ジュウニアの狩人
一番星が輝き始める頃に僕はジュウニアの森に入った。
もう死んでしまった908小隊の隊長が話していたことだが。
斥候部隊を率いていたのはアベルタ軍のトップ、ハドリー将軍だった。
僕が直に見たバーランド王国の騎士団長を遥かに凌ぐアベルタを代表する人物だという。
バーランドの白騎士。
バーランド王国は小国で、アベルタ国の同盟国とは名ばかりで実質的には傀儡国家である。
その傀儡国家が要請を受けて騎士団を斥候部隊として派遣したのだと思われる。
その斥候部隊バーランド騎士団のお目付役がアベルタ国のハドリー将軍。
一騎当千の強さだと噂されるその将軍がこの戦場に来ている。
しかも侵入の第一波からだ。
とても僕たち寄せ集めの兵士団が太刀打ち出来る軍勢ではなかったのだ。
今となっては悪い冗談としか思えないが。
僕はこのとき、そのハドリー将軍に向けて矢を射てやろうと本気で考えていた。
今の世代では見たものは居ないという守護竜ジュウニアが住むという大森林。
僕はここで育った、地の利があるのだ。
腰を屈めて頭を低くした体勢で森をかけて行く。
森林はとても広大だが、陣を位置取る場所ならだいたいは見当がついた。
野営テントが建てられる場所など限りがある。
アベルタ軍の失態と言うならば、こんな森林に野営を構えなくてはならなくなったこと。
逆に言えば、そんな嫌がらせ程度とはいえ、僕たちの部隊は成果を上げていたのだろう。
息が切れそうになったので一度休む。
耳を澄ます。木々のざわめきと大きめな野鳥の鳴き声。昆虫の音が大半を占める。
目を凝らす。幹がひたすらに並ぶ。枯れ葉が深く積もっている。遠くで赤々と燃える火がわずかに見えた。
松明だ。
音を立てずに近づいて行くと、松明をもつ兵士が二人、巡回していた。
野営地は近い。そう確信した。
部隊での戦闘は槍を使っていたが、今は狩猟生活で散々使っていた弓だ。
つがえては引く。聞き慣れた弓のしなる音が腕に振動として響く。
僕は考えない。放つ。
兵士の一人、首もとに命中し、そのまま倒れた。
もう一人の兵士が振り返り、何事かと近寄ってすぐに攻撃されたと察知し身を低くした。
松明が良い目印だった。身を低くしようが、この暗がりに灯りがあればどうしても目立つ。
僕は既に二本目の矢を引いていた。
次射を警戒した兵士は、もう事切れている兵士に刺さっている矢から僕の方向を予測し木の影に隠れた。
このあたりの木々は細身ばかりだ。どうしても体がはみ出す。
僕は隠れきれていない腕を狙って二本目を放つ。
飛んで行く矢を目で追うことはせずに、放った直後に全力で駆け出した。
ナイフを抜きつつ、ちょっとした段差を乗り降りし、兵士のいる場所に到着する。
腕に矢がささり、木に寄りかかっている兵士は苦悶の表情を見せながらも提げていた剣を抜いた。
「うおおお!!」
僕は間髪入れず、足を思い切り上げて剣を持つ兵士の腕めがけて蹴りをいれた。
耐えられず剣を手放す兵士は狼狽えるばかり。
続けざまに左手で兵士の体を強く押し付け、ナイフを持った右手をぐっと引いた。
兵士が声になってない叫びを上げる。
考えないだの、死ににきただのと言っておいてもはや笑いぐさかもしれないが。
僕はナイフで殺すことが出来なかった。
ナイフで殺めることに弓矢や槍とはまた違った勇気が必要だなんて今ここで初めて知った。
獣をこれまで沢山さばいてきて、ナイフで肉を切ることは慣れていたというのに。
人に向け突き立てることがこうも難しいとは思いもよらなかったんだ。
僕は全力で右手を振り下ろし、ナイフの柄で兵士を気絶させた。
ここからならば見える。アベルタ軍の野営地がその先にあるようだ。
僕は同じような要領でさらに二人、兵士をやった。
今度は矢でも殺さないようにした。
野営地に到着し、物陰から覗き込む僕の目に映ったのは、大男だった。
僕も僕で体格が大きく。今まで僕より背の高い人間を見ることなんて無かったのだが。
その男は僕より大きい。明らかに人間の持ちうる最高の肉体と言えるほど横幅もあった。
腕は膨れた丸太のようだった。黒鉄の鎧は胴体と肩を守るのみで、赤を基調とした装飾。
他の兵士とは比べ物にならない風格。ハドリー将軍だと断言出来た。
野営地のど真ん中、他の兵士と火を囲んで椅子に座っている。
腰掛けている椅子は小さく、今にもつぶれるんじゃないかというアンバランスさ。
なんであんな椅子に座ってるんだ?
いや、どうでもいいことだった。
どうする、ここで射ろうか。
他に場所も無い。もし誰かに見つかれば逃げることもできない。
ここが最大にして逃すべきでない好機。そう確信した僕は、弓を構えた。
すると、ハドリー将軍の後ろに張ってあるテントの後ろから、見覚えのある人物が出てきた。
白い甲冑に金色の長髪。908小隊を壊滅させた部隊を率いていたバーランド王国の騎士団長だった。
白い騎士は黒鉄の将軍の隣に座って話しかけた。
幸い、僕と将軍の視界の邪魔にならない位置だった。
騎士が一方的に話しかけているが、将軍もなんだか楽しそうに聞いている様に見える。
将軍が火掻き棒で火の中をかき回しはじめた。
白騎士はまだ話すことに夢中なようだ。
そういえばこの白騎士の名前を僕は知らない。
なんにせよ、狙撃を断念しようかと思ったが、続行だ。
むしろ不意打ちしやすくなったと考えられた。
あらためて矢をつがえ、狙いを定める。
今は無心には成れなかった。
射られ斬られた仲間、最後を見ることがなかった仲間。
捕まった少年もフラッシュバックする。
小隊の連中だけではない、そこには彼。僕の育ての親も浮かんだ。
仇討ちの念だけではなかったのかもしれない。
僕は矢を放った。
飛んでいる矢を斬り落とす芸当は聞いたことがあったが。
まさか、こうして目の当たりにするとは考えもしなかった。
しかも恐らくは話に聞くよりもっと、神掛かった芸当なのではないか。
真っ二つに斬られ、失速した矢はぱさりとハドリーの足下に落ちた。
ハドリーはその時点で動いていなかった。
斬ったのは、まさかハドリーのさらに向こうにいたはずの白騎士だった。
残影、人間が出せる素早さとは思えない。
涼しい顔をしながら、いつ振ったのか、いつ出したかわからない長剣を鞘に収めている。
その後ろで何か動いている。ハドリーだった。
そのとき僕は、育ての親の死に際がフラッシュバックした。
死の予兆。
僕は本能的に体を左に引いて頭を下げた。
コッ……!!
僕の頭があった場所のすぐ後ろ。木の幹に何かが突き刺さる音がした。
焼ける臭い。想像に容易い、見なくてもハドリーが持っていた鉄の棒がそこにあるのがわかった。
失敗した。
完全に見つかっている。他の兵士も騒ぎだしている。
白騎士といいハドリーといい。とても僕がどうこう出来る人物ではない。
理屈が通用しない桁違いな強さを垣間見てしまった。
僕はそのまま動けないでいた。
今度ばかりは、逃げることも考えられなかった。
あんな連中を相手に戦えるとも思えなかった。
僕はそのまま兵士に取り押さえられるなり、棒かなにかで強く頭を打ち付けられ、そのまま気を失った。
もとより自殺行為の復讐だった、逆かな。
復讐心に頼った自殺だった。
どちらにしても、何も出来ぬまま僕は捕まってしまった。
*
*
*
「それで、どうして川で倒れてたんだい?」
ヴァレリーが尋ねるも僕は答えられなかった。
「気を失って、目覚めたらあの川にいた。あの森の付近の川はアベルタ国の領土にながれていないから。捕虜として捕まった後、運んでる間に何かの理由で川に落ちたのかもしれない」
「捨てられたんじゃないか」
「……かも」
「そうか、でもまあ、グスッ。 ……生きててよかったじゃないか。感謝し給えよ」
さりげにヴァレリーは泣いてる。本当に感情が表に出やすい人だなこの人は。
……生きててよかった。か。
「ただ、知りたかった情報がこれっぽっちも無かったのだよ」
さっきと温度差が……。
僕はむっとしながらも、ヴァレリーに尋ねようとした。
こちらが口を開くと同時にヴァレリーの方から話してきた。
「魔術に関わる話が何一つでていない。怪しいとしても、そうだな。せいぜい図書館の書物を枕にして寝ていたことか。本当にそれは度し難い行為だけれど。ひとまず置いておくとして。ふうむ。
あと、あるとしたら。フィリップ君の言う白騎士。バーランド国の騎士団長、オルフォードというこれまた結構有名な人物なのだけれど。そのオルフォード騎士団長の能力だな」
僕は興味を引いた。
「あれは魔術なのか?」
「実際に見てないから何とも言えないけれど、人外で規格外な動きをしたんだろう?
人間の動きの早さだって限度がある。さしずめその剣、あるいは甲冑になにか術が掛かってる。」
「強化している……のか」
「それも普通じゃできないようなシロモノかもしれないね。推測の域をでないけれどね。本当にただの身体能力でそこまでのことをした可能性だってある————まあそれはフィリップ君と関係がなさそうだし、あまり気にすることじゃない」
「じゃあ、一体何を知りたいっていうんだ。そろそろ隠さずに教えてくれ」
不意に僕は語気をわずかに荒らげる。
「そう急くべきではないな。わかったよ、そちらも話せる限りは話したようだし。僕が何を聞きたいかを話す番だね」
ヴァレリーは杖の先で僕の胸に軽くつついて言う。
「フィリップ君。キミの体から魔力が発生している」




