26.視察と心境の変化
窓から見えるのは荒涼とした原野で、田畑と呼ぶには寂しすぎる光景だ。
どうも皆様こんにちは。本日は中央都市デンマーブルクを抜けだし、郊外まで視察にやってきました。
まあね、視察ですから、馬車に揺られてのんびりと移動しているわけなんですけど。なんていうかな、舗装されていない道なので、どうやってもお尻が痛いんだよね。
これならまだ乗馬して移動したほうがいくらかましだったなあとか思うんだけど、今日の視察は同行者がいましてですね。
いや、レオンハルトじゃないんですよ。レオンハルトは練兵の真っ最中でして、視察には同行していないのです。
じゃあ誰が一緒なのかと言いますと……。
「アルフォンス様」
美貌にふさわしい美しい声が耳に届き、俺は対面に腰掛ける補佐官へと視線を動かした。
「なにかな、エレオノーラ殿」
「到着まではもうしばらくかかる予定です。長旅お辛いかと思いますが、いましばらくご辛抱くださいませ」
「お気遣い感謝する、エレオノーラ殿。だが、外の景色を眺めての移動を楽しんでいるところだ。辛くはないよ」
軽く微笑んで応じると、クールビューティーの補佐官は手に持った書類に視線を落とした。こんなに揺れる車内で文字を読むなんて、酔ったりしないのかあと不安になるんだけど、本人はいたって涼しい顔をしている。
……じゃなくって。
そうなのだ。今日の視察は、なんとびっくり、エレオノーラが同行しているのである。俺のことを嫌っているはずなのに、なぜか一緒の馬車に乗っているし。
しかも、ついこの間から、俺のことを『殿下』呼びではなく、名前で呼ぶようになったんだよなあ。……どういう心境の変化なのだろうか?
多少は打ち解けてきたと考えていいのかなあ? きっかけなんて皆目見当がつかないけれどね。
まあ、嫌われているまま仕事をしていくというのは、さすがに俺も厳しいというか。胃が痛くなっちゃうから、多少なりとも仲良くなるのはいいことだと思うわけですよ。
でも、ほら、ここで調子に乗ってね、食事でも一緒にどうかなとか誘った瞬間、終わりだから。セクハラ案件で一気に元通りになっちゃうから。ここはぐっとこらえて、何事もないように冷静かつ平静に努めるのが一番なのですよ。
……おっといけない、本題を忘れてた。
どうして郊外まで視察にきたのか。それはアーベントラントの農業の実情を把握するためなのである。
もともとは豊かな土地であったのに、現状では見る影もない。農家たちの窮状を聞くためにも、直接足を運ぼうと思い立ったのだ。
というかね。
中央都市デンマーブルクを楽市楽座のモデルケースにした場合、中央と地方で貧富の差が出てくる可能性が大きいわけですよ。中央で派生した富が、領内全域に上手く広がっていってくれるのが理想的なんだけど、歴史上の様々な都市を見る限り、おそらくはそうならないと思うんだよね。
そういった事情もあって、地方も中央に負けない経済基盤を整えておく必要があるのだ。王国有数の穀倉地帯を復活させ、農業に身を置く人々の生活を豊かにしなければならない。
そんなことを執務室で話していたわけですよ。このクールビューティーを相手にね。そうしたらエレオノーラさん、静かに首を縦に振りまして。
「でしたら、アルフォンス様。農家に伝手のある私が視察に同行いたします」
そんなことを言い出しまして。個人的にはレオンハルトに同行を頼もうと思っていたんだけど、なんというかエレオノーラさん、一歩も引かないぞという雰囲気を放っておりましてね。
「それではエレオノーラ殿、ご面倒をおかけするがお願いできるかな」
もうそう言うしかできなかったと、そういう事情があるんだな。
とはいえ。
事情通である人物が一緒なのは正直心強い。ヘッセン家は領民に慕われていて、長年に渡って培われた人脈も魅力だしね。俺一人で出向くより、エレオノーラが一緒にいたほうが、農家も心を開いてくれるだろう。
「……アルフォンス様?」
ぼんやりと思考を巡らせている最中、再び、美しい声が耳元に届いた。
「そろそろ現地に到着いたします。お支度はよろしいでしょうか?」
視線を美貌の補佐官に定めた俺は、ひとつ頷きを返し、馬車が止まるのを待ってから荒れ果てた土地に足を下ろした。
***
結論から言おう。どこもかしこも金がない。
結局のところ、農家の皆さんもお金がなくて困っているということに終始するのだ。荒れた田畑をなんとかしたいけど、資金が足りない。お金を貯めるために出稼ぎに行こうにも仕事がない。
結果、廃業ギリギリまで追い込まれる、と。よろしくないなあ。
とにかく、早急に手を打つと約束し、領主邸へ引き返すことにしたのだった。
で、車中で考えたね。農家に貸し付けを行わなければいけない。これは間違いないんだけど、問題はそのお金をどこから持ってくるかってことで。
俺? 俺はもう無理です。身銭が切れない。正確に言えば、膨大な農家の数に対応できる資金がない。
では、どうするか。
脳裏に浮かんだのは糸目の青年商人の顔で、俺は執務室に戻るなり、エレオノーラを相手にして考えをまとめることにした。
「商人から資金を借り入れるのですか?」
疑問を呈する補佐官に、「それしか手がない」と応じ、俺は語をついだ。
「知己の商人から借り入れを行う。それを元手にして基金を作ろうと思う。農家に対し、低金利の貸し付けを実施するんだ」
実際のところは無金利で貸し付けしたいところだけどね。そうすると、ほら、いつまで経ってもお金返ってこないかもしれないからさ。
もうひとつ、デニスと農家で直接貸し借りの関係を構築させないのは、無用なトラブルを避けるためでもある。デニスだって返済能力のない農家を相手に金を貸したくないだろうしね。この場合、領主である俺が農家の保証人というわけだ。
「基金を作り、商人と農家を仲介するのはよろしいかと思いますが……」
心持ち首をかしげ、エレオノーラは続ける。
「管理は誰が行うのでしょうか? 借り入れを希望する農家は膨大な数に上るかと思われますが」
さすがは優秀な補佐官だけあって、痛いところを突いてくる。そうなんだよなあ……。お金もなければ人もいないっていう状況で、誰に基金の管理を任せるのかが問題なんだよな。
扱う金額は相当大きくなるし、不正が起きないように信頼できる厳格な人物に任せたいところだけど。いまのところ、該当するのがレオンハルトしかいないんだよな。
いっそ、俺自身が管理をやるべきか? 領主の仕事もあるけれど、なんとかなるだろう。
そんなことを考えていると、やや控えめに、しかしながら確固たる意思を秘めた声が俺の耳を捉えた。
「あの……、アルフォンス様」
「なんだろうか、エレオノーラ殿」
「基金の管理ですが、私にお任せいただけないでしょうか?」
思いがけない提案に、俺は思わず目を丸くした。
「アルフォンス様はご多忙の身でございます。これ以上、ご負担を増やすわけにはまいりません。であれば、このエレオノーラ、微力ながらお力になれればと考えた次第なのです」
気のせいだろうか、やや饒舌になっているエレオノーラの顔を見据えつつ、俺は戸惑い混じりに応じ返した。
「エレオノーラ殿が管理してくれるのであれば、私としても心強い。お言葉に甘えてもいいだろうか?」
「お任せください、アルフォンス様。必ずやご期待に応えてみせます」
エレオノーラはそう言うと、羽を思わせるような軽い身のこなしで、執務室を出て行った。静かに閉まる扉の音を聞きながら、俺は俺で困惑を隠しきれない。
えぇ……? ものすごく協力的じゃない? 本当にどういう心境の変化があったんだ?
あれ? 俺、知らない間に、なんかやったかなあ? まったく心当たりがないんだけど……。
とはいえ、人間関係が良好になるのは喜ばしい。俺としては調子に乗らず、優秀な補佐官が仕事をしやすい環境を整えていきたいところだ。
下手をして、また嫌われるようなことになっても困るからね、うん。




