ギルドの椅子
太陽が燦々と照りつける。
僕は魔術道具の店から出てすぐ正面にある広場へと足を運んだ。
広間には売店が出ている。厚めのパンに野菜や肉を挟んだファストフードが売られていたのでそれを一つ買って、僕は噴水の縁に腰をかけた。
一口大きく頬張りながら、周囲を見渡す。
建物は背が高く、人も活気がある。店は繁盛していて豊かな印象が伝わる。
こんな国にナシュアラは勝てるのだろうか。
ナシュアラの首都を見たのは数年も前の話だが、それでも文明の差を感じる。
別世界なんだ。
今頃、戦線はどうなってるんだろう。
考えても仕方ない。僕は戦いに負け、挙げ句逃げてしまったのだから。
……僕はこのまま流されるように生きるのか。
そんなことを考えながらファストフードを食べ終える。
さっさと宿に戻ってヴァレリーが来るまで一眠りしていようと考えた。
僕は腰を上げた————。
————僕は腰を下ろした。
いや、下ろしていた。
「おいおい、フィリップ君。まさかここに居るとは、私は宿で待ち合わせと言ったが記憶違いをしたかな」
目の前にはヴァレリーが居た。
気づくと空が赤みを帯びてる、星もいくつか輝いている。
「……あれ?」
「どうしたんだいぼけっとして。もっともこちらも随分と時間を取ってしまってね、ああまで待たされるとは思ってもいなかったよ。アベルタの騎士登用試験の受付と重なっていたとは、いやはやついていなかったよ」
「……?」
僕は話を半分に、あたりを見る。
さっきまで昼だったはずだが。なぜあたりが暗く成り始めているのか。
またヴァレリーのイタズラなんじゃないか。
「そういえば、私が来るまで、誰かと話していたようだけれど?」
「誰が?」
「キミだよ。……大丈夫かね。それにその手に持っているのは、どこで摘んできたんだい?」
自分の手を見ると、さっきまでファストフードの包み紙だけを持っていたはずが、一緒に一輪の花もつかんでいた。
「アネモネ、だね。茎の切り口に気をつけたまえ、アネモネの持つ汁は皮膚炎を起こすよ」
僕はそれを聞いてとっさに持ち方を変えた。というか何故持ってたんだ。
「ヴァレリー聞いてくれ、さっきまで昼だったんだが、ここから立とうとした瞬間に時が一気に飛んだ。これはまた魔術かなにかなのか? としたらヴァレリー、キミがやったの————」
混乱しつつヴァレリーに説明を問おうとしたが、ヴァレリーは掌をこちらの顔の前で広げた。
僕は静止を促したのかと思って口を噤んだのだが、ヴァレリーの集中した顔はどうやらそうではなかった。
「魔力は、何も跡がない、ね。呪術だったら最初から私が感知している。少し考えれば、アネモネはこの季節に咲かない事くらいわかったな。……時間が飛んだ? 記憶をいじる何かをされたのかもしれないな。だとしたら、さっきまでキミと話していた少女がキミに何が起きたのか知ってると思うが」
「少女って誰の事なんだ?」
「そこすらも覚えていないのか、ふむ。これは厄介だな。遠目で見た限りでは、座る君の肩ほども身長がなかった。小柄だ。鍔広の帽子を深々とかぶった白いワンピースの少女だ。シンプルな見た目だったようにも思う。……まさか、キミになにかしたのも。いや、しかし何をしたんだろうね。キミ、少女にやましい事をして、それを言い逃れするために嘘をついてるって訳じゃないだろうね」
「違う。断じて」
ヴァレリーは手をどけて、僕の姿を上から下まで観察する。
「なにもないね、取られる物なんて持っていないよね? 怪我は?」
「怪我はない、健康そのものだ。物と言っても……ん?」
レギンスのポケットを調べると、紙切れが入っていた。魔術道具に関してのメモを書いた紙切れだ。ベストの裏に入れていたはずだったが……。
開いてみると裏には箇条書きに「・行動が遅い・短気・うるさい」と、3行にわけて書かれていて、その間の空白に丸が付けられている。……なんだこれは。いつ書いたんだ?
「…………これは私の事かね?」
僕は弁明とともに首を振った。短気やらうるさいならともかく、行動が遅いというのは思った事が無い。
どちらかというとヴァレリーは積極性のある人物だ。
「なんにせよ、これ以上はなにも拾えそうもないな。魔力だって少しも感知できないとなるといよいよ解らないな。なんだか怖い気もするが、何も取られてないし害も加えられていない。ここはとりあえず気にしないでおこうか」
僕は同意した。
噴水の縁から立つことが少し怖かったが、僕は何事もなくその場を立った。
「こんな時間だ。キミの言う事が本当で、その手に持っている包み紙から考えるに、おそらくは”さっき食べたばかり”のように思うだろうけれど。ギルドへ行き、まずは食事をとろうじゃないか」
僕とヴァレリーは町の中を歩いた。
宿屋、魔術道具、城塞や北門とは逆の方向、つまり王都の中心に向けて南下した。
その間にも話は聞いた。僕を川で拾ってきた時も軽くなる魔術スクロールを使っただとか。僕も一緒にこの国に一時的に滞在することの許可を貰ってきたとか。本当はやましい事をしてたんじゃないかとか。相変わらずヴァレリーは喋り続けた。
日が完全に落ちたころに、ひときわ賑やかな店に着いた。酒場だ。
「ヴァレリー、酒場じゃないか」
「安心してくれよフィリップ君。ここがギルドだ」
出入り口の扉は全開放で、周囲に中で酒盛りをする男達の声が外に漏れている。
中へ入っていくと、声から想像したとおり、男達が酒を飲みながら楽しそうに騒いでいる光景がそこにあった。
「あっちだ、端に二人分のテーブルがちょうど空いてるよ。あの席に座っていてくれ。先ず私はギルド員に話をしてやるべき事を終わらせよう。何か適当に注文しておいてくれ、多少は奮発するつもりだよ。そうだな、ここ二日食べていない肉をがっつりいきたいね」
言われた通りに僕は席に座って、ウェイトレスにいくつか適当に注文した。
ヴァレリーはというと、店の奥、大きな掲示板の横にある小さなカウンターに手をかけて、カウンターの向こうで腕組みをしている険しい顔をした老人と話している。
僕は渡されたグラスの水を飲んだ。
途端、今まで騒いでいた他の客達が静まり返った。耳打ちするかすかな声や感嘆の声が聞こえた。
何事かと思い、水をもう一口付けつつ、皆見ている出入り口に目を向ける。
「ブフゥッ!……けはっ、けっはっ……」
思わず口に含んだ水を吹いた。咳き込んだ。
視界の先、そこには見間違う事もできない圧倒的な存在感。
黒鉄の鎧に赤い装飾、どうやっても通常の人間では作れそうも無い鍛え抜かれた体。
ジュウニアの森で見たあの男、ハドリー将軍その人だった。
僕は目が泳いだ。どうすればいい。
言ってしまえば、仇であれ、敵国の将であれ、もう僕には彼に対する殺意はない。
敵わないから、という理由も情けない話だがあるにはある。
ただ、そもそもあれは自殺行為の理由付けで敵将を射るという発想に至った訳で。
僕が個人的に恨みを持っているわけではない。
確かに仲間を討った憎い敵軍だという感情は当然ある。が、個人への怒りではない。
だから、僕に殺気は無い。では逆に、彼は、ハドリー将軍はどうだろう。
僕はハドリー将軍に向けて矢を放った。その矢は白騎士の脅威的な剣技で落とされてしまったけれど。
あの時の僕の事をしっかり見ていて、覚えていたら……それはもう、潰されるのではないか。
僕がどう思っていたところで、弓を引いた事には変わりがないのだ、当然だ。
ああ、そうか、僕はここまでか。——見つかれば、だが。
見てみると、ヴァレリーが話しているところへ直行していくハドリー将軍。
ヴァレリーは振り向き、一度驚いた素振りをすると、そのままハドリー将軍を交えてカウンターの老人と話しだした。そして、ヴァレリーがこちらを指差すと、ヴァレリーを挟んで険しい顔の男二人がこちらを凝視する。……つらい。
ヴァレリーとハドリー将軍がそろってこちらへ来る。
正面を向いたときの将軍の威圧感はすさまじかった。
距離を縮めれば縮めるほど、あたりが歪むような、立っていられないような感覚になる。
今は座っているが、安定しているとわかっていても、転げ落ちそうになる。
ハドリーが来る途中、使ってない椅子をつかむ。
大きさが合っていない、おもちゃみたいだ。
その手に持った椅子を僕の座るテーブルの横に置き、ハドリー将軍は腰をかけた。
ミシミシと音を立てる。やはり大きさが釣り合わない、これは潰れる。
まず先にと、次はお前だと、見せしめとばかりに椅子を潰しに掛かっている!
つぶれ…………ない!
保っている。物理法則度外視か。尻に刺さってしまったのか。
否、答えは否だ。ギリギリの状態で木製の椅子がハドリー将軍を支えていた。
奇跡、それは奇跡という——。
「どうしてそんなに椅子を見てるんだいフィリップ君」
僕は正気に戻った。
あまりの緊張にいささか気が確かでなかったのかも知れない。
冷静になろう。
「将軍。この者が私の助手、フィリップ・ジョーンズです」
「そうか、よろしくたのむ」
どうやら僕をわかっていないようだ。
「……貴様はたしか森で私に矢を放った男だな?」
どうやら僕はおわってしまうようだ。