【24】寝室への呼び出し
凱旋式を終え、私たちはノイエ=レーベン侯爵領へ戻ろうとしていた。
もちろん、旦那様も一緒だ。これからは、彼も一緒に領主邸で暮らすことになる。
帰りの馬車の中、アレクは緊張で顔をこわばらせていた。
「……ママ。これからどうなるの?」
とても心配そうな声だ。……無理もない。
この馬車の中にいるのは、私とアレクだけ。
旦那様は同乗せず、自身の騎馬で先導している。
「そうね。……どうなるのかしら」
私は馬車のカーテンを少しだけめくって、窓の外の旦那様を見た。夕日を浴びた彼の後ろ姿は精悍で、まさに無敵の英雄といった風格が漂っている。
もし、あの『無敵の男』が私の敵になってしまったら……私に勝ち目などあるのだろうか?
思わず押し黙ってしまった私に向かって、アレクが質問を重ねる。
「ねえ。あの人、ほんとうにぼくのお父様なの?」
「ええ。間違いないわ」
「……お父様ってよばなきゃ、だめなの?」
アレクの顔は複雑そうだ。今までいなかった父親が、突然帰ってきたのだから当然だ。……しかも、お義母様のことがある。
「おばあ様のこと、言うの?」
「……そうね。言わなければならないわね」
誤魔化すことなんてできない。
「でも、大丈夫よ。だって私たちは、悪いことなんて何もしてないんだもの」
そう。私が義母に下した裁きは、正当なものだ。罪を犯した義母を、国王陛下の許可のもと領内で監督している――ただそれだけ。
罰としては穏やかだし、義母の尊厳にはある程度配慮しているつもりだ。……ただ、それを旦那様がどう受け止めるか。
(もし旦那様に『今すぐ母上の地位を戻せ! お前を投獄する!』とか言われたら……。一体、どうしたらいいのかしら)
アレクの不安そうな視線に気づき、思わずぎゅっと抱きしめていた。
「何も心配いらないわ。きっと旦那様も、じっくり話せば分かってくださるはずよ。何があっても、ママがアレクを守るから」
「ママ……」
アレクの呼び方は、いつの間にか「お母様」から「ママ」に戻っていた。小さな温もりを抱きしめながら、私は何度も自分に言い聞かせた――絶対にあきらめてはダメよ。二度目の人生、一生懸命に築き上げてきたこの幸せを、誰にも奪わせたりしない。
*
屋敷に戻ると、玄関ホールでは使用人たちが勢ぞろいしていた。旦那様に向かって、一斉に頭を垂れる。
「旦那様のご帰還を、心よりお待ち申し上げておりました」
使用人たちの祝福の声を聞いていると、このノイエ=レーベン家の正当な主人がレオン様なのだと改めて実感してしまう。
新しい家令のガードナーが、こちらに進み出てきた。
「お初にお目にかかります、レオン閣下。アレク様ならびにジェシカ様のご選任にて家令に就任いたしました、ガスパール・ガードナーと申します」
ガードナーは深々と礼をした。彼はとても誠実な人だ。以前は侍従長だったが、シュバルツが失脚してからは家令としてこの家を支えてくれている。
ガードナーは旦那様の活躍と生還に、恭しい祝福の言葉を贈った。けれど、その祝福の空気の裏には見えない緊張が張り詰めている。……他の使用人たちもだ。全員が、この家の均衡が崩れることを恐れている――とくに義母の件で。
私は覚悟を決め、旦那様の前に進み出た。
「旦那様。お話しなければならないことがございます」
できる限り丁寧に、けれど、一歩も引いてはならない。
はっきりと、旦那様に告げた。
「バーバラお義母様のことです。お義母様はこの屋敷にはおりません。現在は、ウィナカ村でご静養いただいております」
ウィナカ村は、領内南部にある小さな集落だ。風光明媚だが、産業も娯楽もない。空気がとってもおいしいけれど、お義母様には牢屋とほとんど変わらないと思う。
私は静かに目を閉じて、夫の怒声を待った。
『私の母上に何という非礼を!!』と、氷の美貌を崩して叫ぶ姿を覚悟して。
……だけれど。
「知っている。すでに王宮で報告を受けた」
降ってきたのは叱責ではなく平坦な声音と、なぜか温かな掌の温もりだった。
何を思ったのか、旦那様は私の頭に大きな掌を乗せてきた。そして表情を欠いたまま、まるで動物をよしよしするみたいに、軽く頭を撫でてくる。
(……え。私、どうして撫でられているの?)
意味が分からない。
しかし、ふと彼が竜の鼻づらを撫でるときの手つきと同じだと気が付いた。……もしかして、労いの意味だったりするのかしら? いえ、まさかね。
硬直していた私を見つめ、旦那様はいきなり距離を詰めてきた。私の耳元に口を寄せ、そっと囁く。
「――今晩、寝室で待っている」
「っ……」
耳朶を打つ声は低く淡々としていて、なのに色香を孕んでいる。旦那様の吐息が頬をかすめて、思わずびくりとしてしまった。
「貴女に言いたいことがある」
(言いたいこと……!?)
文句でも言う気なのかしら……。でも、だったら何で寝室なの? 一体何を考えているの……!?
私は呆然として旦那様を見つめたけれど、彼はすでに家令と話を始めていた。
「ガードナー。不在中の政務について確認したい」
「はっ」
「執務室で話を聞かせて貰おう」
「畏まりました、閣下」
そのまま、旦那様は家令を従えて執務室へと向かっていった――。
明日は昼・夜(12時・21頃)投稿します!
※当初は夜のみとお伝えしていましたが、増やしますのでよろしくお願いします。





