【27】ジェシカの本音(夫視点)
「おい、ジェシカ……」
――私はひどく動揺していた。
本来ならば、女性に押された程度で倒れるはずがない。だが、彼女が倒れ込んできた瞬間に腰が砕けてしまった。気づけば視界が反転し、天井を仰いでいた。私の身体の上には、ジェシカが乗っかっている。
……何をしているんだ、私は。
「ジェシカ。しっかりしろ」
女性とは、こんなにか弱い者なのか? たった一杯で酔ってしまうとは……。
長い騎士生活の中、私は女性とは常に距離を取って来た。
さまざまな身分の女性から言い寄られることはあったが、すべてが厭わしく、遠ざけていた。とくに母と似たような香りのする女性は苦手だ。近づかれると、吐き気が込み上げてくる……。
――その結果、女性というものの加減がまるで分からない。
「すまない、飲ませ過ぎたか」
抱き起こそうとすると、ジェシカは駄々っ子のように首を振って言い張った。
「お気づかいなく……! わたし、ぜんぜん酔ってないので」
「酔っぱらいは皆そう言うんだ」
「でもわたし、この程度で酔っぱらうほどひ弱じゃないもん」
完全に酔いが回ったようだ。口調が子どもっぽくなっている。
「わたしを甘く見ると、大ケガしますよ? だってわたし、悪嫁なので」
「わるよめ?」
「そう、わるい嫁。わたしが決めたんです。いい名でしょ?」
えっへん。と胸を張っている。着痩せする体型らしく、薄手の寝衣だと豊かな胸がとても目立つ……いや、馬鹿か私は。
とても無防備で誇らしげに、ジェシカは私に語り掛けてきた。
「わたし、今までいろんなことを自分でやってきたんです。最初はひとりぼっちだったの。でも、負けないって決めてたんだから。バーバラお義母様になんて、絶対負けない。だって、アレクはわたしが守るの!」
母の名が出て、胸の中がざわついた。
「……やはり、母は貴女をひどく苦しめたのか」
「最悪ですよ、あんな女! 地獄におちちゃえばいいのに!」
酒の勢いもあってか、ジェシカの唇から本音があふれ出してきた。
「お義母様ったら、わたしからアレクを取ろうとしたんですよ!? 1歳の誕生日に、勝手に養子にしようとして! 書類まで偽造してたんだから!!」
「……なっ」
そんな話は初耳だ。
王宮では、母の脱税と断罪の件しか聞かされなかった。あとは妻の口から直接聞くべきだ――と。
「それだけじゃないんです。アレクをわざと誘拐させて、私を『母親失格』って責めてきました。本当に許せない。……わたし、自分が痛めつけられても、我慢できます。でも、アレクを傷つけられるのだけは許さない。あの子は、わたしの全部なんです」
殴られたような衝撃だった。
「そんなことが……」
ジェシカは、続けた。
「旦那様。お手紙、ありがとうございました。カシウスさんと会わせてくれて。おかげで、勝てました。脱税のしっぽをつかんで、滞納分も全部わたしが返したの。お金はカシウスさんから借りたけど……、もう全部返してあるので。ご心配なく」
うふふ、と自慢げに笑っている。
今まで、ずっと張り詰めていたのだろう。タガが外れて、すべて吐き出しているのが分かった。
アレクがどれほど大切か。私をどれほど恐れていたか――母を庇うために、妻を断罪するのではないか、と。
「私は、そんなことは決してしない」
「ですよね。でも、分からないでしょう? だってわたし、あなたを何も知らないもの」
真っ赤な顔のまま、ジェシカは頬を膨らませていた。
「ねぇ。……どうして、わたしなんかが妻なんですか? ……やっぱり、都合が良かったから?」
とろんと眠そうな眼で、ジェシカの声はどんどん重くなっていった。
「違う! ジェシカ、私は――」
「……ふん、いいですよ、都合のいい女で。でも、アレクのことだけは、いじめたらゆるさないから」
威嚇する仔猫のような目つきになって、ジェシカは私の鼻先をちょん、と指で突いて警告してきた。
「アレクをいじめたら、旦那様でもボコボコにしますから。……わたし、いい嫁じゃないので、わるよめ、なので――」
ジェシカは私の胸の上で、静かな寝息を立て始めた。
――ジェシカ。
私はジェシカの寝顔を見つめていた。酒に酔っていたとはいえ、彼女が本音を打ち明けてくれたのは私を少しでも信用してくれたからなのだろう。
切なさと愛しさが込み上げてきて、息もできない。
(……6年もの間、貴女は独りで戦ってきたのか)
邪竜と戦った私を、人々は英雄と称える。
けれど、真の英雄はどちらだ? たったひとりで息子を守り、寄る辺なき身で果敢に義母と戦う彼女は、私よりも遥かに勇敢なのではないか。
ジェシカの名乗った『悪嫁』という言葉が、胸に刺さった。守るべき者のためなら、悪を名乗ることも厭わない――ジェシカは強く美しい女性だ。
胸の高鳴りが、止まらなかった。こんなに鼓動が騒がしくては、彼女を起こしてしまわないだろうか? ――だが、熟睡しているようで良かった。
本当に、ずっと気が張り詰めていたのだろう。
(――必ず、幸せにしなければならない)
愛しい貴女と、貴女が生んでくれた息子を。
すっかり成熟した女性になったジェシカだが、寝顔はとてもあどけない。まるで、出会ったあの日のようだった。
穏やかに眠る彼女を見つめるうちに、子ども時代の記憶が込み上げてきた――。
次話は本日11/23の21時頃です。





