外伝1 不穏の種(セト編)
深夜、王都アベルタにて。
この世界でもトップと称して差し支えない巨大な都市アベルタ。
商業や工業の発展もさることながら、なによりその膨大な人口を維持する為の施設も自慢である。
なかでも用水路だ。
アベルタの地下には編み目のように細かく、そして広大な地下水路が設けられている。
下水処理の発展が都市の発展に陰ながらも大きく影響しているのである。
して、この用水路で今夜は死闘が繰り広げられていた。
人間は3人。
対するは、人の形をしながら人ならざるものアンデッド。その数は百を越える。
ここ数ヶ月前から被害報告として軍部そして王室に知られていた案件。
呪術とよばれる魔術の一種。その呪術を悪用している犯人がこの地下水路にいると言う。
王室が雇った専門家により、上手く行けば今日には解決するであろうと思われたが。
まさか、地下にここまでの不死を用意しているとは誰が予想しただろうか。
「セトさーん。こいつらってあと何体いるんですー?」
コートにローブにマフラー、そして覆面。
下水の汚れに備えたその服装は一見して奇妙だった。
手にはロングソード。顔は両目のみ覗いている。
声を掛けた男の名はアレックス。齢18。
フリーランスの剣士。ギルドを通して仕事をこなす、広義に冒険者とも呼ばれている。
「そうですね……。あの退魔師のヴァレリー殿が言うに、あと90体倒せば収まるかと」
質問に答えた小柄の男。見た目こそ3人同じだが、明らかにひとり、この男だけ背丈が小さい。
そして声も若い。セトは少年だった。
セト。生まれが遥か南国で肌は黒い。女と間違われるほどに容姿は端麗。
南国に寄ったアベルタの将軍にその才を見いだされ、御付きとして働くうちに様々な技能を身につける。
齢13と、若くして類稀なる才能を開花させた。
「ちっ、多過ぎんだろ」
もうひとり、悪態を着いた男の名はフレッド。齢16。
バーランド王国からの応援で来た新米騎士である。
バーランド王国はアベルタ王国の隣国にして同盟国。しかし、実状は傀儡国家として扱われている。
元々彼はバーランドでもアベルタの出身でもなく、アベルタとつい最近戦争をしていたナシュアラという国の生まれであり、また数日前までナシュアラ側でアベルタとの戦争に参加していた経歴をもっている。
戦争中にバーランドの騎士団長によって捕縛、捕虜として馬車で運ばれている間に脱出を図ろうとするも翌日に再度捕縛される。その罪から首を切られそうになったところをバーランドの騎士団長が保護した。
その後、バーランドの騎士として教育を受けることになり、バーランドやアベルタ軍部に寄せられる危険な案件に優先的に派遣される立場にあった。
そして今日が派遣初日である。
3人の剣士がそれぞれ、下水から足場の通路へと登ってくるゾンビを相手に奮闘していた。
「フレッドさん足下です!」
セトの声に反応。フレッドは見るより先に持っているロングソードを振り上げた。
見てみると、自分の足を掴もうと、下水からゾンビが手を伸ばしていたではないか。
フレッドはそのまま剣を振り下ろし、自身の足へ伸びていたゾンビの腕めがけて一閃した。
汚水まみれの腐った腕は飛び、通路に転がる。
「サンキュー、セト!」
いえ。と優雅に返すセトは、自身と相対する不死に切り込んでいった。
その余裕ぶりをみてなんだか笑えてしまったフレッドだが、覆面でそれは見えない。
見えないといえば、もうひとりは大丈夫なのだろうか。
「おーい! アレックス! そっちは大丈夫なんかよ!?」
フレッド側の動きはそれなりに激しいが、なんだかアレックス側は静かのように思えたのだ。
間もなく。
「こっちは大丈夫ですよー! なんなら手伝い行きましょうかー?」
余裕そうだ。そうフレッドは判断した。
あまりに静かだったのでやられたのかと思ったフレッドだったが。
要らぬ心配と知った。
ゾンビが身を乗り出して上がってこようとしてくるところを一閃。頭部を飛ばす。
通路の先、灯りの届かないところから歩いてくる二体を切り刻む。
右腕。左腕。頭の後に左脚。
斬り落とす順番は武器となる腕と頭部、そして戦闘不能の状態にしたあと脚を断って下水へ落とす。
フレッドもセトもこの方法がベストだと戦闘中に理解していた。
しかし、妙だとフレッドは思った。
フレッドとセトとの間のゾンビは少ない。二人で対処しているからだ。
しかし、セトとアレックスの間は、フレッドの位置からではアレックスが見えないほどゾンビが登って来ている。通路にいるゾンビは全てセトに向かっているではないか。
「おい。セト、大丈夫かよ?」
苦戦こそしていないが、セトは大量のゾンビを相手取っている。
13歳の少年が自分より魔物を多く相手にしている光景を見て、フレッドは黙っていられなかった。
「ふふ。ご心配なさらず。セトめはまだまだ平気にございます」
セト目掛けて伸びてくるゾンビの両腕を、彼は器用に回り込んで斬り飛ばした。
そのあと、セトは体をくるりと回転させ、その勢いで持っている長剣を横に一閃。
2体もの不死の体が両断された。
崩れ落ちる不死の胴体はグチャリと汚い音をたてて通路に落ちたが、セトに汚れは着いていない。
とても自分より3つも年下と思えない。いや、思いたくはないとフレッドは内心思ってしまった。
(なんだ、なんだあれは、剣圧を補う技術とでもいうのか? あの体格が出せる斬撃の限界を、回転やわずかに飛ぶような動きで補ってやがる。天才か)
「……しかし、そうですね。この量、出し惜しみもしていられない様子です」
セトは厚着している自分の服の中から一本の帯を取り出した。
服の中から取り出したというのに、その帯は既に汚れている。
「なんだそれ?」
フレッドは不死を相手にしつつ訊いた。
不死の攻撃を去なし、相手の横へ回り込んで切り伏せる。
「魔術道具<マジックアイテム>のバンブルビーと呼ばれています。先ほど会った専門家の3人のうちひとり、女性がいらっしゃいましたね。
あの方の所有物でしたが。要らないご様子でしたのでこのセトめが拝借仕りました」
「魔術道具なんて、扱えるのかよ」
ふふ。とセトが笑う。
「もともと、このバンブルビーという自在帯は。セトめの故郷に伝わる儀式用神具ですので。
扱いには多少なりと心得がございますよ」
ふーん。とフレッドは淡白な反応をした。
当然フレッドにとっては、その帯がどういう道具なのか知るはずも無い。
儀式用の神具と言われたところで、この戦闘にどう役に立つのか、想像もできないのもまた自然だ。
セトは、自在帯を腕の丈ほど伸ばした後、その帯を操り始めた。
蛇のように動く帯は、左腕に巻き付いて手の甲に帯の端がぴたりとくっついて収まった。
「これならば、何体寄って来ようとも、遅れを取ることはございません」
セトは機嫌のいい声で言った。
ぐたりぐたりと寄ってくるゾンビの群れに、セトは攻撃を再開した。
両手持ちの長剣は一撃のもと腕2本を斬り落とし、その振った力を利用して体を回転、もう一撃。
胴体を斬り落とす。
別の不死の攻撃が迎撃態勢でないセトを襲うが。セトは自在帯が巻かれた腕をゾンビのほうへ身を守るような形に構えた。
パン!
フレッドには、そんなはたく音が聞こえた。
次の瞬間には体勢を崩した不死が後ろへ、他のゾンビも巻き込んで倒れていった。
間髪入れず、立っているゾンビに高速の帯がゾンビの頭を小突く。
ただ立っている時でさえ不安定なゾンビがさらにふらつく。
さらにそのゾンビに袈裟斬り。どちゃりと崩れる。
「すげえ……」
フレッドは見蕩れていた。
魔法だ道具だと言われても日用品レベルのものしか触れる機会がなかった彼にとって、セトの操るバンブルビーは目新しく、そして格好よく見えた。
「はっ!」
フレッドの不覚だった。
見蕩れているあまり、自分の目の前にゾンビが来ていることに気付かないとは。
剣で、ギリギリのところ両腕を抑え、膝で思い切り蹴って距離を離そうとするが。
————離れない。
ゾンビの頭が一度引く、噛もうとしている。
避けられない。
まさかこんなミスで怪我を追うことになろうとは、彼はそう刹那に後悔をした。
ドスッ。 シュッ……。
鈍い音を立てて、フレッドに張り付いていた不死が彼の横に倒れた。
そのあと風が通ったように感じたフレッドだったが。
通って行ったのは風ではない。
セトがこちら目掛けて左腕を伸ばしていたのを見てフレッドは気付いた。
自在帯によって助けられたのだ。
「よそ見していては危険です。ふふ、そんなに珍しい戦い方でしたか?」
「あ、……あはは! まぁな」
姿勢を直して、息を整えたフレッドは、周囲の敵の掃討を続けた。
どれくらい経ったろうか。
不死はほとんど駆逐され、あたりは静かになった。
「終わり。でしょうか」
「もう居ねーかな……セト後ろ!」
セトは振り向いて左腕を構えるが、様子が変だと気付いて止まる。
たしかに不死がそこにあったが。
頭部が無く、その身は浮いていた。
そして胴体からは刀身が生えていた。
「うごごー、ゾンビだぞー」
「……アレックス殿。そちらも片付いたのでしょうか」
「あれー。バレちゃいました?」
浮いていたゾンビだったものは下水の中へ放り込まれた。
さっきまで浮いていた場所をみれば、アレックスが笑って立っている。
「いやー、大変でしたねー」
(こいつ……)
フレッドはアレックスを気に入らなかった。
アレックスの居るさらに奥を見れば、ゾンビの肉片が散らかっていて戦った後だということがわかる。
しかし、どうしてあんなに静かで、大量にセトの方に向かって行ったのか。
アレックスのローブには汚れも付着していない。
余程腕が立つのだろうか。
フレッドは疑問だった。
「セトさーん。大丈夫でした? 怪我はー?」
「ご心配には及びません。怪我はひとつたりとも負っておりませんよ」
セトは笑顔で返した。
「そっかー」
「おい、お前。今まで何してたんだ?」
アレックスにフレッドは問うた。
彼は覆面を外して、笑顔で返答する。
「何してたってあんまりですよ。一緒に戦ってたじゃないですかー」
「……ちっ」
フレッドは違和感を拭えぬままだったが、これ以上は尋ねようとしなかった。
「では、あとは専門家の方々に御任せして。私達は撤収しましょう」
「おう」
「はーい。 ————あ、そうだセトさーん。報酬くださいよー」
「おい手前ぇ!」
怒鳴るフレッドを、まあまあと制止するセト。
「いつもの契約方法と同じですよアレックス殿。
後日、ギルドの方からお支払い致しますので——」
「——ええー、今欲しいな」
フレッドは耐えていた。
「ははは、困りましたね。では、そうですね。即金をお望みですか。
あまり望ましくはないのですが、今出せる分であればこのセトめの懐から——」
「わーい」
構っていられるか。と、フレッドは怒り心頭に外への階段を上ろうとした、が。
——異常に気づいた。
「何を…………アレックスど、の?」
「ふところー。もーらい」
振り返るとそこには、アレックスの持つ剣がセトの腹を深々と刺していた。
(こいつは。なにをやってるんだ……?)
アレックスは、足蹴にしてセトを剣から離した。
ゆっくりと剣の刀身を自身の顔へ持って行き、着いている血を舐めた。
セトは通路にゾンビの肉片に混じって倒れた。
「がはっ……!」
「セトぉ!!」
「あははははははゴボッ。ボゴゴゴゴ——————」
アレックス、と呼んでいた人間でないそれは、姿を換えた。
生皮をはいだような肉が軟体生物のようにぐねぐねとうごめいている。
「ひっ」
倒れているセトに近寄ろうとしたフレッドはその薄気味悪い物体に恐れおののいた。
「っくそ!」
フレッドは勇気を振り絞り、剣を構え、力いっぱいその軟体へ振り下ろすが。
軟体から腕が伸びて刀身を掴まれた。
(切れないだと……!?)
「まあまあ、このセトめに免じて」
軟体から腕、それに繋がった顔が現れる、そんな戯れ言を言い放った。
見た目は幼い少年で、肌の色は黒く。女に間違えそうなほどに容姿端麗。
まるでセトだった。
しかも声まで同じである。
「てめえは……?」
そうフレッドが口を開いたあと、この人ならざるものの動きは素早かった。
軟体から現れた剣、おそらくはセトを刺した剣だろう。
その剣を軟体から現れたセトににたモノが掴み、フレッドに切っ先を向けて。
腕のテイクバックなしで刺して来た。腕そのものが伸びたのである。
フレッドは避ける術がなかった。
フレッドの胸目掛けて突いてくる刀身をただ目が追うことしかできない。
死を覚悟した。
キン——! カランカラン……!
向けられた剣はフレッドに突き刺さる前に弾け飛んだ。
ついさっき、これと同じことを経験している。
それはセトが操るバンブルビーである。
「セト!」
通路にうつぶせで倒れていたセトは、その左腕を振るわせながらこちらに伸ばしていた。
続けざまにセトは、もう軟体部分がなくなり、すっかりセトと同一化した化物に自在帯を伸ばし捕縛を試みようとした。
しかし、化物に向かって目にも留まらぬ早さで飛んでいく自在帯を、奴は掴んだ。
「下水へ落ちてもらいますか」
帯を掴みながら化物は、にたにたと笑いながら倒れているセトへ歩いて行き。
片足を上げて、セトを蹴り落とそうとした。
その瞬間をフレッドは見逃さなかった。
「てめーが落ちてろバケモン!」
助走をつけての飛び蹴り、セトの形をした化物は下水へ落ちた。
そのしたには化物が居るであろう水面にはぼこぼこと水泡がとめどなく立っている。
「おい、セト、しっかりしろ。すぐに治癒者<クレリック>の所へ連れてってやる」
何か言おうとするも、咳き込んで言えないセト。
最悪なのは下水やゾンビの肉片が傷口にかかってしまっていることである。
この衛生環境下でこの傷は危険である。
フレッドは急いで担ぎ上げた。
かけて地下水路の出入り口を抜ける。
「い、いけない。はやく、将軍に…………王女様を……」
「なんだ? 今なんて? くそ。治癒者の家はどこだよ! くそう。どこなんだよ!」
深夜にフレッドは歩き慣れぬ街をかけて回った。
翌日の朝、王城の寝室にて、第二王女のアグニスは殺されていた。
死因は胸に刃物でひとさし。
その愛娘であるソフィアもその晩ついていたはずの侍女と行方知れず。
目撃証言からは暗殺したと思わしきは黒人の少年セト。
王室や将軍に仕え、その忠心と才能から信頼も厚く評判も良かった人物だったが。
目撃者の多いことで容疑は間逃れず。行方不明のセトは国家反逆罪・誘拐犯とし、多額の懸賞金が掛けられた。




