良き隣人 :約3500文字 :SF :ロボット
ある日の昼下がり、とある古びたアパート。居間でぼんやりとテレビを眺めていた老人は、ふいに鳴り響いたインターホンに顔をしかめ、ため息をついて腰を上げた。
片足を引きずるようにして玄関へ向かう。途中で二度目のインターホンが鳴ると、小さく舌打ちを漏らした。
老人はサンダルをつっかけ、ドアを開けた。
そこに立っていたのは三十代ほどに見える男。短く整えられた髪に、汚れのない白いシャツ。背筋は真っすぐに伸び、両手は体の脇にぴたりと揃えられてた。
『こんにちは! 本日隣に引っ越してまいりました、サトウと申します! よろしくお願いいたします! こちら、つまらないものですが、どうぞお受け取りください!』
男は晴れやかな笑顔でそう言うと、紙袋を両手で丁寧に差し出した。
老人は「おお……」と喉の奥で呻くように返事をして、それを受け取った。
『何かお困りのことやお手伝いできることがございましたら、いつでも遠慮なくお声がけください! 隣人として精いっぱいお力になります! それでは失礼いたします!』
男は一歩後ろへ下がると、これまたお手本のように丁寧に礼をした。ゆっくりと顔を上げ、穏やかな笑みを浮かべたまま踵を返し、自分の部屋へ向かって歩き出した。
老人は玄関から顔だけを出し、その背中を見つめた。男は視線に気づいたのか途中で振り返り、にこやかに会釈した。それから静かにドアを開け、部屋へ入っていった。
老人は紙袋を開き、中を覗き込んだ。入っていたのは新品のタオルだった。透明なビニールに包まれており、のし紙には『粗品』の二文字。引越しの挨拶などでありふれた品である。
老人はタオルを取り出し、まじまじと見つめたあと小さく鼻で笑った。
――定型文のような挨拶に定番の粗品。まさに模範的な良き隣人というやつだな。
老人はぱっと手を放してタオルを紙袋へ落とすと、もう一度隣屋のドアへ目を向けた。やがて眉をひそめ、体を引っ込めて静かにドアを閉めた。
「ついにここにも来たということか……ロボット、いやアンドロイドか」
現代。危ぶまれていた少子高齢化は歯止めが利かぬまま進行し、人口は年々減少し続けていた。
ネット社会の発展により近隣住民同士の交流は急速に失われ、人間関係が希薄になった。その結果、空き家の増加、防犯力の低下、孤独死や買い物弱者の増加といった地域社会の問題が全国各地で表面化していった。
そうした状況を受け、政府はある対策を打ち出した。
過疎地域へのアンドロイド派遣である。
空きアパートや空き家にアンドロイドを住まわせ、防犯や地域の見守りを担わせると同時に、近隣の高齢者の生活支援や人々の交流を促し、人と人との繋がりを補完する。そうして地域コミュニティを維持し、活性化を図ることが目的だった。
社会奉仕事業として、政府と大手企業が共同で推進しているという。
「まあ、サクラみたいなものだな。どうせ企業と政府の癒着だろう。連中は自分たちが損をすることは決してやらん上に、庶民がただ得をするような制度も作らんのだ」
老人はふんと鼻を鳴らし、紙袋を床へ放り投げた。
制度の存在そのものは数年前から知っていたが、テレビの向こう側の話で、自分には無関係だと思っていた。それだけに隣室に実際に送り込まれてきたことには少なからず動揺していた。だが、戸惑いと同時に老人の胸には高揚感がじわじわと湧き上がっていた。
◇ ◇ ◇
「ほら、とっとと草を毟らんか! こら! 雑にやるな!」
『は、はい!』
最初の数日間、老人は隣人に対して露骨に警戒心を滲ませていた。話しかけられても素っ気なくあしらい、道で顔を合わせればじろりと睨みつけ、その行動を監視するような鋭い視線を向けていた。
それでも隣人は一切態度を変えなかった。毎日欠かさず明るくはきはきと挨拶し、頼まれてもいないのに共同廊下やアパート前の道路を掃除し、荷物を抱えているのを見かければすぐに駆け寄って手伝うなど、誠実な振る舞いを続けた。
それによって老人の態度は変化していった。
もっとも、その実直な姿勢に心を動かされたわけではなく、単純に毎日顔を合わせ続けた結果、隣人の存在に慣れていき、数週間も経った頃には、むしろ遠慮なく使ってやろうという考えになったのである。
――そうとも、我々庶民は政府や企業からずっと搾取され続けてきたのだ。これくらい当然の権利である。
「えー、アパートの汚れは住人の汚れ。つまりは恥である。隅から隅まで、きっちり綺麗にするんだぞ」
『は、はい! あの、ですが今日は他にも予定しているお仕事が――』
「生意気を言うな! 隣人のために働くのがお前の役目だろうが!」
老人は外で隣人の姿を見かけるたび、大声で呼びつけた。買い物帰りなら荷物を持たせ、散歩に出れば「転んだときに支えろ」と言って横を歩かせる。用事が済んでもすぐには帰さず、馴染みの店の店員への不満や政府や役所への恨み言を延々と聞かせた。
やがて、それだけでは物足りなくなり、インターホンを鳴らして部屋に呼びつけ、掃除や洗濯、炊事、電球の交換から家具の移動に至るまで、思いつくことを片っ端から命じるようになった。
老人はまるで専属の付き人を手に入れたかのような気分でほくそ笑んだのである。
「おい、何をしている」
『え? ご要望どおりに棚の移動を――』
「馬鹿! その棚はそっちじゃない! 早く元に戻せ!」
『は、はい!』
「ほら、何をもたもたしとる! ロボットらしく、きびきび働かんか!」
『やめ、やめてください。叩かないでください』
「口答えするな! お前の隣人は誰だ!」
『あなた様です!』
「そうだ、私だけだろう! さっさと言うとおりにしろ!」
老人が腕を振るうたびに、杖の先が身体を打つ鈍い音が部屋に響いた。
外出はめっきり減り、かつて外用だった杖は今では室内用、もとい隣人の“しつけ”専用になっていた。
「大方、性能の低いものを寄越しているんだろう。中抜きだ、中抜き。まったく政府はどこまで腐っとるんだ……おい、とっとと茶を淹れろ!」
口を開けば愚痴と悪態ばかり。しかし、その表情は以前よりも生気に満ち、満足げな笑みが浮かんでいた。
「おい! 聞いているのか!」
『あっ、ああっ……!』
杖の先で膝の裏を小突かれた隣人は体勢を崩し、手にしていた湯呑を床に落としてしまった。
甲高い破砕音が室内に響き、砕け散った破片とともに熱い茶が床に滑るように広がっていく。
その瞬間だった。老人はくわっと目を吊り上げた。
「このポンコツ! アホたれ!」
老人は怒鳴り声を上げると、杖を勢いよく振り下ろし、隣人の背中を強く打ちつけた。
『すみません! 申し訳ありません!』
隣人はその場で両膝と両手をつき、身体を支えながら何度も頭を下げた。
「馬鹿が! この産業廃棄物!」
『やめてください! やめてください!』
「ボケ! 役立たず! くたばれ!」
『やめてください! 許してください!』
「無能! 社会のお荷物!」
老人は歯を食いしばり、隣人の頭へ杖を何度も振り下ろした。顔は興奮で真っ赤に染まり、血走った目にはぎらりと獣じみた光が宿っていた。しかし、その表情に浮かんでいたのは怒りではなく、喜びであった。長年溜め込んできた不安や劣等感、鬱屈を吐き出す快感をしかと味わっていたのである。口の端が吊り上がり、黄色い歯の隙間から唾液が糸を引いて垂れ落ち、顎を濡らしていた。
隣人は打たれるたびに身体を低くし、ついには額が床に触れるほど深くうずくまった。
「老害! ゴミ!」
ぽたり、ぽたり――床に広がった茶溜まりの中へ、赤い雫が落ちた。
その次の瞬間だった。
『……おい』
低く濁った声だった。
「あ? な……」
隣人がぬらりと立ち上がった。
老人は思わず息を呑み、一歩後ずさった。視線は自然と上がり、隣人の顔へ引き寄せられていく。そこにあったのは、あの貼りつけたような穏やかな笑顔ではない。額を伝う血の下で、憎悪が静かに燃えていた。
老人はさらに一歩後ずさった。だが、床に散らばった湯呑の破片を踏み、「いっ」と短く悲鳴を漏らして反射的に足を浮かせた。そのまま体勢を崩して尻もちをついた。
老人は慌てて杖を支えにして立ち上がろうとした。だがその瞬間だった。隣人の足が鋭く振り抜かれた。杖は乾いた音を立てて宙へ跳ね上がり、床を転がり、壁にぶつかって止まった。
この時代。少子高齢化による労働力不足は年々深刻さを増していた。むろん、機械化と自動化は着実に進んでいたものの、導入コストや柔軟性の限界もあり、人間でなければ担えない仕事は依然として数多く残り、慢性的な人手不足は解消されていなかった。
そこで政府はある対策を打ち出した。
新たな犯罪者更生プログラムである。
受刑者の頭部にパッドを装着し、脳に電気刺激を与えて攻撃性や衝動性を抑制し、従順で協調性の高い人格へ矯正するというものだった。
こうして更生を終えた受刑者たちは各地の空きアパートや住宅に配置され、地域支援、介護補助、防犯活動などに従事し、社会を支える労働力として活用された。
いずれ企業にも配属される予定である。
老人が“事故”によって死亡したあと、アパートは老朽化を理由に取り壊された。
跡地には高層タワーマンションが建てられ、若い世帯が次々と移り住んだ。
地域の活性化と少子高齢化問題はゆっくりと改善へ向かっている。




