20.治安問題
領主邸での炊き出しと配給を実施して十日が経過した。
食生活が改善され、最低限の生活必需品が行き渡るようになった影響からか、領民たちにも少しずつ活気が戻ってきているように思える。
実際、路上に散乱していた汚物やゴミなどは領民たちによって清掃されたからね。余裕が出てきたことで、ほかのことにも気を配れるようになったってことなんだろうな。
表面上だけみれば、アーベントラントにおける復興は順調なスタートを切ったと、そう言えなくもないんだけど。
悲しいかな、現実はといえば問題が山積している状況でしてね……。
諸々の問題が記載されている報告書に目を通しつつ、糸目の商人が訪ねてきたのは、そんなとある一日のことだった。
「いやはや、なかなか胆力を試される道中でした」
執務室のソファに腰掛けたデニスは、挨拶もそこそこに切り出すと、苦笑いを浮かべてみせる。
「なにせ盗賊と山賊の拠点が近いですからね。護衛をつけていなければ、今頃、私の首と頭は切り離された状態で放置されていたことでしょう」
「『暁の狼』に護衛を依頼したのかな?」
「いえ、残念ながらゲラルト殿は別の依頼を引き受けられており、今回は異なる傭兵団に同行を頼みました」
ゲラルト殿ほどではありませんが、腕は確かですよと付け加え、糸目の商人はティーカップを手に取った。
どうしてデニスがここにいるのかといえば、融資についての詳細を詰めるためにわざわざ訪ねてきてくれたのである。
こちらとしても、不足している物資の発注やらを頼めるので非常にありがたいんだけど……。
デニスはあくまで商人らしく、自分の利にならないことはやりませんよと言わんばかりに続けるのだった。
「ご着任からわずかな日数しか経っておりませんが、領民たちの声から察するに、殿下の手腕はなかなかのものだと思われます。しかしながら民心と経済、そして治安はそれぞれ異なる問題でして……」
いったん間を置くようにして紅茶をすすり、デニスは喉を潤した。
「現状、アーベントラント領、特にここデンマーブルクで商いを行おうという者は皆無でしょう。よほどの自殺志願者でない限り、わざわざ足を運ぶ者はいませんよ」
「デニス殿はいかがか」
「どちらかといえば私は変人の類でして。殿下が畑仕事に精を出す姿を目にするまでは、せいぜいお付き合いしようかと考えているのです」
声も立てずに笑いながら、糸目の商人はこちらを見つめる。なかなかに言うじゃないか。
「それで、いかがされるおつもりですか? 治安が不安定な状況では融資をしようにも無駄金に終わるのがせいぜいです。これを解消しない限り、銅貨一枚といえど手放すのは惜しくなってしまうのが心情でして」
先ほどからデニスが話す治安の問題。アーベントラントで解決しなければいけない厄介事その一がこれなのだ。
王都からここへと向かう道中は、ちょっとした森林と山岳地帯を越えなければいけないんだけど。そこを拠点とする盗賊と山賊がいるんだよね。
この盗賊と山賊、それぞれ別の組織なんだけど、事あるごとにアーベントラントの領主を標的にしてきたのだ。
荒廃した領地に着任するとはいえ、貴族は貴族。ため込んだ財産をアーベントラントに運び込んでくるわけで。
それを狙うようにして襲撃を重ねてきた、と。もちろん、往来する商人や領民たちも狙われるしで、領主としては頭痛の種でしかないのである。
エレオノーラの報告書によれば、この盗賊と山賊の動きが活発の様相を呈してきたらしい。おそらくは近日中に襲撃にくるのではないか。そうまとめられた書類に目を落としつつ、俺は軽くため息を漏らした。
「治安維持については、私も最優先事項と考えている。デニス殿の不安が杞憂で終わるよう、なるべく早く対処しよう」
話しながら、俺はもう一枚の書類に目を通した。こちらはレオンハルトによるもので、兵士たちの不満が報告されている。厄介事その二がこれだ。
救貧院と公衆浴場の建設に直属の兵士を動員する。さらに賃金を支払うことで領民たちを加え、最終的には一種の公共事業のような形に持っていければいいなと考えていたんだけど。
炊き出しと配給に加え、土木作業までやらせたことで、兵士たちの不満が募りに募ってしまったと。
いまでは作業中に「おれたちはこんなことをするために兵に志願したわけじゃない」と、ブツブツと文句を漏らすようになったそうだ。
いや、こうなることはある程度予想していたんだよ。こちらの世界の兵士たちは、名誉とか誇りとか、そういったものを大事にするので、いくら領民のためとはいえ、本来の任務とはかけ離れた仕事に拒否反応を示すだろうなって。
ただ、それにしたって拒絶するのが早すぎる! まだ十日しか経ってないんだぞ!?
……いや、この場合、よく十日も耐えてくれたと考えるべきなのかなあ?
せめて炊き出しと配給からは外すようにしよう。土木作業も交代制とかにして負担を減らし、早いところ従来の任務に戻す必要があるな。
ともあれ。
融資の話を進めるためには、これらの問題を解決しなければならないわけで……。今後も密に連絡を取り合うことを確認し、デニスを見送った俺は、エレオノーラを執務室に呼び寄せた。
***
「殿下、お呼びでしょうか?」
硬質な美貌の補佐官は、今日も今日とてパンツルックの装いだ。碧眼の瞳は鋭く、クールビューティーともいえるし、格好いいという印象も受ける。
でもまあ、あまり見惚れているとね、セクハラで訴えられちゃうからね。相変わらず、俺には冷淡な感じで接してくるから、ソファを勧めたところで断られちゃうだろうし。
本人も嫌いなやつとは長話したくないだろう。そういったことを踏まえた上で、俺は早速とばかりに本題を切り出した。
「報告書に目を通した。賊が襲撃するおそれがあるとか」
「おそれではなく、確定事項です。これまで領主が着任された際には、必ず賊の襲撃がありました」
淡々と事実を伝える補佐官を見ながら、俺はさらに問い尋ねた。
「それで、襲撃がいつになるか予測はつくかな?」
「さすがにそこまでは。ですが、このままでは領民に被害が及ぶことは確実です。何かしら手を打つべきだと思われますが」
存外に「お前、兵士たちを土木作業に従事させている場合じゃないだろ」と訴えるエレオノーラ。さすがに俺も理解はしているので、不信を解くためにも言葉を続ける。
「いや、エレオノーラ殿。心配には及ばないよ。領民に被害が及ばぬよう、私は賊を討伐しに向かうつもりだ」
「お言葉ですが、殿下。報告しましたとおり、少なくとも賊は二つの組織に分かれております。一度にこれらを討伐するのは難しいかと」
「わかっている。そこでだ、賊の特徴を把握している者がいたら紹介して欲しい」
「特徴、ですか?」
「大体で構わない。頭目の性格、規模。そういったことを知りたいのだが……」
「おおよそのことでよろしければ、対処にあたった父から何度か聞かされたことがあります。参考になるかはわかりませんが……」
「それは助かる。是非とも聞かせてもらえないだろうか」
――それから説明を聞き終えると、俺はいったんエレオノーラを退出させ、しばらくの間、思案にふけるのだった。
領地を再建させるために、治安問題は一気に解決させなければいけない。そして、犯罪行為は見過ごさないぞという姿勢を打ち出すためにも、盗賊と山賊を完膚なきまで叩きのめす必要がある。
なおかつ、こちらはできるだけ被害を抑えなければならない。直属の兵士は五百人しかいないのだ。賊討伐で死者を出すのはできるだけ避けておきたい。
そうなると、だ。
……小一時間ほど経った後、考えをまとめた俺は、再びエレオノーラを呼び寄せ、美貌の補佐官にとある依頼を投げかけた。
「手間をかけて申し訳ないが、デンマーブルク中の酒店を回り、ありとあらゆる酒を買ってきて欲しい。もちろん金は私が出す」
訝しげな眼差しをこちらに向けて、エレオノーラは口を開く。
「それは構いませんが……。酒宴でも開くおつもりですか?」
「いや、そうじゃない」
続く俺の発言に、エレオノーラは眉間にしわを寄せた。
「着任の挨拶がてら、山賊たちに手土産を持って行こうと思っているんだ」




