祭壇
汚水から腐った人の腕が伸びる。
眼球の無いもはや頭部と呼んで良いのかわからないものが汚水を滴らせる。
「んがー! 臭いわー!」
鼻をつまみながらクレアが文句を言う。
ヴァレリーが先行し、僕と付与師クレアが地下水路の廊下を走っている。
ヴァレリーに持たされた長い革袋を背負っている僕とクレアは同じ速度だ。
横の下水からは何体もの不死の魔物がうごめき、僕達が走る通路へ上がろうともがいていた。
「この量は何なんだ。セト殿にほとんどの数を押し付けてもまだ……どうしてこんな量の不死が……」
走りながらヴァレリーはひとり疑問をつぶやく。
「その先を左、あとはまっすぐよ」
「一度止まってくれ……フィリップ君。革袋にキミへのプレゼントがある」
「こんな時にか?」
「こんな時こそさ」
僕は革袋の口紐を解いて広げると。雑多な中身から1つ、魔術道具ではない物が入っている。
それと一緒に、20本の棒が筒に入っている。
「これは……」
「そう。一昨日に買って渡すのを忘れてたんだが」
「やっぱり忘れてたんじゃないの」
……ともかく。
取り出すとその道具が折り畳んであるのがわかった。丈夫に加工してある木製のそれはまっすぐ伸ばすと弧を描き、一本の糸がピンと張る。
「折りたたみ式の弓さ。こういう武器は初めて買ったのだけど、以外と高級品なんだね」
小型だが、それでも戦闘用として申し分無いものだ。
筒に入った20本の棒は矢であり、羽の色で2種類に別れているようにみえる。
「その矢はちょっとばかし手を加えてある。
赤いラインの入った矢羽は、対不死用に使いなさい。
真っ白な矢羽は、そうだな。正面、突き当たる壁に放ってごらん
あと、くれぐれも鏃には触ってくれるなよ」
つまり、鏃には僕が触れてはならないものが使われている。
両手には革製の手袋をしているので、仮に触れたとしてもヴァレリーが危惧する自体は起こらないとも思うが、それでも言われた通り、注意を払うに越したことは無いのだろう。
僕はつがえる。
狩猟用と違って軽く、飛距離そして威力も落ちる。そのために目標物より上を目掛けなければならない。
しなる弓の加減を感じ、飛距離を予測する。
——もうすこし上だろうか。
鏃付きの矢は初めてなのでどうにも狙いに確信を得難かったが、試すしか無い。
僕は矢を放った。
矢が放物線を描いて闇に消えたと思われたそのとき、矢の当たった壁が光りだした。
暗闇だった行く先が照らされ、それまで気づかなかった暗闇を這うゾンビが影として映し出された。
映し出された水面や通路にたつゾンビがわずかに反応している。
「便利だろう?」
こうしてる間にも登ってきたゾンビがゆらゆらと迫ってくる。
クレアは苛ついた顔で、巻物を広げる。巻物に書かれている魔方陣が光りだした。
炎が勢い良く魔方陣から吹き出し、ゾンビ二体が火に飲まれて崩れた。
「うへー、湿っても臭いー。焼いても臭いー!」
「クレア君。私と対峙したとき、同じくらい悪臭を放った戦法を取ったの忘れたのかい?」
「うるさいわねー。良いから早くしなさいよ!
てか、戦闘準備くらい地下入る前になさいよー!」
僕は矢筒を背中で留めて。
体積が少なくなった革袋を半分に畳んでから口紐で袋を巻く。
「ふむ、その袋は置いて行っていいだろう」
「わかった。なら準備はできたぞ、待たせた」
クレアはランタンを揺らし燃料の残りが少ないとみるや、僕が持っていた革袋と一緒の通路端に置いた。
そしてランタンの代わりにカバンから蛍光玉を取り出して光らせた。
「うむ。では行こうか」
僕達は足早に歩を進めた。
角を曲がり、まっすぐ歩く。
「フィリップ君。右、下水側の壁に照明を頼む」
僕が矢を放つと矢の当たった壁から青白い光が、行く先に待ち構えていたゾンビを3体照らす。
「次にゾンビ。2番目の頭を狙ってくれ。赤の羽だ」
続けて、赤いラインの矢羽をとる。
矢羽の色もそうだが、羽の種類でも分けられていたので手触りでわかった。
狩猟弓よりもやや狙いを上に定めて放つ。
ヒュィ……ットツ! カッ!!
通路の上を飛ぶ矢は、ならぶ3体のうち真ん中にいたゾンビの頭に命中。
当たった矢の鏃から強い光を発して周囲のゾンビを一瞬で溶かした。
「ふふん。あの鏃も特別でね。僕の持っていた鉱石があるだろ? あれと同じものを先ず粉末に——」
「——いいから先に行きましょうよ!」
ヴァレリーは心底残念そうに歩き始めた。
……後で改めて聞こう。
この直線通路は大変だった。
汚水から登ってくるゾンビに加えて、アーチ状の天井からゴーストも現れてくる。
行く先のゾンビは僕が射落とし。登ってくるゾンビや射残してしまった通路の相手はヴァレリーが呪文で下水へと落とした。
後方の敵はもっぱらクレアが担当していた。
カバンにはいくつもの巻物が用意されていて、火炎、雷撃や障壁と。様々な効果の魔方陣で対処していた。
そのつどそのつど声がうるさかったのはともかく。優秀な付与師であるというのは噂に違わないのだろう。
「…………rrm ral zrm。っそい!」
ヴァレリーはというと、対不死である解呪の詠唱と発現を繰り返した。
彼の発現する解呪は対象を消滅させるまでの威力を持ち合わせていない。
しかし、うごめくゾンビがおとなしくなるので殆ど無力化できているといえた。
魔力の温存かと思われたが、なによりこの時代の呪文の効果は極端に弱いのだ。
それを考えれば温存どころか出し惜しみもしていないのだろう。
それでも何度と詠唱して発現するヴァレリーのキャパシティは、ひょっとしたら僕の想像を遥かに上回っているのかもしれない。
「もうすぐ突き当たりね。左に小さな階段があるはずよ」
2−11地点はすぐ先にあるようだ。
「この近くにアンデッドは居ないようだね」
「地図通りであれば、この階段の下は倉庫になっているようね」
「うむ。それに、ここに来てやっと解るな。魔力発生源もこの先にある。
地下や上空にある魔力発生源のほとんどは使用されず、それ故に容量もパワーも地上の発生源よりあるのだけれど、この先にある発生源は地上のそれよりだいぶ弱い」
「散々に使われているようね。羨ましいったらないわ」
「クレア君の部屋の近くにもあるだろう。好き勝手使ってるんじゃないのかい?」
「心外ね。地上の発生源は他の術者や教会の人も使う公共物よ。独り占めなんてする訳無いじゃない。弁えてるわよ」
「ほう、殊勝なものだ。——本当ならな」
「なによそれ!」
「ははっ。言葉の通り、思ったことを言ったまでだよお嬢さん!」
「あんた、そんな子供みたいなっ——!」
「そこまでにしないか。ヴァレリー。クレア」
話がそれる上に、こじれる。
不死の襲撃が収まった途端にこれだ。
例の喧嘩を煽る付与だかなんだか、そんなのが無くてもこの二人は今のように自然に喧嘩を始めることだろう。
その時だった。
「おい、うるさいぞ! 入るのであれば早よ入ってこんか!」
扉の向こう、しかも響きから距離のある場所から声が聞こえた。
老人の声と思わしき声だった。
おそらくはこの事件の犯人である。
——というか、犯人に怒られたのか僕達は……。
「そうだ、フィリップ君。1つ注意しておくことがある。
キミに渡した2種類の矢のうちの1つ、照明効果のある方だ。
もし弓を使うことがあっても、そっちの矢を魔力発生源に向けて放ってはいけないよ?」
対不死用である赤い矢羽の方ではなく。照明用の方がダメなんだな。
僕は頷いた。ヴァレリーの言うことだ、根拠は必ずある。
見ると。クレアはその横で驚いていた。
「マジ? ってことはまさか、さっきからいくつも壁に打ち付けてた鏃って……」
「ああ、分解と発光の呪文を閉じ込めたアクアマリンさ」
「……マジで!?」
「何を驚く。これは遊びじゃないんだよ? 命のやり取りをしているんだよ。この魔力減衰期に術者が出し惜しみをしてまともに戦えると思っているのかね、これだから付与師はっ」
「でもお金掛け過ぎじゃない!?」
「命が掛かってるんだよ」
「汚いレザーベスト着てる割に、裕福なオッサンなのね……」
「なっ!? 私の一張羅を! それにさっきオッサン言うなと、まだ言うかね!」
「うるさいと言っておろうが!」
また怒られた。
大事件の犯人かもしれないが、これには同意するなあ……。
「では入るとするよ。……準備は良いね?」
「もちろんよ」
「ああ」
何事も無かったかのようなヴァレリーとクレア。
——格好がつかない。
扉を開け、階段を降りて行くと、奥行きの長い部屋に出た。
倉庫と言っていたが、あるのは本棚や丸いテーブルに椅子。石の床には絨毯が敷いてある。
机に道具箱、アンティークなフルプレートアーマーまで飾ってある。
そして、最奥には大きな魔方陣の描かれた床に棺のような台、おそらくがあれが祭壇。
その祭壇と思われる場所の周囲にはいくつものロウソクが灯っている。
「ふん。ウダウダとワシの部屋の前で話しおって……」
丸テーブルの奥と手前に置いてある対の椅子。そのうちの奥の椅子に老人が腰をかけている。
老人は、沢山の白髭を蓄え、金の刺繍が沢山入ったローブをまとって、フードも被っている。
彼が声の主、そして十中八九はこの事件の犯人、つまり呪術師だ。
老人はティーカップを口に傾けつつ、僕達への不満を漏らしていた。
「なんじゃ、今度は教会の連中じゃあないのか。まったくホネの無い奴らじゃ」
「ふふん。彼らにリベンジをするなどとまともな気骨は持ち合わせてはおらんでしょうな」
ヴァレリーは、杖を構えながら話をする。
ヴァレリーに続き、じりじりと階段から部屋へとゆっくりと歩く僕とクレア。
「ほぅおもしろい。第一声から大言抜かしおるわ。名乗ってみい?」
「アベルタの将軍、また王室の依頼を受け、王都に仇なす悪しき呪術使いを捕らえるために参じた。
退魔師のヴァレリー・ギゴフだ」
ふん。と鼻で笑う老人。
仮にこちらが名乗っても、向こうが名乗ると思えなかった。
しかし、僕の予想は外れる。
老人は音を立ててカップをすする。
「ずずず……。
ギゴフ? それにその面ぁ。セレンティアの魔術一家か。
ふん。些か面白みに欠けるわ。
…………まぁよかろう。
わしは、ハーマン。
ぬしの言う、”悪しき呪術使い”とは……ふん。わしのことよ」
老人はそう名乗ったあと、「面白くもない」とぼそっとつぶやきカップを口に傾けた。




