37.昼食会
……愉快? 愉快ってどういう意味だ?
率直な疑問に小首をかしげそうになっていた矢先、食堂の扉が開く音が耳を捉え、俺は視線を動かした。
そこには見慣れたパンツルックに着替えた美貌の補佐官がいて、拗ねた表情を浮かべている。
「なんだ? 着替えたのか、エレオノーラ」
「ええ、お父様がからかいますから」
執事が椅子を引くと、エレオノーラは腰を下ろす。顔も見たくないと言わんばかりにそっぽを向く様子が、逆に微笑ましいものだったみたいで、ルードルフは笑いを堪えるのだった。
「何を言うか、我が娘ながら着飾ったお前は国一番の美人といっても過言ではないのに。そうでしょう? アルフォンス殿下」
「……え? ああ、その通り。エレオノーラ殿の麗しさは宮中の淑女もかなわないほどだ」
頼むから俺を巻き込まないでもらえないだろうか?
そりゃあね、本当に綺麗なので同意する以外の選択肢がないんだけど、言葉のチョイスを間違えちゃうとセクハラまがいになっちゃうからさ。
せっかく仲良くなってきたのに、また嫌われるのはゴメン被りたいんだよなあと、そんな思いが脳裏をよぎる中、エレオノーラはといえば、俺からもついと顔を背けているわけで……。
はあ……。やっぱりな。こういうことになるからうかつなことは言えないんだよ。反省しなければ。
……それにしても、エレオノーラさん、ずいぶんと耳が赤いな? ワインを飲んで酔ったわけでもないし、どうしたんだろうか?
「おお、そうだ」
執事がエレオノーラの前にスープを運び込むのと同時に、ルードルフは切り出した。
「以前、お前から持ちかけられていた相談だがね。殿下のお味方になってくれるであろう人物を紹介することにしたよ」
「本当ですかっ!?」
「うむ。奴ならば、間違いなく殿下のお力になってくれるだろうからな」
そう言って、ワインを喉元に流し込むルードルフに何かを感じ取ったらしい。エレオノーラはスプーンを宙で止め、不審な眼差しを父親へ向けるのだった。
「お父様……。もしやジークムントおじ様を引き合わせるおつもりですか?」
「その通りだが?」
かぶりを振るうエレオノーラ。……え? もしかすると危険人物なのか?
もっとも、そんなことを面と向かって聞くわけにもいかず。せいぜい控えめに俺は尋ねるのだった。
「ジークムント殿だったか? その人物をエレオノーラ殿はよくご存じのようだ」
「幼い頃よりお世話になっていた人でして。アーベントラントに隣接する領地を治めておられるのですが……」
ああ、なるほど。領主なのか。……隣の領地はネーベルヴァルトだっけ。詳しいことは知らないんだよなあ。
とはいえ、ヘッセン家と懇意にしているぐらいなら、そんなに悪い人物とは思えないんだけど。なにを思い悩むことがあるのだろうか?
「その、なんといいますか、豪放なお人柄といいましょうか……」
慎重に言葉を選ぶ娘の様子を見て、ルードルフは話題を打ち切るように続けるのだった。
「いずれわかることです、殿下。お目にかかるまで楽しみにしていただければ。それより、ワインが進んでいないようですぞ、逸品を用意しましたので楽しんでください」
「お父様っ。アルフォンス様は十六歳になられたばかりなのです。慣れない酒を勧めるのは失礼ですよ」
「成人になられたのだ。であれば、酒を嗜まれる機会も増えるだろう。いまから慣れておかなければ」
ささやかな親子のやりとりを肴に、俺はワイングラスを口に運んだ。元を辿れば、中身は三十過ぎのオッサンなので、お酒は大好きなんだけど、アルフォンス君の身体は慣れてないかもしれないからなあ。
エレオノーラの言うとおり、最初のうちは控えめにしておこう……と思っていたんだけど。
このワインが超絶美味いんですよ。体中に染み渡るってやつ。うわー、これは危険なタイプだわあと、気がついたらグラスが空に。
「いける口ですな、殿下。ささ、もう一杯」
「お父様ったら、もうっ。アルフォンス様、父の勧めなど聞かず、どうかご無理なさらないでくださいね?」
心の底から心配するエレオノーラの声に頷いて応じながらも、俺は内心、喜びを隠せないでいた。
まさか、異世界でこれほどまで美味しいワインに出会えるとは思ってもみなかったのだ。それほど詳しくないけど、素人でもわかる風味と重厚さ。いやはや、恐れ入りました。
とはいえね。優秀な補佐官の目もありますから。
この場ではせいぜい控えめにしようと。二……いや、三杯ぐらい? そのぐらいで止めておこうかななんてね。そんなことを考えていた、まさにそんな時、思いもよらない問いかけがルードルフの口から発せられた。
「ところで殿下。ご結婚する気はございませんかな?」
ガチャンという音に視線を動かすと、食器にスプーンを落とすエレオノーラがいて、慌てて駆け寄る執事にごめんなさいと声をかけている。
「私はまだ十六歳。結婚は早いと思うが」
「成人と同時にご成婚を挙げられるのは、別段、不思議なことではございません。ましてや殿下なら周りが放っておかないでしょう」
「ご存じだと思うが、ルードルフ殿。私は相当に嫌われているのだ」
「それは宮中だけのお話。アーベントラントは殿下をお慕いする者ばかりですぞ」
領民のことを考えて執務を行ってきたつもりではあるから、そうだといいんだけどねえ。
まあ、いずれにせよ、相手もいない俺には気の早い話だ。ルードルフがなんでまたそんなことを口にしたのかはわからないけどさ。
……それにしたってエレオノーラさん、スープ飲むの早すぎません? そんなに焦らなくても、料理は逃げないから大丈夫だよ?
「行儀が悪いぞ、エレオノーラ」
「っ、失礼しました。殿下の前でお恥ずかしい」
父親の注意を受け、エレオノーラは恥ずかしそうにナプキンで口元を拭った。
「まったくお前は昔からそういうところがあったな。亡くなった母さんにそっくりだ」
「誰のせいだと思っているんですか。お父様が変なことを口にするから……」
ちらりとこちらを見て、エレオノーラはすぐに視線を引き戻した。執務中は冷静沈着なお姉さんって感じだけど、父親と接するこの様子が、彼女にとって素の姿なのかもしれない。
そんなことを考えると、結構、親しみを覚えるわけで。
この昼食会を機に、もう少し仲良くなれればいいなあとか、そんな風にも思ったけど、距離感を間違えたら最後。また氷点下の眼差しを向けられるかもしれないから注意しておこう。
それはさておき。
ついさっきまで反乱を勧められていたのとはまるで違う、温かな食卓に心が満たされたのは正直嬉しい限りだ。
願わくば、最初からこんな感じで進めていってもらえたらありがたかったんだけどなあ。エレオノーラのドレス姿も、もっと眺めていたかったし。
貴族の世界は陰謀と穏やかさが表裏一体なのかもしれない。俺にとってはそんなことを気付かされたひとときになったのだった。




