908小隊
捨て駒部隊だなんて当然、最初から呼ばれているはずも無く、僕も戦略なんてものは知ることも無い。
だから、自分達が今どんな状況に立たされているのかを知らない人の方が多かった。
僕だってそうだ。
ぼんやりと外を眺めては、いつ帰れるかなんて考えていたと思う。
「へえ、アンタずいぶんガタイが良いんだねー。頼りになりそうじゃん!」
知らぬ民家の窓から僕は外を眺めていると、僕と同じ鎧を着た女の子に声をかけられた。
900ナンバー各小隊の詰所は、建設中である市壁の外側に位置する民家にそれぞれ割り振られた。
僕と育ての親が住んでいたログハウスに、20人もの人数が住めるとは思えないけれど、ひょっとしたら割り振られている部隊もあるかもしれない。
「アベルタってあっちにあんだろ。敵さんは向こうからひょこり来るって訳だ」
僕の腹くらいの高さにある名も知らぬ女の子の頭が、僕と窓の間を割り入るように入って来る。
僕は思わず一歩引いた。
異性の髪の匂いなんて初めてかいだと思う。
改めて二歩引いた。
「ナンシー。こんなところにいたんだー」
奥の部屋からもう一人の女の子が現れた。なんだか目の前で窓から外を見ている子とは対照的に大人しい雰囲気があった。
「あの勇者君。外で素振りしてるよー。茶化してこうよー」
「お、アイツまた面白いことしてんのなー。んじゃ、デカいの、これからよろしくなー。
ああそうだ。アンタ名前なんていうんだ?」
僕は答えた。間髪入れずに笑われた。
「あはははははー! ウけるわ。ジュニアだって。うんうん、良い名前だぁ。じゃあなジュニアー」
ナンシーと呼ばれた子は僕背中を叩く、実際には高さが足りなくて腰をべしべしやられた。
大人しい感じの子はそのまま僕に見向きもしないでナンシーの後に付いて行った。
「おー、おー。フィリップん所の。見ない間に一段と背を伸ばしたな。鼻の下も伸びまくっとるがな」
僕はその声にはっとして、思わず鼻を両手で抑えた。声の方を向けば一人の男がいた。
顔には皺が目立つが、お爺さんと言うには少し若い。
「なんだ、きょとんとして。あっ、忘れちまったか。内緒にして親父さんと入れてやったろ、図書館。
にしても、変わらずキラキラした目ぇしてんなお前」
思い出した。帝都の図書館に入れてくれた人だ。
同じ小隊に配属されたんだな。
「弓兵のあの子達、元々は城内で書類管理をしていた子達なんだがな。
男癖が悪かったらしくてな。簡単にスパイに書類を渡したって話だ」
彼女らだけじゃなく、この部隊に居る若い連中はだいたい何か問題を起こしているような奴ばかりさ。
そう言って力なく笑う男。
「まあ、まあな。俺ぁ万年警備兵で、そりゃ、ちょっとしたイタズラみたいなことをしたが……」
邪魔が入った訳でもなく、けれど話は途切れる。
「おめえと同じ位、まあ三つ四つは下だろうが、娘がいるんだ。
へへっ。交易商やるんだって意気込んで出てっちまってから音沙汰ぁねえけどよ。
便りがねえのは良い便りってところだろうよ、きっとどっかで美味いもん食ってると思うんだ
おめえもそう思うよな」
返事も相づちもしない。聞くに徹する僕に男は話し続けた。
「カミさん。アイツは……強いかんな。きっと俺が居なくなったところでなんも心配いらねえだろな」
へへっと笑う。やはり力が入っていない笑いだ。
そして、言葉からは確実に諦めの気持ちが全面に出ている。
さすがの僕も察した。
「あの」
「なんだ?」
「生きて、帰れないんでしょうか」
「帰れると思うか?」
そこで初めてこの部隊が捨て駒だということを知らされた。
「あんまり動じねえな。フィリップんとこの、親父さんに似ていい肝っ玉だ」
動じないわけでない。そんな境地に立った試しが無い。
僕はただ、実感がわかないのだ。きっとさっきの子もそうだ。
魔物相手にも人間相手でも戦争を体験したことが無い世代だ。
これから確実に死ぬだとか言われたところでなんだか実感が沸かない。
「隊長、これから嫌でも会うだろうが。奴はなぜここに着たのかわからねえ位、真面目な奴だ」
真面目過ぎたんかもしれねえな。と付け加えながら。僕の胸に平手を打ち付ける。
僕は良く叩かれるようだ。
「まああの隊長さんなら上手く行きゃあ、何人か生き残れるかもしれねえな」
その後、隊長が全員を呼び集め、自分たちの配置とアベルタ軍の斥候部隊の迎撃方法を話し合った。
言われた通り、この隊長は生真面目な性格で、そしてキレ者だった。
一緒に行動すれば助かるのではないかと思わせる安心感があった。
きたる迎撃戦、一回目。他の小隊と協力の末、迎撃成功。
僕のいる908小隊は、20人から16人へと数を減らした。
「おう、フィリップんとこのか。なんだくれるのか、ありがとうよ」
民家の外、芝に並んで座りながら、手渡したのと同じ干し肉をかじった。
すぐ横を見れば、同じ小隊にいる小太りの男が祈るようにうずくまってブツブツ言ってる。
「死にたくない、死にたくない」と聞こえた。
「同感だな」
僕は頷かなかった。
迎撃戦、二回目。隣の小隊が壊滅、アベルタ軍は戦略的撤退。
908小隊は16人から4人へ。
僕に話しかける人は居ない。
何人かは逃亡したのだと思う。もしあの男が逃げたのだとしても、僕は狡いとは思わない。
逃げ果せてくれたらとすら思う。
ひとつの部屋に4人集まっている。
「ナンシー、見捨ててごめん何も出来なくてごめん」と泣きじゃくる見覚えのある女の子。
「俺は、俺は……最強になるんだ。んで、英雄になって。だから、俺が、こんなところで……」と歯を食いしばる少年。
「私がもっと。くそう、アベルタの小汚い奴らめ」と出会った頃とは別人に見えるもはや頼ることもできない隊長。
僕は、窓の外を眺めていた。
僕はただ、生きているだけだった。
それすら叶わぬ人もいた。そんな人たちを差し置いてだ。
迎撃戦、三回目。迎撃の失敗。前線を下げるため各小隊は撤退、各自合流し再編成の指示を待つ。
908は僕ひとりになった。
猛攻だった。アベルタ軍の統率も然ることながら、アベルタ同盟国のバーランドから派遣されている騎士団、とくに前線で戦う騎士団長の戦いぶりが驚異的だった。
まるで流れるような動きを残像すら見えてしまいそうな素早さで、的確に相手との距離をつめて、さも泥を斬るかのごとく鎧ごと一刀両断する。
勇者君。そう呼ばれていた少年がそんな規格外なモノに挑んで行ったが、拳ひとつで気絶させられ捕虜になった。
弓兵の女の子は恐怖のあまり逃げ出したが、逃げ切ることが出来なかった。
隊長は正気を失っていた。振るう剣は成果をあげることなく落とされた。
僕も覚悟を決めて敵の部隊に飛び込もうとしたのだが、910小隊の生き残りに止められた。
下げた前線。新しい詰所はまさかの我が家だった。
もう誰がどの小隊だったかはあまり意味をなさないみたいだった。
統率も取れているように感じなかった。
もともと、軍隊としてまともに機能していない部隊だったのだ。
補給も無ければ、上層部からの指揮もない。
改めて捨て駒部隊というものを実感した。
「あと一戦だ。あと一戦耐える頃には、主力部隊がくるそうだ」
「そしたら俺たちは、帰れるのか」
「そういう話らしいじゃないか」
そんな言葉が交わされていたと思う。僕が興味を示すことは無かった。
僕と彼が住んでいた家も部隊の連中に好き勝手に荒らされた。
ログハウスの床に隠し扉があって、そこにはあの男の鎧と猟用の弓矢と保存食の干し肉が残っていた。
僕は干し肉を平らげ、フィリップ・ジョーンズと名の刻まれた鎧を着て、弓矢を背負って外に出た。
指示は合流、再編成を待つことだったが。
僕はもう従う気にならなかった。
しかし何故だろう逃げる気もなかった。
ひとりで向かったのは、かつて民家であり、最近まで自分が配属していた小隊の詰所だった。
誰もいない。
僕は窓辺にたち、歩いてきたばかりの外を見る。
窓に反射する自分の顔がとても汚れていて、目も生気を帯びていない。
いつだか言われた「キラキラしてる目」に戻りそうもない。
戻る必要も無いのだ。
民家の白塗りの内壁に、ナイフの刃を立てていた。
完全な感傷的行為だ。
『908不敗』
我ながら陳腐な文字を刻んだと思う。
ここで顔を合わせた人たちを思い出せる限りに思い出し。思いに耽ったあと家を出た。
道をいったん戻り、森の方へ歩をすすめた。
森の中にアベルタの本隊が陣取っていると聞く。
僕は死にに行く。せめて一矢報いる。
大将のツラに、一矢を報いてやる。
僕はそのとき本気で思っていた。
隊長と同じように、気が確かではなかったんだと思う。