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Horse Nose North  作者: 久愚藁P
第一章 宿屋にて
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良く喋る男

 意識が戻ってすぐ、僕は大量の水を口から吐き出した。

 あたりは静かで、小鳥のさえずりと川のせせらぎが聞こえるばかりで僕の苦しそうな声がこの暖かい日和の雰囲気を壊していたのかも知れないが、そんな今の自身の状況をまだ飲み込めそうもない。


「やっぱり生きてたね。もし、青年よ。大丈夫かね?」


 視界は河原の小石に埋め尽くされている。見上げられるほどまだ体が機能しない。

 声がしている方を向く事もできないまま、生きたいという体の本能にしたがって水を吐き続けた。

 苦しい。顔から垂れるのが水なのか涙なのか区別がつかない。

 四つん這いになっている自分の体は川の水で濡れていて、とても冷えていた。

 片足が川に浸かっている。さっきまでこの川に全身が浸かっていたんだろう。

 すぐ横に誰が居るのだろうか。もしや僕を助けてくれたのか。


「のどは乾いていないか?」


 素なのか、冗談なのかわかりかねる。水は吐いて捨てたほど飲んだ。


「は……はむぅぃ……」


 寒いと一言いうつもりが、冷えきった口がまともに動かずみっともないセリフが飛び出す。


「ふうむ。敗残兵だね。装備からしてナシュアラ帝国の兵士ってところかな。ここはアベルタとバーランドの国境近くだからねえ。引き返すのは難しいよキミ。しかしまあ、デカい成りしてよくここまで流れてきたもんだ。おや——。 キミは魔術の心得があるのかな?」


 まじゅつ? 

 魔術といったのか。そんなの僕が使える訳が無い。

 しかし、良く喋る男だ。まともに動かない首をようやく上げて、その顔を拝もうとしたが全身の力が抜けてそのままうつぶせに倒れた。丸石が冷えた頬にあたるも、遠のく意識に痛みはさほど伝わってこなかった。


「あーああ。————によっては————。とりあえず僕のとった宿屋にまで————。魔術——ロールの代金は後で——させ———からね」


 結局僕は現状を何一つ理解する事もなく重い瞼を再び閉じた。



 目が覚めたのは何時間後のことだろう。

 真っ先に感じたのは匂い、ピート香を鼻いっぱいに感じた。

 ピート香、泥炭が燃えているにおい。

 ナシュアラ全土からアベルタの北部で泥炭は暖炉の燃料として使われている。思考が働かずとも、その地域で生活している人間は真っ先にこの香りで暖炉を連想する。僕も例外ではない。

 次に感触。僕がいままで使っていたベッドとは比べ物にならないほど柔らかい。

 また、それがベッドだと認識できるまで時間がかかった。

 なかなか開かなかった瞼を開く。


「……、っ」


 声が出せない。かすれているというか詰まっているというか、今後声が出せるのかという不安がじわりと冷や汗として出るが、それよりもここが何処なのかを知るのが先だ。

 上体をなんとか起こして、ゆっくりと見渡す。

 視界に入るのは。革袋がおいてある机が隅に、火の消えたランプと厚い本が置いてあるテーブルが中央に、カーテンが中途半端に閉められた窓、反対側には静かに燃えている暖炉。テーブルには棒状の物が立て掛けられている。

 宿屋……で、間違いないようだった。

 宿屋——記憶がうっすらとよみがえって来る。

 ——そうだ、あの男が運んでくれたのか。だとしたら何処に?

 考えようとしてもそれ以上は無理だった。

 頭がじんじんと痛み、思考を鈍らせる。

 意識はハッキリしてきたが、逆に倦怠感と熱いのか寒いのかわからない不快感が体中を支配しはじめた。

 僕はそのままばたりとベッドに倒れる。

 そういえば河原でも同じようなことをしたばかりだ。

 なんだかみっともない——。


 死にたいーー。死ぬべきだった——けど、死にたく————。


 喉が渇いている。部屋も乾燥していて拍車を掛けている。

 しかし僕は何より眠かった。

 再び眠ってしまおうと考え、枕に頭を乗せ、ゆっくりと瞼をとじようと——。


 バタン!

 うるさい……。


「くぅー。この季節はアベルタの北部も冷えこむね。まったくまったく

 朝になったら雪でも降ってるんじゃないか。

 いや、私は生憎に観天望気の術は学んでいないのだけれど。

 しかも夜だ、こっからじゃ真っ暗で何にも見えんなあー。なはは」

 

 扉の音とともにその音以上にうるさい声が耳に飛び込んで来る。

 どたどたと足音のあとにカーテンを勢いよく開ける音。

 重い瞼も開かずにはいられなかった。

 どうやら僕を助けたと思われる男が外から帰ってきたようだった。

 彼の出す音が僕の頭に響いて、頭が割れそうなほど強烈な痛みが走っている。

 確かに、死にそうな僕を助けてくれたのは十中八九彼なのだろうし、恩人にどうこういうべきではないのかもしれないが。

 それでも、もう少し気遣って静かに動いてもらいたかった。


「……ぁあ。もうす……し。——しずか」

「おや、起きてるね」


 見ると20代後半かはたまた30に達しているかくらいの齢に見える男が窓に居て、目が覚めている僕を見るや近寄ってくる。

 顔を左右に向けるような仕草で僕の顔をジロジロとなめるような顔で見て来る。

 近い。

 顔が近い。


「ふうむ。怠そうだね」


 といって、右手の人差し指を僕の眼前に持ってきたと思いきや、ぴとっと額に突くようにくっつけた。

 痛い。頭に響く。まるで容赦がない。


「ふむ、ぬくい。

 風邪を引いてるようだ。

 治癒者<クレリック>は今の時間じゃあ請け負ってくれないからなあ。

 僕は擦過傷やら切創なら多少なりとも治すことはできるが、病となるとお手上げだ。

 独りで生活する上で病は致命的だからね、健康管理はなによりも大事なのだよ

 病はかからないようにする、それが鉄則なのだよ」


 いや、聞いてない。本当によく喋る男だ。……ぬくいって。


「…………ふむ。喉は乾いていないか?」


 不覚にも僕は微笑んだ。

 内心笑ってしまった事を反省しつつ、心の底から感謝した。


「……おね、がっ……、する」


 僕は声をやっとの思いで発した僕に。


「よしきた。待ってなさい」


 目の前に立つ男は、ニマリと笑って快諾した。


「話せるね。まあ、成り行き上ね、仕方なくキミを助けてしまったわけだが。

 そんな僕にも責任があるとはいえ、いや、あるからこそキミの身の上を知らなくてはならない」


 男は机の上にある革袋からグラスと水袋を取り出しながらも僕に話し続ける。


「この一杯を飲んだら、先ずは寝なさい。

 そして明日、起きたらキミの全てを私に話してもらう。

 だいたいは予想もつくのだけれど、何事も形式は大事にすべきだ。

 ——私自身も不本意だけれどもね。なはは」


 男は僕に水を注いだグラスを手渡そうとする。

 しかし、僕は腕に力が入らない。男はそれに気づくとわざとらしい高い声でため息をつきながら僕の頭を持ち上げ、口にグラスを傾けてきた。

 少しずつ流れ込む水が、痛みと錯覚するほど冷たかったが。

 生きてる実感を今更ながら感じて、からからなはずの目がじわりと潤んだ。


 死ぬべきと思いはすれど生という唯一にして代え難いものに僕は——戸惑い迷う。


「……よし。キミの身の上を聞いた上で、兵に引き渡すかどうか決めさせてもらう」


 僕は彼の言う通りに敗残兵だ。

 そしてここは敵国のアベルタ国の領内であり、普通に考えればアベルタの軍に引き渡すものだ。

 むしろそれ以外の選択肢が見当たらない。


「っ、ああ……」


 僕のかすれた声。

 考えがわからないが、とりあえず頷くしかなかった。


「鎧は捨ててきてしまったが。

 あの鎧に刻んであったフィリップ・ジョーンズ。それがキミの名前でいいのかい?」


 僕は「ああ」と言おうとするも声がでない。声を出そうと口を開きながらも再び頷いた。

 正確には僕の名前では無かったが、名乗れるような名前が僕にはそれくらいしかなかった。


「よろしい。ではフィリップ君。ひとまず今日は寝なさい。私はもう一仕事あるので部屋を出る。

 その間、仮に病状が悪化しても……残念ながら看る事はできそうもないな」


 僕は目をつむりながら首を横に振った。心配要らないという意思表示だ。

 どうやら通じた様で、男は大きく二度頷いた。にこやかだった。


「うむ、ではフィリップ君。明日だ、明日に話を聞かせてもらうよ。それじゃ——」


 そういって男はテーブルに掛けていたステッキを持って、ふるふるとこちらに振ってみせた。

 扉を開けようとした彼はぴたりと止まって、こちらへ振り返った。


「そうだ。名乗っていなかったね。失礼したよ」


 男は自分の服装を正しながら、紳士的な態度で僕の横まで歩いてきた。

 ぼんやりとした視界だが、燕尾服のようで、しかし正装というにはとても厳つく、そして汚い。

 革製の様に見える。

 男は自信に満ちた顔でステッキをくるくると回しながら名乗り上げた。


「改めましてだフィリップ君。私はヴァレリー・ギゴフ。退魔師をやってる」


 僕、フィリップ・ジョーンズと退魔師ヴァレリー・ギゴフの出会いだった。

 

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