プロローグ 遠き日の約束
柔らかな日差しが降り注ぐ石の階段をとっとっと、と駆け上がる男の子がいた。
少し癖のある髪に、年は小学校の入学前ぐらい。フード付きのTシャツにハーフパンツ、スニーカーといういでたちで呼吸は荒く、頬はほんのりと桃色に染まっていた。
「はぁっ……はっ……はぁ!」
その目には焦燥の色があり、真っ直ぐに階段の先を見つめている。
やがて、古びた鳥居が見えると、さらに速度を上げた。
最後の一段を上がったところで立ち止まり、両ひざに手をついて大きく肩を動かしながら呼吸を繰り返す。
「はぁっ……うっ…」
何度か咳き込みながら、胸元を右手で握り締めた。
「遅いよ! ユキくん!」
女の子の怒った声に、男の子はのろのろと顔を上げた。
大きく開けた場所の奥——そこには古びた神社ががあった。
初めてソレを見た時は、何かが出てきそうで怖かったが、今では秘密の場所だ。
鳥居から神社までの道は石畳だが、所々、草が飛び出ていた。その左右は足首ぐらいまでの草が生えている。
「……はぁ、はっ」
そして、神社のすぐ近くに一人の女の子が立っていた。
男の子と同じぐらいの年の子で、淡い桃色のワンピースに赤い刺繍があり、レモン色のパーカーを羽織っている。
その足元には、にやぁー、と呑気に寝転がっている子猫がいた。
まるで、ダメだ、と言っているようだった。
「もぅーっ」
ぷぅ、と頬を膨らませるその女の子に、荒い呼吸を繰り返しながら近づいた。
「ご、ごめん。母ちゃんに捕まって……」
「約束したもの、持ってきてくれた?」
「あー……」
ぴたり、と足を止めて目を逸らす。
「ユキくん!」
「ごめん! 見つからなかった!」
パンッ、と顔の前で手を合わせ、謝る。
「何か、いいのがなくて」
恐る恐る顔を上げると、唇を尖らせるその子と目が合った。
けど、その子はすぐに子猫に視線を落とす。
未だに足元で寝転がっている、黒と白のまだら模様——ぶち猫は、二人の言い合いに驚くことなく、呑気に顔を洗っていた。
その首元にあるのは、ピンク色のリボン。
女の子が髪を縛っているものと同じものだ。
「ユキくんが言い出したんだよ?」
「あー……うん。ちゃんと、探すから」
まさか、中々探せないとは思わなかった。
もぅ、と不貞腐れたように屈みこむとぶち猫に手を伸ばして、こちょこちょ、とその喉元をくすぐった。
ゴロゴロ、と喉を鳴らして喜ぶぶち猫に、ふっと息を吐いて屈みこむ。手を伸ばし、耳のつけ根をかいてやると、
―――ぺしっ、
と。猫パンチを喰らった。
払われた手に、男の子は目を見開いて固まった。
「あははっ! ほら、この子も怒ってる!」
「………た、偶々だろ」
むすっ、として顔を逸らす。
「違うよねー?」
くすくす、と女の子は笑いならが、手をお腹の方へと移して撫でる。子猫はされるがままだ。
じゃれあう一人と一匹に、ちらり、と視線を向け、ため息を一つ。
「………分かったよ。ちゃんと、次は持ってくるから」
「ホントかなー?」
じと目を向けられ、子猫もソレを肯定するように鳴いた。
「うっ――ちゃんと探すって。良いのがなかったら、見つけた奴を持ってくるから」
うんっ、と女の子は満面の笑みを浮かべた。
「――あ。でも、その……」
唐突に、男の子はバツが悪くなったような顔をした。
「何?」
「……昼過ぎに、帰ることになって」
えっと女の子は目を見開いて、手を止めた。
「父ちゃんの仕事がちょっと……だから、少ししたら帰らないといけないんだ」
「そう、なんだ……」
「うん………ごめん」
「………ううん。お仕事じゃ、仕方ないもんね」
女の子は、今にも泣きそうな顔をしながらも笑った。
それにさらにバツが悪くなったのか、男の子はぎゅっと眉を寄せた。
「……今度は夏に来れるから、その時まで待っててくれる?」
「……夏?」
少し潤んだ目を瞬き、上目遣いに男の子を見つめる。
「うん。だから、任せていいかな?」
男の子はぶち猫の頭に手を伸ばし、耳のつけ根をかいた。
子猫は気持ちよさそうに目を細めた。
「……うん」
「今度は、ちゃんと持ってくるから」
「……うん」
「約束だ。もし破ったら………何でも言う事を聞くよ!」
「………本当?」
「ああ。——けど、一つだけな?」
女の子は少し考えるように視線を彷徨わせ、
「うん。待ってる……」
小さく笑みを浮かべた。
「おう!」
にかっと笑って、男の子は子猫に視線を落とした。
「お前も待ってろよー?」
にゃあ、と何かを訴えるように鳴いた。
「―――待ってるって」
二人は顔を見合わせ、笑い合う。
「よしっ。まだ時間もあるから、遊ぼうぜ!」
「うん!」
男の子は子猫の両脇に手を入れ、よいしょっと持ち上げた。
―――それが遠い日の、ある春先の出来事だった。