27.魔術士の来訪
それから数日後、アーベントラントにデニスがやってきた。
別段、こちらから来てくれと頼んだわけではなく、若手商人としては「あの領主、領地運営上手くやっているのかな?」という定期的な様子見を兼ねて、商談をまとめに来たと、そういう感じなのだ。
雑談を交えつつ紅茶で喉を潤した俺は、やがて執務室にエレオノーラが現れると早速本題を切り出した。
「農家向けの基金を設立されると?」
若手商人の問いかけに頷いて、俺はティーカップをテーブルに戻した。
「聞けば、デニス殿は金融業にも事業を広げたいと考えられているとか。であれば、それらの資金をアーベントラントの将来のために投資していただけないかと考えたのだ」
もちろん、返済については領主が責任を負うものとするという説明は付け加えている。将来有望な若手商人も、返済能力に疑問符のつく農家たちと金銭の貸し借りなんてやりたくないだろうしね。
「なるほど。私としては返済能力のあるお方へ融資できるのであれば、願ったり叶ったりですが……」
いたずらっぽく微笑んで、糸目の商人は語をついだ。
「しかし、困りましたね」
「……?」
「聞けば、殿下は農家に低利子で貸し付けをお考えのご様子。私も商人です。返済にあたっては、多少なりとも儲けがあってしかるべきだと考えておりまして」
この発言に、俺とデニスの間で佇むエレオノーラさんの表情が硬くなりまして。なんていうんだろうね、目が笑ってない。
そんな様子に気付いているのか、気付かないふりをしているのか、デニスはお構いなしに続けてみせる。
「もう一つ懸念が」
「何かな?」
「殿下のお人柄からいって、返済については問題ないと信じております。ですが、万が一、こちらの求めに応じて金銭をお支払いできなかった場合、いかがされるおつもりですか?」
「以前も言ったとおりだ。その際はデニス殿、私の首を手土産に、長兄殿下や次兄殿下のもとへ行かれるとよい。恩賞は思いのままだろう」
で、俺のこの発言も気に食わなかったのか、エレオノーラは明らかに憮然としておりまして。室内が氷点下になりそうなほどに、冷たい眼差しでデニスを見据えるわけです。怖い、超怖い。
「いやはや、お戯れを」
「戯れているつもりはないよ、デニス殿。無力な私にはそれしかないのだ。皆の力を貸してもらう以外にね」
「殿下の気高い志、敬服いたしました。……ですが、実を申しますと、私もお願い事がございまして。いかがでしょうか? お聞き入れいただけるのであれば、基金の設立、全面的に協力させていただきますが」
いかにも商人らしい言い回しでデニスは言い終えると、ティーカップを手に取って紅茶を一口すすった。
お願い? することはあってもされることは珍しいな。……とはいえ。
「デニス殿も承知の上だと思うが、私には力も金もない。期待に応えることはできるだろうか?」
「ご心配は無用です、殿下。この件については、殿下のお手を煩わせることはないと思いますので」
そう前置きして語られたデニスの『お願い事』は意外なもので、俺は戸惑いつつも、承知することにした。
どちらにせよ、デニスの協力なくして、基金の設立はできないからなあ。引き受けるしかないのだ。貸し借りを作らないという点においても、引き受けたほうがいいだろうな。
しかしながら、この取引を気に入らなかった人物が一人いる。
他ならぬエレオノーラである。
***
デニスの依頼を聞き終えた後、基金の設立や楽市楽座構想の詳細について一通りの合意に至ったのだが、やがて席を立つ若手商人の背中を見送ると、聞こえてきたのは不満そうな補佐官の声だった。
「アルフォンス様。あのような者、信じてもよろしいのでしょうか?」
碧眼に不信の微粒子を漂わせ、エレオノーラはこちらに視線を動かした。
「知己があるとはいえ、アルフォンス様に対してあのような態度を取るとは。礼を失しているとしか思えません」
……いや、俺が着任したての時のあなたもなかなかのものでしたけどね。と、一瞬だけ、そんなことが脳裏をよぎったけれど、決して声には出さず。
「エレオノーラ殿。食えないところはあるが、デニス殿は有能な商人だ。ともに仕事をすれば、それがわかると思う」
実際に口にしたのはそんなことである。まあねえ、糸目で食えない若者なんて、少年マンガで言えば、最初味方であっても、必ず裏切るっていうのがセオリーだからね。俺も団長の紹介でなければ疑ってかかっていたところだよ。
「であれば、いいのですが……」
エレオノーラは不満ながらも従うといった様相で、ついと視線を外し、合意に至った内容をまとめた書類に視線を落とした。
もうね、このクールビューティーさんが、デニスに対して明らかに敵意を向けているから、基金設立の話し合いがこじれるこじれる。
管理と窓口はエレオノーラが担当するので、デニスと直接やりとりするのも彼女なわけだ。そういった事情もあり、詳細について詰める両者がバッチバチにやりあっていた、と。
「返済期間は?」
「利子は?」
「限度額は?」
……その他諸々、もうね、口を挟むなんて恐ろしくてできない雰囲気。終わったら終わったで、エレオノーラさん、和やかにこちらを見るなり、
「内容はまとまりました。アルフォンス様、ご裁断を」
なんて言うわけだ。俺はその豹変っぷりが怖いよ、エレオノーラさん。
ともあれ。
農業基金の設立にめどが立ったのはありがたい。農家たちへの貸し付けは早急に行う必要があるし、デニスもそれは理解してくれているだろうからな。
……で、デニスからのお願い事はどうなったかといえば。
一ヶ月後、領内にやってきたとある一団を出迎えることで、それは達成されることになったのだった。
***
「アルバート・フォン・ハイデルバッハと申します。お目にかかれて嬉しく思います、アルフォンス殿下」
執務室でうやうやしく頭を下げる金髪の若者は、頼りなげな表情と穏やかな瞳の持ち主で、俺は顔を上げるように伝えてから、デニスから聞いていた人となりを脳裏に再生させた。
なるほど、確かに宮中で生き残るには穏やかな性格みたいだ。少なくとも、権謀術数を巡らすタイプではないらしい。
「デニス殿より話は聞いている。宮中では古代魔術の研究をされていたとか」
古代魔術。宮中にある図書で知る限りでは、それは国家間戦争の切り札となりうる、敵方に大規模で壊滅な被害をもたらす魔法のことを指すらしい。
数万の兵士を焼き尽くす爆炎、拠点そのものを凍り漬けにする氷結、大地をひび割れる大地震などなど。
それらを扱う魔法使いを古代魔術士といい、アルバートはその使い手になるべく日夜研究を続けていたそうだ。
それがどうして、いまや辺境になってしまったアーベントラントにやってきたのか。
端的に言えば、権力闘争の結果、研究する居場所を失ってしまったと、そういう話である。
アルバートは申し訳なさそうな表情でこちらを見ると、落胆の声を上げた。
「ご存じかと思いますが、理不尽にも叔父が中枢から追いやられ……。支援を受けていた研究もままならない状況になってしまいました。その上、結果の出ないお遊びをいつまで続けるつもりだと、軍上層部よりも圧力をかけられまして……」
そうなのだ。アルバート自体にはなんの問題も無いのだが、アルバートの叔父さんは相当のやり手だったみたいで。
そんなこともあってか、裏では相当恨みを買っていたらしく、失脚を企てた他の貴族たちの手により、その座を追われるはめになってしまった、と。
で、アルバートの身にも危険が迫るのではないかと考えた叔父さん、日頃より取引のあるデニスに相談し、身を潜める場所を探していたそうだ。
そんなこんなで、我が領地、アーベントラントに白羽の矢が立ったと、そういう訳である。
まあねえ、領主が嫌われているからね、アーベントラントは。これ以上、つまはじき者を受け入れたところで痛くもかゆくもないっていうか。
「アルバート殿、ここは宮中での争いごととは無縁の地。安心して研究に励まれるとよい」
穏やかに応じ返す俺にようやく安堵したのか、アルバートは肩の力を抜いた様子で、再び頭を下げてみせる。
「殿下のお心遣い、ありがたく存じます。つきましてはお役に立てるよう、今後も古代魔術の研究にいそしむ所存」
頷きつつ、俺は半ば期待薄といった面持ちをアルバートに向けた。
そうだろう? そんな強力な魔法、おとぎ話の中でしか見たことないぞって話なのだ。あとはゲームとか、マンガとか、創作の中でのみ存在しえるものでね。
だってさ、実在したら世界が変わっちゃうよ? 戦争そのものの常識がひっくり返るっていうか。
……まあ、だからこそ、軍も研究させていたのかなと思わなくもないけれど。個人的にはいかがなものかなあと考えちゃうわけだ。
しかしながら、程なくして、俺のこの思いは覆されることになる。
アルバート率いる一団が、古代魔術などよりもはるかに役立つ魔法を扱えることを知り、その恩恵にあずかることになったからなんだけど……。
それはまた、別の話。




