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【36】バーバラと悪徳商人(義母視点)

伝書鳩でデュネット商会長への手紙を送り返してから、数日後の昼下がり――。

バーバラの居室に控えめなノックの音が響いた。


「失礼します、バーバラ大奥様。お客様がお見えになりました」

入室してきたメイドが、来客者の名前を告げた――それは、古い付き合いのあった男爵家の家名だ。


バーバラは内心では躍り上がらんばかりだったが、表面的には静かな態度を崩さなかった。

「あら、懐かしい名前ね。嬉しいわ……こんなに落ちぶれたわたくしに、会いに来てくださる方がまだいらっしゃるなんて」

などと呟いて、しっとりと笑ってみせる。


「ぜひ会いたいわ。お客様をお通ししてちょうだい」

「かしこまりました。応接室にご案内いたします」


自分も身支度をしてから、応接室へと向かった。

応接ソファに座っていたのは、下位貴族の服装をした壮年の男だ。男爵家当主と名乗っていたが、実際には詐称……。

この男の正体は、デュネット商会の商会長である。


「これはこれは、バーバラ様。お久しゅうございます」

「会いたかったわ。こんな田舎までよく来てくださって……!」

バーバラの目に涙が浮かんだ。再会の涙と見せかけて、実際は悪だくみ成功を喜ぶ涙だ。


バーバラはジェシカから、『もしもお義母様への訪問客がいらしたら、使用人の立会い付きなら、お会いいただいて構いません』と言われていた。

義母の囚人扱いしている訳ではなく、一定の自由は認める――という意思表明のつもりらしい。しかしバーバラからすれば、勝者の余裕を見せつけられたとしか思えない。監視付きなんて、ふざけている。


だからこそ、ここで演技を失敗するわけにはいかない。しおらしそうな笑みを浮かべて、バーバラはメイドに頼み込んだ。

「……ねぇ? お願いだから、二人だけで話をさせてくれないかしら」

「残念ですが、それはできません。ジェシカ奥様からのご命令ですので」


メイドは身構えるような態度になった――高慢なバーバラが、罵声を浴びせるに違いないと思ったのだろう。

しかし、バーバラは敢えてしゅんとして見せた。

「そうね、ごめんなさい……」


想定外の反応に、メイドはとまどっている様子だ。


「わたくしも、ワガママを言っている自覚はあるの。でもね、せっかく訪ねてくださった大切な友人なのよ……?」

「しかし、それは……」

「お願い。ほんの少しでいいの。どうか気兼ねなくお喋りさせて」

「……」

「これが今生のお別れになるかもしれないのよ……?」

来客者である『男爵』も、メイドに深々と頭を下げた。

「私からも、どうかお願いします。数分程度でも構いませんので」


メイドは随分と長く悩んでいたが――。

「………………わかりました。すぐ戻りますので」

「……嬉しいわ。本当にありがとう」

バーバラは満面の笑みを浮かべつつ、腹の奥底で嘲笑していた。

情に流されやすいバカなメイドで、幸運だった。これまでひとりも訪問客が来なかったので、警戒が緩んでいるのだろう。


メイドが退室すると同時に、ふたりは声を潜めて会話を始めた。

「ご無沙汰しております、バーバラ様。相変わらずお美しい……」

「世辞は結構よ。それより本当なの? レオンさんが生きていたというのは」

「ええ」

デュネットは新聞を差し出した。そこにはレオンの凱旋式と、国王の前でジェシカとアレクに対面する絵姿が描かれていた。


(……あの嫁。わたくしに何も知らせないなんて、許せない!)

くだらない時節の挨拶だけ寄越して、愛する息子の生還を隠すとは。耐えがたい屈辱に、バーバラは唇を噛みしめた。


「力を貸しなさい、デュネット。わたくしが返り咲いた暁には、お前の商会との取引を再開してあげる」

「ありがとうございます」

デュネットは揉み手をしながら喜色満面だ。


「レオンさんに会えさえすれば、わたくしの勝ちよ」

レオンは自分の駒だ。王命で娶っただけの嫁と、生んで育てた母親――天秤に掛けるまでもない。


「わたくしの憐れな境遇を、レオンさんに伝えなさい。すぐ助けに来てくれるわ」

「しかし世間では……ご子息と奥様は仲むつまじく政務に当たっているという噂ですが」

「噂は噂よ」

吐き捨てたものの、心のどこかに不安がよぎった。

あの嫁は狡猾だから、純真なレオンを籠絡している可能性もある……。


(ならば、先にジェシカを引きずり落とさなければ)


バーバラの脳裏にひらめきが走ったのは、そのときだった。ジェシカの信頼を地に落とし、同時にレオンの心を引き離す完璧な作戦だ。


バーバラは商会長の耳元で囁いた。

「ならず者を雇って、この屋敷を襲わせなさい」

「この屋敷を……?」

「ええ。嫁の管理不行き届きを責める絶好の口実になるわ。『治安の悪い屋敷に母を閉じ込めていた』と知れば、レオンさんが黙っていないはず」

「なるほど」

「作戦決行は、十日後よ」


バーバラは、先日ジェシカから送られてきた手紙の内容を思い出した。十日後に、この屋敷を訪ねると書かれていたのだ。

「ジェシカが来るから、そのタイミングで襲撃なさい。そして……」

にちゃ……という湿った音がするような笑い方で、バーバラは唇を吊り上げた。


「ジェシカに乱暴をしなさい」


デュネットの目が大きく見開かれる。

「……誠でございますか?」

バーバラは目を輝かせて頷いた。

来訪の直後に襲撃を起こし、ジェシカを汚させる。そのときバーバラ自身は、ただ憐れな被害者を演じていればいい。ジェシカは管理責任を問われ、レオンに捨てられる。

一石二鳥だ。


「賊に汚された女を、レオンさんが側に置いておくはずがないわ。ボロボロになって見放され、堕ちてゆくジェシカはさぞや見物でしょうねぇ」

バーバラもデュネットも、卑しい笑みを顔面に刻んでいる。

「さすがはバーバラ様。ご健在ですなぁ」

「もちろんよ、ほほほ」


そのとき、ノックが響いた。先ほど出て行ったメイドが、扉の外から声を掛けてきた。

「大奥様、そろそろお時間です」


「――ええ、ありがとう。入ってちょうだい」

悪魔の笑みから一転して、バーバラはしっとりした態度を取り繕った。同時に、デュネットも姿勢を正す。

メイドが扉を開いたときには、二人揃って静かな顔――しかし内心では、同じ悪意の笑みを浮かべていた。


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