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※流血表現があります。
痛てぇ。
つーかなんだ。反則だろう。あのジャンプ力。あとパンツはけ。
俺は右手で腹を押さえ、左手で肩を庇いながらごろごろのた打ち回った。
「セネ!」
もう一人の女の子が咎めるような口調で、叫ぶ。
ベルはどこにいるのか、何も言わない。
シュッっと風を切る音がした瞬間、首をすくめた俺の頭上に、ドゴっと地面を鈍く打つ音がする。
どうも間一髪で殴打を避けることができたらしい。
攻撃者から少しでも離れようと、そのまま真横に体を回転させる。
あー目が回るよー。
「さすが坊ちゃま。頑丈ですわ!」
いや今君が殴ったの地面だし。
セネと呼ばれた娘はなんだかやる気まんまんだ。何故にそんなにテンション高いの。
やられ放題は気に食わねえ。しっかし、どうするよ。
俺はふらふらしながら立ち上がった。距離はとれたようだ。
やっと正面から対峙したものの──
トントンと両足を揃えて跳ぶな。乳が揺れてるじゃねーか。
姿を捉えつつ、やはりまっすぐには見られない。俺はやりきれない思いで叫んだ。
「ベル!ちょっとタンマ!」
「なんでしょうシンゼラート様」
ちっ。だいぶ離れたとこにいるな。
「俺は、女の子を、殴れません」
暗闇の中俺の情けない台詞が走る。
少し間があってベルから応えがあった。
「大丈夫です。獣魔なんで女の子とかそういうものじゃありません」
だーーーーってめえ!察しろ!判れ!大体じゃあなんで二人とも俺に台詞に反応してはにかんでるんだ!!
さっきまで殴りかかってきたセネなんか顔まで押さえて真っ赤じゃねーか!
「魔界での公子と呼ばれる方々においては、多分に地球の貴族趣味と似通い、衣装も華美ですが、地球上の意味とは身にまとうものの感覚が違います。またその眷属はシンゼラート様におかれましては、大変破廉恥な姿をしているものも多く、今すぐ慣れていただかなくては」
あっそ。俺が何を言いたいのかはわかってるってことか。オーケー後でぶっ殺す。
むしろ散歩に連れて行く。引きずり回す。川原をとってこい往復50分だ。
「セオベルジュ様!ひょっとして可能ならば、坊ちゃまを犯してもいいのでしょうか!?」
セネちゃん?もしもし?小声で言ってるつもりだろうけど、ベルより俺のほうが君に近いよ?
何言っちゃってんの?怖いんだけど?
うん?それに呼応してエルって女の子がずいって感じで前に出てきた。
「それならばわたくしの方が──」
おっとアクションないせいで、この場で唯一のまともな「人格」を保っていた方のわんこ少女が!
そうかこの娘も変態か。
もう、なんと言えばいいのか。
「うん?どうでしょうね?そのほうがシンゼラート様が本気で抵抗してくださるかもしれませんが。喜ばれると戦闘訓練になりません」
くそ!アホ犬!後で覚えてろ!誰が喜ぶんだ誰が──
俺は正面から二人のわんこ少女たちを見据えた。
下半身は完全に動物だが、顔と上半身(腕と耳を除く)は完全に女の子だ。
しかも目はきらきら期待(なのか?)に輝き、頬をうっすらと赤く染める様子は、顔立ちの整い方からして美少女と言っても過言ではない。
獣耳と尻尾をぴこぴこさせる美少女というカテゴリがあるのならば。
そして惜しげもなく晒されている推定Bが合計四つ!
喜ぶ人も…いるかもしれない…
◆
字義通り、闇雲に俺は走っていた。
なんせ視界は全部暗闇だ。自分が進みたい方向に進めているのかどうかも判別が付かない。
全裸(半裸?)の女の子と殴りあうくらいなら、逃げた方がましだと思って走り出したが甘かったかもしれない。
体感で五分も走ったろうか。マラソンなどでなくほぼ全速力で突っ走った俺は、よろよろと歩調を緩めた。とりあえずあの場は逃げ出せた──のか?
「なかなかです!」
すぐ耳元で囁かれた声に飛び上がる。
真横にベルがいた。
「女の子扱いをして獣魔の反応を鈍らせ、仲たがいをさせてその場を逃げ出すとは」
とりあえず何も考えずにベルに向かって蹴りを放った。ひょいと上半身をそらされ空振る。
そのまま体を軸に続けて後ろ回し蹴りも放った。今度は掠る。
「わふっ」
「よけるな。死ね」
「何故に」
両手を前に着きそれを軸に左足で足払いをかける。
また躱された。
くそ。素早い。
「わたくしは坊ちゃまに手を上げられないので訓練には不向きです」
だいぶ距離をとられた。
「本気になってくださるのは獣魔相手にしていただけませんか」
けっ。しゃにむに詰め寄ろうとするが、簡単に逃げられる。
「仕方ありませんね」
ため息をつきながらベルはものすごい速さで走り去っていき。そして姿を消した。
え?なんか今斜め上に走っていったような?
え?俺ここに置き去り?
真っ暗闇の中、棒立ちになる俺。
あたりを見回すがなにも見えない。
どういう作用なのかわからないが、自分の手はみえる。あ、俺裸足だわ。
というかTシャツにハーフパンツという部屋着のまんまだわ。
なんせ色の境目がないせいで、平衡感覚が不安にさいなまれるが先ほどよりは慣れてきた。
歩いてみるか。
出口を探さないとどうしようもない。
心を決めたその時だった。
「こちらでございます」
またか。残念なことに再び姿を現したのはベルだった。
左右にセネとエルを従え、さらに小脇に人を抱えている。
距離にして、十歩たらず。
ベルが抱えていた人間を降ろして立たせる。
セネやエルと身長に差のないその人影は、見慣れた制服を身にまとっていた。
人影が声を発する。
「シン兄ぃ…」
ルミだ。
思わず「おい」と声を出して駆け寄ろうとした俺をわんこ少女の一人が制止した。
「動かないでください」
彼女の右前肢の鋭い爪がルミの頬に食い込んだ。
おそらくもう片方の腕でルミの両腕を後ろに拘束しているのだろう。こちらからは見えない。
俺は踏み込もうとした足を止め、二人を睨みつける。
「本気になっていただくためにご協力いただいたのですわ」
もう一人のわんこ少女、セネだったか、が、何故か制服のスカートを捲り上げるように掴む。
やめろよ、おい。
ルミが嫌そうに身じろぐのを見て、さすがに俺も覚悟を決めた。
「わかった。真面目に殴り合いでもなんでもする。だからルミを離せ」
動揺したあまりになんだか早口になった。
ばかばかしいがやってやる。後悔すんなよ。
「真面目な殴り合いでは駄目なんです。本気でこの獣魔二人をなぶり殺してもらわなくてはなりません」
気がつけばルミを降ろしたベルが相当後ろに距離を取っていた。
また物騒なこと言いやがって。
ほんと後で覚えてろ。
「セネ、エル、遠慮はいりません」
ベルの無責任な命令がかかる。
はいっ!という元気な返事と共に、何故かセネが掴んでいたスカートを引っ張る。
ブツっとスカートのホックが千切れる音がして、ルミからスカートが剥がされた。
下着だけの下半身が露になり、ルミがまたいやいやをするように体を動かす。
真っ暗な闇をバックにルミの白い脚がなまめかしい。
セネが続けてルミの上半身を覆うセーラーに手をかけて──
「いいかげんにしろっ!」
たまらずに俺は怒鳴っていた。
あまりにも声を振り絞ったので喉が熱い。
頭に血が上って目がちかちかする。
ギリギリとおかしな音がさっきからしていたのは自分の歯軋りだ。
俺の声に反応してエルとセネがびくりと体を震わせる。
セネは一瞬ベルの方を見やり、そして俺を見つめ、セーラーにかけていた手をひっこめると今度はルミのフトモモあたりに手を移動させた。
そしてその爪が、グサリ、と、ルミの脚をえぐり、血が噴出し、下へ、膝を伝い、ふくらはぎへと──
同時にエルがルミの頬から爪を滑らせ、セーラー服の上からかきむしるようにルミの上半身を引き裂さく。
「──」
声にならない悲鳴を、ルミがあげ──
俺は、吼えた。
◆
どうやって移動したのかわからない。
一瞬にして三人の傍らに降り立った俺は、無造作に腕を振りぬいて、まずセネをふっとばした。
3メートルほどの距離を半円を描いて彼女は飛びそのまま地面に叩きつけられ、声も出さずに昏倒する。
ひたすら凶暴な衝動に身を任せた行動だった。
次に、ルミの拘束をといて構えたエルに拳を突き出す。
後ろに跳び退ろうとするのがわかったので、逃がすまいと、固めた拳をほどき、そのまま彼女をつかもうとした。
何故か俺の爪は異様に鋭く伸びており、そのままエルのわき腹を抉る
「ああっ」
エルは、上半身から血を流し、悲鳴を上げながら、わずかに後退し、その場に踏みとどまった。
拘束がとけたために、くたっと地面に崩れようとするルミを片手で受け止めた俺に、今度は蹴りを放ってくる。
俺は片手にルミを抱いたまま、その蹴りをもう一方の手で受け止め、足先を掴んだ。
そしてその弱さを嘲笑いながら、握りつぶしかねない強さでひねった。
「ギャインっ!」
蹴られた犬のような悲鳴をあげて、逆さ吊り状態になったエルがもがく。
邪魔なので、振り子のように反動をつけてそれを投げる。
エルは離れた場所に腹を打ち付けるようにして落ち、動かなくなった。
片手に抱いていたルミをそっと地面に寝かせる。
背後からの気配に振り返れば、倒れていたはずのセネだった。
俺は膝をついたまま、振り向きざまに彼女の喉笛を片手でつかんだ。
──ヨワイ──チイサナイキモノ──
掴んだまま立ち上がると、セネは抵抗をあきらめ、ぐったりと手足を垂らした。
ひゅうひゅうと小さく呼吸をするその細い喉を握りつぶすかどうかを思案し、心の中の、
──オカシテ──ソノアトクッテシマエバイイ──
という言葉に耳を傾ける。
まるで自分が二人いるようだ。
早く「これ」を放り出してルミの様子をみたい自分と、すべてを壊してしまいたい、破壊衝動に身を任せたい自分がいる。
──コレハサッキ──ルミヲキズツケタ──
それもそうだ。
喉笛にかけた手をそのままに、もう一方の手でセネの右足を切り裂く。ルミが傷つけられたのと同じ場所を。
びくりと声も出さずにセネが痙攣する。これはあと少しで死ぬな。
なんとなく気が向かなくて、喉から手を離す。
ドサリ、と音を立てて、セネが地面に落ちた。
ルミが気にかかる。地面でもがくセネをそのままに、俺はもう一度ルミに向き直った。
側にしゃがみこむ。
ルミの目は虚ろで何も映していない。
「シン兄ぃ──」
うわごとのように俺を呼ぶ。よくよく覗き込んで違和感に気がつく。
これはルミではない。そっくりだがルミの匂いがしない。
騙されたわけか。
急速に気持ちが萎む。嫌悪感と、後悔が湧き上がった。
それなら、今俺がしたことは──
「お見事です」
離れた場所から声がかかる。
うんざりした気分で見回せばやっぱりベルだった。
聞きたくもないが妹にそっくりなこれが気にかかる。仕方なしに俺は尋ねた。
「これなに?」
「ナオミ様から「寄木細工」をお借りしてまいりました」
「細工ってことは生き物じゃないのか」
「ある意味生きておりますが、限られた生ですね。急ぎましたので、そろそろ──」
ベルが説明を始めたそばから、「ルミ」だったものはぽろぽろと分解していった。
偽者だとはわかっていても、大事なものが、その姿を崩していくことはたとえようもなく気を滅入らせた。
見る間に小さな破片の山になってしまったそれを、手にすくってみる。
それは小さく小さく刻まれた木の葉や、枝、蔓といった植物だった。
「寄木細工ね。ベル、ちょっとお前こっちに来い」
とりあえずベルをタコ殴りにしようと思う。いやする。決めた。
しかしベルはそばには来ず、言葉を継いだ。
「坊ちゃま。今日は偽者でしたが──明日は偽者ではありません」
予定は十行のはずだった狭間での特訓でした。