第20話
執務室内に暗い沈黙が落ちたが、シュバルツは気を取り直す様に言った。
「ま、とりあえずこの話はまだ臭うってだけだ。お前らが気にする事でもねぇ」
確かにそんなヤバそうな話に関わりたくないものである。
「とりあえずまだ日没まで一刻以上ある。チビは薬作っとけ、ロイド案内しろ。材料が足りねぇようならロイドに言え、用意させる」
マユは鞄に手を突っ込んで、セレントで作っておいた回復薬三種と解毒薬三種を取り出した。小さな手には持ちきれないので、デスクの隅に置かせてもらう。
「灰病の薬以外は作ってあるんで、これでお願いします」
六本の薬瓶を見てシュバルツはロイドに顎をしゃくってみせる。それだけで通じたのだろう、ロイドは歩み寄ると薬瓶を一つ一つ手に取った。
「確かに、薬術師はマユさんの名前になってますね。効果は全て『良』です」
ロイドは鑑定を持っているのか、とマユは彼を眺めた。そう言えば審判の神ダムナートの加護色は白だ。ロイドの純白の髪は加護色なのだろう。今まで瞳に加護色を持った人しか知らなかったがここに来てシュバルツに続き二人目である。マユはピレニーが言っていた意味が良くわかった。加護色というのはとにかく派手なのだ。シュバルツに至っては髪も瞳も同じ色なんだから、さすが凄い加護と言われるだけある。
───ダムナートの大加護ってまさか、嘘を見抜くという『審判』持ってたりして・・・。
もしそうならば、異世界人ってバレるとか?とマユは一気に緊張した。
「全部『良』で作れんならメイデンの爺いも文句ねぇな」
シュバルツは満足そうに頷いた。認めてもらえたようだ。
「じゃあロイド、案内と手続きだ。小僧はまだ話があるから残れ」
その言葉に頷いてロイドは部屋から出るようにマユを促す。マユはゲイツを振り返ると、
「日が落ちる頃に迎えに行く、飯に行こう」
と頷いてくれたので、仕方なくロイドについて部屋を出た。正直この無表情なお兄さんには嘘がつけないと思われるので、あまり話したくないのだが。
───嘘はつかないように気をつけよう。
ロイドは一言も発する事なくどんどん歩くので、マユは小走りでついて行くだけだ。二人は階段をさらに三階へ登った。三階は廊下沿いに扉が並んでいる。先程言っていた、貸している作業室があるフロアなのかもしれない。黒い木製のドアには『使用中』の札が付いているものもあった。
ロイドは五番目の扉の前で足を止めると、マユを振り返った。
「この部屋を使ってください。中にある使用中の札を必ず扉の外に掛けてください。部屋の備品は全て使用して下さって構いませんが、使用後は浄化し元の場所に戻してください。部屋にいる間は施錠する事をお勧めします。私はここで待っておりますので、一旦中に入ってレシピを確認してください。足りない材料があればお持ちします」
能面のような顔で淡々と述べられ、マユは頷くしかない。このギルドに入ってから子供扱いされなさすぎて、自分の体年齢を忘れてしまいそうだ。
ドアをどうぞ、と開けられて部屋に入る時ハッと我に返って、マユは慌てて言った。
「あ、材料はありますので大丈夫です」
「ではそのまま作業して下さい。廊下の突き当たりにトイレがありますが、部屋を空ける際レシピや材料を放置しない様に気を付けてください。作業が終わってもゲイツ殿が迎えに来るまでは、この部屋でお待ち下さい」
そう言うと彼は去っていった。
「ふぅーーーー」
マユは妙に緊張してしまっていたらしい体の力を抜くと、忘れない様ドアの内側にぶら下がっていた『使用中』の札を、ドアの廊下側に下げた。手が届かなくてジャンプしてしまったが。
作業部屋に入りスライドの鍵でしっかりと施錠する。
四畳くらいの狭い部屋だった。扉を入って正面に小さな窓があり、右側に一人暮らしのワンルームのキッチンみたいな作業台があった。浄化の魔法があるのに小さな流し台があったのに驚く。蛇口があって青い魔法石が取り付けてあった。マユが近付いて『発動』してみると細く水が流れ出る。
ミニシンクの横の作業台は十分な広さがあり天秤量もおいてあるが、残念ながら台が高くてマユには作業しにくい。シンクも覗く事はできるが手を洗うにも一苦労だ。子供用の踏み台が用意されているはずもない。あとは空いたスペースに木製の椅子が一つ置いてあるだけだ。
マユは諦めて床で薬の生成をする事に決めた。
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「昨夜の話を聞いたが」
ロイドに連れられマユが去った執務室で、シュバルツが顎の無精髭を撫でながらゲイツに聞いた。
「実害はなかったのですが、何者かが襲撃しようとしていた様です」
「ふん・・」
シュバルツがいつ昨夜の話を耳に入れたかなんて疑問に思っても今更だ、とゲイツは答えた。
「探してたのは、女だったらしいな」
「マユが聞いた話ではそうです」
「明日、つまり今夜か・・・」
シュバルツは太い腕を組んだまま眉間を寄せた。
「何か心当たりが?」
「まぁな・・・」
しばらく考え込む様に目を瞑っていたが振り切る様にフッと息を吐くと、シュバルツは改めてゲイツを見た。
「んで、オメェは何か言いたいことがあったんじゃねぇのか?」
「・・・」
あん?と促す様に顎を上げるシュバルツに、ゲイツは少し逡巡した様子を見せたが思い切って眼帯を外した。
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念のため床を浄化して座り込んだマユは、椅子を引きずって来てレシピを乗せると床に緑布を広げ、慎重に材料を取り出す。
材料は一部を除いて、殆どが元々鞄の中に入っていた『異界の』ものになるので、マユは念のため十本一度に生成する事にした。
「よし、『カルドラ灰病治療薬十本生成』・・・・・出来た」
材料を計る必要がない為、間違えなければ失敗しない。何気にこの鞄が一番のチートアイテムかも、とマユは改めて思った。
出来上がった小瓶を手に鑑定すると効果は『良』になっていた。予想どうりである。
マユはノートとペンを取り出すと、慎重に『カルドラ灰病治療薬』のレシピを書き写した。ちなみに文字はこちらの文字である。前回メモした時もそうだったのだが、日本語が書けないのだ。文字を記そうとすると自然に手がこちらの文字を書き出すのだ。だから文字を読む時も頭の中で日本語変換するのではなく、自然に言葉が頭に入ってくる。頭に日本語の形、例えば『あ』を思い浮かべて書こうとするのだが、書かれた文字はこちらの『あ』に相当する文字といった感じだ。
ちなみにこの世界の文字は、ひらがなに相当する文字と熟語に相当する単語の様な文字の組み合わせである。・・・深く考えてはいけない。
マユはレシピを書き写し終え、間違いがないかよく確認した後内ポケットにしまった。すると同時に外から鐘の音が聞こえた。セレントより低く大きな鐘の音だ。
「うーむ、どうしよう?」
薬は作り終えたが今の鐘は十一回、日没まであと一刻あるのだ。ただ待つのは退屈なので本でも読もうかと考えたが、マユはふと思いたった。この前考えた新しいレシピの実験をしようと。
考えたのは下級回復薬のレシピの材料を割合で正確に減らし、減らした分果実や蜂蜜を加えて服用しやすい回復薬にするというもの。
マユは椅子の上に下級回復薬のレシピを開いて、各材料のまずは半分の量を取り出す事にした。電卓などないので計算が面倒だったのだ。緑布の上に半本分の薬材と一本の無印の瓶を置く。
ちなみに瓶にはラベルがあっても無くても結果は変わらない様な気がする。──実際は多少効果に補正がつくのだがマユは気がついていない。しかし違う薬のラベルが貼られた瓶を生成に使用すると失敗してしまうという、意味不明な仕様である。
続いて林檎を一つ取り出す。正しい薬の名前を唱えないと生成は失敗してしまうが、新しくマユが考えた薬の名前を唱えたらどうだろうか、と思ったのだ。
マユはちょっと考えると、
「下級回復薬林檎味一本生成」
と唱えてみた。あまりセンスのない名前である。
すると一応詠唱した事になったのか、緑の光の渦は生まれて薬瓶が一本出来上がった。
「・・・駄目か」
そう上手くいくわけもなく、出来上がったのは『失敗薬』である。
[失敗薬]
・何の効能もない生成に失敗した薬
・回復薬の成分が少なく回復することが出来ない
・薬術師『マユ』
どうやら配分を変えればできそうな気がする、とマユは俄然やる気が出てきた。
そこからマユはノートに材料の割合をメモしながら、薬剤を六割七割と増やして実験をした。
ちなみに薬剤はスタッフが美味しくいただいた、ーという訳にはいかないので一本づつしか試していない。
マユは算盤経験者ではなかったので、材料の計算が非常に面倒だった。林檎は一つのまま試した結果薬剤を八割使った時に、鑑定結果に変化が起こる。
・回復成分は満たしているが果実のバランスが悪い
マユは作業台の上にある天秤量りと重りを持ってくると、林檎の量をどうするか考えた。やはり一本の瓶を満たすのだから重さの全体量を合わせたほうがいいだろう。ちなみに体積はいいのか?などと突っ込んではいけない、レシピは全てドラムで表記されているのだから。たぶん。
まずは全部の材料重量を合計して、その二割に当たる分量の林檎を加えるべきだろう。
「電卓カモーン!」
などと泣き言を言いながらもなんとか算出する。重りの入っている箱を開けて、ピンセットで分銅的なものを天秤に乗せた。
「小学生の時やったな・・理科だっけ?」
分銅の形は多少違う気がするが、懐かしい天秤量りである。マユはバ管理者がぶち壊した運命の天秤も、こんな形だったのかな?と余計な事が頭を過ぎった。
「よし」
大きな天秤である。皿が十五センチくらいありそうである。ちなみにかなり重かったので、小さいマユが作業台からひきおろして運ぶのは大変な苦労であった。
天秤に林檎を一個置いてみると、目標の重さより重いようだ。マユは鞄から小さなサバイバル用のまな板を取り出し、腰のナイフで切り分ける事にした。
「種がない・・だと?」
見た目まったく林檎であったはずの果物は、二つにパカンと切ると所謂種子だの花床だの髄だのといわれる部分がない。
───全部食べれるってのは素晴らしーけど、どうやって増やすんだ?
謎は深まる。が、まあいいやと三秒くらいで忘れてしまうマユである。
とりあえず皮をむいて小さくカットしてみた。浄化した天秤皿に欠片を乗せていく。丁度天秤が水平になったのを確認して、ついでに余った欠片をつまみ食いすると、改めて緑布の上に林檎の欠片を置いた。
これで総重量は下級回復薬一本分と等しいはずである。
「よし、今度こそ『下級回復薬林檎味一本生成』」
はたして出来上がったのは『失敗薬』ではなかった。
「やった!やっぱり総量がキーなのは間違いないんだ」
[下級回復薬林檎味]
・軽い切り傷や打撲を治す
・患部に直接かけるか服用することで効果が出る
・一般の下級回復薬より少し効果が劣る
・林檎味
・薬術師『マユ』効果:良
マユは小躍りして喜んだが、ふと試し飲みをする必要がある事に気が付いた。効能がある事は鑑定で分かるが、果たして飲むに耐え得る味だろうか、と。
手の中に転がる瓶を見ると、色はクリーム色っぽくてあのドブ色に比べたらだいぶ美味しそうだが。ラベルにきちんと『下級回復薬林檎味』と書かれているのが笑いを誘う。
林檎味と鑑定で出ているのだから、大丈夫だろう。だが、うーむ。とマユは悩んだが、作った責任があるんだと飲んでみる事にした。身体はどこも悪くないけど。
意を決してコルク栓を開ける。鼻を近づけてみたが青臭い匂いはない様だ。意を決して一口飲んだみたい。
「うーーん?不味くはないし、林檎味だけど・・・」
残りも飲み干し、と言っても日本でおなじみの栄養ドリンクより小ぶりなのだが。
「少し蜂蜜を足して甘味を加えたほうがいいかも」
マユは悩んだ末、林檎を更に二割減らして蜂蜜を加える事にする。手間だったのは材料計算もそうだが蜂蜜の容器である。仕方なく材料の無印の瓶を天秤に乗せ、苦労して定量の蜂蜜を入れた。
林檎味は薬として完成してしまったので、先程と違う名前を付けないといけない。『林檎味改』とかだとややこしいし『蜂蜜林檎味』だと材料がバレバレなので、悩んだ末『下級回復薬果実味』にしてみた。
出来上がったのは『林檎味』とほぼ同じ鑑定結果で、『林檎味』となっていたところが『飲み薬として改良された甘い果実の味』となっていた。
「よっしゃー!これは成功でしょう」
当然飲んでみる義務があるわけで。マユは今回はまったく躊躇なく回復薬を飲み干した。
「美味しーぞ!素晴らしーい!氷の入ったグラスに入れて飲みたいくらいだ」
大満足である。マユは早速今のレシピを新しいノートに書き留める事にした。このノートは新しいレシピ専用にしようとマユはニヤリとした。いつかこの素晴らしいレシピ集が後世に残り、マユが伝説の薬術師であったと語られる事になる、予定である。
目立たず平穏な生活がしたいんじゃなかったのか?まったくもって一貫性のない女である。
早速同じ薬を十本作ってみる事にした。蜂蜜も林檎も鞄に山盛り入っているので安心だ。
ふと窓の外を見ると空はオレンジに染まっていた。間もなく日没である。気がつかなかったが部屋の中もずいぶん暗くなっていた。マユは部屋の明かりを点けて片付けにかかった。
後は重たい天秤を作業台に戻すだけとなった時、扉がノックされる。
「迎えに来た」
ゲイツの声である。マユは扉に駆け寄って鍵を外した。
「ゲイツさん、ちょうど終わったよ」
扉に掛かった使用中札をゲイツに戻してもらう。ゲイツは入口から作業部屋を覗いて、床に置いてある大きな天秤に気が付いて左眉を上げた。
「そうか、マユにはこの作業台は高かったな」
そう言って部屋に入ると頼まなくても天秤を作業台に戻してくれた。さり気なく優しい男ゲイツは健在である。
「ありがとう、話終わったの?ご飯行く?」
忘れ物がないことを確認して、ゲイツと連れ立って部屋を出る。
「もう一度シュバルツ殿に会ってからだな」
薬とレシピをを渡すのだったと、マユも頷いた。
しばらくほのぼのする予定です♪(´ε` )