第10話
マユの目に大きな石造りの柵で囲まれた街が見えたのは、夕闇の迫る少し前だった。
「あれがセレントの街だ」
背中からゲイツの声が低く響く。
「やっと着くんだー」
頑丈仕様のマユをもってしても、後半の道程は中々キツかった。
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名も知らぬ小さな村を出て三刻ばかり、ルードをゆっくりと走らせ、緩やかな丘を超えると二つ目の村が見えた。大きな川に架かる橋の手前に広がっていて、石造の複雑で風変わりな形をしているのが一望できる。
シンボルのような大きな水車で川の水を引き込んでいるようだ。堀のように巡らされた水路が、村の中を縫うように走っている。小さな水車がいくつも回り、水路を横切る石のアーチ橋があったり、また通潤橋の様な水路橋があったりと変化に富んでいて、不思議な味わいのある村である。
ルードから降りると再びゲイツはマユの手とルードの手綱を引いて村の入り口に向かう。今回は検問も無く、入口で足止めを食らうこともなかった。ゲイツは、村に入ってすぐの騎獣を預ける小屋にルードを預けた。ここの村は、騎獣を連れて歩いてはいけないらしい。
「こんなに立派な地竜蜥蜴は見たことない!」と騎獣小屋の息子である少年に、キラキラした瞳でルードを褒められたゲイツが、無表情ながらも何気にご機嫌になったのを、マユは察していた。ゲイツさんてばチョロイ、とマユが思った事は勿論ナイショである。
そしてマユの楽しみにしていた名物料理とはなんと、川魚の塩焼きだった。
村に入って真っ直ぐに伸びるメインストリートで、早速ゲイツが『名物』を買ってくれた。
洋風の石やレンガ造りにそぐわない、炭焼き屋台の様な出店で、串に刺されたヤマメ風の魚が並んで灰に刺さっている。まるで日本の田舎の風景の様に、塩焼きにされているのだ。
二人で並んで歩きながら手に持った焼き魚にかぶりつく。パリっと焼き上がった皮に絶妙な塩加減。中の白身は淡白ながらふっくらとジューシー、これぞ天然の旨味。
───日本酒飲みたいー、ワンカップの冷でもいいから。
マユは地方に住んでいたので、一時間も北に車を走らせれば山だ。渓流沿いにバーベキュー場やキャンプ場が沢山あった。夏には仲間とキャンプしたり、鮎掴み取りとかやってこんな風に塩焼きで食べたものである。
「この魚は今の季節になるとローデル川で取れるんだ。新鮮なものでないとこんな風に焼いて丸ごと食べる事が出来ない、だからこの村でしか食べられないんだ」
なるほど、とゲイツの話を聞きながら村を歩く。
そして、勿論魚一匹ではマユはともかくゲイツのお腹は満たされず、通り沿いの宿屋兼食堂となっている店に入った。異世界初の食堂は、分厚い一枚板の扉を開けるとカランとベルが鳴り、威勢のいい声が奥の厨房から聞こえてくる。
店に入りすぐに小さなお会計のためのカウンターが、左手は二階の宿泊部屋に続く階段が、右手には七人掛けのカウンターと、テーブル席がよっつ。まるでロールプレイングゲームに出てきそうな、如何にもな店の雰囲気にマユのテンションはダダ上がりである。
村の名前は『ローデリア』、ローデル川と街道が交差する場所にかかる橋のたもとに広がる村である。そしてここはローデリア村で唯一の宿屋『水辺の雉亭』だ。一つだけ空いていたテーブル席にゲイツと向かい合って座る。すると看板娘は居ないのか、ふくよかで押しの強い女将さんがオーダーを取りに来た。女将さんに言われるままにオススメの『今日のランチ』を頼んだが、これが絶品であった。
出てきたクリームシチューは熱々トロットロ、ジャガイモ人参玉葱(推定)が辛うじて形を保つ程度に煮込まれ、濃厚なホワイトクリームにはチーズもたっぷり入っていてコクがある。
こんがり焼けたドイツとフランスパンの中間くらいの硬さの全粒粉のパンをつけて食べれば言葉にできない美味さ。シチューには鶏の手羽元肉が入っていて、フォークでつつけばホロリと身が解ける。
ランチにはサラダも付いていて、こちらは抜き菜とハーブが程よく刻まれ、上に黄色いトマト的な野菜のコンカッセがちりばめられている。かけられた胡椒とレモンが効いたドレッシングがサッパリしてまた良し。これがたったの五十メルで食べられるなんて、素晴らしい。
「熱っ、う、美味っ、ウマ〜!幸せぇ」
人生に悔いなし!である、まだ二日目が始まったばかりだが。
「ケルン王国は大陸の食糧庫と言われている程だ。豊かな川の水と肥沃な大地に恵まれているからな。特にこの辺りは酪農も盛んだから乳製品も多い」
向かいであっという間に食べ終えたゲイツが、濃い麦茶の様なもの飲みながら、ガイドよろしく説明してくれた。
「暮らすならメシウマな町がいいよね」
たった二日でもなんだか久しぶりに熱いものを食べた気がして嬉しかったが、それを差し引いてもこのシチューは絶品だった。何とか鍋にもらって帰れないか真剣に考えてしまう。
だが、密閉できるジャーポットの様な容器がないのと、普通の拡張鞄は状態維持され無いのを考えて、断腸の思いで諦めた。きっと次の街にも美味しいものはあるさ。
しかもマユはチビなので、パンを全部食べきることが出来ず、ゲイツに食べてもらったのだ。まったくもってこの小さな体は不本意だった。
「そういえばゲイツさん。食べ終わってなんだけど、私ってば一メルも持って無いの」
ふと自分が一文無しである事を思い出した。
「オレはマユに払いきれ無い借金があるのも同然なんだから、心配しなくていい」
「うん、いや、ここはご馳走になっちゃうけどね、ご馳走様。えっと、やっぱり現金少し持っておきたいし・・」
と言いかけたところで、ゲイツがポケットから銀貨を出してマユに渡そうとするので慌てて断る。
「違う違う、お金ちょうだいって意味じゃなくて、換金できる素材があるから、どこかで換金したいなーと思って」
マユは一度はっきりと言っておこうと思った。お金のことが有耶無耶になるのはやっぱり好きじゃない。
「まず、ゲイツさんに使った回復薬の分は、私が勝手に使ったってのもあるけど、お金はいら無いからね。
街に行って、安定して働いて暮らせる様になるまで、ゲイツさんには後ろ盾になってもらいたいの。いつまでかかるか分からないから、こっちの方が高くつくかもね」
そう言って笑うマユに、ゲイツはそれでは足り無いとばかりに、不満そうに眉を寄せる。
「ここの食事はご馳走になっちゃうけど、基本的に自分の面倒は自分でみるつもりなの。だから、持ってる素材をゲイツさんにどこかで換金してもらって、そしたら旅費として預けるからね。これは決定だから」
小さな子供が大男に向かって偉そうに宣言する姿は滑稽だったかもしれ無い。
「おやおや、なんだかしっかりした嬢ちゃんだね、あんた達親子じゃなかったのかい」
そう言ってテーブルに来た女将さんは、空いた食器を下げると、マユの前にお皿を置いた。綺麗な赤いベリーがたっぷり飾られたタルトが一切れ乗っている。
「これはウチの自慢のデザートさ、最後の一切れだからサービスだよ」
「うわぁ、美味しそう!女将さんありがとうっ」
フォークを持って顔を輝かせるマユには、女将さんは笑って言った。
「ほら女の子はそうやってニコニコしてれば良いんだよ。固いこと言って無いで、この強面の兄さんに何だってご馳走してもらいな」
この場は笑うしかない。そうか、ゲイツにくっついてるとマユは娘ぐらいに見えるかもしれない。
「ゲイツさんっていくつ?」
大きな声で笑って去っていく女将さんを複雑な表情で見ていたゲイツは、
「二十七だ・・・」
と、なんだか嫌そうに言った。
「じゃあ私が十二歳だから、ゲイツさんが十五の時の娘だねー、パパ」
マユはニヤッと笑って言ってやった。
「十二歳?・・・十二歳なのか?」
だがパパ呼びより、マユの歳の方が気になった様である。
「見えない?」
「十歳かそこらだと思った」
───だよねー。
実は、マユも十歳くらいかと思っていたのだが、あまり子供だと生活しにくいので十二歳という設定に勝手に決めたのだ。
「あと二年で成人だよー」
ちなみにこの世界の成人は十四歳である。
マユはゲイツに向かってニッコリと微笑んだ。
あと二年我慢すればお酒が飲めるのである。正直とても四年は耐えられない。
───あと二年!メシウマ世界でお酒を我慢・・・クッ泣ける。
なんだかゲイツが不審な目で見てくるけど無視だ無視。
「それで、換金したい素材はなんだ?」
微笑みでイロイロ誤魔化しながら、別腹でタルトを堪能したマユに、ゲイツが聞いてきた。
「んと、一角兎の角や毛皮、あと黒毛狼の毛皮が多いかな。売れると思う?」
「この村だと無理だろう、ギルドもないし。やはりセレントに着いてからだな」
なるほど、動物や獣の素材はやはりギルドで買い取ってるんだね、と納得する。
「いくらぐらいになるかな?」
「毛皮の状態にもよるが、一枚小銀貨位にはなるだろうな」
とりあえず、値崩れするほど売らない様に気をつけよう。五万円──五千メルもあれば十日は暮らせるはずだから小出しにして、とマユが鞄に山ほど入っている素材を計画的に売りさばく算段を付けていると、ゲイツがこれからの予定を話しておくっと言ってきた。
「六つの鐘が鳴ったらこの村を出る。セレントまでは少し飛ばすかもしれない。日が暮れる前に街に入った方が面倒が少ないからな」
ケルン王国の主要の街では、日が暮れると大きな門が閉じられてしまう。日没後にも街には入れるのだが、日没に間に合わなかった商隊などの積荷の検査で門が混雑するのだ。本来ならハンタータグを見せるだけで街に入れるハンターも、行列に並ばなくてはならない。
「まずセレントの街で一旦何日か過ごすことになるだろう。オレの仕事の都合で悪いんだが、マードウィクに行くには、今の仕事の後任を待つ必要があるからな。一旦セレントでマードウィクのギルドマスター宛に連絡を入れてみないと、その先の予定が立たないんだ」
「私は急がないから大丈夫だよ。回復薬も作ってみないといけないし。セレントって大きな街なんだっけ?」
「まあマードウィクや王都とは比べられないが、ケルン南西部では一番大きいな」
ローデリアは比較的大きな村だったが、街とはそもそもレベルが違う。マユは素材の換金が出来たら色々買い物もしてみたいし、美味しい物も食べに行きたいなー、とセレントに思いを馳せた。
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ローデリアの村にある小さな教会の鐘の音が六つ響いた頃、マユはゲイツと共に再びルードの背に乗りセレント向かった。ローデル川に架かる大きな石橋を渡ると一路北東へ街道が伸びる。
そろそろ慣れただろうと少しペースを上げられた為、マユはお腹いっぱいに詰まったクリームシチューとベリーパイが遡りそうになるのを必死に堪えた。ノンストップで約六時間近く行くのである。
このペースも十分早いと思うのだが、ゲイツ一人ならば倍のスピードで移動すると言うのだから呆れてしまう、ウィリスの森の調査は日帰りの予定だったというのだから。
三刻も走った頃、一旦休憩を取る事になった。マユはルードの背を降りて、汚れるのも厭わず大地に寝転んでいる。とにかく腰を伸ばしたいのだ。
今休んでいるのは、森というより大分人の手のかかった感じの林の中だ。この辺りはカラムと違い檜や杉など、建材を得る為の国有林であるらしい。国有林を分断する様に街道が伸びている。
───ああ、空が青いな・・・。
林の中からはピチュチュ、と鳥のさえずりが聞こえる。だらし無く寝転んだまま横目で見てみると、ゲイツはルードに木の実を与えていた。
それにしても順調な旅路である。モンスター(この場合獣や魔獣)に遭遇する事も無く、お姫様の馬車が盗賊や刺客に襲われている事も無い。ただひたすらルードが走る、それだけである。
「いや別にハプニングが欲しいわけじゃ無いんだよ」
何かに言い訳するように呟く。
古来から日本では、言霊が宿ると言ったものだ。噂をすれば影が刺す、とも言う。
姦しい鳥の囀りが止むと同時に、一斉に羽ばたいたような音が響き、
「ガルァァ」
という唸り声と共に巨大な灰色の影が、林から躍り出たのだ。
そいつは牛ほどの大きさがある狼だった。マユは狼なんて見たこと無いけど、巨大な犬の様な体躯とピンと尖った耳、唸り声を上げる口元時は大きな犬歯がむき出しになっているその様は、狼としか言いようが無い。
ダラリと仰向けに寝転んでいたマユは、後手に身を起こしたまま固まっていた。
唸り声はルードの時の様に言葉になることは無く、血走った目と涎に塗れたその顔からは、殺意しか感じられなかった。
目の前、二メートルも離れていない場所にいる殺意の塊に、マユはどうする事も出来ない。
───フードを被って、結界を展開しなくちゃ。
分かっている、分かっているけど視線を外した瞬間に、いや指先ひとつ動かした瞬間に飛びかかってくる気がして何も出来ないのだ。ゲイツの方を振り返る余裕すら無くマユは固まっていた。
何分も経過した様に感じたが実際は一瞬だったのかもしれない。
突然細い紫電が走り、パリッという音と同時に「ギャウッ」とひるんだ様に獣が鳴いた瞬間「ザッシュ」という音と共に何かが飛んでいった。
瞬きすら出来ないような、一瞬の出来事だった。
気がつくと目の前の灰色の狼だったモノ──頭部の飛ばされた体だけが、痙攣しながらゆっくりと倒れ込む。頭のあった場所から鼓動に合わせるように赤い飛沫が噴き出した。
「キャアァァァァッ」
無意識にマユの口から絶叫が迸った。
「すまない、マユの目の前で」
ゲイツは大きな両刃の剣の血糊を拭きながら、配慮が足りなかったと謝った。
「ううん、私も叫んじゃってゴメンね」
マユは座り込んだままだった。すでに動かなくなった狼から、視線が離せなかった。マユには一瞬に見えたが、ゲイツが小さな魔法の一撃で狼を怯ませ、首を両断したらしい。
───やっつけてくれたんだから文句なんて言えないよ、ビックリしたけど。
「その大きな剣どこから出したの?」
「これか?いつも腰に付けているんだが、鞘の代わりに空間魔法が掛けてあるんだ」
そう言ってゲイツは手にした大剣を、腰の小さな金属の穴に通した。なるほど、剣帯していないと思っていたけど、腰の柄みたいな物は本当に剣の柄で、鞘の部分が拡張空間に収納されていたらしい。今度は腰に下げていたナイフを手にした。
「それより、この灰毛狼を解体しておきたいんだ。見ないようにマユはルードのところにいてくれ」
さすがハンターは仕留めた獣を無駄にはしないらしい。スプラッタ現場は見たくないので、マユは急いでルードの元に駆け寄って、反対を向いて座り込んだ。
───この大きさは金になるな。
滅多に出ない大型の灰毛狼の毛皮は高値で売れる。実はゲイツは咄嗟に、マユへの配慮を忘れて、最も毛皮が傷つかない方法で獣を屠ったのだった。
ゲイツは手慣れた感じで狼をサクッと解体し、毛皮を剥いだようだ。マユは直視しないようにチラチラと様子を伺っていたが、ゲイツが属性魔法で地面に穴を掘っているのを知って驚いた。
「ゲイツさん土の魔法使えるんだ」
どうやら、食には向かない獣らしく肉や頭部を埋めるようだ。
「ハンターにとって、こうやって獣の処分をするのに土属性は必須だからな」
あっという間に埋め終わり、ゲイツは大きな牙と毛皮だけを持ち帰るらしい。
「灰毛狼群れる習性がある。なるべく早くこの事もギルドに知らせる方がいいな」
群れならばまだ林に獣が潜んでいる可能性が大きい、ゲイツは少し心配げな視線を林に向けていた。報告すれば、改めて調査隊か討伐隊組まれるのだろう。
目の前の危険な気配が完全に無くなって、マユはホーッと息をついた。
『グルゥゥー、ギュリイ(まゆは恐がりなのよー)』
その場を一歩も動くことなくのんきに果実を咀嚼していたルードの、少し呆れを含んだ嘶きを聞いてマユは小声で反論する。
「今まであんな生き物見たことないもん、剣だって・・・しかたないでしょ」
『クウゥア、ギュリクゥー(ご主人様を信じてればいいのよー)』
何気にルードが得意気である。やはりこの主従は相思相愛なんだろう。
唯一のハプニングを凌ぎ再び旅路に戻るが、時間のロスを取り戻すために、更にルードのスピードが上がることになり、激しく上下に揺れる体にマユは耐えに耐えた。
そして約二刻、あたりが薄闇に包まれる頃に、やっとセレントの街が目に入ったのだ。
作「二年したらお酒飲む気?」
マ「イエース」
作「モラルに反してると、お話し削除されたらどーすんの」
マ「え?じゃあいつまで耐えろと?」
作「お酒は二十歳になってから(キリッ)」
マ「ないわー、安心してください、頑丈ですから!」
作「そんな、履いてますからみたいに言われても・・・」
このお話は未成年者にアルコールを勧める意図はありません。お酒は二十歳になってから。