずに叫ぶ。
『お前、何処に行ってもサッカーバカだな!』
「っ……お前もだろ!」
一瞬、言葉に詰まりながらも何とか言い返したが、爆笑するタカには聞こえてない気がした。
むすっと顔をしかめていたが、その声を聞いているうちに笑いがこみ上げてきて、我慢できずに同じように声を上げて笑った。
「――でもな、そのおかげでメッチャ美少女の子と知り合っていたんだぜ? 来た次の日に再会したんだ」
『あー、腹いてぇ…………は? 美少女が何だって?』
ひぃひぃ、言っていたタカは、一度、大きく息を吐くと尋ねて来た。
「聞こえていただろ!」
『一人寂しくボール蹴って遊んでいたら、女子と――それも美少女と知り合っていたってことか? へー、そりゃあスゴイスゴイ』
「お前……全然信じてないよな?」
『だってなぁ………行っていたのは、もう六年も前だろ? ホントにその子なのか? 俺の場合、その頃の記憶なんでほとんどねぇけど』
「………それは間違えねぇよ」
ちょびがいるのだ。間違いはない。
『ふぅん……で? どんな子なんだ?』
「信じてねぇなら、別にいいだろ……」
『いいだろー、教えてくれたって。ケチケチするなよー』
その日は、夜遅くまでタカと電話をしていた。
+++
翌朝。タカとの電話でいつもより寝る時間が遅かったからか、起きたのは七時半前だった。
「今日は遅かったわね」
「友達と電話してて……ちょっと遅かったから」
あらあら、とばぁちゃんは苦笑して、既に置かれていた朝食にご飯と味噌汁を置いてくれた。
今日の味噌汁の具は、かぼちゃとインゲンだ。
……この時間でも、急げば……。
ダメ元でも家の場所を聞いてみようと思うが、中々、決心がつかず、テレビのニュースを横目に箸を進めていた。半分ほど食べたところで、意を決して口を開く。
「……ばぁちゃん」
「ん? 何だい?」
洗い物を終えて、手をタオルで拭いていたばぁちゃんはこちらに振り返った。
「友達、と会う約束してるんだけどさ……」
「友達? こっちに友達が出来たの?」
目を丸くしたばぁちゃんに頷き、視線を椀に落として箸でかぼちゃを突いた。
「六年前に知り合った子で、偶々、来た次の日に再会したんだ」
「――ああ。それで午前中は出かけてたのね」
「うん。で、ちょっとその子の家が分からなくて……その、昔、お互いに家を探そうって約束して、大まかな位置しか……」
「へぇ………同い年の子?」
「そうだよ。北の方に住んでいるらしくて………名前は久瀬璃々香ちゃんって言うんだけど、久瀬さん家ってどの辺りにあるか知ってる? 前に会った時は、引っ越して来たばかりだって言って――」
「久瀬さん?」
呟いたばぁちゃんの声は強張っていて、はっとして顔を向けた。
「っ……ばぁちゃん?」
険しい表情をしているばぁちゃんに、びくっ、と肩が震えた。
「久瀬璃々香さん……ぶち猫のちょびを連れた?」
「え? あ、うん。……ちょびの名前、一緒に考えたんだ」
「っ!」
ばぁちゃんは息を呑み、「一体、何を……」と呟いた。一瞬、目元を歪めてタオルを置くと、足早に近づいてきて俺の目の前に座った。
「いいかい。よくお聞き」
「………う、うん」
昨夜以上に真剣な声に俺は椀と箸をテーブルに戻し、ばぁちゃんに向き直った。
「久瀬璃々香さんはね……事故に遭って、今、入院しているんだよ」
「………え?」
一瞬、何を言っているのか分からなかった。
事故……入院……?
「もうすぐ一ヶ月になるかね。七月に大雨が降った日があって、その次の日、いなくなったちょびを探しにあの神社がある山に行ったみたいで………そして、そこで足を滑らせてしまったんだよ」
ぐるぐる、とばぁちゃんが言った言葉が、頭の中で回る。
けど、璃々香は神社にいた――ちょびも一緒で、色々と話をしたのだ。
「発見した時、ケガは大したことがないけど………それから、目を覚ましていなくてね」
「う、嘘だろ……」
璃々香の笑顔が脳裏にチラつき、ちょびに触れた時の毛並みの感触も覚えている。
「確かだよ。騒動になって捜索隊が出てね……叔父さんも捜索に参加したから」
だから、知っているんだよ、とばぁちゃんは言った。
「そ、んな………」
愕然とばぁちゃんを見ていると、悲しげに顔を歪めて、そっと手を伸ばして来た。ぎゅっと抱きしめられ、あやすように背中をさすられる。
―――『ホントにその子なのか?』
ふと、脳裏に浮かんだのは、昨夜、タカから言われた言葉だ。
俺のことを覚えていてくれて、学校の事も色々と話した。
何より、ちょびも一緒だったのだ。
ぶるり、と身体が震え、ばぁちゃんの腕を掴む。
「ち、違う! 俺はアイツと遊ぶ約束を――っ」
「……雪時」
身を離して、ばぁちゃんは小さく首を横に振った。
俺は息を呑み、のろのろ、とじぃちゃんを振り返る。
「………事実だ」
眉を寄せ、目を伏せながらそう言ったじぃちゃんに顔を引きつらせた。
何でっ……そんな、はずはっ!
神社の境内で再会した璃々香は、確かに――
「俺はアイツと、アイツと――っ!」
俺は叫んで立ち上がると、スマホの入ったベルトポーチを手に玄関に向かった。
「雪時! お待ち、何処に?!」
背中にかかるばぁちゃんの制止の声を振り切って、家から飛び出す。
今なら、まだ家にいるはず……っ!
視界はグラグラと揺れ、何度か躓きそうになりながらも踏み留まって、俺は璃々香の家を探しに行った。