第18話
平穏な旅に事件が起きたのは、出発した翌日の昼だった。
一日目は何事もなく進み、街道は平地から丘陵地へとさしかかる。
日没を過ぎる頃にたどり着いた街道沿いの休憩所を野営地とし、ピレニー商会の一行は大きな天幕を張った。八人は眠る事が出来る広さだそうな。
支給された食事は鍋にたっぷり作られたポトフの様なスープとパンだった。
食事が済むと酒を飲む者もあり、焚き火を囲んで暫く談笑していたが、蒼月が中天に差し掛かる頃にお開きとなった。
ゲイツを含む護衛の八人は半分に分かれて、東屋を中心に馬車と天幕を囲む様に四方を交代で見張る様だ。東屋では先に眠る護衛四人が休む。
マユはピレニーに許可をもらって、反物を積んだ荷馬車の空いたスペースで眠る事にした。天幕は商会の八人で丁度一杯だったし、荷馬車には大きな箱が積まれているが、箱の間にはマユ一人くらいなら余裕で眠れる隙間があるのだ。
マユは箱の壁に挟まれた半間程のスペースに毛布を敷いて寝た。狭い所は妙に安心するのだ。
朝日が昇る前に起き出してきたカミュが朝食の準備をしていた。グッスリと眠る事ができたマユはやはり夜明けの一刻前には目が覚めたので、起きてカミュを手伝った。
朝はタップリの麦粥だ。鶏肉も入っていて美味しい。何より今朝は少し気温が低かったので、ホッとする温かさだった。
日が昇る頃には出発だ。
街道は山沿いの丘陵地に続いている。山を越えればもう少し近いのかも知れないが、アグル山というこの山は大きく険しい。街道は山を大きく迂回しているのだ。
昼食を済ませ荷物を纏めて出発となったその時、殿を護衛していた傭兵が声を上げた。
「上だ、何か来るっ」
山裾の街道だが、休憩地点は少し開けている。馬車群は脚を止めた。
マユはその時、最後尾の荷馬車の御者席隣に座っていた。手綱を握るマーレンという一番年嵩の御者も、何事かとつられる様に空を仰ぐ。
雲ひとつなく晴れ渡った空に黒い点が見えた、と思ったらあっと言う間にその姿が大きくなる。
「飛竜だっ」
誰かが叫んだ。
とたんに一行は騒然となる。
「馬車を進めろっ、木立の中だっ」
叫んだのはゲイツだ。
馬車は唐突に走り出し街道から外れた林を目指す。レンガ敷きの舗装から外れた馬車が大きく跳ねた。マユは荷馬車から身を乗り出し後方を振り返ると、ルードに乗ったまま休憩地点に走るゲイツが見えた。
馬車が四台とも林に入り身をひそめる様に止まる。護衛は全員飛竜を向かう打つため、開けた場所に陣取っているんだろう。
ピレニーも馬車を降り、心配そうに林の外を伺いながらも、マユを安心させる様に言った。
「飛竜は林の中には来ないから安心していい」
ならば護衛のみんなだって林に入ればいいのに、態々迎え撃つ必要なんてないんじゃないのか、とマユは気が気ではない。
その瞬間、
「ギャウァァァァッ」
飛竜の咆哮が聞こえて、マユは堪らず駆け出した。
「駄目だっ」
静止するピレニーの声がした。
もちろんマユが行ったところで何も出来ない。足手纏いになるつもりもない。ただ、ゲイツが無事かこの目で見たかったのだ。
マユは林から出るギリギリの所に潅木の繁みを見つけて飛び込んだ。
フードを被り『結界発動』を意識しながら繁みを分け休憩地点を覗く。
皆、馬から降りて開けた場所から空を睨んでいる。飛竜と言われた獣は、真っ黒の体躯に真っ黒の翼をはためかせ空を旋回していたが、ついに標的を決めたかの様に突っ込んできた。
───ゲイツさんっ、危ない。
真ん中で飛竜を睨みつけていたゲイツは、次の瞬間言葉を発した様だがマユには聞こえなかった。
全てはあっと言う間だった。
ゲイツと飛竜の距離が十メートルと迫った時、飛竜の身体から黒い影が這い出し飛竜を拘束する様に絡みつく。空中でバランスを崩す様に飛竜が傾いだ瞬間、大きな雷が天から放たれて飛竜の黒い体躯を貫いた。
ゲイツの目の前に落下した飛竜の首を、彼は躊躇なく巨大な剣で両断したのだ。
「「え?」」
「「は?」」
周りに突っ立った傭兵達も、何があったのか理解できないのか、唖然としている。マユも目の前で起こったことに呆然としていた。
闇魔法で拘束し、雷魔法で撃ち落としたところを両断する。まさにあっと言う間の三コンボである。
身体中から血の気が引くほど心配した自分が滑稽な程だった。
ゲイツは何事もなかった様に飛竜を解体しようとして、ナイフが刺さらない事に顔を顰めた。飛竜は防具や武器の素材以外にも幅広く利用されるのだか、かなり硬いのだ。まあ硬いからこそ利用されるのだが。
振り返って、未だに突っ立っている傭兵達に「飛竜を解体出来るナイフはないか?」と声を掛けている。
マユは暫く脱力していたが、茂みから這い出してピレニーを呼びに行った。
───ゲイツさんって無敵じゃない?
少なくとも敵の姿さえ視界に捉える事が出来れば『縛・雷・斬』のコンボでどうにでもなりそうだ。
結局、飛竜を解体出来る硬度のナイフを持つ者がいかなった為、飛竜は両翼を剣で切り落としただけで、カミュによって氷漬けにされ巨大な荷箱に収められる事になった。
なんと荷馬車に積まれていた荷箱の殆どに、拡張魔法がかけられていたのだ。つまり荷馬車三台分だと思った荷物は、その二十倍近い量を積んでいた事になる。
再出発となる前に、マユはゲイツの元に駆け寄ると無事でよかったと声を掛けた。
「ゲイツさんってすごく強いね」
少し興奮気味に言ったマユに対して、ゲイツはそうか?とでも言う様に首を傾げただけだった。
───あれ?飛竜ってそれ程怖い獣の類じゃないのかな?
飛竜といえばゲームでもよくお目見えした、ワイバーンとも言われているアレだろう。とマユは先ほど氷漬けにされていたモノを思い出す。
まだこの世界の魔獣や獣の危険度が分からない。
ハテナを残したまま、再び出発するために荷馬車に向かったマユの耳に、他の護衛達の話し声が入ってきた。
『見たかよアレ』
『ああ、信じられねぇよ。飛竜を一撃だぜ』
『あれが雷帝の力かよ』
どうやらゲイツが規格外なだけの様だった。
そんな事件、と言うか事件にもならないような飛竜襲来があってからは、何事もなく進んだ。商隊は日が出ている間しか移動しないので、進むのも遅い。
マユは箱馬車に乗ったり荷馬車に乗ったりと、思いのままに過ごした。
そしてセレントを出て三日目の夜。明日の夕暮れ前にはマードウィクに着くだろう距離までやって来た一行は、いつも通りに街道沿いの休憩地点に馬車を寄せ、天幕を張った。
そこは丁度山間を抜ける辺りで、背後には林が、前方には草原が広がっている。放牧しているのか遠くに羊の大群が草を食んでいるのが見えた。たぶん、羊。
最後の夜はみな、やっとかと言う安心感があるのか話も弾み酒も進んでいる様だ。もちろん護衛の皆とマユはノンアルコールであるが。
マユはその夜も反物の荷馬車で眠った。荷物に囲まれている分風も遮られて眠りやすいのですっかり気に入ってしまったのだ。
夜中ふと目が覚めた。暗闇の中視線を動かすと両脇は高く積まれた荷箱だが前方の御者席越しに暗い夜空が見えた。白く輝く月の端が見えて、マユは今深夜だと知る。
いつもなら夜の三刻ともなれば天幕に引き上げていた皆も、今夜は遅くまで呑んでいたようだったが、流石に白月が中天に差し掛かる前には寝静まっていた。
なぜ目が覚めたのだろうかと、暗闇をボンヤリ見つめる。
「誰だっ?」
その時俄かに周囲が騒がしくなって、マユは身を硬くした。
「どこだ?」
「族か?」
「分からん、黒装束の男がいた様な気がしたんだが」
周囲で夜の見張りについた男達が集まってきたのか声が聞こえる。
「荷馬車も天幕も無事か、奇襲ではないようだな」
「本当に居たのか?」
「うーん?」
護衛達が馬車の周りを巡回しているのか、足音と話し声が近付き去って行く。黒装束を見たと言っていた方も、自信なさ気だった。
天幕は寝静まり、商会の人間が起きてくる気配はないようだ。
───何事も無かったのかな?
やがて再び周囲は静寂を取り戻したようだ。曲者は見つからず、荷物も無事ならば良いのだろう。
まだいつも目覚める時間までは二刻以上ありそうだ。もう一眠りする為にマユが目を閉じたその時、微かな話し声がマユの耳に入った。
『・・ないのか』
『これは只の・・だ、女は居ない』
『ハズレか、明日の・・・るか』
『・引き上げよ・・』
マユは息を殺して耳を澄ませた。
それきり声は聞こえず、誰かは去ったようだ。マユは起き上がって馬車から降りた。
マユが寝ていた馬車は最後尾だった為、天幕や東屋からは少し離れている。暗闇に目が馴染んで、月明りだけでもしっかりと周囲を見渡す事ができる。
マユが歩き始めると近くに座り込んでいた護衛が気付き声を掛けてきた。
「お嬢ちゃん、まだ随分早いがトイレかい?」
今夜も四人交代で天幕と馬車を囲んで四隅に一人づつ見張りについて居るのだ。
マユは彼の座る場所から自分のいた馬車を振り返った。二十歩くらいしか離れてないのだ。少し木立もあるけれど、誰かが潜んでいれば気付くんじゃないだろうか?あの声はやはり気のせいだろうか?
「今寝てたんだけどね、人の声が聞こえた気がして・・・」
マユは言い淀んだ。寝ぼけてないとは言い切れないのだ。
護衛の男は、眉を顰めて誰もいないがなぁと呟いたが、一応話を聞いてくれるようだ。
「話し声は二人だったのかい?」
「うん男の人だと思う。凄く小さな声だから所々しか聞こえなかったけど」
「何を言っていた?」
「コレはただの商隊だ、とか女はいないハズレだって言ってた」
「ふーん・・」
「明日ナントカって言って、引き上げようって言ってからは静かになったの。気になったから起きちゃった」
金髪を後ろで結んだその若い傭兵の男は、子供のマユの話でも一応きちんと聞いてくれた。
「さっき侵入者がいたかもって話になったからね、一応ピレニーさんにも報告をしておこう。まだ夜明けまであるから君は寝なさい、念の為少し見回っておくよ」
そう言われて、マユは馬車に戻り毛布に包まった。眠れないかと思ったが、次に気が付いたときには、既に朝食の粥が出来上がっていた。
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なんだかスッキリしない気分を抱えたまま、旅程の最終日を迎え一行は出発した。
まるで気分を反映したかの様に、空は重た気な暗い雲に覆われていた。夜は月が輝いていたのに雨になるのだろうか、とマユは箱馬車に同乗させてもらった。
カミュにはちゃんと追加の薬を渡してあげたので、初日以外は彼の体調に問題はない様だ。
馬車が走り出すと、ピレニーがマユに夜中の事を確認してきた。
「話し声は確かに聞いたと思うんですけど、見たわけじゃないから自信がなくて」
「ふむ、しかし君が聞いた話の内容に少々心当たりがあってね、恐らく何者かが我々を伺っていたのは間違いないが・・」
マユは心当たりというのが気になったが、そう言って考え込んでしまったピレニーに説明を求めるのは躊躇われた。
───ゲイツさんに相談したいなぁ、早くマードウィクに着かないかな。
再び視界に農地が増え始めた。一行は着実にマードウィクに近付いているのだ。
短くなってしまいました、すみません。
時間や月の表現、分かりにくいですかね。
壁│ω・`)コソ