【44】もう二度と奪わせない
「よかった……! 無事に解決したみたいですね。ジェシカ奥様」
窓辺に置かれた椅子に腰かけ、二階の客室から断罪劇を見下ろしていた私にモニカが声を掛けてきた。
「ええ……そうね」
私はほっと溜息をついて、椅子の背に深くもたれた。長く張り詰めていた糸が、ようやく緩んだような気がする。
旦那様の裁きの声は、この部屋まで響いてきた。
義母バーバラに下されたのは、終身幽閉処分。貴族夫人、それも当主の実母に課される罰として、これほど重い物はない。
(……ようやく決着がついたのね)
旦那様は、正しく裁いてくださった。
当主代行時代からの罪に加えて、今回あれほどのことを仕出かしたのだから、絶対に許されるべきではない。
やがて、旦那様とアレクが戻ってきた。
「ママ!」
「旦那様、アレク。…………え?」
旦那様は私に駆け寄り、勢いそのままに抱きしめてきた。逞しい腕は微かに震え、まるで失うことを恐れているかのようだった。
「ど、どうなさったんですか」
「ジェシカ。もう二度と、あんな思いはさせない……!」
「旦那様……?」
モニカは、気遣うように静かに部屋から出て行った。
家族三人だけの部屋に、静けさが満ちる。
「お裁き、お疲れさまでした。……私に油断があったばかりに、申し訳ありません」
「なぜジェシカが謝るんだ」
だって、私に甘さがあったのは事実だもの。
今回、私はバーバラお義母様に旦那様の生存を伝えるために屋敷へ向かった。
お義母様が心を開きやすいよう、人員を最小限にして。
そして、義母の態度次第ではいずれ、旦那様との面会も実現したいと思っていた。
……それらすべてが、私の甘さ。
復讐の準備がされていたなんて、思いもよらなかった。義母のおそろしさは、十分に理解していたつもりだったのに……。
二度目の人生では強くしたたかな『悪嫁』になったつもりだけれど、最近は少し鈍っていたかもしれない。
(……いいえ、やっぱり私は悪嫁だわ)
私は、ちらりと旦那様を見た。
(優しいこの方に、実母を裁かせてしまったんだもの。……きっと、本当は悲しいはずよ)
旦那様の心情を思うと、胸が痛む。私が申し訳ない気分になっていると――
「ジェシカ。私は貴女が『悪嫁』だとは思わない」
「へ?」
まるで私の気持ちを読み取ったかのように、旦那様がそう言ってきた。
アレクがきょとんとして、首をかしげている。
「お父様。『ワルヨメ』ってなに?」
「……実はな。ジェシカは自分を、悪い嫁だと思っているらしい」
「え!? そうなの、ママ?」
「以前、酒に酔ったジェシカがそう名乗っていたんだ」
「ちょ、ちょっと、旦那様! 私、そんなこと言ってました……?」
「ああ。今も深刻な顔をしていたから、てっきり思い詰めているのかと……」
「……っ」
たしかに、思っていましたけれど。
私、旦那様にまで名乗っていたの?
お酒の勢いで……? ちょっと待って、恥ずかしすぎる!!
「ジェシカ、貴女ほど良い妻はいない。それでも『悪』だというのなら、私も共に悪に堕ちよう」
「じゃあ、ぼくも悪い子」
生真面目なふたりの顔を見て、私は思わず噴き出していた。
こんなに素敵な夫と息子が、『悪』だなんてありえない。
「いやだ。ふたりとも、へんなこと言って。……あはは」
なんだか、おかしい。
アレクも私につられて笑い、旦那様も口元に淡い笑みを浮かべていた。
ふと、旦那様の手に握られているネックレスに目を止めた。
「旦那様。……それ」
二階の窓から、見えていた。
それはバーバラお義母様が、旦那様に差し出したネックレスだ。
出征前に貰ったものを、すぐに義母に奪われていた。
目にするのは6年ぶりだけれど……なぜか石がなくなっている。
「そのネックレス。とても懐かしいです」
「……ああ」
「お父様。それって、なに? どうしてさっき割れちゃったの?」
アレクの問いかけにも、旦那様は言葉を探すように視線をさまよわせていた。やがて「なんでもないんだ」とだけ呟いて、懐にしまおうとした。
「あの。そのネックレス、私にもう一度いただけませんか?」
「これを……? しかし、壊れているが」
「かまいません」
旦那様を見つめて、私は笑った。
「だって、旦那様がくださったものですから」
「ジェシカ……」
切なそうな目をして、旦那様は私にそれを渡してくれた。
(……よかった。やっと私のところに、戻ってきてくれた)
出征のあの日は、旦那様の人柄をまるで知らなくて。 冷たい人なのだと思っていた。でも今では、こんなに温かくてすてきな人だと知っている。
「そのネックレスは役目を終えたようだから、また新しい贈り物をさせてくれ。魔法を宿すことはできないが、想いはいくらでも込められる」
「……? ありがとうございます。でも、これもずっと大切にしますね」
あの青い石はどこかに行ってしまったけれど、銀の鎖は旦那様の髪みたいできれい。
私は貰った宝物を、両手でそっと包み込んだ。
――もう二度と、誰にも奪わせたりしない。
このネックレスも。
私の大切な家族も。





