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──お尻を浮かせるのは卑怯よっ!
──エルだってさっき浮いてましたぁー
部屋に入り込んだ俺の耳と目に飛び込んできたのは、元気なわんこ少女達の言い合いだった。
奥には大の大人が四人は寝られそうな大きな寝台があり、
セネとエルはその上で向かい合って座っている。
言い返されたことが腹に据えかねた様子で、エルがぶんっと両手で抱えたクッションを振り回す。
セネが上体をそらせそれを避ける。
二人はそのまま両手でかかえたクッションで殴り合いを始めた。
興奮のあまりなのか、二人とも俺に気がついてくれない。
俺は喉に手をあてて、しかしなんと声をかけたものか迷いに迷った。
声をかけてから入れば良かった。後悔は先に出来ない。
しかし二人とも元気いっぱいだ。
俺はほっとしたような、心配して損してしまったような脱力感を覚えつつまごつく。
いっそ回れ右して帰ろうか、と思ったところで、
セネが顔面におもいきりクッションをくらった拍子に、こちらを向いた。
「あう…」
エルも続けてこちらに気がつく。こっちはだんまりだ。
気まずい。ものすごく気まずい。
しかし二人が上半身に包帯を巻いていることに気がつき、俺はチリッとした心の痛みと、
今回は緊張しなくてもいいという安堵を覚えた。
静まりかえった部屋で、二人が動きを止め目を丸くして驚いているのがみてとれる。
目的は見舞いだ。頑張れ俺。
「元気そうでよかっタ」
やっとの思いで声を出す。無論喉に手をあてたまま。
「その……昨日はひどいことしテ、悪かっタ」
ずいぶん遠くから頭を下げた。
なんとなくベッドにいる女の子に近づくのがためらわれるからだ。
たとえ元気に殴り合いをしていたとしても。
許してもらえなくても仕方ない。
昨日の俺は、むしろ今現在の俺は、凶暴化した自分を全くコントロールできない、
残念なガキんちょだ。
ところが俺のこの謝罪を受けた二人の反応は、挙動不審としかいいようのないものだった。
突然セネが、
「ああ!足がっ足が痛いっ、誰かになでてもらわないとっ」
と、言い出し寝台に倒れこんだかと思うと、エルが、それを見て焦ったように
「痛いのです。わたくしもなでてもらわないと!」
と、セネに同じくこちらもこてんとベッドに倒れこむ。
さっぱり状況がわからない。
二人ともさっきまで元気いっぱいにみえましたが。
そりゃ包帯はしてるけど、楽しくクッションで殴り合っていましたが。
なにこの小芝居。
二人して、うんうん唸ったり、その合間にチラッとこちらをみたり忙しそうだ。
これは、謝り方が足りないということだろうか。もっとちゃんと謝れとか?
たしかに入り口で突っ立って謝るのは変だったかもしれない。
それとも見舞いなんかされたくなかったとか。
そっちのほうが有力か。痛かったろうし。
俺は完全に及び腰になっていた。
わんこ少女達の意図が読めない。
出直したほうがよさそうだ。
じわりと俺は一歩後ろに下がった。
チラチラと確認の視線をくれていたセネが、途端にくしゃっと顔をゆがめるのがみえる。
なんだその反応。
「帰ってしまわれるのですか」
あわてたようにエルが声をかけてくる。
いや俺にどうしろと。むしろ誰か教えてくれ。
「セネはシンゼラート様になでてほしい!」
「セネ!早いです!」
うお。やっぱりこの娘らよくわからん。
あんな目にあって何故に。俺が怖くなったんならともかく。
嫌がるんならまだわかる。
「早くない。坊ちゃま。ダメでしょうか」
言ってることは意味不明だが、セネの瞳は力強い。
エルはなんだかおろおろしている。
なんだか引いてた自分がバカみたいだ。
ええいやってやるさ。やけくそだ。
そもそも見舞いにきたんだ。仲直りできるならそれにこしたことはない。
俺は意を決してズカズカと部屋を横切り、セネとエルの側まで行く。
乳さえみえていなければ遠慮するようなことではないのだ。
何故か右手と右足、左手と左足が揃った変な歩き方になってしまったが。
きらきらと期待に輝くセネの目を見ながら、寝台の端に腰掛ける。
立ったままでは届かない。
二人はよく似ているが、近づいてみればセネは明るい茶色の毛並みで、
エルはちょっとグレーがかった茶色だ。
仰向けになって見上げてくるセネ。
これはちょっと美少女めいてるがわんこだ。だって耳があるし。
自分に言い聞かせながら、爪をたてないようにそっとセネの頭に手を置く。
上半身の包帯が痛々しい。俺の抉った腿にも巻かれている。
目を細めて嬉しそうにするセネに、なんだか申し訳ない気持ちになって、
やさしく頭をなでた。俺はなんだかおかしいくらいに早く傷がふさがった。
この娘達もそうだったらいいのに、と願いながら。
ぱっと見、タテガミのようにみえる、勢いのある髪質は触ると意外にやわらかい。
まあ今の俺の手と比べればなんでもやわらかいのだが。
「わたくしも、わたくしもなでてほしいです」
エルが目をうるうるさせながら言ってくる。
自分が寝台の中央までいくのはちょっと、と思った俺はエルにおいでおいでをした。
喜んでセネを乗り越えてくるエル。
ちょこんと俺の横に座った彼女の頭を、気をつけながらなでる。
エルの髪もすごく触りごごちがいい。犬とは違う。
真横に座られるとやっぱり女の子みたいでどぎまぎしてしまうが。
エルは腹に怪我をしているはずだ。
なんだか包帯の巻き方がおかしい、ような?
エルが嬉しそうにどんどん擦り寄ってくる。
もうすこしでぴったり俺にくっつく、というところで突然セネが、がばっと割り込んできた。
無言で俺の腿に頭をぺたっと置く。
そんな硬い枕でいいのか、とかエルがわなわなと不機嫌に身を震わせているが大丈夫か。
と内心でつっこみをいれつつ、見ればセネの包帯の位置もおかしい。違和感がある。
二人ともお腹を庇うように巻いているのではないような?
セネに邪魔をされたエルが、ちょこまかと反対側の俺の腿に回りこんで来た。
仰向けになって俺の腿に頭をのせているセネとは違って、頬をのせてすりすりと顔をこすり付けてくる。
この状態は、なんだか絵的に危ういような。
と思いながらも、俺は両手を使って二人の頭をなでた。
爪で傷つけないように細心の注意を払う。
これぐらいで許してくれるなら、安いもんだ。
泣いて怖がられたっておかしくなかったのだ。
それだけのことをしたのだ。
しかし。
段々と。
雰囲気があやしくなってきた。
最初はセネだった。
俺の手をがっちりホールドしてあむあむと甘噛みを始めたのだ。
噛まれるのはくすぐったいし、ホールドは爪をたてた本格的なもので、ちょっと痛い。
なにより、わんこだと思いたいのに、変に倒錯的な状況がちょっと背筋をぞくぞくさせる。
俺の手はジャーキーかなにかだったのか。と、あさっての方向に意識をそらそうとするが、
えらく集中して俺の手を噛むセネから目を離せない。
と、そこへ反対側の手になにかやわらかい感触がして。
セネが、俺の手首あたりを口を押し当てて吸い始めた。
ここにきて哺乳瓶役がきた!?
うっとりした表情のエルは熱心にチュウチュウと手首の内側、皮膚の薄いところを吸い上げる。
なにかそのエルの表情が言いようもなくヤバい。
もしもし。
君らはいったい何を。
腕を引き抜きかねば、という思いが、もし、また傷つけたら、という考えに邪魔される。
だがやわらかく二人に愛撫されるその感触がなにか、もやもやとした気持ちを俺にもたらす。
ダメだ。これ以上我慢すると、変な場所が変な反応をだな!
やめようよ、と言おうとした俺の声はしかし、
「ガウガウ」という力のない意味不明の唸り声だった。
俺の両腕は封じられていたのである。