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誰かが側にいる気配がして、俺はそーっと目を開ける。
いつも通りの俺の部屋。だがしかし。いつもはいるはずのない父親と母親が目に入る。
俺は二人をみなかったことにして、ひらいた瞼をもう一度閉じようと──
「イッテェェェッ!」
耳が!耳がちぎれる!
真っ白な細い腕が間にも止まらぬスピードで伸びてきたかと思うと、ガっという音と共に右の耳に襲いかかった。
「ギブ!ギブ!」
枕元をタップするもギリギリと俺の右耳をひねり上げる手は止まらない。
「バカ息子、誰が初っ端から突っ走れって言った?」
人の耳を今まさにちぎろうとしているとは思えないほど、落ち着いた声がしてそのギャップがとても怖い。
「ナオ、それ以上は本当にシンの耳がちぎれる」
これは父さん。ナオというのは母さんの名前。
落ち着いてないで止めようよ。
しかし?何故に俺は母から逃げられないのでしょうか。痛い。
最後にぐりぐりと爪をたててやっとのことで指が離される。
俺は残る痛みにもだえながら体を起こそうとする、が、起き上がることが出来ない。
体中に力が入らない。
???
「シン、お前が昨日ルミにした『謙譲』だが──」
ぼふっと音をたてて、起き上がろうとあがいていた俺は枕に顔を埋めた。血の気が引いていく。
夢ではないのだ。俺は昨夜、実の妹の脚を嘗め回し、あまつさえその先を望んだ。
しかもそれを親に知られている。顔があげられない。
「俺たちは行為そのものを責めてるんじゃない」
父さんが言うには、魔界でも魔族各々によって、性的なタブーというものがすごく希薄で、近親、同性、異種なんでもござれという一族もいれば、頑なに一夫一婦性を守る一族もいるとのことだ。
それを聞いて俺がなぐさめられるとでも…
…すみませんすっごく救われた気分です。
ここでややこしいのが母さんの一族は前者であり父さんの一族は後者なのだ。
『盟約』によりルミには母さんの一族の特性が。
俺には父さんの一族の特性が。
じゃあなんで結婚したの、『盟約』ってなに、と問えば二人は「それに答えてやる暇は今ない」ときた。
要は「昨夜の行為」に俺がすごく恥ずかしくて抵抗があるのは当たり前だが、ルミにはあんまり抵抗がないということだ。
そして俺が今へろへろになっているのは、自分の中の力をルミにすっかり贈ったせい、もしくはルミが俺から力を吸い出しすぎたせいなのだと。
普段の行動から見るに「俺」が「捧げすぎ」だと二人は思ったのだという。
「あんたたちの間には壁がなさ過ぎるのよ、ルミに力を分けてあげられることはいいことだけど、下手すると死ぬわ」
えー。そんなこと言われてもちょっとへろへろなだけで実感湧かない。
「あんまり手間をかけるな。もう軽い前哨戦が始まっていて、俺も母さんも向こうの領地の防衛とか眷属をとりまとめるのに手一杯だ」
なんですと。
「それって二人ともルミを手伝えないってこと?」
さすがにそれはどうなんだと、思わず声が出た。
「俺たちは──」
「私たちは、ルミが負けてもいいと思ってるわ」
あれー。
結局父さんと母さんは、ルミが若すぎることを理由に、魔王候補なんてやってほしくない、というのが本音らしい。
そらそうだ。死ぬだ、殺すだ、の世界に16歳の娘をつっこみたくない。地球の標準でも若いのに、魔界でいうとひよこもいいとこだというのが二人の見解だ。
穏便に適当に戦って、有力候補が出てきたら降伏してしまえ、というのが二人の結論だった。
どうしよう。大賛成です。
◆
結局二人はかわるがわる俺をハグして部屋から出ていった。
恥ずかしい、なんて思ってる場合ではない。おかげでおきあがれるようになったのだ。
ルミと触れ合ったのとは違う、暖かさと、こちらを心配している気持ちだけが流れ込んでくる、やさしいハグだった。
うん。まあそれはそれとして17歳男子としては恥ずかしいですが。
しっかし、状況が変わったんだろうが、なんだろうが今まで培ってきた常識が、俺の邪魔をする。
なんと二日間も学校を休んでしまったのだ。
俺にとっては大変重要なことである。
だってどうする?学校中の男がルミにべたべた触っていたら。
時刻は午後二時。まだまだ最終授業に滑り込みつつ、帰宅するルミを護衛できる。
家から近いとはいえ、通学路は危険がいっぱいだ。主に俺の頭の中で。
俺は足取りがしっかりしていることを確認しつつ、ベッドから立ち上がった。
制服を今から着込むのはダルいが──
「はい失礼しますよ」
はずんだ声がして、父さんと母さんの次に、ノックもせずに俺の部屋に入り込んできたのはベルだった。
いやベルさん?
ベルさん=ベル?はなんだろう?黒いTシャツに同色のスラックスを身につけていて、なんだか準備万端だ、
何の準備?
「わたくしと部下がこれから戦闘の心得をご指導させていただきます。名誉です。ありがとうございます」
嬉しそうにそう言いながらベルはすたすたと俺に近づいてくると、両手で俺の手を掴んだ。
え?え?
途端に音も立てずに真っ黒な闇が繋いだ手の間から吹きあがる。
おい?
闇は見る間に体積を増し、俺とベルさんを包み込む。
真っ黒な気流のようなものが俺たち二人を包み込み、視界は急速に全て真っ暗。
ベルさんの姿は全身全て視認出来るのに、前も後ろも天井も床もただの暗闇になる。
なにこれ?
足はちゃんと地面についている感触があるのに、平衡感覚が狂っていく。
ベルさんにそっと手を離され、俺はよろめいて手と膝をついた。
膝下にも地面はある。
しかしそれは決して俺の部屋の床ではない。土でもない。暖かくも冷たくもない。
「ここは狭間です。皆様これを使って地球と魔界、そのほか異世界への移動を行います」
空間が認識できない気持ち悪さのせいで、俺はついてしまった膝と自分の手から目を離せない。
ベルの声が上から降ってきているという認識は出来る。
「兄貴とキリエさんは俺をこんなところに放り込まなかったぞ」
ためしに発した声が震えていなかったことに俺は少し安心した。
「経由はされておりますが、ドラクルのお嬢様は空間制御に長けておられるので、瞬間だったのでしょう。兄上様だけの助力ならば、体感にしてわずかな時間、お歩きになる機会があったかもしれません」
「ドラクルのお嬢様ってのが誰をさしてるかよくわかんないけど、これはちょっと気持ち悪い。戻せ」
吐くんじゃね?これ?酔うよ?
「わたくしめにご用意できる場所はここしかありません。シンゼラート様の特訓を魔界で行なえば、いらぬ詮索を招きますし、地球のあの結界の中では物が壊れます」
今度は右手の俺のすぐ側に移動したのか、ベルさんの声は右側から聞こえる。
「ここから出る方法は大変簡単ですが、今説明いたしますと、坊ちゃまはすぐに戻ってしまいますでしょうから、後回しにさせていただきます」
ふざけんな。
突然「オオーン」という軽い遠吠えがベルさんのいる場所から発せられた。
ああ。やっぱりベルさん=ベルなんだ。ベルの声だよ。っていうかベルさん犬?
そして遠吠えに対応するように、ゆらゆらと人影が二つ現れ、それをみてしまった俺は言葉を失った。
◆
「シンゼラート様、目を瞑られても困るのですが」
うるせえベル。じゃあはやくあれを消せ。
「よろしくお願いします」「お願いします」
声もかわいいじゃねーか。なんだアレ。
目を瞑った理由は現れた二人?にある。
一瞬認識したが、どう見ても全裸な女の子?二人?をとてもじゃないが正視できなかったのだ。
しかしショックのおかげか、空間認識がすすんだ。女の子二人が同じ高さにいるおかげで、自分のいる点と二人のいる位置を結ぶと三点になり、「地面」があるという感覚が掴めたのだ。
おそるおそる目をあけた俺はしかしまたすぐさま顔を伏せた。
状況は何も変わらない。全裸?な女の子?が二人?目の前に。
全裸というかなんだ?中学生くらい?の犬耳と尻尾をつけた女の子が二人。
なるべく上をみないように、顔を伏せたまま、俺は二人の足を見る。
うん。どう見ても足は動物。というか下半身はびっしり動物の毛で覆われている。つま先には爪がある。
少し目線をあげれば両脇におろされている腕もすごく動物っぽい。肘まで毛に覆われた腕の先は人間の手なんだか動物の指だかが判別しがたい。
動物よりは指が長いが人間としては短い?ような?
一番の問題、顔を伏せざるを得ないのはむき出しの毛が少ない上半身だ。
人間の女性としては小さい、が、確かに存在を誇示するアレが──
Bカップぐらいか。
いやいやいやいや。顔に血が上ってきた。
「うーん時間がないので始めるほかありません。セネ、エル、坊ちゃまをとりあえず半殺しにしてください」
のほほんとしたベルの声がして、女の子二人が息を呑む気配がした。
なんつー物騒な。
「セオベルジュさま??坊ちゃまはまだ17歳と伺っています!」
「いいんですか?」
どういうことだろう。二人目の「いいんですか?」にものっすごい期待感が籠もっているのは。
「できるならば、です。何も教わってはおられませんが、カルーベルのお子様ですから」
ベルの声が少し遠ざかった。おいおいなんだそのちょっと離れたところにさがっていく気配は!
そして女の子の一人がすすっとすり足で近づいてくるのがわかった俺は、思わず顔を上げ──
やっぱりおっぱいがむき出しなことを確認して下を向いてしまい、「それ」を避け切れなかった。
ドスッという衝撃が無防備な腹部に走る。
「オエっ」というカエルが潰されたかのような声を上げ俺は地面についていた腕で腹を抱えた。
女の子がローキックを俺に見舞ったのだ。
俺が腹を庇うしぐさに反応して、体を一瞬ひいたものの、再び構える仕草ををして女の子は言い放った。
「あーん、いたいけな少年を嬲るなんて……興奮してよだれが……」
イタイケナショウネン…誰がやねん…
くっそヤベえ。かわいい女の子が変態だ。
こうなったら乳が揺れていようがなんだろうが、せめて防御しないと──
「ハッ!」
裂帛の気合とともに目の前の少女が跳躍し、釣られて見上げた俺はまたもや目を疑った。
モフモフなはずの下半身は開脚されており、なんというかそれは、
──パンツはいてないじゃん──
しっかり固まってしまった俺の肩口に今度は踵落としが決まった瞬間だった。