第9話 「せんぱい、苦しいっス……」
「おっ、も~い! もぉ~! 何でウチの学校綺麗なのに、校庭の体育倉庫だけこんなオンボロなのぉ~……!?」
入り口が開き、外から光が差し込む。
それと一緒に聞こえてきた声は、この場にはいない筈の声だった。
「か、佳穂ちゃんせんぱむぐっ!?」
「静かにっ……!」
「むぐーっ……!?」
冷や汗が流れる。
本当に間一髪だった。
小夏が名前を呼びかけた、体育倉庫に入ってきた人物。
陸上部マネージャーの二年女子、綿引佳穂が言う通り、俺達がいる体育倉庫の入口扉が死ぬほど重くて助かった。
あの扉が最新式でめちゃくちゃ軽かったら、俺と小夏が抱き合っていたのがバレていただろう。
「顧問の先生が急用が出来たからせっかく委員会が延期になったのにぃ……これじゃあ良い事と悪い事のプラマイゼロだよぉ~……!」
ここにいる理由まで、全部言っていた。
綿引佳穂とは苦労人気質だが一人でも良く喋る、そう言う人物なのである。
つまり俺と小夏がここにいる事を、ある意味で一番バレてはいけない人物だった。
「むぐぅ~!」
「小夏、落ち着け……!」
小夏が俺の胸の中で暴れる。
急に入ってきたマネージャーから隠れる為、俺は小夏を抱きかかえて体育倉庫の隅、サッカーボールカゴの裏に飛び込んでいた。
大きなカゴに背中を預け座り込み、小夏を両腕で抱き寄せている。
何度も言うが、本当に間一髪だった。
「部活に来たら来たで鷹臣くんいないしぃ……準備してくれてると思ったんだけどなぁ~……」
お喋り好きなマネージャー、昼休みに連絡があった人物かつ、準備をしていると思っていた俺を探している節もある。
今この場における全ての条件に置いて、本当に最悪の状況だった。
「まぁ別にぃ~? マネージャーだけど身体動かすの好きだしぃ~? 夏休みに食べ過ぎちゃってお腹周りが気になってたから逆にありがたいと思ってますけどぉ~?」
一人なのにずっと喋ってる。
聞いちゃいけない気がするけれど、勝手に喋ってるから仕方ない。
ここまでひとりごとで喋り続けられるのもある意味才能なのかもしれないが、俺にとってはますますバレてはいけない理由が出来てしまった。
「せんぱい、苦しいっス……」
「耐えてくれ……」
俺の腕の中でようやく大人しくなった小夏が呟く。
体育倉庫の隅なので暗くてその顔は見えないが、多分不満たらたらの筈だ。
今は、今だけは、我慢してほしい……!
「だから事務雑用なんでもこなしてみんなから好かれるスーパーマネージャーにって、あぁーっ!?」
「っ!?」
「っぅ~~~~!?」
マズい、バレたか!?
狭い体育倉庫に響き渡るマネージャーの大声。
なすすべもない俺は、反射的に胸の中にいた小夏をより自分に抱き寄せた。
「ライン引き倒れちゃってるじゃん、もぉ~! 先生片付け雑過ぎるよぉ……」
……バレてなかった。
心臓がさっきまでとは違う意味でドキドキしている。
どうやら彼女は俺が小夏に抱きつかれた時に倒してしまったライン引きに気づいたようだった。
勝手に勘違いされてまた評価を落とされた先生には悪いが、九死に一生を得たと言えるだろう。
「えぇ……床真っ白じゃぁん……! もぉ~予備のラインパウダーどこぉ~……?」
すまんマネージャー。
ただ仕事をしているだけなのに、苦労を増やしてしまって。
今度学食をおごるから許してほしい。
だから今は見逃してくれ……!
「先生いっつも奥に押し込むからなぁ、一緒に片付けてないかなぁ~?」
「っ!?」
「~~~~っ!? ~~~~~~っ!!??」
思わず声が漏れそうになった。
佳穂の、マネージャーの声が、明らかに俺達がいる体育倉庫の奥に向けられていたからだ。
「う~ん、蜘蛛の巣ありそうで嫌なんだけどなぁ……でも仕方ないしなぁ~……」
マズい。
マズいマズいマズいマズいマズい!
どうする? このままじゃ本当にバレる!
最悪の場合、俺だけ飛び出して誤魔化すしかない……!
俺はともかく、小夏の高校生活がだいなしになるのだけは絶対に駄目だ!!
「何も出ないでよぉ~……?」
刻一刻と迫る声。
入り口から差し込んでいた光に、マネージャーの影が差す。
「――っ!!」
覚悟を決めた俺は、小夏を隠すように影から出ようとして――。
「おーい! 佳穂ー! そんなとこで何してんだー!」
――その瞬間、入り口から違う声がしたんだ。
「あっ、ぶちょ~! 聞いてくださいよぉ~! ライン引き、体育の先生が倒しちゃったみたいで替えのパウダー探しててぇ~……!」
それは明るく元気な、陸上部部長の声だ。
佳穂が入り口に振り向いたのが、声の向きから分かった。
「何だそんな事かー! ラインパウダーならここじゃなくて体育館横にある資材倉庫の方だぞ!」
「えぇ~……!? 何でここに無いんですかぁ……!」
「ここは部活以外の普通の生徒も入る場所だからな! なんでも昔イタズラする生徒がいたとかなんとかって噂だ!」
「噂は噂じゃないですかぁ、もぉ~……!」
声が、遠ざかる。
入り口にいる部長に声をかけられた佳穂の足音も、どんどん小さくなっていった。
――ガラララ、と。
重く鈍い扉が閉まる音がする。
体育倉庫が換気用の小さな窓の光だけの薄暗さに戻った後。
緊張がほどけた俺は、大きな溜息を吐いた。
「ふぅ……危なかったな、小夏」
本当に本当に間一髪だった。
ギリギリのところで現れた部長にも感謝だ。
今度お礼に、佳穂以上に何かご馳走してあげよう。
そんなことを思いながら、俺は腕の中にいる小夏に視線を落とした。
「せん、ぱぁい……」
「!?」
すると小夏は、顔を真っ赤にして瞳に涙を浮かべていた。
その表情は後輩ではなく、家で見る健気で物静かな、義妹の顔だったんだ。




