33.毒杯
葬儀が終わった夜のこと、『鷹の間』という大広間に場所を変え、会食が設けられた。
参列者をもてなすための“ちょっとしたパーティ”みたいなもので、立食スタイルながらも、あまりの華美さにくらくらしてしまうほどだ。
テーブルの上には鹿肉のローストやら白身魚のソテーやら色とりどりのフルーツやらが、所狭しと陣取っていて、王侯貴族たちはワイングラスを片手に様々な場所で談笑の花を咲かせている。
民衆には年内いっぱい喪に服すよう通達を出しているのになあとか、そこはかとない疑問が脳裏をよぎったものの、これがきちんとした形式のパーティだと、これに楽団とかがついてダンスパーティなども併せて開催されるみたいだし、それに比べたら、一応は粛々と執り行われているみたいだ。
まあ、日本でも通夜振る舞いや精進落としはあるし、それと同じような会食だと思えば……、無理だな。規模が違いすぎる。国王葬儀のあとの会食だもんな。
で、せっかくのごちそうが並ぶ中、俺はといえば何も手をつけることなく所在なげに、大広間の片隅に佇んでいるのだった。
正直、食欲なんてどこかに消え失せているわけですよ。
いや、自分でも考えすぎだと思うんだけど、どこに悪意や策謀が潜んでいるとも限らないからね。
エーミールによるクーデター。
葬儀の最中に感じ取った腐臭を再び思い出し、俺はかぶりを振った。優秀で知られる第二王子が、凡俗な第一王子の下に甘んじて仕えることをよしとするのか?
しかしながら、エーミールが政権転覆を企てるとしても、成功させるにはいまのところ問題が多いとみえる。
王妃や宰相をはじめとする中枢にいる人物たちはミヒャエル派閥である。政権転覆を謀ったとしても、これらの存在を無視して国政を取り仕切ることは難しいだろう。
なにより、政権転覆には大義がない。
もっともらしい理由がないまま兄を排除して国王の座につくとなれば、エーミール自身、少なからず汚名を着ることになる。若きカリスマがそれを許容するだろうか?
ああでもないこうでもないと様々な考えを思い巡らせ、俺は以下のような結論を導き出した。
・エーミールがクーデターを実行するにしても当面先になる。
・兄弟殺しの汚名を回避するためにもミヒャエルの命を奪うまではしないだろう(おそらく幽閉になるか?)。
・エーミールが国王の座につけば、国政は彼が掲げる軍国主義への変貌を遂げる。
……端的にいって、最悪の方向に進んでいくな。待っているのはラインフェルト双鷲帝国との正面衝突だし。
かといってミヒャエルが国王の座についていたほうがいいのかといえば、それもまたどうかって感じで、こちらもこちらで帝国を滅ぼすぞと、普段から息巻いているぐらいだし……。
あれ? これ、もしかして詰んでるんじゃないか?
戦争は金がかかる上、国が疲弊するんだよなあ。できることなら避けてもらいたいんだけど、あの二人にそんな考えはないんだろうな。
ともあれ、だ。
次期国王はいまだに決まってないのだ。一定の猶予が残されているものと考えて、俺は俺にできることをやるしかないかと思い直した。
アーベントラントの復興、兵力の増強、経済の安定。……うーん、時間も金も足りないな。
なにより、それを着手できるか以前に、今日、俺が宮中から無事に出ることができるかどうかが不透明なままなのだ。
暗殺計画を企てているのが、エーミールなのかミヒャエルなのか、未だにわかっていない上、賑やかな会食の場では多少のアクシデントが起きたところで気付かれない可能性が高い。
例えばワイングラスを持ってきた給仕が刃物を隠し持っていて……なんてことが起きても、こちらには防ぎようがないし。
あるいは勧められたワインの中に毒が混ぜられているとも限らない。十六歳は飲酒可能な年齢なので断るに断れない上、相手がミヒャエルやエーミールならなおさらである。
(デニスの賄賂が効力を発揮して、誰かがこの場から救い出してくれるといいんだけどなあ)
ぼんやりとそんなことを考えていた、そんな時だった。
「アルフォンス様」
ふと名前を呼ばれたことに気付いた俺は、視線を平行移動させた。眼差しの先にはにこやかな笑みを浮かべる壮年の給仕がいて、俺はもしかするとという希望的観測を抱きながら、話の続きを待った。
「まもなくミヒャエル様からご挨拶がございます。つきましてはワインをお預かりしました。乾杯の際に飲まれるようにとおっしゃっております」
そう言って、赤紫色の液体で満たされたワイングラスを手渡される。明らかに毒杯の予感しかしないんですけどっ!
こういうのって、トレイに乗ったグラスから好きなものを取ってくださいっていうのが普通じゃないか。なんで一杯だけ直々に渡してくるんだよっ。怪しさしかないだろう!?
えぇ……? アレか? いろいろと考えていたけれど、ミヒャエルが俺を害そうとしていたことは確かなのか、これは……?
暗澹たる気持ちでグラスを覗き込んでいると、耳なじみのある声が『鷹の間』に響き渡った。
「親愛なる諸君! 今宵はよく集まってくれた。亡き父グレーゴールも天から諸君らの忠誠を喜んでいることだろう」
注目を集める中心にはミヒャエルがいて、権力を誇示するように壇上に上がり、ワイングラスを掲げては声を上げている。
「諸君。余が即位した暁には、今まで以上に諸君らの忠勤に応えるつもりだ。どうかこれからもベルンハルト王国の礎となり、ますますの発展に寄与してもらいたい」
即位、という単語ののち、ところどころでささやきあう声が聞かれた。いわく「ベルンハルト十四世の誕生ですな」とか「気が早い」とか、肯定と否定が半々といった感じだ。
それらの声は本人の耳に届いているのだろうか? ミヒャエル自身は意に介する様子もみせず、むしろ次期国王としての自信に満ちた表情で声高らかに続けてみせる。
「諸君! 今宵は愛する父、ベルンハルト十三世との別れの日である。悲しき一日となった。しかし、それは同時に輝かしい栄光への始まりの時でもあるのだ。余が率いるベルンハルト王国の希望に満ちた未来に、ともに杯を掲げようではないか! 乾杯!」
「乾杯!」
広間に集まった参列者全員がグラスを掲げ、それを口へと運んでいる。赤紫色の液体が各々の喉を流れていくのを見届けながら、俺はさすがに躊躇いを覚えるのだった。
(ここまで露骨に毒杯を渡すとは思えないけれど……)
とはいえ、相手はあのミヒャエルなのだ。考えなしに行動に移すとも限らないわけで……。
とまあ、一人だけそんな調子だったのが目立ってしまったんだろう。頬を射貫くような眼差しに気付いて視線を向けた先には、明らかに不機嫌なミヒャエルがいて。
演説に水を差すような行為を許せなかったんだろうね、周囲にどう思われるかなんてお構いなしに、俺への詰問を始めたのだった。
「貴様! アルフォンス! 余が手向けた酒が飲めぬというのか!」
はいそうです、毒杯の可能性があるので、と言えたらいいんだけど。そういうわけにもいかず。
参列者たちによる好奇の眼差しを一身に集めながら、俺はそこに渦巻く悪意の存在を感じ取ってしまった。
それは、『いっそ、毒杯をあおって死んでしまえ』という期待そのもので、なるほど、どこもかしこも敵だらけだなと、思わず俺は内心で肩をすくめてしまう。
(絶体絶命というやつだな……)
はてさて、どうやってこの場をしのごうかと思案を巡らせようとした、まさにその矢先。思わぬ助けが、俺の窮地を救うことになった。
「どうしたんだい、アルフォンス。何か困りごとでもあるのかな?」
穏やかな声とともに、眼前に姿を現したのは第二王子エーミールだったのだ。




