【34】レオンとアレク(夫視点)
「――ほら、ヴァイス。夕食だ」
その夜、私はひとりで厩舎に入って白銀の親竜に呼びかけた。
『クゥゥ』
私が餌を与えると、ヴァイスは喜んで喉を鳴らした。そのとき腹の袋から、ひょこりと子竜の小さな頭が覗いた。
「お前も食べるか」
『くぅ~』
「よし。用意するから、少し待て」
肉を薄く削ぎ、ナイフの柄で柔らかく叩いた。幼い竜は固いままでは嚙み切れない。
食べやすくしてから肉を差し出すと、子竜は夢中でついばみ始めた。
その幼い姿が、ふいにアレクと重なって見える。
(……アレクには、すっかり嫌われてしまったな)
今夜の食事は、アレクたちとは別室で摂った。
アレクの心に折り合いがついていないのなら、今は距離を詰めるべきではない。ジェシカとアレクがふたりで築き上げてきた生活に、土足で踏み込むようなマネをするつもりはない。――あの二人が幸せであれば、それでいいんだ。
『くーぅ。くぅ!』
子竜が、もっと食べたがっているようだ。
「……ふ。分かった分かった」
子供が可愛いのは、人間も竜も同じだな。
――と、そのとき。
厩舎の扉がゆっくり開き、ヴァイスと子竜の視線が入り口に向かった。
アレクが、そこにぽつんとと立っている。
「……」
所在なさげに視線を泳がせており、ジェシカの姿はない。
何か用か? ――と問おうとしたが、思いとどまって口を閉じた。不愛想な問いかけをしたら、アレクが怖がるに決まっている。
私は笑顔が非常に苦手だ。最大限やってみても、なぜか威圧的に見えるらしい。
「――ぼ、ぼく……も……」
「?」
「ぼくも……エサ、あげていい……?」
聞き取れるか取れないかの小さな声で尋ねてきた。
「ああ。――おいで」
私はできる限り穏やかな声音でそう応えた。
アレクはやはり警戒を解かなかったが、おずおずと歩み寄ってきた。革手袋を嵌めると、朝食のときと同じ手つきで餌をやり始めた。竜の咀嚼音だけが、夜の厩舎に静かに響いている。
……何か、会話を。
「大きな肉は、ヴァイス用だ。……子竜には、薄く柔らかくした肉を。今、用意する」
ナイフを動かしながら、私は会話が途絶えないように意識した。
「……子竜は最近、ようやく肉を食べられるようになってきたんだ。生後は母竜の乳だけで育ち、3歳頃から少しずつ肉食になる」
口下手な私でも、竜の話題なら簡単だ。
アレクは私をじっと見上げていたが、やがてぽつりと言った。
「……カシウスさんに『ちゃんと話してみろ』って言われたから、来たんだ。でも……本当はぼくのことなんて、きらいなんでしょ?」
突然そんなことを言われるとは。まったくの予想外だった。
「好きだ」
「……うそ」
「嘘ではない」
「でも、ぼくにだけこわい顔してる。……ヴァイスと赤ちゃんには、やさしいのに」
――しまった。
騎士見習いの頃から、動物相手のときだけ顔が緩むとよく言われた。人間を前にすると、つい身がまえてしまうらしい。
「……」
アレクは深くうつむいている。
桶の中の餌はすっかり空になり、二匹の竜は腹が満ちた様子だ。子竜はヴァイスの腹の袋に戻り、ヴァイスは藁の寝床に気持ちよさそうに寝そべった。
私は、アレクに視線の高さを合わせた。
「悪意はなかった。私はこれが普通なんだ……幼い頃から、笑い方が分からない。分からないまま努力を怠り、この歳まで誤魔化してしまった。だが、これからはきちんと向き合おう」
口先だけの宣言など無用だ。今こそ、アレクに満面の笑顔を見せなければ。
目と口元に力を込めて笑ってみたが、なぜかアレクが後ずさってしまった。
「なにしてるの……?」
「笑っている」
「……なんかこわい」
「そうか」
付け焼き刃では駄目なようだ。不甲斐なさを感じつつ、表情を戻した。
(……好かれるために媚びるのは違う。まずは、謝罪をしなければ)
私が頭を下げると、アレクは驚いたように息を呑んだ。
「私の不在中のことは、人づてに聞いた。……私の母が、お前やジェシカにつらい仕打ちをしていたことも。守ることもできず、申し訳なかった」
「頭なんて、下げないでよ……。だって、お……お父、さま、は戦ってたんだから……」
ぎこちなく、お父様と言ってくれた。
「お、お父様が、がんばってくれたから平和になったんでしょ? ……悪くないのに、あやまるなんて」
(……いい子だ)
胸の奥が熱くなった。
「だが、父親らしいことは何もしてやれなかった。私は自分の父ともあまり話したことがないから、『父親』がよく分からない。だが、少しずつ父親らしい人間になりたいと思う」
「……」
アレクの頬が赤くなった。……困ったような、照れているような表情だ。ジェシカととても良く似ている。
思わず、アレクの頭を撫でていた。
「似ているな」
「……え?」
「皆はお前が私に似ているというが、むしろジェシカ似だと私は思う。目の形や何気ない仕草がそっくりだ」
その瞬間、アレクは嬉しそうに目を輝かせた。
(……ああ、この子は心からジェシカを愛しているんだな)
ジェシカが今幸せそうなのは、アレクがそばにいてくれたおかげだ。――本当に、アレクには感謝している。
「ママが好きか?」
「うん」
アレクの想いが、痛いほどに伝わってきた。
(不安でたまらないんだな。私に、ジェシカを取られてしまうのではないか――と)
そんな心配はいらないのに。
ジェシカは誰よりアレクを愛している。私がジェシカを奪うなど、絶対にありえない。
(……私自身の恋心は、これからも自分一人で抱えていよう)
カシウスには「告白しろ」と言われたが、それは少々違う気がしてきた。
アレクが不安にならないように。
ジェシカが笑っていられるように。
私はひとりの男としてではなく、家長としてこの二人を守ろう。
――それで十分だ。
「すっかり夜も更けてきたな。そろそろ寝る時間だ」
私はアレクを片腕で抱き上げ、もう一方で餌の桶を持って厩舎をあとにした。
アレクは嫌がらずに、静かに腕に抱かれてくれた。
その体は驚くほど軽い。幼くて、尊い命だ。
「お前からママを取ろうだなんて、私はまったく考えていない。だから安心しろ」
胸の奥で疼く恋心に蓋をして、私はそっとアレクに告げた。
***
(……旦那様。アレク)
アレクを抱いた旦那様の後姿を、私は厩舎小屋の影からじっと見つめていた。
夕食のあと、アレクがひとりで外に出ていったのに気づいて後をつけてきた。
そして思いがけず――あの二人の会話を聞いてしまった。
(どうしよう……なんでこんなにドキドキするの?)
……アレクのために、あんなにまっすぐ話してくださるなんて。それだけで胸がいっぱいなのに。
アレクを抱きかかえる旦那様は、とても大きくて頼もしくて。
厩舎の灯りに照らされた横顔は、精悍なのにどこか優しくて――。
気付けば、目が離せなくなっていた。
(どうして……こんなに)
胸がぎゅっと締め付けられる。甘酸っぱくて、どこか危うげな気持ち。
まるで遠い昔の初恋が、不意に蘇ってきたみたいに――。
ハッとして、私は小さく頭を振った。
(何を浮かれているの、ジェシカ。浮ついた気持ちなんて、絶対に持ってはダメ……)
旦那様は家長として、私たちを守ろうとしてくださっているんだから。それ以上、私が何かを望んではいけない。
私が抱くべき感情は恋心ではなくて、純粋な感謝と尊敬の気持ち。そうよね――?
次話、軟禁隔離中の彼女が出ます。





