狩猟生活と育ての親
セレンティアの紅茶を飲みながら、僕はなるたけ頭の中で整理をした。
これまで人に話すこと自体、僕は機会に見放されていて、それでもこれと言って不自由無く生活していたのだ。
身の上話をすると約束をしたものの、キチンと話せるかどうかが不安だった。
テーブルを挟んで二人、紅茶の湯気を立たせたティーカップを持ちながら向かい合って椅子に座る。
聞き手であるヴァレリーも、僕のこれから話そうとすることを察したか。あるいはこれまで会話したこと自体が少なかったことをすでに……まあ、いくらこれまで僕が弱っていたとは言え、饒舌な人間に見られることはないだろうが。
「では、出生から話して欲しい」
生まれた時の話から、今まで?
思えばなぜこんな話をしなきゃならないんだろうか。
たしかに昨日はそうする他無いと思いはしたが、なぜ必要なんだ?
そもそも「形式は大事だ」とは何が形式なんだ?
……男らしくもない。普通に考えて僕は捕虜、殺されてもおかしくない状況だ。今更だ。
話すと決めたのだから話す。
ただ……。
「信じてもらえないかもしれないが」
「事実ならば何でも構わないよ。信じるとも」
「生まれた時から、およそ10代半ばほどまでの記憶が……一切無い」
本当のことだった。
ヴァレリーは目を瞑り、ティーカップを傾ける。カップを下ろして日の入る眩しい窓をみつつ、一言。
「信じ難い」
信じがたいそうだ。そりゃそうだと、僕も思った。無駄な前置きだったかもしれない。
なんだかヴァレリーの目が冷めている。
この人もう「本当のこと話す気あるのかよ」って目だ。
「本当なんだ、事実なんだ。事実なら信じてくれるんだろ?」
「ん、もちろんだとも。さ、じゃあ覚えてるところから聞くから。さ。さ」
頬杖ついてる、この人態度に出過ぎだろう。
「10代半ば。というのもそれまでの記憶がなく、僕がある男に拾われた時の見た目がそのくらいだったということで。正確な年齢は僕もわからない。拾った場所は、たしかナシュアラ南西部の川。首都と森を繋ぐ道にある橋の下、だったと。思う」
この言葉で通じるのだろうか。そんな不安に満たされいく。
「ふふん。また川? 川に流されていたのかい? へえ、好きなんだね、川。もっと別のところの方が信憑性が出せるんじゃないのかな?」
信じてない!
「だから作り話じゃない、本当のことだ。こっちも真面目に話してるんだぞ」
「嘘はついてくれるなよ?」
「ああ、もちろんつかないさ。あ、ひとつだけ訂正したいことがある。
フィリップ・ジョーンズ。あれは正しくは僕の名前ではないんだ」
「ふむ? なんだそれか。それは何となくわかっていたよ。だが今はそう名乗ってるんだろう?」
頷いた。やはりある程度は見透かされているようだ。
「それ以外になにか訂正しておくことはあるかな?
フィリップ君。このままだと私は退屈で寝てしまうよ」
大きなあくびをするヴァレリー。
「す、すまない。名前の件はともかく、他に嘘はついていない。では覚えている限りを話そう」
*
*
*
フィリップ・ジョーンズ。これは僕を拾ったナシュアラの警備兵の名前だ。
僕を拾っておおよそ10年近くも育てた間、ついに一度も彼に年齢を尋ねることが無かった。
彼には年齢を話すきっかけも無ければ、僕も聞く必要もなかった。
僕の見立てはあまり当てにならないかもしれないが、そうだな拾った時には40歳はいっていたように見える。記憶が無かった僕を拾い、育てた。僕にとっても育ての親だし。きっと彼も僕のことを実の子供のように思ってくれていたはずだ。
彼には家族が居なかった。僕が現れてから楽しくなったと彼は言っていた。
「ジュニア。薪をあとひと束作ったら飯にしよう」
僕のことはジュニアと呼んでいた。息子だからジュニアじゃない。
僕を拾った森の名前がジュウニアだったから。ひょっとしたら言葉を掛けていたのかもしれないな。
ふふ、どちらにしても安直なネーミングだった。
ナシュアラの大森林ジュウニアは森と同じ名前の守護竜が住むという伝説がある森だ。
実在するのか疑わしいとは言え、守護竜と似た名前なのは何だか気分が良かった。
僕はその名前を好んだ。
読み書きを覚えはじめたのは彼と生活を始めて8年後のことだ。
それまで辺鄙な場所で狩猟をして、現代の文化とは縁遠い生活をしていた。
いつだったか、僕は森で狩りをしていたときに、木の葉で足を滑らせ、地面から突き出ていた木の根に胸をぶつけた。僕は気にすることでもないと彼に言ったが。
「黙ってろ、街まで担いで行く。自分で動こうとするんじゃないぞ」
夕方から森を出て、街についたのは夜だった。彼は息を切らしつつも休むことなく治癒者のところまで僕を担いでいった。いつの時代もどの国も治癒者は重労働なのだという。評判の良い治癒者は疲れてもう寝ていた。
彼は引き返す気なんてさらさら無かった。
「治癒者はいつも大変だ」と教えてくれた彼が、壊れんばかりの力で治癒者の家の扉を叩き続け、無理矢理に起こして僕を診せた。結局のところ大した怪我でなかった。彼は安心感からへなへなと不格好に座り込んだ。
ひょっとしたら過去に同じような怪我で誰かを失ったことがあるのかもしれない。
治癒者のあの迷惑そうな顔に、僕と彼は悪く思いながらも、時々思い出しては二人で笑い話にしていた。
その日は街に泊まった。彼は正式の兵士であるものの、辺境地域の警備という暇を持て余すばかりの仕事で、またその分、貰える額も兵士の中では独り身でなんとか食うに困らない程度のものだった。
そんな彼が寝床に選んだのは図書館だった。
警備兵のコネを使って、彼と僕は夜の図書館に口外しないことを条件に入れてもらった。
それこそ口外できないことだが、僕と彼は書物を敷いてその上で寝た。
古い書物であればあるほど、以外と弾力があったんだ。
彼の発想に僕は時折付いて行けなかった。
もちろん、もうそんなことはしないよ。誓う。絶対だ。
読み書きを始めたきっかけとなったのは、図書館に泊り、起きた後だ。
本を片す時にパラパラめくったが、当然のごとく読めない。
それがなんだか悔しかったから家に帰った後、単純な文章でもと彼に教わった。
なんだかんだで彼も学がなかったが。それでも僕は満足した。
20代の前半だろうか、そのくらいに育った僕は、彼と同じ警備兵に入った。
彼はあまり賛成はしていなかった。
仕事をした後は、彼と一緒にいつも通り食い扶持のための猟をした。
街に出てもっと別の仕事を見つけるべきだと警備の任に付いた後も言っていた。
僕は彼の言う言葉も受け止めていたが、彼と同じ仕事をすることに表現し難い誇らしさがあった。
ある日、彼は死んだ。仕事でも流行病でも誰か人の手によるものでもない。猟での事故だ。
仕留めたと思い、彼は矢の刺さった横たわる大きな獣に近寄った、しかし獣が急に起き上がり、大きな腕を一振り。
結構離れていたのだけれど、彼は僕のすぐ横にある木の幹にまで飛ばされ強く叩き付けられた。
不甲斐ない僕はその時は逃げ去ることしかできず、獣を振り切って急いで戻っても。
彼は一目見て助からないとわかるほどの姿をしていた。
獣の咆哮がすぐ耳に入り、僕は彼になにをすることも出来ないまま家へ帰った。
二人で10年ちかく生活していたその家の端っこで僕は一晩泣き続けた。
その後というもの静かな生活が続いた。代わり映えのしない景色をただ眺める警備の仕事をして、猟をして、彼の仕事というより、彼そのものに替わってしまったのではないかと思いはじめた。
何を思うことも無い。無心に近い生き方といえる。
なんというべきか、生きているだけだった。
数ヶ月。いや、一年は過ぎただろうか。
帝都の拡張計画が進む。
魔力減衰期(聞いたことがあると思ったが、ここで聞いたのか)にはどの国も発展のために城壁を拡大する計画がよく立てられるという。
ナシュアラの帝都も市壁を広げる大工事が始められた。
しかし、その計画を見計っていたように、隣国にして同盟国、鋼の国アベルタが同盟を一方的に破棄して攻め込んできたのだ。帝国の主力部隊となる騎士団が各地に分散していたのも知られていたようだった。
僕の住む家と、警備する土地は、森という障害があれど。アベルタとの国境がその先にある。
もう今年の話になる。
建設中の市壁に近寄せないために部隊が編成された。
ナシュアラの歩兵団の緊急編成部隊901から913の各小隊。
ナシュアラには正規部隊は101小隊から310小隊までしか存在しない。
3桁目は部隊の編成によって振られる。
下二桁でその編成の数がわかるんだ。
900ナンバーは完全な例外編成を意味していた。
ナシュアラの主力部隊の編成が完了するまでの間、市壁の建造が終わっていない区画を死守すること。
それがこのイレギュラーナンバー、900の付く部隊に下った命令で。実態は、練度の低い兵を集めた捨て駒による時間稼ぎ部隊。
僕は908小隊に配属が決まった。




