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魔界とはそもそも、地球と呼ばれる人間界が生み出した世界である。
異能を使役する生き物を、人は同じ大地に生まれたものであるのに、大きく拒絶し、忌避してきた。
その存在そのものを遠ざけようとする力が働き、新たな大地が異界に生まれ、異能を使役する者達は流された。
人の子よりも大きな力を持ちながら、異能者たちは数が少なかったのである。
これは新たに起った神々の力も寄与していた。
なにも魔界だけが人間界から切り離されたわけではない。
時には国を擁する大きな大陸が地球上から消滅した。
独自の文明を誇り、安心と歓楽に生きる人々が、やはり世界から疎まれたためである。
とはいえ、力を持たぬ人の子が全て異能を疎んじたかといえばそうではない。
また全ての異能を持つ生き物が流されたわけでもない。
魔界に流された異能を、慕い続ける人々は少なからずおり、社を建て降臨を願った。
流された魔界に住む生き物達も、また生まれた地球を恋しがった。
細く小さなものではあっても、お互いが伸ばしあった絆は、実を結び、魔界と人界はやがて行き来が可能となった。
しかし、異能の存在を感じ取ることが出来る人の子は減り、魔界から自在に人界に来ることができるものも少ない。
断絶の間に世代が変わったのは何も人界に限りはしなかった。
人の世界で身を隠す必要がなくなった者たちは、その変身能力を失った。
なかでも人狼一族には、血族での婚姻において獣魔が生まれるようになった。
力と回復力はそのままに寿命を延ばし、変身能力を持たず、異界を渡ることもない亜人たちである。
亜人を認める者たちと、失われた力を嘆く者たちは袂を分かった。
魔界にも王を認める風潮が生まれ始めた折、変身能力を失いたくない人狼達は、地球への再移住を希望したのだ。
人狼達は、最終的に日本を選んだ。
異能を疎む風潮がごく僅かであり、神や魔物の領域に無理に踏み込まないという民族性を好ましく思ったからだ。
幾人かは祖先の生まれたその場所へ帰りもした。
そうして「月読」と呼ばれる村が生まれた。
それは国家としてはまだ黎明期にあった日本にひっそりと作られた。
一切歴史に登場することのない、隠れ里として。人狼が住まう里として。
魔界でも大きな勢力であった樹魔の一族、つまりカルーベルはこれを全面的に支持し応援してきた。
カルーベルもまた日本に根を張り、軽部の一族として陰になり日向になり地球と魔界の人狼の一族を庇ってきたのである。
その目的は人狼と異なるものではあったが。
お互いに協力しあってきた月読の人狼とカルーベルは、シンとルミの両親のように、時に婚姻を結び、時に人と交わりながら神代のようにその力を振るわず、今日までを生きてきたのであった。
◆
「と。ここまではいいだろうね?」
大おばあちゃんのその言葉に、俺はぶんぶんと首を横にふり、ルミはこくこくと頷いた。
歴史系は苦手だ。
とりあえず座りたい。椅子はどこだ。
「なんだい情けない子だねぇ」
大おばあちゃんはさらに話を続ける。
◆
カルーベル家の計画。それは魔界をもう一度地球に同化させようというものだった。
そもそも人は、伝聞、言い伝え、噂話だけで異能を恐怖し、怯え、排除してきたのである。
それならば、同じく地球に生を受け、異なる生き物であっても理解を深め、干渉の範囲を定めることが出来れば、共存が可能ではないだろうか、と。
カルーベルは魔界でもその意見の同調者を増やそうと努力してきた。
一部にはまったく受け入れられず、一部の者たちは協力的ではなかった。
しかし、段々と「やはり地球に戻りたい」と思う異能のものたちを味方につけることに成功しはじめていた。
◆
ようやくキノコ椅子までの移動をはたした俺は、ふと疑問に思った。
初めて魔界にきた時、キリエさんが説明してくれた話とニュアンスが若干違う。
俺は、そのままその疑問を大おばあちゃんにぶつけた。
「キリエさんは地球をリゾート地だって言ったような──」
話を遮るかたちになったそれに、大おばあちゃんはくわっと眼光に力を加えた。
怖い。言うんじゃなかった。
「ドラクルの者たちは最初から協力的ではなかったさ。不死者達は大体人間を慰み者としかみていなかった。もしくは血族を作る材料だとしかね」
◆
しかし、その傾向は徐々に変わりつつあった。ヴァンパイヤ・ドラキュラ等と地球で呼ばれる吸血の不死者たちは、今まで「妊娠」することはなかった。
彼らの血族は人間から作られるものであり、厳しい、一族内の裁定を受けてそれは行われてきた。
同族殺しも頻発する彼らは、その強大な力を自らの快楽のためにしか振るわぬことが徹底しており、一族の数も少ないため魔王の選定にも参加することがなかった。
しかし、人界から切り離された魔界での生活が、どのような影響を及ぼしてきたのか、妊娠する不死者が現れ始めたのだ。
初期には秘匿されたその事実も、実例が増えるにつれ不死者達の態度に影響を及ぼし始めた。
昼夜の影響なく動くことが出来る者、殺戮に興味をもたない者、人界に渡ることが出来ぬ者、個体によって能力は様々ではあったが、旧世代より力を増した「自分たちから産まれた子」に恐れを抱くものもいれば、喜ぶものもいた。
人の子のいない魔界では変遷が起きる。人狼に遅れてまた不死者たちの中にも、人間界に戻ろうとする動きをみせる者たちがあらわれはじめていた。
◆
「キリエは新しい世代の不死者だけどね、考え方は古い。人間界にさほど興味もないのにハルノヴァックに惚れて妊娠したことで、人間界にいるんだよ」
キリエさん自体は魔界と人間界がどうなろうと構わないということか。
いや俺もだけど。
しかしキリエさんドラキュラなのか。兄貴は大丈夫なんだろうか。
視界の隅でルミが元気よく手を挙げる。
そんなことしなくても聞きたいことは聞けばいいと思うが。
ノリに寛容な大おばあちゃんがルミに頷いた。
「魔王になりたい貴族の人たちは、みんな魔界が地球に戻ることに賛成なの?」
それならむしろ争いにならない気もする。
他の候補のことを聞くあたりルミはまだ本気だな。
大おばあちゃんは少しの間目を瞑り、何か考えるようなそぶりをして口を開く。
「はっきりと意思を表明しているのはカルーベルだけなのさ。どの一族も意思を統一しているわけではないんだ。そもそも魔王を輩出したことがある一族を大公家として数えてはいるが、ドラクルのように魔王位そのものに興味をもたない魔族もいるんだよ」
◆
そして、前魔王は、地球より地球の産み出した別世界に、新たな人の子と絆を築こうとして、手痛い返り討ちにあった。
もちろん築こうとした絆とは、完全に魔物に人が伏する世界、つまり人間が異能に隷属することを目的としたものだった。
前魔王に協力した魔族は決して少なくはなかった。
魔王になった者には協力するのが、大公家の盟約でもあり、魔族間で争うことはよしとしなくとも、人の子を蹂躙する機会を逃したくない、とかんがえるものが多かったからだ。
どこかで、もう一度地球に覇を唱えることが出来ても、また世界として切り離されるだけだという意識が、魔族の面々に働いたかどうか、それは知る由もない。
次代の魔王の意思が魔界の行く末を決めると言っても大げさではないのだ。
◆
それにしては、決闘のお申し込み、とかのほほんとしすぎているようでもある。
さっさと自分の意見に反対するものは闇討ちするとか、賄賂を渡すとか。
あれ?これって人間的?
というか、俺とルミが日本で育てられたことになんか裏を感じる。
ルミはこれまでの話をどう思っているのか。
楽しそうに目をきらきらさせて大おばあちゃんを見守っている。
「サルミスラが「魔王になりたい」と言ってくれた理由はまだ聞いてなかったね。もちろん魔界では絶大な権力ではあるし、魔力は配下からの謙譲で増える。「翼を持つ女」達と揉めたようだが、魔王であればやつらもからかいになぞこなかったろう。それくらいには権威のあるものだ。確かおまえが「魔王になりたい」と言い出した時には、カルーベルの意思は説明しなかった。目的は別のところにあるんだろうが、今までの私達の意志も尊重しておくれでないかい?」
大おばあちゃんはやさしく言った。懐柔しようとする感じではない。
俺はよくわからないなりに、大おばあちゃんはなんだか人間離れしてるくせに人間が好きなんだな、と理解した。
「それって大おばあちゃんは、わたしが魔王になれるって思ってくれてるの?」
考え考え言ったようなルミの言葉。
ほんとだ。なんかルミが魔王になった時の期待が大おばあちゃんから感じられる。
「昨日はたきつけたが期待はしてなかったね。今日のおまえ達をみて、考えが変わったんだろうよ。力と種族の混ざり方がいい。幼いと思っていたが、なにも諦めることはないんだ。なんなら協力もしてやろう」
大おばあちゃんの物言いには、言外にカルーベルの意思に従うならば、という含みがある。
もちろんここは受け入れるべきだろう。しかし。
「どうしようかな。考えてみる」
小首をかしげ、プレッシャーの塊のような大おばあちゃんにルミはそう言い放つ。
わが妹様は慎重なのか、大胆なのか。
俺ならばこの場で「お願いします」即答するところをなんと「保留」という荒業でしのいだのだった。
※神代=神話の時代