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「おはよう、真子ちゃん」


 校門の前で後ろから声をかけられて振り返ると、クラゲがへらへらした笑顔をくっつけて手を振った。私が顔を顰めると、なぜか駆け寄ってくる。黒のランドセルに不釣合いなウサギのぬいぐるみが揺れていた。

 クラゲは転校して来てから今日までの一ヶ月間、毎日欠かさず私に挨拶をする。私は完全無視。それでもめげずに話しかけるあたり、鬱陶しさを通り越して尊敬を覚える。


「おはよ」


 そう返したのは、ちょっとした出来心。空は雲ひとつ無い晴天だったし、いつもよりクラゲの頭の寝癖が少なかったから、挨拶を返してみるのも悪くないかなって思った。そしたら、クラゲは、心底嬉しそうに花の咲いたような笑顔を見せた。


「おはよう! 真子ちゃん!」


 もう一回大きな声で挨拶を返されて、肩が跳ねた。びっくりしたのは私だけじゃなかったみたいで、周りの視線が私とクラゲに集まるのを感じた。何だか恥ずかしくなって唇を噛んで、そのまま能天気な笑顔のクラゲを睨んだ。


「……調子乗んないでよ。変なウサギくっつけて、変なアタマしてるくせに」

「今日、がんばって寝癖直してきたんだけどなあ。あ、あと、変なウサギって言わないでよ。これお母さんが誕生日にくれたやつなの」

「……マザコン?」


 目を細めてそう返すと、クラゲは困ったような顔で笑った。


「もー、はっきり言うなあ。でも、そーかもしんない。お母さんさ、小さい頃、家出たっきり帰ってこないんだよね。もしお母さんが帰ってきたら、このウサギ見せて、『おかえり』って言うんだ」


 私はクラゲの顔をじっと見つめた。同情を誘うような顔じゃなくて、むしろ、幸せさをアピールするみたいに生き生きとして輝いている。何で笑ってるのか分からないけど、嘘をついてる風ではなかった。きっと、母親からもらった時から肌身離さず持ち歩いているのだろう。ランドセルにくっついているウサギはよく見るとひどくほつれていて、顔と胴体の部分から綿がはみ出しているし、一回も洗っていないのか薄汚れていた。

 ウサギをじっと見ている私をよそに、クラゲは気持ちよさそうに空を仰いだ。


「あ、今日、すっごくいい天気だね! きっと、明日も晴天だと思うな」

「明日は土砂降りだよ」


 思わず口をついて出た。あ、また言っちゃった、と唇を噛む。


「え? そうなの?」

「大雨で傘も壊れるぐらいひどい風も吹くんだって。予備にもう二本、持っていった方がいいと思う」


 嘘だけど。クラゲの言う通り、明日の天気予報は一日中晴れマークだったし、傘持ってる奴なんてきっと一人も居ない。


「そうなんだ! 教えてくれてありがとう」


 クラゲはにっこりと屈託の無い笑顔を見せた。ちょっとだけ罪悪感を感じたけど、きっと明日の天気を見れば、クラゲだって私の嘘に気づくはずだ。そう思ってた。

 それなのに次の日の朝、クラゲはあっけらかんとした晴天の中、腕一杯に五本の傘を抱えて学校に来た。たまたま私が学校に来るのが遅かったのか、彼を見つけたのは下駄箱に着いてからだった。


「おい、クラゲー。何で傘持って来てんのー?」


 男子がどん、とクラゲを冗談交じりにどついた。


「え? だって今日、雨降るんでしょ?」

「はあ? 降らないよ。朝の天気予報見なかった訳? 一日中晴れマークだっただろ!」


 皆が下駄箱の前でげらげら笑ってる中、クラゲだけは不思議そうにきょとんとした顔のまま、五本の傘を抱えていた。

 馬鹿みたい。まだ気づかないんだ、私が嘘吐いたってこと。

 私は知らん顔して下駄箱からシューズを取り出せば、とんとん、とつま先で履き慣らして、すぐに教室へ向かった。


「おはよう、真子ちゃん」


 クラゲはいつものように私に挨拶をしてくる。私はなんとなく気まずくて、今日はクラゲの挨拶を無視した。

 でも、天気予報は外れた。五時間目あたりから空はどんどん暗くなって、ぽつぽつと雨が降り始めた。ホームルームが終わった時には、窓を閉めていても、ざあざあという煩い音が聞こえるぐらい、強い雨になっていた。


「うわ、マジねえよー。天気予報晴れって言ってたじゃん」

「ほんとだよ、あたし置き傘持ってきてないしさあ」


 口々に愚痴を零すクラスメイトたちとは違って、クラゲはきらきらとした瞳を窓の外に向けていた。


「すごい、すごいよ、真子ちゃん! 真子ちゃんには雨が降ること、分かってたんだね?」

「う、うん」


 私は思わず頷いた。まさか、本当に雨が降るなんて思ってなかったし、こんなに突然雨が降り出すことは最近は無かったから、思い切り油断してた。間抜けなことに、私も置き傘は一本もない。こんな雨の中濡れて帰るのは嫌だし、最初は嘘でも結果的にはクラゲを助けたことになるのだから、こんなお願いをするのは変じゃない。なんて、無理矢理自分の気持ちを正当化させた。


「わ、分かってたんだけど、私、傘忘れて来たの。だから、傘、一本貸して?」


 クラゲの顔はうまく見れなかったから、クラゲの机に引っ掛かっているランドセルを睨んで言った。そのとき、くっついているウサギと目が合った。黒くて丸くて、クラゲの目に似ていた。


「うん、いいよ。傘、五本も持ってきたもん」


 クラゲはあっさり頷いた。彼は、ちっとも私の嘘に気づいてない。


「あ、そうだよ! クラゲ、五本も傘持ってたジャン! 俺も一本貸して!」

「え、ほんと? 私も貸してくれない?」


 わっと、クラゲの周りに人が集まる。彼は嫌な顔一つせずに、やっぱりあっさり頷いた。


「うん、もちろん」


 クラゲって本当にバカだ。簡単に私の嘘に引っ掛かって、ちっとも私を疑わない。

 とことんバカだけど、でも多分、悪い奴じゃない、のかも。

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