28.関係の変化と思念魔術
魔術士たちがやってきて、さらに一ヶ月が経過した。
いまのところアーベントラントの復興は順調といっていいだろう。危惧していたミヒャエル殿下やエーミール殿下からの邪魔も入らず、中央都市デンマーブルクは少しずつ活気を取り戻しつつある。
領民たちの手によって建てられた公衆浴場は好評だし、救貧院の運営も問題ない。要望があって建てられたパン焼き小屋はご婦人たちの憩いの場にもなっている。
楽市楽座計画もスタートを切った。
デニスが商会を設立し、生活必需品などを取り扱い始めたのだ。視察に行ってみるとたいそう繁盛していたので、他の商人たちがこの地に商会を設ける日もそう遠くないんじゃないかと思う。
エレオノーラの管理の下で農業基金の運用も始まったことだし、これでなんとか豊かな穀倉地帯としての名声を取り戻せるといいなと考えてみたり。
まあね、自然が相手の話になるので、何年かかるかはわかんないけどさ。とにもかくにも、美しい補佐官から「窮状は脱しつつある」という報告に、いったんは胸をなで下ろすわけだ。
……で、だ。
話題はちょっとずれちゃうんですけど、ひとつご報告したいことがありましてね。
アーベントラントの領主になってから、三ヶ月ぐらいですか? 最初は俺に対して嫌悪感を隠そうとしなかったエレオノーラさんの物腰がすっかりと柔らかくなりました。
もうね、びっくりするよ。氷点下の眼差しを向けられていたのがウソみたいだもん。職場をともにしていた効果だろうか、それとも時間が解決してくれたのかな?
最近の出来事でいうと、俺の執務室に机がもう一つ運び込まれましてね。なにかなと思っていたら、エレオノーラさんが現れるなり、「ああ、ようやく私の机が届きましたか」と。なんですと?
「エレオノーラ殿の机……?」
「左様でございます、アルフォンス様」
印象的な碧眼をこちらに向けながら、肩まで掛かった金髪を揺らして首肯するエレオノーラ。……いや、そんなまっすぐな瞳で見られましても。
「エレオノーラ殿もここで執務を行うのだろうか?」
「はい。私はアルフォンス様を補佐する身。であれば、常にお側で仕えたほうがよいと考えた次第なのです」
あー……、そうですか、そうきましたか。いや、うーん……、まあ、反対はしないけどさあ……。
ただ、あまり乗り気でないことが伝わったんだろうね。エレオノーラさんってば、ちょっと拗ねたような感じで、
「……その、ご迷惑でしょうか……?」
と、上目遣いで尋ねてくる始末。もうね、エレオノーラさんってば普段はクールビューティーだから、不意に見せるこういう態度の破壊力がエグいわけ。
正直ね、俺も男ですし、美人さんがそばにいてくれるのは嬉しいですよ。見目麗しい秘書じゃん、ヤッターと思わなくもない。
でもねえ、それ以上に心安まらないの。バリバリのキャリアウーマンが隣の席なんだよ? 常時、監視されているようで緊張するじゃない。あいつ仕事できないなあとか思われたらどうしよう。
いや、それだけじゃなくて、うっかりセクハラまがいの発言をするような危険もあるからね。これがレオンハルトだったら、俺も別に気を遣わないで済むんだけどさあ。
まあね、ぐるぐると思考を巡らせながらも、最終的にはこちらが折れたんですけど。
俺には無理です。普段は絶対に見せない、瞳をうるうるさせたエレオノーラさんのお願いを断るなんて。
そんなこんなで。
執務室には常にエレオノーラが控えるようになり、報告に現れるレオンハルトがそれを違和感なく受け入れる構図が完成することとなりました。我が腹心の騎士も順応性が高いなあ、おい。
仕事を一緒にしているからわかったことなんだけど、エレオノーラさんってば、こちらが思っている以上に俺のことを見ているようで、ティーカップが空になった瞬間、メイドを呼び寄せては紅茶のおかわりを持ってくるよう指示したり。
うかつに伸びをする仕草などしようものなら、「休憩にいたしましょう」と、お茶の準備を始めたり。
なんていうんだろうかな、世話焼きお姉さんみたいな感じ? アルフォンス君、年齢だけでいうなら十六歳だから、ぱっと見、きょうだいみたいで微笑ましい限りなんだけど。
中身は三十過ぎのオッサンだから、気を遣わせちゃって申し訳ないという気持ちが強いんだよなあ。
有能な補佐官なのだ。俺をかまうのはほどほどにして、もっと自分のために時間を使って欲しいね。エレオノーラがどう思っているかはわからないけれど。
ともあれ、そんなある日のこと。
エレオノーラとレオンハルトを引き連れた俺は、兵舎の横にもうけられた魔術士の住居兼研究所に足を運ぶことにした。
アルバートたちが古代魔術についてどういう研究を行っているか、純粋に興味があったこともあり、一度視察も兼ねて訪ねてみようじゃないかと思い立ったのである。
ただね、言葉は悪いけど、古代魔術の実用化については無理なんじゃないかなあと思っていて、むしろ、研究に副産物で医薬品とかそういうものができたりしないかなとか、そんな願望を抱いていたりする感じなのだ。
そういった考えもあり、アルバート率いる一団にもその手の分野に着手してもらえるよう頼んでみようかなと思っていたんだけど。
直後として、俺はこの考えを撤回させることになるのだった。
***
「殿下。ようこそお越しくださいました」
笑顔のアルバートに迎えられた一室は、古書特有の香りに満ちており、領主の訪問などには目もくれず、魔術師たちが熱心に様々な書物を読みふけっている。
その様子に、エレオノーラが一瞬、眉をひそめたみたいだけど、すぐにアルバートが恐縮した様子で釈明を試みたこともあってか、苦情を漏らすことはなかった。
「申し訳ございません。こと研究となると没頭してしまう者たちでして」
「気にしないでくれ、アルバート殿。熱心なのはいいことだ。私のほうこそ、突然やってきて申し訳ない。邪魔にならなければよいのだが」
「どんでもございません。常日頃より殿下にはよくしていただいております。たいしたおもてなしもできませんが、どうかごゆるりと過ごしていただければ幸いでございます」
頭を下げるアルバートに頷きながら、俺はちょっとだけワクワクしていた。こちらの世界に転生してからというもの、初めて魔法の類いに触れる機会に恵まれたのである。
古代魔術なんて大層なものじゃなくてもだよ? 指先から火が出る程度でも、扱えるのであれば見てみたいじゃんか。剣と魔法の世界、王道ファンタジーってやつですよ。
そんな好奇心もあって聞いてみたわけ。古代魔術以外に扱えるものがあるかどうか。そうしたらアルバート、苦笑いを浮かべながらこんなことを言い出したのさ。
「残念ながら殿下。目に見えてわかるような、実体を伴った魔術を扱うことはできません」
そうか……、いや、そりゃそうだよね。そもそもの話、そんなものが扱えているんだったら、軍での待遇もよかっただろうし。
内心、ほんの少しだけ落胆を覚えていた、そんな矢先。アルバートは気恥ずかしそうに言葉を続けた。
「扱えると言えば、せいぜい魔術師同士、考えていることを声に出さずに伝え合うことぐらいでして」
その言葉に、俺は思わず口をあんぐり開けると、我に返って魔術士を見つめた。
「声に出さずに伝える……。それは頭の中にある言葉などをやりとりできるという認識であっているだろうか?」
「その通りでございます。思っていることを念じ、伝え合うことから、我々はこれを『思念魔術』と呼んでおります」
ちょっと待て。それ、古代魔術なんかよりずっとすごいことをやっているんじゃないか?
だってそうだろ? いわゆる通信兵みたいな役割を魔術士が行えるってことで、俺は目を見開き、若き魔術師に声をかけた。
「アルバート殿。それは使い方次第で戦に革命を起こせると思うのだが。軍には扱えることを報告しなかったのかな?」
「はい、殿下。国軍の興味の対象は古代魔術のみでしたので」
国軍にとってはこれ以上無い損失かつ、こちらにとってはこれ以上無い幸運に、心の底から感謝を覚えた俺は、アルバートの手を取りつつ、この若き魔術師にとある提案を持ちかけた。
「アルバート殿。貴殿を見込んで頼みがある」
***
領主邸に戻る帰路の途中、俺はレオンハルトを相手に、麾下の兵について再編を指示するのだった。
「魔術師たちを我が軍に組み込むのですか?」
「その通り」
首を大きく縦に振り、俺は長髪の美丈夫へと視線を向ける。
「アルバートの話を聞く限り、離れた場所でも魔術師たちは連絡を取り合えるみたいだからね。これを戦に活用できれば、その有用性は計り知れない。そうだろう?」
「仰るとおり、密な連携を取り合うのが容易になりますね」
「それだけじゃない。刻々と変化する状況把握についても簡単になるだろうね。いずれにせよ、情報という面において、優位に立てることには違いない」
レオンハルトの背中をぽんと叩くと、得心がいったとばかりに、若き将軍は軽く微笑んだ。
「承知いたしました。では、魔術師たちを活かせるよう、再編に取りかかります」
「任せた」
一礼したレオンハルトはきびすを返し、その場を後にする。その背中を見送っていた最中、俺はふと、頬に刺さるような眼差しを感じ取り、視線を水平移動させた。
そこにはどこか不満顔のエレオノーラが控えていて、俺は小首をかしげると、美しい補佐官に声をかけるのだった。
「どうかしたのかな、エレオノーラ殿」
「アルフォンス様」
「……?」
「レオンハルト様とお話になる時は、いつもあのような感じなのでしょうか?」
「あのような、とは?」
「その、ずいぶんくだけたご様子でしたので……」
言われて、はっとなった。そうだよ、エレオノーラがいるのに、ついつい、いつものクセでタメ口になってたぞ、おい。
やっちゃったなあ。上に立つ者として示しがつかないとか、お小言を言われても仕方ないぞと身構えつつ、俺はなんとか弁明を試みる。
「いや、その……。レオンハルトとは付き合いも長いのでね。私としても、ついついあのような口ぶりになってしまうのだ」
「付き合いが長い」
「うん。お恥ずかしいところを見せてしまった。申し訳ない」
「申し訳ないなど、とんでもございません! その……」
ほんの数秒だけ黙り込んだエレオノーラは、意を決したように再び口を開いた。
「……その、付き合いの長さだけでなく、常にお側で控える者にもそのような飾らぬ口調でよろしいかと思われますが……」
「それはどういう……」
「いえ、なんでもございません」
そう言って、美貌の補佐官はスタスタと歩き出す。俺は頭髪をかき回し、その後についていった。
それから微妙な空気のまま、お互い無言で領主邸に帰ったわけなんだけど。
そんな状況をぶち壊すような出来事が、俺たちを待ち受けているのだった。
グレーゴール・フォン・ベルンハルト――すなわち、国王ベルンハルト十三世の崩御である。




