第7話
少し時間が遡って、ゲイツさんのターンです。
顔に何か温かいものがベロリと触れて、ゲイツは目を覚ました。
───生きている。
ゆっくりと身を起こすが、まるでケルン王国が誇る騎士が身に付ける鋼の鎧でも身に纏っているような重さを感じる。起き上がったのに喜んだのか、騎獣のルードがゲイツの胸元に頭をこすりつけて甘える様に嘶いた。
「ルード、無事だったのか。怪我は・・・・うっ、なんだ?」
身を起こしたせいか顔にベタリと垂れ落ちる何かが口に入る。すると青臭い様ななんとも表現しがたい味が口に広がった。濡れる手足は自らの血で汚れているかと思ったが、なにやら溝にでもはまったかの様な有様だった。
辺りは薄暗い。程なく完全に日が落ちてしまうだろう。ゲイツは暗闇でもある程度見えるのだが、このままここに居るのは不味いだろう。周囲には先程の謎の臭みと共に、濃い血の匂いが立ち込めている、どうやらかなりの血が流れたのは間違いないようだ。
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ゲイツは、ウィリスの森の近く、事もあろうに緑竜の止まり木の近くに「魔溜まり」があるという情報を得て、ハンターギルドから調査を依頼されたのだ。
「魔溜まり」とは、神々や精霊の存在が聖だとするならば、その対極となる穢れの気が溜まってできる淀みの事だが、その元となるのは「魔核」という黒い石だと言われている。
はるか昔に、この世界に「大いなる穢れ」と言うべき存在が生まれた。
その姿は漆黒の闇を集めた巨大な獣の様だとも伝わっている。神々は消し去るべく長きに渡ってソレと戦ったが、創造神ウルスラの聖なる雷をもってしても完全に消し去る事は出来なかった。
雷によって粉砕された「大いなる穢れ」はバラバラに砕かれ大地に散らばり、穢れの復活を憂いたウルスラは穢れを封じる塔を建てたと言われている。
これはいわゆる伝承であるが、今も世界七ケ所に封魔殿と呼ばれる「大いなる穢れ」の頭部・胸部・下腹部・腕・足などを封じたと言われている塔がある。そして魔溜まりを作る魔核は、はるか昔大地にに降り注いだ「大いなる穢れ」の飛沫が長い時を経て結晶化したものだとされている。
もともとハンターとは、旅人や村を襲う獣と言われる大型の野生動物を討伐したり、その素材を採取して生活をする者たちを指す。
だが、ある時から地上に魔獣と呼ばれる特別な生き物が現れ、その魔獣を専門に討伐する者が現れる。魔獣を完全に屠るその仕事はハンターというより、バスターというのが相応しいかもしれないが、人々は獣を狩る者をハンター、魔獣を狩る者は魔獣ハンターと呼ぶ様になった。
魔獣ハンターの仕事は魔獣を屠ることだけでなく、魔獣を作り出す魔溜まりやその元となる魔核を消し去る事である。魔獣は動物や獣と違い、剣などの武器や炎などの魔法では完全に屠る事はできない。
魔獣を屠るには『雷』の力が必要なのである。雷を直接叩き込むか、雷を纏った武器で攻撃すれば魔獣を屠る事ができるのだ。
つまりはウルスラの加護力を得た者か、高価な雷の魔法石を使った魔剣などの武器を持つ者しか魔獣ハンターにはなれないのだ。それゆえにその数は非常に少ない。ゲイツはその稀有なる魔獣ハンターの、しかも雷の使い手であった。
今現在カラム大森林は封鎖されている。緑の女神ウィリスの眷属とされる神獣、緑竜が三百年ぶりに代替わりする為に卵を宿したと、緑の女神ウィリスを祀る神殿から通達があったのだ。神獣とは神々の眷属とされているが、竜や鳥や獣とその姿は様々であり、その寿命も様々である。
事実を知っている者はもちろん生きてはいないが、文献では神獣は竜も獣も寿命を迎えると卵を産み、その卵が孵ると同時に消え去るのだという。また卵が孵るまで一年ほどの期間は非常に獰猛になり、決して人を傷つける事のないはずの神獣でも近付けばその限りではないという。ケルン王国は神殿の通達を受け、一年間カラム大森林への侵入を固く禁じたのだ。
これは他国にも伝わっており許可なく森に侵入した者には、重い罰を課すほどである。
だが、緑竜の住処でもある竜の止り木と言われる大樹付近──ウィリスの森のすぐ南にある──に「魔溜まり」があるとなっては放置できない。あり得ないとは思うが、万が一神獣が穢れに侵されて魔獣となれば、事は国の存亡に関わる。
ゲイツは依頼を受け単身で調査に向かった。といっても緑竜を刺激しないようオロ山から、魔溜まりの気配を辿るのみだったのだが。まさか緑竜がオロ山に姿を現わすとは思わなかったのだ。神獣は人を襲わないという常識から、いくら卵を守るとはいえそこまで獰猛になってはいないと、完全に油断していたのである。
カラム大森林を封鎖したケルン王国の対応は、正しかったのだろう。緑竜はその巨体にもかかわらず風の様に現れ、一目見てゲイツを敵と判断し襲ってきた。ブレスを避けようとルードに跳躍させた瞬間、振るわれた爪がルードごとゲイツの身体を深く抉り、そのまま振り払われ吹き飛ばされた。
ゲイツは自分とルードが大森林を突っ切る様に飛ばされるのを、焼ける様な痛みと共に覚えていた。カラムの大樹を巻き込む様に叩きつけられたのだが、脆いカラムの樹木がクッションになったのかもしれない。
「グリュゥールゥ」
ふと、物思いに耽るゲイツの身体をルードが突いた。何かを知らせる様な仕草に、そちらを見ると何かが蹲っている。既に大分辺りは暗いがゲイツにはそれが人だとわかった。
慌てて近付くとそれは子供の様だった。息をしているのを確認し、安堵のため息が出る。
大怪我をしていたはずの自分が全くの無傷になっている事に、この子供が何か関係あるのだろうか。まさかこんな子供が光の加護持ちか、と悩んだが、グッスリと眠っている様なので移動を優先させることにした。
幸いルードに積んであった荷物が無事だったので、水袋を取り出し身体にこびりついているボロ切れになった服を捨て去ると、身を清める。
小ざっぱりしたついでに水を飲み干すと、眠ったままの子供を抱え上げ、そのまま慎重にルードに乗り、鉄臭い場所を後にした。
程なく、カラム街道に出る間際までルードを走らせ、森の木々が途切れるギリギリの場所に降り立つと、ゲイツは抱えていた子供を降ろし、荷物から毛布を出して包んで寝かせた。
ルードを労い、その首を優しく叩いて水を与えると、周囲から薪になる枝を拾い集める。カラム枝を着火剤代わりに火をおこすと、携帯していたビスケットを齧ってやっと一息ついた。
まずは子供──少女のようだが、彼女が目を覚ますのを待って、自分が意識を失った先を確認するしかないだろう。
調査は日帰りの予定だったのだが、ここで夜を明かす他は無さそうだ。セレントに帰るのは明日になるか、とゲイツはため息をついた。
現在セレントに常駐して、とある臨時の仕事を請け負っているのだが、セレントのギルドマスターとあまり折り合いが良く無いのだ。連絡無く外泊して戻れば何を言われるかと、今からウンザリしてしまう。本来数が少ない魔獣ハンターは優遇される立場なのだが、自らのの事情により、疎まれていると自覚があるのだ。
結局魔溜まりの気配は掴めなかったが、再度調査するのは難しいだろう。どう考えてもあと半年神獣の誕生を待つしか無いような気がする。今回の調査依頼主である、マードウィクのギルドマスターにも直接報告する必要があるかもしれない、そうなるとまたセレントを数日空けることになる。
頭の中でこれからの予定を立てながらも、深いため息を止める事は出来そうに無かった。せめて、生きて戻れる事を喜ぼう。
静寂の中、時間だけがゆっくりと過ぎる。毛布の中の少女は、相変わらずのん気にスカスカ眠っている様だ。荷物の中から変えのシャツを取り出して、大きなカラムの樹の元にあぐらをかくと、もう一度ゲイツは己の上半身を見下ろした。やはり今日の傷痕は無い。
パンッと小気味良い音を立てて薪代わりに焚べた枝が爆ぜ、柔らかな熱が裸の胸を炙る。
───いや、これは・・・。
十年近く前に、魔獣に削られた右の脇腹の傷痕も無い。綺麗に消えてしまっている。
───しかも・・。
先ほど、意識が戻ってからその違和感からずっと気になっていた、眼帯に覆われた右目にそっと触れる。
「どうゆう事だ?」
二十七年間──生まれてからずっと人前では取り去る事のなかった、眼帯の皮バンドを外す。右手に黒革のソレを握りしめたまま、ゲイツは呆然と呟いて、のん気な顔で眠り続ける少女を見た。生まれてすぐに抉られ、以来空洞だったはずの、失ったはずの右目が今確かに見えていたのだ。
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とりあえず、ゲイツは眼帯を着け直すことにした。二十七年間隻眼になれた視界が、右目の視力を得てグラリと脳を不快に揺らすのだ。両目で生活するにはかなり時間がかかるだろう。
ふと眠っていたはずの少女の気配に視線をやると、目を覚ましたのか寝たままの姿勢で、手を顔に当てボンヤリと宙を眺めていた。運ぶため抱き上げた時に気付いていたが、彼女の顔には涙の跡があった、泣き疲れて寝てしまったかのように。
「そうだっ」
「目が覚めたか」
突然叫んでガバリと身を起こした少女に声を掛けると、初めてゲイツの存在に気が付き驚いたのか、彼女は変な声をあげてこちらを振り向いた。
茶色の髪に緑の瞳、まだあどけない小さな子供はポカンと口を開けたまま、長い時間ゲイツを見つめていた。寝起きにこんな隻眼の大男目にして叫ぶかと思ったが、何やらじっくりと観察でもされているようだ。
「おい」
見かねて声をかけると、我に返ったのかアタフタとしている。ゲイツは声のかけ方が威圧的だったかと躊躇う、子供と話した事などないのだ、しかもこんな少女にどんな話し方をすればいいのか。
すると、ゲイツが背にしていた大樹の影から、騎獣のルードが顔を出して「グルゥゥ」と甘えるように鳴いた。するとまるで、それに勇気を得たように少女は口を開く。
「あの、怪我はもう大丈夫なんでしょうか?」
まるで大人のような丁寧な言葉遣いに面食らった。まさか貴族の子供か何かだろうか。身に纏った深い緑色のマントも随分と質の良いものだし、抱き上げた時に触れた髪はしっかりと手入れされているのか、サラサラとこぼれ落ちた。
怪我の心配をされたということは、この子供が怪我を治療したのだろうか?考えながらも、まずは身分を明かして状況を確認するとしよう。
「オレはゲイツという、ハンターだ。・・ハンターは分かるか?」
貴族の子女ならば知らない事もありうる。怖がらせないようにゆっくりと聞くと、彼女はマユと名乗った。家名は無い、言わないのか或いはマユとい名前も愛称かもしれない。ハンターは大体分かるというので説明は省いた。ゲイツはこの場所に運んだ事を簡単に説明すると、意識を失った後の状況を確認したのだった。
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俄かに信じがたいが特級回復薬を六本も使ったのならば、自分が無傷な状態であるのも古傷さえ治ってしまうのもわかる。使用した事も見た事もなかったが、特級回復薬は失った腕も生えてくると言われている貴重な薬なのだ。しかし、マユの説明は納得できるような不可解なようなものだった。
師匠とやらが特級回復薬を作れるような薬術師ならば、王宮お抱えになっていてもおかしくは無い。それがひっそりと辺境の森で子供を引き取って暮らすなど、若い頃に王宮で権力争いに巻き込まれでもしたのだろうか。
少なくともこの三代程、ケルン王国は安定しているし世継ぎ争いなども起きていないので、他国から流れてきた薬術師かもしれない。ウルティア大陸のバーランド皇国などは十数年前内乱が起きていたはずだ。
しかしマユという少女は不思議だ。小さな体でずっと旅をして来たという、だがその格好はつい先程馬車を降りたといえる程に身綺麗だし、マントにも綻びひとつ見当たらない。
カラム大森林ではあまり危険はないがそれでも野獣の類は少なからずいるし、ここに至る道も治安の良い場所ばかりではない、戦える様な武技があるとも思えなかった。薬についても、特級回復薬の価値をよく知らないのかもしれないが、死んだ師匠である薬術師が遺していったものかもしれない、そんな貴重なものを見ず知らずの男に六本も使ったのか。
しかもカラム大森林が封鎖されている影響で、ウルティア大陸からケルン王国に入るダムドの大橋では入国が規制されてもう半年になる。現在は王国の許可証を持つ商隊以外の一般の旅人は、大橋経由の陸路では入国できないのだ。マユはどこから来たのか、辺境の森とはカラム周辺なのだろうか?
疑問は尽きないが、まずは大事な事を伝えなければならない。マユはゲイツの恩人なのだから。
「マユ」
「へぁ、は、はい」
ゲイツが声をかけると彼女は分かりやすく動揺した様な返事を返した。
「オレとルード・・・オレの騎獣の命を救ってくれた礼を言っていなかった。ありがとう」
ゲイツがバカ真面目に頭をさげると、マユは慌てた様に後ずさった。
「いえ、あの、そんなに気にしないでく、しないでいいから」
マユはどうも自分の言葉遣いが不自然だと気が付いている様で、一所懸命子供らしく話そうとしている。
「いや、命を救われたんだ。礼を言うのはもちろんだ。だが、」
ゲイツは少し気まずく言葉を濁す。
「じつは特級回復薬六本分も購う程の財産がないんだ、勿論どうにかしてでも返すつもりだが、ギルドにいくらかは預けてある、とりあえずはそれを渡して不足分はそうだな・・・」
実際のところゲイツも特級回復薬の価格を正しくは知らない。とりあえずセレントに戻ってギルドに預けてある全財産を確認しようと考え、真剣に金策を思案していると、
「いやいやいや、お、お金、ぜ、全財産とかいらないからー!」
マユが飛び出しそうなほど目を見開いて叫んだのだった。