7.グリュンヴァルト平野の戦い(後編)
どれぐらいの時間が過ぎただろうか。
三度に渡り帝国兵を誘い込んだ俺たちは、ひたすらに迎撃を続け、やがて森の中には血の匂いが充満するようになった。
森の中での傭兵たちの戦いっぷりは、熟練のそれを体現し、帝国兵を肉体的にも精神的にも追い詰めていく。
特に、あちらこちらで指笛を鳴らしては、森の中を住処とする狼たちの鳴き声を誘発させ、それにひるんだ帝国兵の隙を見逃さず屠るというやり方は巧妙すぎるものだった。
このままずるずると消耗戦に持ち込めれば、レオンハルトも背後を突きやすくなるだろう。一瞬、そんなことが脳裏をよぎったものの、その希望は早くも打ち砕かれることとなる。
「まずいな。奴さんたち、引き始めたぞ」
誰に言うまでもなくゲラルトが呟いた。数回にわたる迎撃で、帝国兵も冷静さを取り戻したらしい。退却の号令と共に森の中から次々と離脱していく。
この分だと、俺が姿を見せたところでもはや確たる効果は望めないだろう。それに、あらかじめ準備していた罠も、帝国兵により、ほとんど消費尽くされている。
「さて、坊やどうする? 頼みの騎士さんはまだ来ないようだぜ」
舌打ちしたげな表情のゲラルトに、俺は努めて平静を装いながら返した。
「レオンハルトは間違いなく期待に応えてくれるよ。問題は、俺たちがこの場をどうやって切り抜けるか、それにかかっているんじゃないかな」
引いていく帝国兵を追撃しようものなら、無傷で控える本隊に迎撃されるだろう。では逆に、森の中に留まっておくべきかと聞かれればそうではない。
俺を捕らえることを諦め、全滅させるための手段を講じるのであれば、極論、森を燃やし尽くしてしまえばいいのだ。国境付近とはいえ、ここはベルンハルト王国領内。どんな被害が生じたところで、帝国側にとっては何の痛手もない。
俺たちとしては、帝国兵が次の一手を打ってくる前に、主戦場を変える必要性が生じるわけなんだけど。いやあ、現実というのは本当に厳しいもんだね。
次の瞬間、目撃したのは、たいまつを掲げた帝国兵の集団が、油をまき散らしながら森に火を放とうとしている光景で……。
最悪の展開に、冷や汗が流れ落ちながらも、俺と団長はそれになんとか対処するべく弓を構え、帝国兵に狙いを定める。
その時だった。
「後方より敵襲!」
「本陣に襲撃あり!」
絶叫に近い怒声が、帝国陣営から響き渡った。やがて。たいまつを手にした兵士たちも、戸惑いの表情を浮かべつつ、慌てたように引き下がっていくのだった。
「レオンハルトだ!」
たまらず声を上げる。同時に、ゲラルトは配下の傭兵たちに指示を出した。
「野郎ども! 縮こまっているのもここまでだ! 打って出るぞ!!」
***
森の外に出た俺たちを待っていたのは、敵本陣から立ち上る黒煙と、一〇〇〇以上の帝国兵の中にあっても、まったくひるむ様子を見せないレオンハルト率いる五〇〇の兵だった。
剣と剣がぶつかり合い、金属音がこだまする。土と血の匂いが立ちこめる中でも、特にレオンハルトの活躍は凄まじいものがあった。
周りを敵に囲まれても決して動じず、最小限の動きで敵の攻撃をかわしながら、剣を振るい、次々に敵兵をなぎ倒していく。その姿はまさに一騎当千の猛将であり、俺は惹きつけられるように、美しく凶暴的な若い騎士へと眼差しを向けた。
「ぼうっとしてる場合じゃないぞ、坊や。一気に突き崩す、またとない好機だ」
団長の声にハッとなった俺は、腰元に下げた剣を抜き取り、そして号令をかけた。
「突撃っ!」
ゲラルト率いる『暁の狼』が、叫び声を上げながら、一気に帝国兵に襲いかかる。数に劣るとはいえ、背後を突かれた帝国側の心理的衝撃は大きく、何より王国側は勢いに勝った。
挟撃の体勢となった俺たちは相手を打ち倒し、やがて不利と悟ったのか、帝国兵は退却を始める。
「アルフォンス様! ご無事でなりよりでございます!」
ようやく合流したレオンハルトは馬上から降りると、うやうやしく頭を下げた。
「帝国兵は敗走を始めました。どうか追撃のご命令を」
灰色の長髪をした美丈夫に対し、俺は静かにかぶりを振った。
「いや、ここが潮時だよ。帝国側から援軍が派遣されてくるかもしれない。むやみな追撃は避けた方がいいだろうね」
「はっ」
やや不満な面持ちを浮かべるレオンハルト。俺は諭すように、その労をねぎらった。
「それより、よく帝国の本陣を落としてくれた。おかげで俺たちも助かったよ」
「いえ、思ったより行軍に時間がかかってしまいました。アルフォンス様の御身を危険にさらす結果となってしまい、面目次第もございません」
「そんなことはないさ。絶好のタイミングだったよ、ねえ、団長」
振り返った先にはゲラルトがいて、鉄製の前当てについた返り血をそのままに、不敵に微笑んでいる。
「まあ危機一髪というより、危機五髪ぐらいだったがな。よくやったと思うぜ」
これは皮肉というより、むしろ褒め言葉に近いんだろうな。そんなことを考えていると、レオンハルトの視線がゲオルクの方へと向いた。
「アルフォンス様を守っていただいたこと、貴殿には感謝の申しようもない。この通りだ」
そういった素直に頭を下げる。口笛の一節でも奏でたい、そんな表情を作りながら、団長は妙に礼儀正しい若き騎士に応じるのだった。
「いやいや、礼には及ばんよ。雇用主の安全を守ってこその傭兵団。仕事を果たしたまでさ」
「……そうか。それなら結構」
お互い、わずかでも信頼関係が結べたのだろうか? こんな短いやり取りだけでは察することができないけどさ。
やがてレオンハルトはこの戦いにおける戦果と被害状況を確認するため、座を外し、兵たちをとりまとめて去って行った。
「若いが、まあ、なかなかにやるもんだ。胆力だけじゃなく、統率力もある」
この人にしてみたら、最大級の賛辞であろう言葉を聞きながら、俺は軽く肩をすくめる。
「直接、本人に言ってやればいいのに」
「いやいや、甘やかすのはよくないぞ、坊や。若いのはすぐに増長するからな。ある程度は厳しくしないといかん」
赤褐色の短い頭髪を片手でなでつけながら、ゲラルトは応じた。まったく素直じゃないな。
「傭兵団の被害状況は?」
「けが人が数名、死者はゼロだ。まったく、せっかく腹を空かせていたっていうのに、帝国兵の連中もふがいない。前菜にもならなかったな」
戦争を料理に例える異常性に、なかば呆れつつ、俺は長年の付き合いがある人々の無事を喜ぶことにした。幼い頃から交流がある人たちが死ぬというのは、やはりつらいものがあるからな。
同時に、自分の立案により、死んでいった帝国兵たちのことを考える。そうするしかなかったとはいえ、なにかほかに方法がなかったのか? 戦う以外に解決する術がなかったのか、問い続けることは無意味なことではないはずなのだ。
「こんなことは二度としたくないもんだな……」
間近で目撃した戦争の愚かさを痛感したものの、同時に、俺はやけに冷静に振る舞える自分自身に気付いて愕然とした。
森の中で抱いていた嘔吐寸前の感覚は、戦いの最中で自然と収まり、最後は無我夢中で剣を振るっていたのである。
興奮していた、必死だった、言い訳はいくらでも挙げられる。湧き上がる自己嫌悪の思いをごまかすように、俺は頭をかき回した。
……後にまとめられたレオンハルトの報告によれば、五〇〇の王国兵の内、死者は六七人、重軽傷者五三人。
そして、重軽傷者を含む五〇〇近い人数の帝国兵を捕虜としたそうだ。帝国側の本陣に残された戦利品も数多く、ミヒャエルがいたらきっと目の色を変えていただろう。
ともあれ。
統一歴三一五年三月。敬愛すべき長兄殿下のやらかしに端を発した、ベルンハルト王国対ラインフェルト双鷲帝国による国境紛争は、双方痛み分けの様相で幕を下ろすことになった。
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連続更新3日目です!
続きは12時に!




