3.悪あがき
天幕から表に出ると、数秒前の不愉快さをかき消すような穏やかな陽光が全身を包み込んだ。いやはや、自然の豊かさは偉大だね。そのまま大きく伸びをしたい気持ちになりつつも、駆け寄ってきた長身の人物を視界に捉え、俺はその衝動を堪えるのだった。
「アルフォンス様。すぐにお着替えを用意いたします」
ワイン染みを見つめるレオンハルトの表情は暗い。なにせ、長兄殿下はお声が高くいらっしゃる。おおよそのやり取りは嫌でも耳に入っていたのだろう。
「すまないな、レオンハルト。長兄殿下は悪酔いされているみたいだ。酒の上での発言とはいえ、どうか許して欲しい」
“兵なし”というのは、貴族、そして力量のある武官にありながら、指揮する兵を一人も持っていないレオンハルトの蔑称だ。表だってそう呼ばれることはないが、レオンハルト本人もその不名誉なあだ名を認知している。
「何を仰いますか。このレオンハルト、どのような名で呼ばれましても気にしたことはありません。むしろ、アルフォンス様のお立場を考えれば、些細なことです」
灰色の長髪をした美丈夫が頭を下げ、俺はますますやりきれない気分に陥った。ミヒャエルか、エーミールか、次の国王が誰になるかなんて知ったことではないけれど、せめて配下には慈しみの心をもって接してあげてもらいたい。日本だったらパワハラ案件だもん。メンタルブレイク待ったなしで、離職率なんてストップ高ですよ。
とりあえず、少しでも新鮮な空気を肺に入れたい心境なので、できるだけ早急に天幕から離れることにする。割り当てられた陣地に足を運びながら、俺の斜め後ろを付き従って歩くレオンハルトが口を開いた。
「それで、いかがされるお考えですか? ミヒャエル殿下のご命令を承諾されるのでしょうか?」
「長兄殿下のご命令なら、そうせざるを得ないだろうね……と、言いたいところだけど」
頭をかき回しながら、俺は微妙な角度に眉を動かした。
「レオンハルトも聞いていただろう? 長兄殿下が立てた作戦は、あくまで自分の理想が現実になってくれたらいいなというような代物さ」
もちろん、日本で会社員生活を送っていた俺も、偉そうに戦術やら兵法を語れない。とはいえ、このままではマズイというのはどう考えても明らかで……。
というかね? 俺の最終的な目標はのんびりと、悠々自適な生活なんですよ。こんなところで戦争に巻き込まれている場合じゃないし、長兄殿下に付き合っての全滅ルートだけは避けて通りたい。
「そういうわけで、レオンハルト。いっそのこと、ここは悪あがきといこう」
「は? 悪あがき、ですか?」
不可解そうな顔に視線を送りつつ、俺は軽くため息を漏らした。まったく、生きるというのは気苦労が絶えないものなんだなあ。
「ともあれ、団長と相談をしたい。どうせ命令違反になるんだ。みんなで仲良く、長兄殿下に刃向かおうじゃないか」
***
「嫌われてんなあ、おい」
長兄殿下とのやりとりを知らされたゲラルトはそう言い、いかつい顔に苦笑いを浮かべるのだった。十分すぎるほどに自覚はあるので反論しない。
「それで? 坊やのことだ、このまま大人しく命令に従うつもりはないんだろう?」
さすがは団長。長い付き合いだけあって、俺の性格をよくご存じで。周りに兵がいないことを確認すると、俺はレオンハルトとゲラルトに悪あがきの詳細について打ち明けるのだった。
「長兄殿下が立てた作戦はまず失敗するだろうね。それを踏まえた上で、俺たちは負けないための戦いに挑まなければならない」
「拝聴しよう」
腕組みをしたゲラルトが続きを促す。俺は二人の顔を交互に眺めやりながら、この戦いがどう推移していくか、その展望を語ってみせた。
挟撃作戦は失敗する。どの程度、兵力を分散させるかは定かではないが、半数ずつ分けたところで、帝国側の総兵力に満たないことは確かである。
経験豊かな帝国側とすれば、二手に分けた少数の相手を撃破し、それからもう一方を相手にしても勝算のある戦いを展開できる。申し訳ないが、ミヒャエルやコンラートでは役者が違うというものだ。
敗走する王国兵が本陣に戻る。その様子を見て、帝国兵も陣に引き返すだろう。悪巧みはここからなのだ。
まず、本陣を移動させる。相手に気付かれないよう、夜半過ぎに速やかに行いたい。移動先は西側にある森林前とする。
「夜が明けたら、帝国兵に対して戦いを挑む。団長の傭兵団と俺が先陣を切るんだ」
「ふむ」
「ここからが重要なんだけど、多勢に無勢。帝国兵にはとてもかなわないと錯覚させるように、剣を交える前に敗走するんだ。本陣を捨てて森の中へね」
耳を傾けていた団長が眉をしかめた。
「おれたちに逃げろっていうのか? 不名誉な話じゃないか、おい」
「あくまで見せかけだよ。それに、森の中には罠を作っておくつもりだし」
手始めに、帝国兵が進行するであろう道を予測し、そこに狩猟罠や落とし穴などを設置する。落とし穴には先端をとがらせた木の断片を仕込んでおくのだ。いわゆるパンジ・スティックというやつだね。
こういった罠の類いは書籍や映像を通し、知識として残っている。……実際に作ることになるとは思わなかったけれど。
「森林の奥まで引きずり込んだら、反撃に出る。団長たちは、森の中での戦いは慣れているでしょう?」
「もちろん、百戦錬磨ってやつだ」
「帝国兵は精鋭揃いと聞くけれど、それは規則正しい訓練の賜物。不規則な戦いの対応は難しいと思うんだよね」
つまるところ、俺がやろうとしているのはゲリラ戦なのだ。少数で大多数の兵を相手にするにはこれしかないと踏んだのである。
もっとも、長兄殿下に聞かせたら、こんなものは兵法ではなく、奇策や下策に類するものだと一蹴するんだろうなあ。
とはいえ、負けないための手段はこれしかない。ほかに楽な方法があれば、そっちに切り替えるんだけどさ、あいにく、いまの俺にはまったく思いつかないのだ。
「アルフォンス様。私はどのようなに動けばよろしいのでしょうか?」
それまで黙って聞いていたレオンハルトが口を開いた。
「レオンハルトには五〇〇人の兵をすべて預ける」
「は? アルフォンス様の兵、すべてをですか?」
「そう、東側にある森林を迂回して兵を伏せておくんだ。俺と団長が西の森に帝国兵を引きずり込んだら、その後方、できれば相手の本陣を扼して欲しい」
「なるほど、退路を断たれるようなことがあれば、敵さんとしても引かざるを得ないわな。よく考えたもんだ、坊や」
感心の声を上げ、ゲラルトは俺の背中を上機嫌に何度か叩いた。及第点をいただけたようで背中が痛い。
「というわけで、いまから団長たちには森の中に行ってもらって、罠を作ってきてもらいたいんだけど」
「お安いご用だ。それで暴れられるっていうんだったら、お望み通り、いくらでも作ってきてやるさ」
豪放な笑い声とともにきびすを返したゲラルトは、やがて配下の傭兵たちを呼び寄せると、それぞれ斧や剣を手に西の森へと出かけて行った。
一方、残ったレオンハルトの表情は冴えない。俺の立てた作戦に不満があるのだろうか? まあ、お世辞にも正攻法とは言いがたい内容だと自負してはいるけれど。
しかしながら、長髪の美丈夫が考えていたのはそういったことではないようで、恐縮したように尋ねるレオンハルトの声に俺は首をかしげるのだった。
「よろしいのでしょうか?」
「なにが?」
「私が五〇〇人の兵を率いてしまえば、アルフォンス様をお守りする者がいなくなります。私が率いるのは二〇〇程度でも問題ありません。どうか、御身をお守りする兵を残していただければと」
「兵力分散の愚はわかっているだろう、レオンハルト。それに、俺が兵を率いたところで、上手く指揮を執る自信がない」
本音である。
日本にいた頃には様々な知識を学んだ。ただ、兵の運用方法なんてものは学んだ試しがない。せいぜい知っているのは戦国時代の戦いがどんなものであったとか、世界史における戦争のあれこれとか、せいぜいその程度だ。
ゲリラ戦もそれらの知識を応用して立案しただけである。上手くいくかどうかはまったくの未知数だけれど。
そんな俺が兵を率いたところで、結果は火を見るより明らかだろう? であれば、確かな実力のある人物に指揮を執ってもらいたい。その方が、兵たちも安心して命を預けられるだろうしね。
「それに、レオンハルト。この作戦の肝は帝国の退路を絶てるかどうかにかかっているんだ。俺としては一番重要な役割を一番信頼できる相手に任せたいんだけど、それでもダメかな?」
「信頼できる相手……」
「俺の配下はレオンハルトだけだしね。身分なんて関係ない、レオンハルトの実力があれば、この作戦を遂行してくれると信じているからこそ、俺も安心して別行動に移れるんだよ」
数拍の後、レオンハルトは表情をあらため、決意を込めた眼差しでこちらを見つめた。
「承知いたしました。アルフォンス様を勝利に導くため、このレオンハルト、命に代えましても責務を果たします」
そう言って、灰色の長髪をした美丈夫は頭を下げる。頷いて応じつつ、俺は偽善であると知りながらも、これから待ち受ける戦いがせめて最小限の被害で収まるよう、願わずにいられなかった。
***
本日はここまで!
続きは明日の朝7時ですよー!