術を合間に
「そうか、気になってたかい。しかしそれは前もって話しただろう? あのセトという少年は特別だ。おそらく私達が4日目にして地下水路に入ろうと考える事まで予測していた事だろうさ。初日に見取り図、昨日には鍵を持ってきていた。全くもって抜け目のない少年さ。まあ、今回の依頼はアベルタ国のトップから渡ってきたものだからね。ハドリー将軍もその御付きのセトも強引に分ければ味方さ。そういった意味でもこの国で一番やりやすい環境でもあるのだよ。——ふむ? ああ、ハドリー将軍が何故ギルドのテーブルでキミに敵意を向けなかったのかというと。単純な話、敵ではないからだよ。ああ、実力で? なはは、それも否めないがこの場合は違う。殺意や敵意も感じるか否かもあるのだろう、それ以上に性分の問題だろうね。あのハドリー将軍は御眼鏡に適った有能な人材であれば誰でも引き抜くんだ。それが敵であれなんであれね。そうさね、あの将軍のような人物ともなれば、もはや私達の思いもよらない思考をしていて然るべきだろうよ。さて、フィリップ君。蛍光玉の入った袋を出してくれ、間違っても直に触っては駄目だ。袋の口を開いてこちらへよこすんだ」
僕は従って、魔術道具の入った袋からさらに小さな袋を取り出し、口を開いた状態でヴァレリーに差し伸べた。ヴァレリーは向けられた袋に手をつっこみ、蛍光玉を一つ手にとった。
蛍光玉は光りだして、暗がりのこの地下水路を照らし始めた。
依頼を受けて4日目の深夜のこと、僕たちは地下水路へやってきた。
目的は呪術を悪用していると予想される人物を捕まえること。
「ふふん。地下水路か、聞きしにも勝る大規模な施設だよ。見取り図は都市の半分、南北で分けて北の部分が描かれているようだが。見取り図がなければ簡単に迷ってしまうね。さ、進もうか。見る限りではこの地下水路もきっちりと整備が行き届いていて驚くほど綺麗だ。下水であるから悪臭や水辺のぬめりはどうしようも無いのだろうけれど、ここまで綺麗な場所だとは予想外だったよ。町の下にこんな大規模なものを作れるとなれば全世界でトップの国力を持っているという話は間違いないだろう。……うん、この近くに魔力発生源を感じる事が出来るな、これは見取り図にも載っている。壁の中か、この距離だとこの発生源を利用する事は難しいだろうね。時代錯誤の魔術師としてはとても勿体なく思うよ。……魔力発生源がもし水路の空間中、少なくとも取り出しの利く場所にあるとしたら、ここは確かに良い環境だな。恵まれた境遇や地位の事を”日の当たる場所”というが、魔術師とりわけ呪術師にとっては正にそんな場所なのだろう。……日は当たっとらんがね。なはは!」
笑えなかった。
僕達は歩き続ける。そしてヴァレリーは話し続けていた。掃除道具の仕舞ってある倉庫や日中に作業者が休むのであろう小部屋などが途中にあった。僕とヴァレリーはそういった部屋もくまなく調べた。
「そういえばフィリップ君。キミはこういう場所は平気なんだね。蛍光玉の光が届かない先は真っ暗で近くに見える下水とレンガで出来た床と壁のみ。ちょろちょろと水の垂れる音と、横で流れるせせらぎは悪臭つき。ホラーとしてはなかなか申し分ない状況なのだがね」
僕は表情も変えずただ「……別に?」と答えた。強がりでも何でも無い。
今まで森林で狩りをして育った。わずかな期間とはいえ戦場にも出たし、ホラーというのならばここ数日の間に幽霊とだって対峙した。
もはや幽霊が怖いと感じるはずもなく。ある程度の恐怖感は克服されているようだった。
ただ、仮にでもハドリー将軍が僕に敵意を向けて目の前で立たれたとしたら簡単に失神してしまうのだろうが。
「そうかい。つまらないねそれは。ホラー、怪談的恐怖というのはつまるところ謎が作り出す感覚だからね。不思議や不可解が不安や恐怖を生み出すものなのさ。そういった面では、もはや退魔師の仕事を多少なりとも経験しているフィリップ君にはわずかなりとも耐性が身に付いていたということなのかな。——不可解と言えば、キミが少女と話をしていた事を記憶していなかったり、幼い頃の記憶がまるまる飛んでいたり、体内に魔術発生源が存在していたり、魔術道具が超反応をしたりと、私にとってはフィリップ君の存在それ自体が中々どうして謎めいているように思えてならないが。それはもう怠いくらいに」
魔術道具の超反応? 蛍光玉が破裂するあれのことか。
でも、今はなんだか、どうでもいいな。
「まあ。こんな話はどうでもいいね。ここは行き止まりだ。何も無いようだしひとつ前の分岐点まで戻ろう。………………。こっちだ」
見取り図を見ながらしばらく歩いていたが、ヴァレリーは喋り疲れてきたのか口数が減っていった。
僕も何だか聞くのが億劫になってきていたのでそれはそれで助かったような気分だ、それに聞くのに疲れたのかもう引き返したい気持ちにもなっていった。
「……………………あれ、ここら辺に発生源が……? ふむ……はあ」
ため息。怠そうな顔をしている。
僕はそろそろ引き返しても良いのではと提案した。
これ以上疲れても面倒なので、承諾してもらいたい。
「何を言うかね。これは大事な仕事なのだよ? えっと、依頼は……はて? まあ、焦らなくてもいい訳だから、ふむ。ちょっと早いが引き上げようかね…………。」
この場所から最も近い地上への出口へと向かい歩を進めた。
それでも中々の距離を歩いた。
「そういえば、キミの身の上話を聞いていて思ったのだが。色話は無いのかね?」
「え、エロ話!?」
「”い”ろばなし、さ。まあ、近い内容ではあるが。異性との交遊関係は今まで無かったのかね」
沈黙の中、突然に突然な話題を振られて僕は驚いた。
疲れて帰ろうという今なのに、いざ帰り道になれば元気を取り戻す。なんだか子供みたいだ。
とはいえ、僕自身もなんだか気力を取り戻しているようで、とても人の事は言えないのだけれど。
ただ、話題も話題だった。
「ああー、いかにも慣れてない話題を振られた顔だね」
「そんなことは……」
「おや、おやおやおや。私の偏見だったようだな、てっきり色恋沙汰とは無縁だったのかとばかりに思っていたのだが」
実際に無縁だった。
そもそも異性と話した回数自体が少ない。
908部隊の頃に何度か。農村の市場で雑貨屋の娘と。もしヴァレリーの言う事が本当だとしたならば、広鍔の帽子をかぶった少女とも話していたという。それを含めても3人か……。
あれ、これってヤバい程少ないんじゃ。
「お、おいおいおいおい。そんな顔をしないでくれよフィリップ君。別に追いつめたくて振った話題じゃないんだよ」
僕は考えた。本当にそんなに異性と無縁だったのか?
そして、なんとか今までの異性との人数、いや会話した人数なんだけれど。その数値を稼ごうと頭を働かせた。
「フィリップ君。ものすごく悩んでいるけれど——そうか、私が悪かった——」
「——あ!」
「お?」と笑顔で僕を見るヴァレリーに僕は「まだいたぞ」という顔で。
「ほら、ギルドの酒場で、ウェイトレスに注文した! それで4人だ!」
「…………ぁぁ」
時が、止まった。
実際に時が止まるはずもなく、僕達の立つ横で流れていく下水の音は絶え間なく響いている。
ヴァレリーは残念そうな、申し訳なさそうな表情で、口を半開きにさせてこちらを向いたまま。
僕はというと、ヴァレリーのその顔で、「あ、こういう基準じゃないんだ。そういうレベルの話じゃないんだ」と察して、気まずいというか、もうたぶん、驚きのような、泣く寸前ような複雑な表情をしていたと思う。
二人はそんな表情で向き合いながら固まっていた。
蛍光玉が照らす顔は影がくっきりと分かれて映し出される。第三者がこんな場面を見たのなら、固まった二人の顔はまぎれも無くホラーに映った事だろう。
「死にたい……」
「気を落とすなよフィリップ君」
結構最初の場面から思っているのだが、今この時も切実に心をそんなフレーズが満たし、ついに口から漏れた僕だった。
僕達は再び歩き始めた。
「まあまあ、出会いはこれから沢山あるよ。私と一緒に国々を巡るんだ。出会いが無い筈が無いじゃないか。好みはどんな感じなんだね。私の知り合いを紹介したって良い。年上が好みかな、いいや、キミはずいぶん年下が好みなんだっけか」
「だから僕はそんな趣味は無い! ……どちらかと言うと年上だ。たぶん。いや、わからない」
ただでさえ記憶にも残ってない少女を引き合いに出されるのはさすがに不快だった。
異性との会話する回数すら少ないというのに、好みのタイプも何も浮かぶはずも無かった。
物の例えとしてもそれは無礼な話かもしれないが。魚を食べた事が無い人間が、どんな種類の魚が好きか尋ねられても、答えようが無いのだ。
真っ先に異性と言われて思い浮かぶのは、あの市場で僕に親切にしてくれた雑貨屋の娘だ。
だが、こんな話にその子を出すのは、とても背徳感があるというかなんと言うか……。
きっと僕だってあの人を恋愛の対象として見ちゃいないんだ。だって失礼じゃないか。
「……ほう」
僕の表情を見て、何かを察したような声を漏らすヴァレリー。
僕は今、どんな顔をしてたんだ?
「体格はどうだね。スレンダーの方がいいかね。グラマーな方が好みかね」
今度はトーンがさっきより低い。完全に僕の挙動ひとつひとつを探ろうとしてる口ぶりだ。
おそらく質問に答える僕の仕草から。僕が意識していない部分、また僕自身が把握してない部分まで知られることになる。
僕としてはもうこの話題はうんざりしていた。
「もういいだろうヴァレリー」
「なははは、悪かったよ。この話題はまた今度だ。——ん? 止まるんだフィリップ君」
穏やかな表情を一変、真剣な顔で僕を静止させた。
カツ、カツ、カツ。
向かう先、丁字路となる突き当たりから足音が響いて来ていた。
音は一人分、僕達は息をひそめた。
丁字路の右側通路から、灯りが広がっていく、こちらに近づいて来ている。
ヴァレリーは声をひそめ。
「人数は一人、運動が不得意か、少なくとも軍人ではないな。女性かな、タイトスカートか何かを穿いているようだね」
音だけでそう予想をしたヴァレリー。
しかしてその予想は見事に当たった。
丁字路の中心にその姿を現したのは、ひとりの女だった。
チューブトップドレスは胸元から股までぴっちりとしていて体の曲線をくっきり出していた。
長い髪は彼女の持つランタンに照らされて更に赤く見えるようだが、おそらくはバラ色。
首には長い帯を巻き付けて、薄地のレースを羽織っている。
ヴァレリーはある程度距離がある彼女を見るや否や、ふふんと笑う。
「私が思うに……」
僕を見る、真剣な眼差しで。
「キミはあのくらいにグラマーな女性が好みなのだと予想するよ」
まだ言ってるよこの人。たぶん、この声が響く場所ではばっちりあの女にも聞こえているだろう。
現に、現れた女は信じられないと言うような顔をしてこちらを見ている。そりゃそうだ。
「ぐ!? お、おいヴァレリー。さすがにそれは——」
「……ようやく見つけたわ! 呪術師の……変態野郎!」
僕がヴァレリーを窘めるのと同時に、彼女は僕達の方を指さして叫んだ。
ヴァレリーと僕は顔を見合わせる。
「ふむ、変態野郎だそうだ。参ったね」
「反省すべきだヴァレリー」