6.グリュンヴァルト平野の戦い(前編)
澄み切った空気と共に陽光が差し込み、あたり一帯を柔らかく照らし出す。
わずかな仮眠をとった俺と、ゲラルト率いる傭兵団『暁の狼』は、先手を打つように出陣した。
本音を言えば、もう少し休みたいところだったんだけど、「敵に後れを取るのは嫌だ」という傭兵たちの声が思いのほか強く、明け方に行軍を開始することになったのだった。さすがは『暁の狼』という名が示すとおりの行動力というべきか。
「なに、少しでも早く暴れたいだけだろうさ」
軍馬にまたがったゲラルトが苦笑し、くつわを並べる俺に視線を向けた。
「ともあれ、お膳立ては整った。あとは坊やの啖呵次第ってやつだな」
俺がベルンハルト王国の第七王子と知らしめるための口上は昨夜の内に考えてある。とはいえ、人前に立つこともスピーチも苦手なので、ある意味、これが正念場といえなくもない。
「見栄えのいい白馬にまたがっているんだ。大陸中に響き渡る名台詞を頼むぞ」
俺の声量じゃ二〇〇〇人はおろか、二〇〇人に届くかどうかも怪しいところだけどね。せめて拡声器か、マイクにスピーカーがあればなあとか考えていると、遠く前方の光景が慌ただしいものへと変化していくのがわかった。
土埃を上げ、軍勢が迫ってくるのがわかる。見間違いようもない帝国兵だ。
「おいでなすった。さあ、仕事の時間といこうか」
気負うこともなくゲラルトは呟き、その距離を狭めていく。俺たちにとっての『グリュンヴァルト平野の戦い』が幕を開けようとしていた。
***
相対距離にして、わずか二〇〇メートルほど。眼前には一糸乱れぬ帝国兵が待ち構えている。
こちらのわずかな兵力に対しても、一気に襲いかかることもなく、まずは様子をうかがおうというのは、さそがし意思疎通が統一されているのだろう。感心を覚えながらも、俺としてはそこを崩さなければならない。
心臓の音が体中に響き渡る。できれば誰かに変わってもらいたいという欲求をなんとか抑え込み、俺は白馬を操って、一人、傭兵団から一〇〇メートルほど前に進み出た。
前方から向けられる殺気が皮膚ごしに伝わってくる。思わず生唾を飲み込んだ俺は、意を決すると、喉をからすほどの大声を張り上げた。
「我が名はアルフォンス。神聖にして不可侵、人界における唯一の統治者ベルンハルト十三世の第七王子である!」
軽いざわめきが帝国兵の間から湧き上がるのが見えた。何を言っているかまではわからないけれど、おおかた、王子がいるぞとか噂しているんだろう。
「田舎者揃いのラインフェルト双鷲帝国よ! 兵法も知らぬ無法者のそなたらに、この私が戦の神髄を教えようではないか!」
普段より長兄殿下からありがたいお言葉を賜っていると、自然と人を怒らせる術が身についてしまうから嫌になるね。もっとも、ここは激昂してもらわないといけない場面なので、続けざるを得ないんだけどさ。
「鼠の尻尾ほどの勇気があるのならば、かかってくるがよい! 返礼として、そなたらの屍をこの草原全体に埋め尽くしてくれる!」
そしてとどめの高笑い。気分は悪役そのものである。かすかに耳を澄ませると、後方から「いいぞー!」とか「もっとやれ!」なんて言葉と共に、口笛まで響いてくる始末。みんな気楽でいいなあ。
とはいえ、そんな余裕は一瞬にして弾け飛んだ。俺の発言を黙って聞いていた帝国兵たちが猛然と突っ込んできたからだ。
怒り、屈辱、殺意。負の感情を隠そうともせず、剣や槍を手に殺到する光景を目の当たりにしながらも、俺はじっと耐えて、その場を動かない。
やがて、帝国兵の動きを観察していた『暁の狼』が動き出す。
「ひ、ひぃ!! あんな大軍、とても敵わねえ……!!」
「王子なんて知ったことか! 俺は逃げるぞ!」
表面上は怯えを装って、傭兵たちが一目散に敗走を始めるのだ。それはあまりにも真に迫っていて、蜘蛛の子を散らすように森林目指して駆け出していく姿は、本当に逃げ去っていくようにも見える。
「ま、待て! お前たち、逃げるな!」
決められた台詞を呟き、ようやく俺も動き出す。傭兵団の後を追うようにして、森林目掛けて敗走を始めるのだ。
ただし、あまりに逃げるのが速いと帝国兵が追いつけなくなる場合もある。距離を一定に保ちながら、相手を森の奥深くまで引きずり込む必要があるわけで……。
と、そんなことを考えていた矢先、風を切る鋭い音とともに、左耳をかすめるようにして矢が飛んできたのがわかった。
あっぶねっ! 余計なこと考えて動いてたら弓兵の的になるだけだな、これはっ!?
前言撤回とばかりに、全力で森へと向かって馬を走らせる。派手な服装も弓兵にしてみれば単なる的だ。囮になるのは承知していたけど、ここでやられてしまっては意味がない。
「坊や。名演説だったな」
やがて速度を合わせるように軍馬が近づき、ゲラルトは悪い笑みを浮かべるのだった。
「この分だったら、奴さんたち、必死になって坊やのことを追ってくるだろうぜ」
「昨夜のうちに、頭を悩ませたかいがあるってもんだね」
「違いない。とにかく、まずは本陣を目指すぞ。馬を置いたら森の中に入る。罠だらけだ、はぐれないよう、おれについて来いよ」
頷きを返し、俺は再び馬を走らせた。本陣は目と鼻の先。そこから先は第二幕の始まりだ。
***
森の中に舗装された道はない。獣道がせいぜいなので、大軍が一挙に押し寄せる心配はないが、反面、兵を潜ませやすいと思われる可能性も強く、俺としては祈るような気持ちで帝国兵が進軍してくるのを待っていた。
「いたぞ! あそこだ!」
「王子を捕らえろ!」
そんな声が森の中に響き渡る。どうやら、伏兵に襲われる危険よりも、俺を捕まえる魅力が上回ったみたいだ。賭けに勝った気持ちが芽生えながらも、ゲラルトの案内のもと、帝国兵が俺のことを見失わないよう、慎重に森の奥深くへ逃げ続ける。
「連中、なかなかに賢い。追ってきているのは、せいぜい二〇〇人ってところだな」
「その規模からすると、先遣隊って感じかな。罠があるかどうか、確かめるためのね」
「そうか。それなら派手に歓迎してやらないとな」
奥に奥に進みながら、ゲラルトは視線を上に送った。木の上では配下の傭兵たちが控えていて、弓を手に帝国兵を待ち受けている。
「……うわあああああっ!?」
程なくして帝国兵が驚愕の声を上げた。動物用の罠に引っかかった兵士の足が、縄でくくられ、空中に持ち上げられたのだ。
それを傭兵たちは見逃さない。四方から放たれた矢が全身に突き刺さり、どろりとした赤い液体がしたたり落ちると、帝国兵は短い絶叫を挙げて、その命を落とした。
「おのれ伏兵か!」
そう言って剣を構える帝国兵の背中に、長槍が突き刺さる。声にならない声を上げた帝国兵を見て、傭兵はいったん槍を抜きとってから、とどめとばかりに再度、槍を突き刺した。
帝国兵の胴体を貫通したその先端がたちまち朱色に染まっていく。茂みの中に隠れていた傭兵による狙い澄ました痛撃である。
いよいよ『暁の狼』たちが、その牙をむき始めた。もともと、ゲラルト率いる傭兵たちは森の民の出身で、狩猟を生業としていたのである。
よって、森林を戦闘領域とした彼らのアドバンテージは帝国のそれを遙かに上回り、傭兵たちは、逃走する演技の観劇料金をせしめるかのごとく、帝国兵の命を次々と奪っていくのだった。
兵士たちの荒い息遣い、そして悲鳴と絶叫がこだまする。その森の中を今度は逆方向に、俺とゲラルトは本陣に向かって移動を開始した。より多くの帝国兵を引きずり込むため、いまいちど“餌”を披露する必要があるのだ。
途中、落とし穴にかかった帝国兵の無残な姿も目撃した。先端のとがった木片が全身を突き破り、腹部からは内臓がどろりとこぼれ落ちている。
つい先ほどの出来事なのだろうが、死体の周辺にはすでにハエがたかっていて、そのおぞましさに、喉元へとせり上がる嘔吐感を必死に抑えながら、俺は自分自身が立案した作戦の業の深さを痛感したのだった。
「余計なことを考えるなよ、坊や。まずはここを切り抜けるぞ」
こちらの様子をそれとなく察したゲラルトが背中を叩く。俺は真一文字に口元を引き締めると、表情をあらため、帝国軍の主力が待ち受ける場所を目指した。
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2日目はここまで!
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