断章2 削れた記憶の観測 後編(二人のアリス編)
王都アベルタに到着した交易馬車は、まずは交易者専用に設けられた休憩所にて馬車馬や長旅で疲れた体を休ませる。
エヴァンジェリン・エマーソンとピーター・グレイズは子供二人でありながら。北国のエムレシアから出発し、規制の厳しいナシュアラをなんとか通過して、ここ鋼の国アベルタへ到着した。
「ちょっと早い昼食になっちゃった」
「いいんじゃねー。予想より早く着いたんだ。このまま早めにでて夕方前にはアベルタを出ちまおうぜ」
「うーん……それもいいんだけど。今お昼どきで、アベルタだから……あと2回の鐘がなるまでは取引所が通してくれないから結局は夜になっちゃうよ」
馬車の運転台に乗りながらエヴァンジェリンは手元の帳簿をめくりめくり言った。
ピーターは14才のエヴァンジェリンをひとりで取引に行かせることを抵抗に感じた故郷の人々に頼まれた付き添いである。彼は馬車の荷台より少し離れたところにあるテーブルの椅子にだらしなく座ってパンを齧っている。
そろそろ齢19になるが、仕事を覚える気が無い彼は地元ではいろいろと持て余していた。
「だりーなぁ……。なあエヴァ。なんだかんだこれまでは、いっつもひとりでお使いに来てるんだろ?」
「うん。そうだよ」
「ならさー、今日の取引もひとりで出来るよな?」
「うん、できるけど。どうして?」
「じゃあ、オレちょっと遊びに行ってきていいかな」
「えー、ダメだよ。迷ったらわかんなくなっちゃうよ」
「わかるってー。よっし、決めた! これ食ったら散歩いってこよう」
エヴァンジェリンは首を振って、帳簿を荷台に仕舞った。
彼女は、荷台の不調を思い出して運転台からおりて、荷台の車輪軸の下へとまわった。
「あ、軸の金具が曲がってたんだ。なーんだ」
そういって彼女は小さな掌で鉄製の金具を押さえて、たやすく曲げた。
がたん。と、音を立てて荷物満載の荷台が揺れた。
「おめーの怪力。何なんだろうなー」
「なんなんだろーね」
さして気にする風でもなく、エヴァンジェリンがピーターの疑問にオウム返ししながら荷台の下からでてくると。
「あなたなんだか楽しいわね。わたしの玩具にならない?」
そんな少女の声がエヴァンジェリンの頭にかかった。
彼女が振り向き、見上げると。荷台の荷物の上に、自分と同じくらいかそれより小さいであろう少女がそこに座っていた。
「あなたは?」
エヴァンジェリンが少女に尋ねた。
「わたし? わたしに質問したのね。いいわ。楽しいついでに答えてあげる。わたしはアリスよ」
アリスと答えた少女は履いているサンダルをパタパタと足の指で動かしながら、機嫌良さそうに脚をゆらしている。幅広の麦わら帽子に白いワンピース。その服と帽子、サンダルに至って。身につけているもの全て汚れひとつない新品のようだった。
「ねえ、ピーター。この子いつ入ってきたの?」
ここからでは見えないが、いるはずであろうテーブルの方向に向かって声をかけるエヴァンジェリン。
しかし、返事が無い。
不思議そうな顔をするエヴァンジェリンを見下ろして、ふふっと笑うアリスと名乗った少女。
少女が笑った瞬間、エヴァンジェリンの頭に痛みが走った。
「いたっ!?」
それを見た少女は、わざとらしく驚いたあと、さらに興味を引いたような顔をして話しかけた。
「ねえ、今のでなんか感じた? まさかわかるの?」
「なんのこと……。 ねえ————あれ?」
エヴァンジェリンは誰かを呼ぼうとしたが、違和感に包まれてその先が出てこない。
「誰を呼ぼうとしたの。この荷馬車小屋には”はじめからあなたとわたししか居ない”じゃない」
「……? ピーター……」
「あの子は付いてこなかったのよ。今日もいつも通り、風車の屋根の上で寝ているわ」
「そっか、ひとりで来たんだっけ」
「そうよ」
アリスは笑いながら飛び降りる。自由落下などせずに、フワフワと羽のように藁の敷いてある床に降り立った。
「ふふふ、楽しい。それにしてもあの男の子、本当に何もしなかったのね。”換える”手間がほとんどなかったもの」
「何のこと?」
「ううん。こっちの話よ可愛い玩具」
振り返り、エヴァンジェリンに迫るアリス。
エヴァンジェリンは怖くなって、荷馬車の運転台へ登った。
後ろを振り返る。テーブルにはやはり誰もいなければ、何か物があった形跡もない。
「楽しい。あなたあんまり年のわりに賢くはないみたいだけど、楽しいわ」
「そういわれると、嬉しいな。おともだちか、そっか。じゃ、じゃあ、そろそろ行かないとだから……」
アリスは運転台にふわりと乗ってきた。
身じろぎするもどうすることも出来ないエヴァンジェリン。
袋を蹴って床に落とすも気付かない。
「そう、残念。じゃあ、玩具のしるしに良いものあげるわ」
「いたっ。いたたたぁ……!」
エヴァンジェリンは頭部の痛みに耐えきれずその場で踞り。やがて気を失った。
「目醒めるのが楽しみね、いつになるかしら。
——あと、エヴァンジェリンって長過ぎるわ。せっかくの玩具になったんですもの。
私と同じ名前にしてあげる。
あーあ、ちょっと力を使い過ぎちゃった。あの憎たらしい魔女が来る前にわたしはおいとまするわ。それじゃあね。ふふふ、ふふふふ」
数分後。少女は目覚めては、居眠りをしたのだと自分を笑い。取引場へ出発した。
————道の途中。彼女は財布を落したことに気付いた。
しかし、本当なら一番に可能性のある休憩所へは、彼女の本能が戻るべきでないと訴えている。
なぜ日頃寝坊などしない自分が——。なぜ大切な財布を——。
さまざまな責任の念が14才の彼女に押し寄せ、気を動転させる。
結果、無謀にも無防備にも周囲に助けを求める形となってしまった。
「アリス・エマーソンと言いますが。財布を落してしまったんです助けてもらえないでしょうか」
かくして、フィリップとルエラの協力者も得て、財布は見つかった。
しかし、悪党二人の手にあったのだ。
ルエラが声を掛けるもすんなり返してくれそうもなく。フィリップという男に向かってボウガンまで向けられていた。
フィリップが両手を上げて。謝った。
しかし、悪党の二人は笑い飛ばした。
「へっへっへ。話し合いだとぉ? 金はいただく。そこの娘二人もいただく——」
「だめだ! この子たちには手を出さないで貰いたい!」
「だめだぁ? おれったっ、そんっ口たたけぇってたちっかこらぁ!」
(あの男が挑発するときの呂律のまわらなさはどうにかならないのか)
「その通りだぜ。デカい口を叩ける立場じゃあねぇ。ほら、でけーのは見逃してやるってんだ早く行っちまいな」
「ダメだ!」
舌打ちする、大きい方の悪党。へえ〜えぇ〜。とわざとらしくため息をする細い男は諦めたように。
「もう、こん男やっちまって。さっさと女連れてきましょうやぁ」
「………………そーだな! やっちまうか! 悪く思うなよでけぇの!」
(ここまでか。一か八か、担いで逃げるか!?)
太い男は左手に握るボウガンを、握り直すようにちょっと重心を後ろにして発射口を浮かせた。
その瞬間に動いた。
「ひっひっひ。オレっちもう我慢なんねっすよ、いっそここで剥いちゃ、ぶべぇっっ——!?」
「なんだこいつ、冗談じゃね、な!? うごおぉぉっ!?」
動いたのはフィリップではなかった。
もちろん、ボウガンを向けられてから終止おびえて声も出せなかったルエラでもない。
アリス・エマーソン。それまでただその悪党二人を怯えもせずに見ていた少女だった。
滑り込み。すっかり油断しきった細身の男の腹目掛けて掌底による一撃。細身の男は後ろに吹っ飛ぶ。
その動きに遅れながらも反応した太い男はボウガンをアリスに向けるも、裏拳によって弾かれる。
一度手から離れたボウガンが。空中で回転を始めて落下した。
右手による裏拳の勢いそのままに体を回転させて。左足の踵を男に向けて軸とし、回転しながらジャンプ。男の顔面に右足の蹴りがヒットした。
太った方の男は勢いよく石畳に頭を打って気を失った。
「押忍!」
倒れた男二人の手前に、両拳を腹の横で構えて深呼吸するアリス・エマーソンの姿がそこにあった。
「……おす」
「おす」
フィリップとルエラはつい合わせて声を出した。
アリスは、悪党の手から財布を取り返して、笑顔で言った。
「お騒がせしました。おかげさまで財布を見つけることが出来ました」
「うん、よかった」
「そ、そうね。よかったね。ってか、アリスちゃん強いんだね。あの速さ、残像みえちゃったよ」
「あの残像は魔法かなにかなのか?」
「あはは、残像は言い過ぎですよ。それに魔法ってぇ〜わたし、魔術の適正は全然ですよぉ。
エムレシアはわたしくらいの人なら、たくさんいますよ」
フィリップは驚いていた顔だったが、それを聞いて腑に落ちない点があった。
しかし、今は気にしなくても良いだろうと判断した。
「とにかく、ここから離れようか」
「はい。行きましょう」
「ええ、まあ。よかったわ……ほんとに」
広場に戻るや、鐘が鳴り。急いで取引所へ向かうアリスに別れを告げた二人。
「決めたわ」
噴水の縁にまた腰をかけるフィリップとルエラ。
置きっぱなしだったが、まだファストフードがそこにあったことに驚きつつも手に取るフィリップ。
「私、やっぱり騎士になる」
「落ちたんじゃ?」
「一般人から採用してる国はアベルタ以外にもあるんですよ。それも来月。となりのバーランド王国で!」
「小国じゃないか」
「私は人助けをしたいんです。それにあんな悪党に物怖じしないくらいに強くなりたい。その思いに国の大きいも小さいもないんです」
「そうか。がんばれ」
「言われなくても!」
志を表明したルエラともフィリップは別れた。
若干そらが赤みがかっている。
ついでに言えば、手に持っているパンもすっかり固くなっている。
思い切って頬張る。
何だか笑えたフィリップだったが。食べながらひとつ気になったことを思い出す。
あのアリス・エマーソンという少女、凄まじい体術だった。
体重や筋力とそぐわない瞬発力と破壊力はバーランドの騎士団長を彷彿させるほどだった。
しかし、気になったのは残像だった。彼女は否定していたがルエラ同様、フィリップも見えていた。
その残像の動き、残像なのだから彼女自身を追うような動きをするのは当然だが。
気のせいか、少しズレていた気がする。それに、あのボウガン。
いちど男から手が離れたあと、そのまま飛んで行くと思っていたそれは空中で何かぶつかったように途中から回転を始めた。
気のせいだろうか。 フィリップはそう考えていると。
「気のせいよ」
目の前に少女が立っていた。幅広の麦わら帽子に白いワンピース、木製のサンダルは無地だった。
とても目立つ。服が真新しいからか、彼の視線が向かう。他を見ちゃ行けないと思わせるほど。
彼に反するかのように、周囲はまるでそんな少女が居ないと思っているのか見向きもしない。
フィリップは、この一瞬で全てが奇妙な空間になった気がした。
(さっき、心を読んだのか。僕は口に出してないはずだ)
「君は誰だ?」
「覚えてないの? なんだか冷めちゃった感じね。あの時はとても親しく楽しいお友達だったのに」
「おもちゃ……だって?」
「気にしないで。なんだか今のあなた、ちっとも楽しくない」
「……何のようだ?」
「あの玩具について忘れて欲しいのよね」
「おともだち……、ルエラ……いや、アリスのことか!? やはりあの子は何か魔法を、いや魔術か」
「くだらないわね。どっちでも良いし、そんな下等なものと一緒にしないでよ」
「……!?」
「楽しくないわぁ。がっかり、でもさっき力使っちゃったし、あなたを”消す”には無理かな……。
仕方ない。あなたの記憶だけ削らせてもらうわ。また、あの頃のあなたに戻るようなら会いましょう」
「一体何を言ってるっ?」
「この花は再開を祈っての餞別よ」
フィリップが手を見ればいつの間にか持っているアネモネの花。花言葉は可能性。
「待て」
「またね」
フィリップはふわりと存在自体を消して行くその少女を追おうと、宛てこそ無いが立とうとした。
そこで彼の記憶は消された。
ルエラとも、二人のアリスとも出会う前の時間まで。
次の回で最終回になると思います。
どうぞよろしくお願いします。




