第12話
「これからマユをマードウィクまで連れて行って、ギルマスに紹介する予定だが、そのまま後ろ盾もシュバルツ殿に頼もうと思っている」
パッとマユは顔を上げてゲイツを見た。
「ダメだよ」
「その方が安全だし、周りの信用も得られる」
「駄目っ、信用とか関係ない。最初に命助けたお礼はお金じゃなくて、生活が落ち着くまでの後ろ盾になってもらうことだって、約束したじゃん」
聞き分けのない子供を前にした様に、ゲイツは眉を顰めた。
「とにかく、約束だから。変更は受け付けません」
頑なな態度のマユに、ゲイツは溜息をついて立ち上がった。
「わかった・・・・メシ食いに行こう」
たった二日だけど、マユにとってゲイツは異世界で最初に信頼した人なのだ。今手を離されるのは、それがマユのためであっても心細い。
「あの、」マユは部屋のドアに向かうゲイツに追い付くと、シャツの端を引っ張って言った。
「ゲイツさんが、もう私の面倒を見るのはゴメンだって思うんなら、イイからね」
中身は三十路前だっていうのに、子供の体に精神が引きずられているみたいに不安になった。
ゲイツはシャツを握りしめるマユを見下ろすと、そっと頭を撫でた。
「そんな風には思ってない」
「・・・うん」
大きなゲイツの手に、マユはフッと体の力を抜く。現金なことにその瞬間マユのお腹の虫がクルルと声を上げ、思わずゲイツが噴き出した。
「腹が減ったな。メシを食いに行こう、酒は禁止だぞ」
ゲイツについて一階の食堂に向かい階段を降りる。マユは初めて見たかもしれないゲイツの笑顔に、胸の中がほんのり暖かくなった気がした。
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宿屋の食堂は大変な混雑で、そもそもローデリア村とはその規模も違うのだが、客の数も違うらしい。
二人はなんとか小さなテーブル席につく。テーブルにメニューなんてものは無く、あまりの混雑にお品書きは見えない。マユは早々に諦めて、夕飯の注文をゲイツに託したのだった。
「え、これから?」
鉄板にジュウジュウと焼かれた大きなソーセージや山盛りの野菜炒め、小鍋のまま出てきたポトフなど、まるで洋風居酒屋の様な気分でシェアした料理をモグモグしていたまゆに、ゲイツはこれからちょっと出掛けて来るが、マユは留守番している様に言ったのだ。
───このポトフみたいの美味っ、ピザとかあるかなー。
「守人の任につく者に家が与えられるんだが、明日中に退去するよう言われたから、荷物を取ってくる」
そう言えば、あの小物臭いギルマスがなんか言ってたなあ、とマユも思い出す。
「普通に考えても、即日解雇とか住居退去を明日中とか、オカシイよね」
「まあ、もともとマードウィクに戻るつもりだったし、後任を待つと何時になるかわからないから丁度いいさ」
ゲイツはまったく気にしていないようだが、マユの気は収まらない。
「フン、なんか嫌な目つきだったし・・」
最後に見た男の顔を思い出して、あどけない顔をギュッと顰めた。
「ああ、ちょっと気をつけた方がいいかも知れないな」
「え?」
「マユの瞳の色はかなり濃いだろ?ウィリスの加護がかなり強いんじゃないかと、目をつけられたかも知れない」
マユはカラム大森林で自分の顔を確認したのを思い出す。確かにクッキリと翠色だった。
「ウィリスの森でははかなり珍しい薬草や木の実が取れると言われているが、加護が強いものしか森に入れないんだ」
「うわー嫌なフラグ・・・」
「何?」
「何でもない。確かに強欲そうなタイプだったから、目をつけられたくないねー」
ギルドにはもう立ち寄らないようにしよう、とマユは心に決めた。それよりも、
「ところで、引っ越していうか退去ってすぐに済むの?手伝いはいらない?」
「ああ」と答えながら、ゲイツはジョッキを飲み干した。エールである。しかも異世界のくせに冷えたエールである。マユがちょっと──かなりジト目になるのは仕方のない事だった。
「館っていうくらい大きいが、一部屋しか使ってなかったし荷物もないからな」
「ふーん、分かった。じゃあ部屋にいるね」
確認したかった本もあるし丁度いいか、とマユは頷いたのだった。
そして、夜の二つの鐘が外から聞こえる頃食事を終えて、ゲイツは宿を出て、マユは部屋へと戻った。
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一人宿の部屋に戻ってきたマユは、早速鞄に入れたままの本『薬術師のすべて』を取り出し、靴を脱ぐとボフンとベットに寝転んだ。
とにかくキチンと薬術魔法を使えない事には、ゲイツが請け負ってくれている全てが無駄になってしまうのだ。
「えーと、緑の女神ウィリスは創造神ウルスラと大地の女神アルディーナの間に生まれ・・」
ゲイツが言っていた光の神ラディウスの寵愛のくだりも載っている。フンフンとマユは読み進めて、薬術魔法についての記載にたどり着くと、行儀悪くベットにうつ伏せていたのを一転、正座し直すと手元に鞄を手繰り寄せた。
「薬の類に使う薬術魔法はたった一つだとぉ?」
やけに本が薄いと思ったんだが、まさかたった一言で済むとはね。なんだか有り難みが無いと言うかなんというか。
材料を揃えて『○○生成』以上、である。
ただし、多い事も少ない事もなくキッチリと正確な分量、正確な材料、適正な数の容器を用意し、女神の祝福がなされたという緑布の上に並べ、正確な薬剤名を正確な数『生成』と唱えるのだ。
緑布は鞄に入っているのを確認済みだ。様々なラベルを貼られた瓶やコルク栓も確認している。一番大事なのはやはり、レシピなのだ。ゲイツの言葉を思い出す。
誰にも見せない、そりゃそうだろう。レシピさえあれば、薬術魔法に適性がある者なら誰にでも、薬を作る事が出来るのだ。
もちろん薬にもレベルがあり、レシピがあったとしても『特級回復薬』などはよほど強い加護が無ければ作る事はできない、と本には書かれている。同時にたくさんの数も薬を作るのも、加護力の強さによる。
さらに効果が、優良・良・中・低などと出来によって分かれる。優良ときたら可じゃないの?とマユは若干不満だが、それよりもマユ所有の回復薬『超優良』はやっぱりアウトじゃないかー、ガックリであった。
───異界産は誰にも見せないぞ!
と、あくまで平穏な人生を望むマユは決意を新たにしたのだ。
一通り本を読んだが作ってみない事には何も始まらない、とマユは鞄を手に取り部屋の隅にある小さなテーブルに向かった。
鞄の中から『緑布』を取り出し広げる。『世界の薬大全集』も取り出した、薬のレシピ本である。まずそれを開いてみると最初に薬の一覧と効能が書いてあった。大変便利でよろしい。
「えっと、とりあえず下級回復薬作ってみよう・・・うわぁ、薬って沢山あるんだね」
本には水痘や赤痢などマユも知っている病気の治療薬から、ウルティア大陸南部の風土病に効く薬や子供が魔溜まりに当てられて発症する病気の薬のように、こちらにしか無いものも見られた。
多くの薬から、やっと下級回復薬を見つけ出してページを開く。まずは材料がなくては話にならない。
「取り敢えず一本作ってみよう」
かなりの材料が既に鞄の中に用意されているのだ。マユは全集に書かれている薬草や花の種、植物の根などを慎重に、本に書かれている分量だけ取り出した。
「あれ?鞄に天秤ばかりが入っていたけど、量を決めて取り出せば秤はいらない?」
そんなバカなと一瞬唖然としたが、マユは取り敢えず深く考えるのをやめた。実は普通、鞄に入れた物は鞄に入れた時の状態でしか取り出す事が出来ない。例えば薬草を一本づつ鞄に入れれば一本づつ取り出す事になる。
なので薬草ならば十本づつなど自分で決めて、丁寧に布に包んで鞄にしまうのだ。マユの場合は鞄に手を突っ込んで『ココル草を四百ドラム*』と言えば、希望の量が取り出せている。何気に酷い。
最後に下級回復薬用の瓶とコルク栓も取り出して、緑布の上に丁寧に並べる。
「間違いないよね」と言いながら、材料と全集を何度も見直して、よし!と気合を入れるとついに薬術魔法を唱える。
「下級回復薬一本生成」
すると、緑布の上に淡い緑の光が渦巻き、材料がフワリと持ち上がるとその渦の中に粉砕されながらグルグル回る。思わずマユは、え?瓶も?と呟いてしまったが、一瞬の後に一本の薬壜が現れた。緑布の中央に中身が入った状態で栓までキッチリされている。
「・・・出来た、けど」
嬉しい、嬉しんだがなんだか微妙。
───一度全部粉砕されて、再度形成されるならガラス瓶は相応の重さの、ガラスの塊でいいじゃん?
などとくだらない事に引っかかりを覚えてしまう。魔法に理屈を求めてはいけないのだ。ガラス瓶を製造する仕事の人達もいるのだから。何気に雇用を生み出しているとも言える。世の中とはそういう矛盾を持って回っているのである。
「ま、いっか。よし『鑑定』」
気を取り直して、初めて作った薬を鑑定してみた。
[下級回復薬]
・軽い切り傷や打撲を治す
・患部に直接かけるか服用することで効果が出る
・薬術師『マユ』効果:超優良
《異界の材料が使用されている
また少ない単位で丁寧に生成された為効果がありすぎるかも》
「・・・なん、だと?」
マユは瓶をギュッと握りしめた。ダメじゃんこれ全然ダメじゃん、とガックリ項垂れる。
鞄に入っている物に薬術師の名前が追加されただけである。粗悪品よりはいいかもしれないが絶対売ってはいけない気がする。
「うーむむむむ・・・」
マユは考えた。取り敢えず沢山の材料でガツッと作ったら、一本あたりの品質が劣化すんるんじゃない?とか、カラム大森林で自分が採取した材料を少し使ってみればどう?とか。
で結局全部試してみる事にした。
外から夜の三刻を知らせる鐘が響いた。
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分かったことを、マユはノートにまとめる事にした。ノートと万年筆のような先割れのペンは上司管理者が確りと鞄に用意してくれていた。ありがたや。
「全て異界の材料を使うと、三十本以上一緒に作らなければ『超優良』になってしまう、と。でも、三十本でも『優良』なんだよね。
ココル草だけとか一つでも自分で採取したものを使うと、一本生成でも『優良』になるのか」
ちなみに『良』を作るにはマユの採取した材料を二種類使って三十本作る必要があった。もっと様々なパターンを試したいのだがマユの採取したココル草が無くなってしまったのだ。
まだ下級回復薬しか作っていない。おまけに市場に流せない『優良以上』が殆どである。
しかも小さなテーブルでは間に合わず、浄化した床に緑布を広げる事になった。
「失敗薬かー・・」
マユは手に取った二本の瓶を眺めた。わざと材料の一種類を多くした物と少なくした物である。鑑定すると、
[失敗薬]
・何の効能もない生成に失敗した薬
・ココル草が少し多いためバランス崩れている
となっているのだが、マユは下の欄に書かれた事に注目した。バランスが崩れているということは、使用材料の比率さえ合わせれば使える物が出来るのだろうかと。
はっきり言って回復薬は不味い。殆どの人が傷を治すため患部に掛けて使用している。では少しでも美味しくなれば服用も出来るのではないか。
鞄から材料を取り出し薬を生成してる間、マユはずっと考えていたのだ。
この世界で平穏に暮らす、それはマユの大事な目標である。だが折角ならば少しでもこの世界にいる意味を見出したい。鞄の中身は全部アッチで用意してくれたもの、だからクオリティがスペシャルだ。そしてマユの強い緑の加護の力、これは別に女神様がマユを気に入ってくれて、与えてくれた訳ではない。上の方で話をつけてくれただけの完全なコネである。
確かに与えられたものを、ありがたく使うの当然の権利だと思うけど、なんかこう憂鬱な気分になるのだ。自分だから出来る事を、自分の力で成したいと思ってしまうのだ。
良レベルの薬を売りながらでいい、少しづつでもオリジナルの薬を作る研究がしたい、とマユは思うようになっていた。
───あくまでも目立たないようにね。