呪術の渦
「私はてっきり、あの鎧が呪物だと思っていた」
ヴァレリーはふらふらとだが立ち上がり、この騒ぎのなか椅子に座り続けているハーマンに話しかける。
二人とも顔を向き合いもせず。視線は僕と鎧を来た虫の化物に向けられていた。
「ふん。それは面白くない発想だな」
「あの虫の怪物は、協力者といったが。まさか実験に協力した者とでもいうのか?」
「まさか……。わしが人体実験をして何になる」
「——元は人だったのか。それとも虫だったのか」
ハーマンは深く呼吸をして、目をつむる。
まるでどこまで喋っていいのか、頭の中で秤が動いているかのように。
「協力関係を結んだ当初はまだ人の形をしておったわ。
——しかし、どうやら呪術では抑えきれんどころか、悪化してしまったわ」
彼は残念そうに言った。
「呪術で何が抑えられるというのかね。むしろああまで溜まってしまった呪術は教会のトップクラスの神官でも解呪は難しいだろう。……しかしなんと言う——。」
「奴が望んだとはいえ、見るに耐えんのは確かだな」
「望んだ……?」
ヴァレリーとハーマンが話している先で、僕は息を整えようとしてもなかなか呼吸が荒くなったまま収まらないでいた。
目の前で、片足を切られた怪物が蠢いているのを見ているのだから無理はないと思う。
「コンナトコロデ、コンナヤツニ……!」
「言葉が話せるのか」
僕は剣先を向けながら怪物に話しかけた。
しかし怪物は答えない。
怪物は体勢を立て直そうと鎧を脱いでいく。
その間、斬り掛かる機会はない。いままでしまっていた手足が露になる。計五本。胴は首のように細く、背中には未完成の羽のようなものが小さく4枚。それを見ているクレアは気を失う手前のようだった。
手として使っていた腕も前足として扱い、失った1本の足を補い体を安定させている。
「奴ニ会ウマデハ——死ナン——!」
そう言ったかと思えば体が透明になっていく。
完全に消えられたら厄介だ。
攻撃を仕掛けられても逃げられても、いい結果を招かないだろう。
そう思った僕はとっさに剣を振り上げる。
虫の怪物はほとんど見えなくなる状態にまでなって出入り口の階段、僕のすぐ横を突っ切ろうとした。
僕は、勘も頼りに力一杯、そこを通っているであろう空間に剣を振り下ろした。
サクっ!
浅い!?
当たったのは確かだが動きを止めるまでにはいかなかったようで。不可視の怪物は歩く速さも変えず音を立てて階段をのぼりはじめた。
追おうとして、階段の一段目に足を乗せたそのとき。
「っ!?」
透明化していた怪物が目の前で可視化した。
眼前にはすぐ怪物の顔があった。
完全に不意をつかれた僕は動けないでいると、怪物の真ん中の両足が僕を掴んで持ち上げた。
「2度ト、俺ヲ追ウナ」
その瞬間、全身に感じたのは恐怖、いや不吉といった方が近いのか。
ハドリー将軍と相対したときとは違う、ドロドロとした危機感が襲った。
「フィリップ君。いけない、躱すんだ!」
ヴァレリーの声が後ろからしたが、僕は動けない。何を躱すのか、どう躱すのかわからないでいた。
すると……。
僕の胸から黒い矢印のような光が突き出ている。
うしろからか。
——死にたい。
矢印のような黒い光が収まると、虫の化物はその腕を離し、そのまま僕は——死にたい。
——あれ、なんだ?
「しっかりするんだフィリップ君」
「これって、呪術……? あんたの助手、どうしちゃったのよ?」
僕はほとんど明るさのない天井をみている。一度だけ体を仰け反ると、祭壇の方へさっきの黒い光が戻っていくのが見え——。 ——。
「行ったか、奴はこれからどうしようというのか」
死にたい————。
声が聞こえる。ハーマン。というか、さっきから頭から離れないこのフレーズはなんだというのか。
——にたい。 ——————死に———。 し——。
「この呪術はっ。あの化物、儀式が必要なはずなのに……一瞬でこれを発現させたのか。クレア君、フィリップ君を動かさないよう見張っていてくれ」
「ちょっとどこ行くのよ」
「祭壇にある発生源を使って解呪を唱える。障壁を使っても良い、動かさないでくれよ」
祭壇、そうだ。死にたいーーのだから。 あそこにある蝋燭を体に——火を。
死にたい。
「ヴァレリー、どうなってるんだ!?」
「フィリップ君か、キミは動かないでそこにいるだけでいい。座ったままで……。クレア君、障壁はないのか!?」
「ちょ、ちょっと待ってよ。 ああ、あった。きゃっ!?」
死にたい。死にたい———————————————。
「ヴァレリーどういうことだ。なあ、ヴァレリー聞こえているか。ずっと同じ言葉が頭の中で繰り返されてるんだ!? 見えているのに全く何が見えているのかわからないんだ」
「こっちへくるなフィリップ君。わかるか? そこで止まるんだ」
「こっちへ? わからない。わからないんだ。 ヴァレリーのもクレアのもハーマンの言葉も聞こえても頭に入らないんだ!」
「わしは何も言っとらん」
「障壁、開くわ!」
「よし、いいぞ。詠唱に入る、そのまま動きを止めててくれ!」
死にたい————死にたい。死にたい。そう。死にたい。いえば。死にたい。僕の手には。
短剣が。ある。————。
「んん! ……えぃ!!」
「うっ!?」
「ふっふ。面白い。鎧で殴るとは。娘よ、なかなか面白い」
「この短剣はちょっと返してもらうわね」
「さて、そろそろ障壁が切れるぞ。どうする娘よ。ギゴフの小倅はまだ半分以上詠唱が残っておるわ」
————。————。
————。————。————。
「ヴァレリー……。クレア……。どうして、どうして」
「ずずずず」
「もう障壁はないわ。どうしたら。いっそ足を凍らすしか」
「ふん。鬼か貴様。もっとよく考えんか愚か者。それでもアルワの弟子か」
「え? 師匠のことを知ってるの?」
「ほれ障壁が消えたぞ」
「ああ! ……動かない?」
————。————。はやく————。————。————。
「どうして僕は、拳銃なんか……」
「なんの話?」
「……これは、面白い」
「あいつらが来なければ撃ちはしなかったんだ。トラックにだって————。あいつらが成績に嫉妬したってだけで。くだらないじゃないか。何で僕が……拳銃を撃たなきゃ……」
————。————。
————。————……。
「ケンジュウ? 何の事よ? トラックってなによ?」
「撃つと言ったな。ケンジュウ、魔術か……何かの射出武器か……こやつ何を知っとる」
「ほう、フィリップ君。過去を思い出しているのか……」
「ギゴフの。今終わったのか、呪文の組みが荒いわ、もう3割は早くせい」
「ねえ。アンタの助手、さっきからケンジュウとか”とらっく”とかわからない言葉ばかり言うんだけどなんなのよ」
「……さあ。私もわからん」
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ーーーー。ーーーー。ーーーー。ーーーー。ーーーー。————。
「わからんって。それでいいの?」
「いいさ」
「ヴァレリー。僕は、僕は、あいつらと、あの子と一緒に死ぬべきだったんだ……生きてたって——!」
「いいさ」
————。————。————。————。————。
————。————。
「死にたいんだ。死ななきゃいけないんだ!」
「許さない。キミは今、僕の助手だろう?」
————。————。————。————。————。
「助手、助手……ジョシュ? 僕は学生だ。ラグビーだって、強くない。あいつら。あいつら——」
「——いいや、キミは助手だよ。フィリップ君。キミが何かだったのは私に関係ない事だ。
キミがどんな辛い思いを隠し持っていたのかも私には関係のない事だ。
キミがどこにいてどんな生活をしていたのか、それも私にはなんら関係のない事だ」
————。————。————!
「なら、なら、死にたいんだ。 ほっといてくれないか。僕は死にたかったんだ」
「私には関係ない。そして、今のキミにだってそんな想いはもう、関係ないことだ」
だって————。僕は————……。
「……ああああ」
「ほっといてくれだって? 放っておく事もしないよ。
フィリップ君、いつだかの宿屋の時にだって言ったはずだ。
死に急ぐんじゃないよ。馬鹿者め」
そうだった。この人はいつだって直球な人だった。
「杖の光が、収まったの?」
「解呪がようやく終わったか」
解呪? ヴァレリーの解呪か。
なんだか頭がぼやっとする。
「ヴァレリー、今僕は——」
「ゆっくりまわりを見るんだ。心の中で、ひとつひとつを認識していくんだ」
天井と壁。僕は横になってるのか。
誰が僕の頭を持って支えてくれてるんだろう。
足の横にはクレアがいる。なんだ、半泣きか?
僕の胸には杖があてがわれている。
遠くで老人が……ハーマンが座っている。そうだここは地下水路だ。
ここで戦っていた。たしか、そうだ!
「虫の化物は!」
「逃げてしまったよ。もう追うのは難しいだろう」
逃した。僕が何かの攻撃を受けてしまったが為に。
胸部を手で撫でても傷口はない。黒い光、物理的なダメージはないようだ。
「あの怪物を世に放ったのは確かに危ういことだ。
しかし、戦力からして今の私達には対処は難しいだろうね」
「放っておいて大丈夫なの? 街に被害がでるんじゃ……」
ティーカップが受け皿に置かれる音がした。
ハーマンが深い息を落す。
「奴は、そう馬鹿でもなければ。実のところそこまで残忍な性格ではない。——今のところな。
下手に人前に出る事はしないだろ。奴の目的は人探しだ」
「人、誰だ。何の目的があって」
ハーマンは吹っ切れたようだった。隠さずに話す。
「仇返し、といったところかの。しかし名前がアリスという名前でしかわからん」
「アリス……そんな、いっぱいいるわよアリスなんて。どういう女なの?」
「知らん。
奴が最初に虫化の術の様なものを掛けられ、わしのところに来た。
はじめは抑制のために呪術を使ったが、悪化するが止める事はなかった。
悪化と同時にその身体能力の以上な強化に気付き、呪術によって呪怨を蓄え始めた。
復讐心が理性より勝ってしまったんだろ。
ひとたび呪術の習得すればあとは早かった。
人の体ではなくなり、虫となった。昆虫の体というよりは呪怨で出来た体と言う方が合っているのかもしれんがの」
僕はヴァレリーに礼を言い、立った。
ハーマンの話からまだ穴がいくつかあるし。その虫男のことも気になるが。
それよりも僕とヴァレリー、クレアが気になるのは。
「ハーマン。さて、貴方はどうする。あの怪物と同じように戦ってみせるか」
ヴァレリーとクレアは身構えるが。
「もうすべき事はした。し過ぎたと言っていい。今更だれにどうすることもないわ」
「では、一緒に城まで来てもらえますね」
「かまわん」
僕を始め、左右に立つ二人も胸を撫で下ろしたような気分だったろう。
ハーマンは、おそらく何枚も上手だというのがわかる。
いる位置も、魔力発生源と彼は近い。魔術の撃ち合いともなれば、いくらヴァレリーでも負けてしまうだろうし、クレアの付与魔術もだいぶ底が見えてしまっているようだ。
もし戦っていたら、負けていたことだろう。
「お疲れさまでした。ヴァレリー殿。その人が犯人なのですね」
出入り口の扉の音はしなかった。僕の意識が呪術で飛んでいたから、いつから開いていたのかわからないが。声を聞くまで存在感がまるでなかった。
「セト殿か。よく来てくれた。水路のゾンビの方は終わったのか」
「ええ、全部、それで、犯人は……?」
「二人だった。1人は怪物化していて、逃してしまった。早急に王国全体に対策をするべきでしょう。
このハーマンが、今回の不死事件の犯人であり、その化物の男は同行し協力していたらしい
ただ、ハーマンの犯行の理由は——」
「——お手柄です。ヴァレリー殿、さっそく私が城へ連れて行きます。あなた方は後日、北の城塞から報酬を受け取って下さい」
「……ええ。感謝する」
何だかうっすらと笑みを浮かべているセト。妙な違和感があった。




