第59話 『鷹臣、頑張れよ』
「落ち着いたか?」
「……はい」
シャワーの音は既に止まっていた。
今は女子更衣室にある縦長の椅子に、制服に着替えた俺と部長が座っている。
俺達がどう着替えたかは聞かないでほしい。
部長が言う通り、落ち着くまでにかなりの時間が必要だったからだ。
「部長って、無茶苦茶やりますよね……」
「あー? 無茶苦茶やらねーとどーにもならねー顔してたからだろーが」
長椅子に両手を置いて脱力した部長がニヤケ顔を俺に向けてくる。
いつもポニーテールでまとめている髪はまだ少し濡れていて、真っ直ぐ下ろしている姿はとても新鮮だった。
「先輩ってのも大変だよなーと思ってたが、まさかここまで手がかかるとはなー」
「……すみません」
「ばーか。褒めてんだよ」
どこがっすか?
そう思ったけど今度は口に出さなかった。
走ってる時は無我夢中でアドレナリンも出ていたけど、その後にシャワーを浴びたりすれば本当に頭の熱も冷めていくのだ。
「小夏が心配なんだろ?」
「……はい」
「別にいーじゃん」
「え?」
小夏の事を聞かれて俺は視線を下に落とす。
だけどすぐに顔を上げて、隣にいる部長を見た。
驚いている俺に、部長はさも当然のように口を開く。
「可愛い可愛い後輩を、可愛い可愛い妹を、可愛い可愛い恋人を、心配しねー馬鹿が何処の世界にいんだよ?」
「それは、そうっすけど……」
「だーかーらー! 心配なら心配ってちゃんと本人に言えって言ってんだよ!!」
「あだだだだぁっ!?」
突然のヘッドロックが俺を襲った。
抱き寄せるなんて可愛いものじゃない。
完全に頭を腕で拘束しての締め技だった。
「いーか鷹臣、お前に大事な事を教えてやんよ!」
「な、何すかぁ!?」
その前に離して!
そう言おうにも痛みでそんな余裕はない。
「心配してーなら死ぬほど心配しろ! 半端なことすんじゃねー!!」
「は、半端……ってぇ!?」
「半端も半端だろーがっ! 小夏に言われただか何だか知らねーけどよー! 小夏が心配ならそもそも学校休んで一日中傍にいてやれよなー!!」
「そ、そんな事言ったってぇ……でででででっ!? た、体調崩したんだから俺は何も出来ないじゃないですかぁ!?」
「ばかやろー! 惚れた奴が近くにいてくれるだけで良いに決まってんだろー!!」
「そ、れ、はぁ……だだだだだだだだだっ!?」
反撃を許してくれない。
言葉でも、行動でも、ヘッドロックが全ての邪魔をする。
俺は完全に部長の手のひらと言うか、腕に支配されていた。
「……ったく。こんなんじゃ、安心して引退も卒業もできねぇよ」
「え??」
「……何でもねーよ!!」
「あだだだだだだだだだだぁっ!?」
耳を巻き込むのは反則だった。
おかげで部長が何を言ったかも聞き取れない。
体育で柔道の授業をしたら絶対に無双できる強さだった。
「もっかい聞くぞ! 小夏が大事か!?」
「だ、大事です……!」
「小夏が大切か!?」
「た、大切です……!」
「小夏が心配か!?」
「し、心配です……!」
「ならもっと、自分に素直になれよな」
「え、え……?」
突然の問答。
そして、突然ヘッドロックが解かれた。
顔を上げてみれば部長は怒っているような呆れているような、何とも言えない表情をしている。
その表情が何なのかは分からない。
ただ言える事は、初めて見る、部長の顔だった。
「小夏がお前にお礼を言いに来た時、嬉しかったろ?」
「それは……はい」
「お前が小夏に気持ちを伝えた時、小夏は喜んでくれたんだろ?」
「……はい」
「なら悩むな。止まんな。やりたい事やれ。真っ直ぐ突っ走って、弱い所見せんな」
「部長……」
でもその顔は真剣そのもので。
「先輩として、兄貴として、カッコよく導いてやる気で一生いろ。逃げんな、鷹臣」
ゆっくりと、部長が距離を詰める。
真っ直ぐ、正面から、真剣に俺を見つめて。
「お前が逃げて良いのは、長距離の先頭走ってる時だけだっつーの」
「――――」
言ってくれたその言葉は。
想いも、気持ちも、本物だった。
前に俺が悩んでいた時とほとんど同じ。
だけどあの時以上に、あの時じゃ分からなかった事までも分かった気がした。
「……今のお前には、これぐらい臭いセリフの方が良いだろ?」
ニカッと、部長が白い歯を見せて大きく笑う。
佳穂が柔らかい日差しなら、部長は照らし続ける真っ赤な太陽のような笑顔だ。
「…………はい。めっちゃ、臭いっす」
ずっと昔から憧れていた。
隣ではなく、前を走り続ける人。
部長の笑顔は、正にそれだったんだ。
「おい!!」
「でも、ありがとうございます」
だからまた、俺も部長に笑顔を返す。
俺がしてもらって嬉しかった事を、部長にお返しするんだ。
「おかげさまで、目が覚めました」
「おせーよ! もう六時間目始まってるぜ?」
そして部長もまたニヤリと笑い返してくれた。
久しぶりの笑顔合戦は、あの時とまるっきり同じで。
「……どうせサボったんで、今日は帰ります!」
「おう! どうどうとサボれよ!」
何だこの会話。
そう思いながら俺と部長は笑っていた。
「部長、ありがとうございました!」
「おう! 今度佳穂や一年にも礼を言えよ? アイツら全員、オレに相談しに来たんだからよー」
「…………はい!」
部長が今度は本気で呆れながらに笑みを浮かべる。
部長だけじゃなく佳穂や小夏の友達たちも心配してくれて、胸の奥が熱くなった。
「鷹臣」
そんな俺の背中に、部長が声をかけてくれる。
更衣室の扉に手をかけた俺が振り返ると、部長は変わらず長椅子に座りながら。
「頑張れよ」
優しい笑顔で、俺の背中を押してくれたんだ。




