5.決戦前夜
ミヒャエルが城に向かった直後、俺たちは密やかに行動を開始した。
王国の国旗は剣と絡むようにして描かれた龍が特徴で、ベルンハルト一世――勇者ヘルムート――の邪龍討伐がモチーフとなっている。
その国旗を、本陣を埋め尽くすぐらい大量に掲げておく。帝国兵に、王国にはまだまだ大勢の兵が控えているぞと錯覚させるためだ。
悲しいかな、長兄殿下の無謀な作戦で兵を失ったことにより、本陣には大量の旗が不良在庫のように残っている。相手からしてみたら子供だましかもしれないけれど、やってみる価値はあるわけで、ここはせいぜい有効活用させてもらおうじゃないか。
「大暴れしてやろうぜ、団長!」
国旗を掲げる作業にいそしみながら、『暁の狼』の団員たちが豪快な笑い声とともに気勢を上げる。総勢二〇〇〇の帝国兵に対し、たった二〇〇人の傭兵団が立ち向かおうというのだ。まともに考えれば狂気の沙汰じゃないんだけど、この人たちには気負うところがないらしい。なんだろう、生まれながらにして戦闘狂なのかな?
考えてみれば、幼少期からこんな人たちと付き合ってきたのだ。朱に交わなくてよかったなとか、つくづく思うよね。まあ、そもそもの話、幼少期時代はこの人たちの“仕事”を目撃する機会もなかったんだけどさ。
……で、そんな戦闘狂たちの長であるゲラルトはといえば、団員たちの声に不敵な笑みで応じつつ、一方で、夜半過ぎに行動するための指示を与えたりしている。
帝国兵が寝静まったのを見計らい、本陣を移動するためだ。大量に掲げた国旗も、その際にはほとんど処分しなければならないので、二度手間になってしまうのだが、やむを得ない。
「なぁに。連中にしてみれば、食前の運動みたいなもんだ。料理を平らげる前には腹を空かせておかないとな」
不敵な笑みを浮かべるゲラルト。帝国兵との戦いも、この人に言わせれば食事の一環になってしまうようだ。救いがたいのか、頼りがいがあるのか、判断に困ってしまうな。
「しかしな、坊や」
さりげなく俺の横に近づいた団長は、ほかの団員たちには聞こえないような声で呟いた。
「森の中に罠を仕掛けたが、あいにく数に限りがある。現実問題、長時間に渡って二〇〇〇を相手にし続けるのは難しいだろうな」
不敵な笑みはそのままに、団長は冷静な分析を続ける。
「あの長髪の騎士さんが上手いこと背後に回らなければ、坊やもおれたちも揃って全滅しかねんぞ」
そんなことは言われるまでもなく承知の上だ。俺としては双方を信頼して作戦を立案したのだが、レオンハルトもゲラルトも、残念なことに相互不信の種を心の中に植え込んでいるようで、いまいちその力量を評価できないらしい。
「それに、帝国兵が森の中まで追撃してくるとも限らん」
赤褐色の短い頭髪をなでつけながら、ゲラルトは別の問題を提起した。
「相手は経験豊富だ。伏兵が潜んでいることを当然考えるだろう。森の中まで引きずり込むにしても、何かしらの餌がない限りは難しいぞ」
団長の指摘は的を射ていて、実は作戦を立案した際に悩んだところでもあるんだけれど。幸いにも長兄殿下の敗走が、一役買ってくれそうなのだ。
「長兄殿下が逃げ去った際、帝国兵は伏兵があるんじゃないかと思って追撃しなかっただろ? でも、そんなものは存在しなかった。その事実は、戦闘を終えた帝国側もわかっているんじゃないかな」
「あのバカ殿下に、そんな器用な真似はできやしないだろうからな」
「つまり、すでに餌はまかれているわけさ。次に俺たちが敗走すれば、どうせ伏兵はいないだろうと踏んだ帝国兵は猛然と追撃してくるだろうね」
「なるほど。一理あるが、それでも引きずり込むための策としては弱いな。なにか、帝国側にとって魅力的な餌があれば、決定打となり得るんだが」
たとえば、金銀財宝、剣や盾といった装備品、糧食などなど。敗走時にそれらのものを放り投げておけば、指揮官はともかく、目先の欲にくらんだ一般兵士たちは突っ込んでくるだろう。
ゲラルトはそう言うが、あいにく、それらの品々はミヒャエルが城に戻る際、負傷兵とともに一切合切を引き払ってしまったで、本陣には残されていない。
とはいえ。
帝国側にとって、ここにはまだ魅力的な餌が残されているのだ。小首をかしげる団長に、俺は軽く微笑んで応じた。
「帝国兵は名誉や誇りを大事にするんだろう? それが鍵になるのさ」
***
大量の旗をはためかせているのが功を奏したのか、はたまた様子をうかがっているだけなのか、日中の間、帝国兵が動き出す様子は見られなかった。
ひとまず安堵したものの、警戒は怠れない。細心の注意を払いながら、時が過ぎるのをじっと待ち、そして迎えた夜半過ぎ。俺たちは次の行動を開始した。
掲げた国旗を打ち壊し、本陣を捨て、西側にある森の前に軍勢を移すのだ。できるだけ静かに執り行う必要があるんだけど、なんというか、傭兵団のみなさん、国旗を打ち壊すのが大変にお好きなようでして……。
それぞれ思いつく限り、王室への罵詈雑言を叫びながら、斧などで国旗を打ち壊す始末。うーん、これは相当に恨みを買っているな、我が王家。まあ、国民に重税を敷いているし、結果として、長兄殿下みたいな人物を養っているのがわかれば、自然とそうなってしまうのも無理はないか。
とはいえ、こんなに目立ってしまっては極秘裏に進める意味は持たず。
俺としては、いつ帝国側にばれるんじゃないかとヒヤヒヤしていたのだけれど、連日連夜、長兄殿下たちが酒宴でバカ騒ぎしていたおかげか、相手にもいつものことかと思ってもらえたみたいだ。度の過ぎた殿下の行動も、役に立つことがあるんだなあ。
とにもかくにも。大量の国旗を破壊し終えた後も、まだまだ物足りないという団員たちをなだめつつ、俺たちは西側へと行軍を開始した。そして森の前に簡易的な陣地を作り、翌朝まで待機するのだ。
その間、団長から傭兵たちに対し、徹底した意思統一が図られた。つまり、森の中へ引きずり込むまでは決して帝国兵と交戦しないこと。そのために、恐れをなして逃げる演技をすることなどなど。
耳を傾けていた団員たちはそれぞれに、
「役者じゃねえんだ。演技とかしたことねえよ」
「途中で吹き出しそうだぜ。帝国の連中にばれやしねえかな」
など、口々に語っては、深刻さとは無縁の笑い声を立てている。個人的には名演技を期待したいところである。
「おれとしては、こいつらの演技より、坊やのほうが不安だがね」
肩をすくめ、ゲラルトはこちらに視線を移す。
「帝国兵を引きずり込む、魅力的な餌には違いない。だが、一歩間違えれば死の危険性もある。それを承知の上で、坊や自身が餌になろうって言うのかい?」
団長の言葉に耳を傾けながら、俺はちょっとしたパーティにでも参加するような優美かつ目立つ衣装を取りだして、いそいそとそれに着替え始めた。
「もちろん。帝国兵も第七王子を相手にしているとわかれば、目の色を変えて追ってくるに決まっているだろうしね」
とかく名誉や誇りを大事にする帝国兵なら、なんとしてでも王国側の王族を捕らえるなり首を上げるなりしたいはず。
その欲求を想定し、俺自身が先陣に立って、囮ならぬ餌になろうと申し出たのである。
「意気込みは買うがねえ……」
承服しかねるというゲラルトを説き伏せるように、俺は口を開いた。
「団長も言っただろう? 決定打が欲しいって。であれば、これ以上、魅力的な餌はないよ」
「雇用主を危険な目に遭わせる真似はしたくないんだがな」
「悪あがきをしようと決めた時点で、もはや安全な場所はなくなっているんだよ、団長。ここは仲良く覚悟を決めようじゃないか」
嘘である。内心、不安でどうしようもない。アルフォンスとして転生した人生も、ここで終焉を迎えてしまう。そんな予感すら脳裏をよぎるのだが、同時に、ここを乗り越えなければ未来すらないのだ。
やがて肺が空になるほどに大きく息を吐いたゲラルトは、覚悟を決めたように、清々しい表情を浮かべ、俺を真っ直ぐに見つめた。
「わかった。くれぐれも言っておくが、おれから離れるなよ? 命に代えても、坊やを守ってやる」
「わかった。頼りにしてるよ、団長」
そんな言葉を交わしながら、時は過ぎゆき、そして夜は明ける。
***
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