【32】カシウスの来訪②
「帰還おめでとう! ほら、これ。生存祝いだ」
カシウスは軽やかにソファから立ち上がり、小箱を差し出した。上質な黒檀の小箱には、ダリアン商会の紋章が金で彫り込まれている。その中には、王都でも入手困難な魔水晶がぎっしり。魔導具の動力源として最上級の品であり、貴族への贈答品としても申し分ない。
「……しかし、ずいぶんと突然だな。なぜ来た」
「相変わらず素っ気ないな、レオン。お前が寄越した手紙に『いつでも来てくれ』って書いてあったじゃないか」
眉間にしわを寄せる旦那様に向かって、カシウスは手紙をひらひらしながら笑っている。
「確かに『いつでも』とは書いたが、この屋敷には昨日戻ったばかりだぞ」
「細かいことは気にするな。祝い事は早い方がいい」
軽口を叩いているけれど、カシウスの笑みには心の底からの喜びが滲んでいる。そして今度は、私のほうを見た。
「よぉ、マダム。先日はご返済どうも」
「その節はお世話になりました」
義母の脱税分を清算するため、彼の商会からは多額の融資を受けていた。金利は驚くほど良心的で、本当に助かった。
「まさかレオンが生きていたとは思わなかったが、良い誤算だな。どうぞ夫婦で末永くお幸せに」
「……ありがとうございます」
旦那様と並んで礼をしたものの、内心はアレクのことが気掛かりでたまらない。
それでもカシウスは終始ご機嫌で、世間話を流れるように続けていた。一方、私と旦那様は相槌を打つばかりである。
アレクはといえば、お皿の上のお菓子を黙々と食べている。――しかし。
「それにしても、アレクはレオンの生き写しだな。あと二十年もしたら、まったく同じ顔になるぞ。ちょっと横に並んでみろよ」
ぴくっ。とアレクが不機嫌そうに顔をしかめた。カシウスの何気ない言葉が癇に障ったらしい。
「ん? どうした、アレク?」
じろっとアレクに睨まれて、カシウスは首を傾げていた。アレクはそのまま、応接室から出て行ってしまった。
「ちょっと、アレク!」
ぱたん――と閉まった扉を見つめ、私は肩を落としていた。
「すみませんでした。ダリアンさん」
「お? なんだ? 反抗期か?」
「……アレクには私が注意してきますので、どうぞ旦那様とごゆっくり」
ソファから立ち上がろうとした私を制して、カシウスはひょいと腰を上げた。
「待ちな、マダム。俺が行ってやるよ」
「カシウス。なぜお前が」
「まぁ任せろ、生還祝いのおまけだよ。こういうのは親より他人のほうが上手くいくんだ。ま、お前ら夫婦はしっぽりやってろ」
軽い調子でウインクすると、カシウスは飄々と部屋を出て行った。
*
(……似てる似てるって、なんでみんな言うの? ぜんぜん似てないよ! ぼくあんなに、こわい顔してないもん )
アレクは、ムカムカしながら屋敷の外に出た。行くあてもなく中庭を抜け、厩舎のほうへ進んだ。
アレクは動物が好きだ。だから、自然と厩舎に足が向かう。馬のたてがみを撫でていると、なんだか気持ちが落ち着くのだ。――でも、本当はママと一緒に行くほうがもっと楽しいのに。
(……またママのこと考えちゃった)
立ち止まり、しょんぼりと肩を落としたそのとき。
『くぅぅ』
かわいい鳴き声がして、足元にぽふんと柔らかいモノが触れた。
「……なに、この子! かわいい!!」
真っ白でふわふわの小さな生き物が、アレクの足にすり寄っている。羽毛が生えていて翼もあるから、たぶん鳥のヒナだと思う。でも腕が2本あるし、顔つきがトカゲっぽい……。
『くぅ』
その鳴き声には聞き覚えがある。……朝に生肉を食べさせてあげた、アレだ。
「……ひょっとして、竜の赤ちゃん?」
『くぅぅ!』
真っ白のふわふわは、元気いっぱいの鳴き声で応えた。
「ええ!? なんでひとりなの? ママは!?」
『くぅー』
アレクは思わずその子を抱き上げ、親竜のいる石造りの厩舎を見つめた。
*
カシウス・ダリアンは、少し離れた場所からその様子を眺めていた。
(……なんだあの白いの。アレク、竜って言ったか。……あれが竜?)
話しかけるタイミングを窺っていたが、それより先に謎のふわふわがやってきた。アレクはそれを抱き上げて、石造りの厩舎に入っていく。
(あとをつけるか……)
窓越しに覗いた厩舎の中には、体長3メートルを越える白銀の竜。
(……マジかよ、竜だ! アレクの奴、食われるんじゃないか!?)
ぞくりと背筋が凍って、レオンを呼びに戻るべきだと考えた。しかしアレクは驚くほど馴れた様子で、大きな竜に近付いていく。
「ヴァイス。赤ちゃんが迷子だったよ」
『クゥゥ』
『くぅー』
どうやら親子の竜らしい。小さな竜は大きな竜に飛びつくと、するすると腹の下に潜り込んだ。そこには袋のようなものがあり、その中へと収まっていった。
「ちゃんとママといなきゃダメだよ?」
『く~』
(すげぇなアレク、怖がりもしないのか。それにしても竜なんて初めて見たぞ。へぇ……)
まじまじと見つめるうちに、カシウスの頭には商人らしい妙案が閃いた。
(あの竜を使えば空路が開けるんじゃないか!? 物資の輸送に護衛に観光……ビジネスの匂いがするぞ)
竜は人間とは相容れない生物の代表格だ。その竜をここまで飼いならすなんて、凄まじいことである。
(ノイエ=レーベン侯爵家と事業提携して、航空ビジネスを始めたいな。レオンに頼んで何匹か竜を斡旋してもらえれば――)
夢のような計画に思考を巡らせ始めたそのとき。
『グァアアアアア!!!!』
轟音が空気を震わせた。
厩舎の中の竜が、カシウスの覗く窓を鋭く睨みつけている。
「ひっ!?」
『ガアアアアア――!』
威嚇している。大きく翼を広げ、今にも襲いかからんばかりだ。
「えっ。なんで怒ってるの?」
アレクは肝が据わっている。竜のすぐそばにいながら、恐れる様子もない。
「どうしたの、おちついて?」
『グゥゥゥ!!』
「ん?」
竜の視線の先を追い、アレクは目をぱちくりとさせた。
「カシウスさん?」
「よ、よぉ。……アレク」
窓の外で凍り付いたように立ちすくむカシウスと、目が合った。
いつもありがとうございます!次話は明後日21:20頃です。一日おきの投稿で完結まで継続しますので、よろしくお願いします。





