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例えば、自分の側に、小さく綺麗な花が咲いたとして。
それを人に教えるでもなく、摘んで自分の物にするでもなく、ただただ守る、そんな生き方があってもいいのではないだろうか。
実をつけ、種を結ぶことが、季節によって起こることだとしたら、周りを囲い、気温の変化を防ぎ、時間の経過を花に悟らせないことはそんなに悪いことだろうか。
◆
俺達が魔界から帰ることが出来たのは、朝も八時のことであり、二日間気絶のようなものしか味わっていなかった俺としては、当然学校なんて休んで寝るべきだと主張した。ところが、
「夏休みになったら友達に会えなくなっちゃうし。生徒会があるもん」
というルミの高校生らしい御意見のもと、ただいまもそもそと制服に着替えている。
体の方は奇妙なことにあんまり疲れてはいない。
しかし、頭のほうは詰め込まれた知識と、現状認識でいっぱいいっぱいだ。
今日さえやりすごせば、明日も明後日も学校は休みではあるのだが。
制服に着替え階下に下りると、台所には俺達を連れ帰ってくれたベルが立っている。
当然のようにコーヒーをいれたりパンを焼いたりしている姿は甲斐甲斐しいが、さわやかな朝に非日常をぶちこんでくれているところが、憎らしい。母さんはどうした。
「お弁当はいかがいたしましょう」
ベルが手を休めず、俺達に尋ねてくる。
お気遣いご苦労様です。というかよく気がつくな。
「購買で買うから大丈夫だよ」
ね?とこちらに合図してくるルミに、買ったことはあるのか、と。俺は視線だけでつっこむ。
俺は弁当を忘れた時に買い食いしたことはあるが、ルミが弁当を忘れた話なんか聞いたことない。
俺達はあわただしく用意された食事を終えた。
玄関まで見送るベルに、いってきます、とさわやかに声をかけて外へと出るルミ。
それを追っかけて出ようとしながらなんとなく、いってきますというのは気恥ずかしくて、
「ベルも地球に魔界を戻したいわけ? 地球が好き?」
と今この場ではどうでもいいことを聞いてしまう俺。
「もちろんです。地球は魚肉ソーセージがある唯一の世界なのです!」
俺の問いは、ベルに力強く肯定された。
うん。そういうことが聞きたかったわけではないんだが。
頭がさらなるわけのわからなさで疲労を蓄積したような気がする。
そうなんだ、とかなんとかごにょごにょ言いながら、俺は玄関を後にした。
◆
授業の記憶はない。
体育も教室移動もない今日は絶好の居眠り日和であり、かろうじて進学校ではあるものの、授業の邪魔さえしなければ居眠りに寛容な我が高校は俺を昼休みまで放っておいてくれた。
正確なことを言えば、何度か俺を起こして、数日の欠席を咎めたいらしい悪友共が妨害をかけてきたが諦めさせた。
受験生としては憂慮するべき事態だが、地元の大学の中でもたいしたことのない学部を希望している俺にはどうでもいいことである。
ちなみにルミが行きたい学部は偏差値が高く俺には無理だ。
大学だけでも合わせようとするこの俺の涙ぐましい努力に、担任は呆れて物も言えないようだった。
魔界がどーのこーのという話になってしまった今、進学や就職のことを「好きなようにしていい」と言った父さんと母さんの思惑もなんとなくわかる。多分どうでもいいのだ。そういえば俺は我が家の経済事情すら知らない。
三年の教室にだけあるクーラーは全く効いていない。
寝汗にまみれて机から頭を上げると、真横の席のクラスメイトが、廊下の方を指差している。
目をやれば、ルミが来ていた。
周りを俺の悪友共がとりまいている。
俺を呼ぶのではなく、ルミに群がるあたりが、正直でバカな奴等だ。
廊下の方が暑いのに。
起き上がって教室から出れば、バカ共がルミをちやほやしていた。
バカ1は真淵、バカ2は速見といい、俺とはニ年の時から同じクラスで、ルミのファンだ。
「かわいいのにな。兄貴がアレだからな」
「デートしてもずっとシンが着いてくるんじゃうまくいかないよねー」
二人は、にこにこと愛想良く相手をしているルミに夢中である。
俺をダシにしないとルミに話しかけることもできないヘタレ共が。
後ろから近づき、俺に気づいた奴等をしっしっと手で追い払うと、
「ルミちゃんまたね」
「三年の教室は涼しいよー遊びにおいでー」
未練たらたらで二人は離れていった。
バカ共のおかげでしかし余計な人間が近づいてきていない。そこは感謝するべきか。
いつもは俺のほうがルミの教室まで出張しているので、こんなことにはならない。
「シン兄ぃ購買に一緒に行こう?」
ルミの誘いは今日の昼飯確保だった。
うちの学校の購買部は漫画のようにパン争奪戦などは起こらない。
ルミが何故俺を誘いに来たのか、と考えて思い当たるフシを口にする。
「金忘れたのか?」
「違うもん。どうせ一緒に食べるでしょう?」
今日も仲良しだねー と通りすがりの三年女子に声をかけられて、照れながらルミが返してきた。
俺たちは周りからみると異常に仲の良い兄妹にみえる、らしい。
兄妹喧嘩だって普通にしているのだが。いかに俺の連敗とはいえ。
俺のルミへの過保護は多分父親や兄貴の影響だと思う。
二人で購買までの廊下を辿りながらついつい考える。
小さな頃から美少女っぷりを発揮して来たルミは、家族の中で被保護対象だった。
小学校時分は父親が送り迎えをしたものだ。
妙に親しげにプライヴァシーを侵犯してくる人間へのアレルギーは依然として俺の中にある。
変な人間に家族を渡せないだろう? と親しい人間に打ち明けて、同意が帰ってくることは実際のところ半々だ。
いわく自分のことが忙しい、とか女姉妹にも自分で選ぶ権利がある、とくる。
俺もたまに自分の情熱を傾ける方向がおかしい、と思わないでもないが、やらないで後悔するようなことになるより、やって後悔する方が俺の性格には合っている。
二人で適当に買ったパンや惣菜を、人気のない涼しい校舎裏で食べることにする。
そういえばいつもルミの周りには人がいっぱいで、学校で二人きりの食事は初めてだ。
膝の上にハンカチを広げ、行儀良く食べるルミ。
周り中からかわいいだの妖精姫だの言われているし、顔立ちが整っていることももちろんわかってはいるが、俺にとっては妹以上ではないはずだ。
ただし、美人は三日みたら飽きるというがあれは嘘だ。
飽きるのではなく慣れてしまう。
化粧をしなくても透明感のある肌、俺と同じシャンプーなはずなのにさらさらつやつやした髪、この暑いさなかに清涼感すら漂わせているルミは確かに美少女だが。
いつでも笑顔で、発言は天然、他人にやさしく責任感と負けん気が強い。
多分綺麗でなくとも人気者だろうに。
外見が恵まれすぎていることはちょっと不幸の元でもあるだろう。庇いたくなる理由でもある。
ぼんやりと焼きそばパンをかじりながら物思いにふけってしまう。
どうしてもルミに言わなくてはならないことがある。
今日の深夜だって魔界に行くことはわかっているのだ。その前にだ。
最後の一口を食べ終えてルミを見やれば、ルミもちょうど卵のサンドイッチがなくなったところだった。
ちょうどいい。周りに人はいない。
「あのさ、昨日ってか夜、戦ってみて思ったんだけど─」
「やだ」
歯切れの悪い俺のセリフは間髪いれずどころか途中で一刀両断された。
ルミはいつの間に買ったのか、きのこ型有名チョコレートのパッケージをぱりぱり開き始める。
俺はたけのこのほうが食べやすくて好きだ。
「俺まだ、なにも言ってないんですけど」
片手を差し出してチョコを「くれ」とアピールしながら、どう話を持っていくか考える。
「魔王になろうとするのやめようよ、でしょ?」
はい正解です。怒ったり泣いたりされるのはまずい。学校内でそれは相当まずい。
チョコレートのおかげか、落ち着いているルミにほっとしながらも俺は続ける。
「理由きいてくれてもいいだろ」
ちょっとなだめるような言い方になった。弱いな俺。
しかし、ルミは一瞬動きを止め、俺にまっすぐ視線を合わせてきた。
「どうぞ。でもわたしなんだか強かったよ? シン兄ぃが駄目って言っても─」
語尾は消えたが、ルミの言うとおりだ。
ここでもっと強いのが出てくるに決まってるとか、そんなことは少年漫画のパターンを熟知している俺にだからこそわかること。
ルミが心配だなんてのは、この勝気なお嬢様には通用しない。
ならばだ。
「俺、生き物殺したの初めてなんだけど」