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新具堂綺憚  作者: 雨木あめ
第一幕 ミオモイシ
3/16

はじまり 02

 「……駄目よ」


 ──声がして、音がした。

 前者は澄んだ鈴の音のような、少女のもの。後者は、バチン、と何かが爆発するような、鈍いそれ。

 風が巻き、部屋の中。そこに残る事実だけを端的に語るのならば、少年は未だ生きていた。

 過程はわからない。解からないのだ。なにが起こったのか、何故少年が生きているのか、解からない。計り知れない。

 なにせ、状況はほとんど変わっていないのだ。

 『板』と少年は変わらず対峙し、その間合いも、立ち位置も変わっていない。

 変化は、一つだけ。

 少年の直ぐ傍、『板』との間に、一人の少女が立ちはだかっていた、ということ。

 いや、少女というよりは幼女、いや童女と言うべきだろうか。紅をさしたように赤い頬。紬につつまれ、洗練されつつも丸くぷにぷにとした印象の抜けない矮躯。年月を示すように艶やかに長く伸びた黒い髪。その全てが子供を示しながらも、内側に大人を内包し始めている、そんな年頃に見える。

 ともかく。

 そんなあどけなさの残る容姿の、少女と幼女の中間のような女の子が、手のひらを『板』に向けて突き出して、立っていた。立ちはだかっていた。

 現象としては、それだけなのだ。

 ただそれだけで、否応なく訪れるはずだった少年の死の運命は回避された。

 少女がいた。少年は生きていた。

 本来ならばそれらの要因と結果に因果関係は見受けられない、はずだ。少女ごと吹き飛ばされてぐちゃぐちゃにひき潰される。それが正しく辿るべき少年たちの運命だろう。少なくとも、常識の範疇では。

 しかし、事実はそれを認めさせてはくれない。例えそれが真実ではなかったとして、起こった現象そのものを否定することは誰にも出来ない。

 現象と結果、そしてそれらを繋ぐ過程と因果を至極単純に言い表すならば、こうだ。

 少女が少年の前に立ち、『板』から放たれた正体不明の攻撃を防ぎきった。故に、少年は無傷である。

 それは、結果にして、揺るぎのない大前提。

 たとえ、そこにいかなる不可思議か絡んでいようとも、事実は事実なのだ。いかに不可能に見えようと、どれほどの謎が残っていようと、起こってしまったことか揺るがない。

 その謎を紐解く鍵、古来より語られてきたルールが一つ。現象として存在する人知を超えた何かすら縛り付ける、強固な制約がある。

 曰く──不可思議は不可思議に。奇跡は奇跡によってのみ打倒される。

 そう。つまりは、不可視の暴力を不可思議な手段で防ぎ切ったこの無表情な少女は、いかに人間に見えようと、おおよそヒトに分類されるものではない。それがやはり事実であり、真実であると、結果はそう告げていた。

 「……今、俺危なかったか?」

 砲撃が止み、数瞬の空白の後。少年は、今さらながらに冷や汗を額に滲ませ、しかし、実に軽いトーンで問う。

 「…………」

 返事はない。少女は無言で無表情のままだ。

 ただ、つうと向けられた視線だけが言いようのない圧力を放っていた。当然でしょう、とでも言うように。

 「なぜ、なぜ死なない、小僧ぉ!」

 声に反応し、少女がジロリ、と視線を向けたその瞬間、再びの爆裂音。けれど、その見えない攻撃は、またしても少女の目の前で、軽い破裂音を残してその威圧を失う。

 「無駄だって──」

 「くそっ、くそっ、くそっ、畜生があ!」

 「──言ってんのが、解らんのかね」

 悪態と共に放たれる無数の悪意は、しかし、ため息をつく少年はおろか、少女にさえ届くことは無かった。

 少女が突き出した小さな掌の手前で、悉く音を立てて弾けて消える。まるで、そこに見ることの叶わない壁でもあるかのように。

 不可視の攻撃は、不可視の防壁によって阻まれる。

 バチンバチンバチン──数えきれない破裂音がしばらく連続し、それから、不意に止んだ。

 少年は、靄ががった視界の向こう、『板』へと視線を向けて、それを見た。

 「はっ、はあ、ふひ、はあ」

 『板』が肩で息をしていた。息切れていた。

 おかしな表現かも知れないが、それがこの状況を何よりも正確に表していると言えるだろう。

 「……そろそろ諦めろよ。俺たちはそれを『どうにかする』ために来たんだ」

 その姿に少年は言う。『板』にむかって語りかける。まるで、人に向かってそうするように。

 「別に、アンタを捕って食おうってわけじゃないし、それに」ぴしり、と指をさし「なによりソイツは、アンタの手に余るだろう」

 「わ、ワシはこれを失う訳にはいかんのだ。こいつは奇跡だ! 冴えないワシの人生を一変させた奇跡だ! 手放せん! 絶対に。絶対に絶対に絶対に!」

 『板』がようやく人らしい長い言葉を発した。野太い声、その上どこか壁に遮られているような、くぐもった声であることが、今さらながらに解る。

 「こいつは、この石はワシの希望なんだ。力をくれた、虐げられていたワシへ、神様の贈り物だ」

 「……アンタはさ、その神様の力を得て、何のために、何をした?」

 少年の声が、わずかに曇る。何かを必死で押しとどめようとしているようだった。

 「理想の世界だ! ワシとワシを信じるものだけで構成される希望の世界。ワシはそのために、この石の力を使ってきた。皆を救うために!」

 「……そんな風に簡単に言えちまうもんは、真実じゃない」ため息が混じる「いいか、一つだけ教えてやろう。俺は、アンタがしたことを、解かってる」

 「っつ!」

 『板』が、息をのむ。動揺と共に表面の模様がざわついた。

 「全部知ってる。知ってるんだ。いいか、その上でもう一度問うぞ。──アンタは、その力で何のために、何をした?」

 「それは──」

 明らかに言葉に詰まる。もし、この『板』に目があったのならば、間違いなく盛大に泳いでいただろう。それほどの狼狽が、滲み出ていた。そして、ぶつぶつと声が響く。

 石、死、勝手に、邪魔、救うために、世界、使命、意思、石──断片的な独り言、出来損ないの自問自答の末に、そして『板』は、

 「──そ、そうだ」

 何かすがるものを見つけたかのように早口に、そして妙に明るい語調で言葉を繋げる。

 「こ、この石だ! この石がワシにああさせたんだ! そうだ! ワシの所為じゃない! ワシはただ──」

 「──違うっ!」

 怒号が飛んだ。

 ひい、と『板』から発せられる男の声が、ひるみ、その雄弁を途中で止める。

 「違うさ。奇跡に悪意はない。奇跡に善意はない。奇跡は──ただ、そこにあるだけだ」

 少年は一転し激昂を飲み込み、今度は淡々と、語り始めた。

 彼が知り得る一つの真実を。

 奇跡にまつわる、謎解きを。

 「『限りある奇跡』の在り様は、それを扱う人間によって左右される。なぜなら、人間だけが、どうにもならない現実に対して、奇跡を欲し、希うから」

 「う、ああ、う、うあ……」

 うろたえ、最早意味をなさない音だけを上げる『板』に対し、少年の言葉はどこまでも冷静で、しかし、静かな熱に満ちていた。

 「奇跡の善悪の天秤は、持ち主の心の偏りに。問題はさ、アンタがそれを何のための何に使ったか、だよ」

 そうして、もう一度『板』を指さし、少年は、青い焔を封じた氷の声で、問う。


 「さて、そうなるとさ──この奇跡は、一体どちらに傾くんだろうな?」


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