2.国境にて(後編)
外にレオンハルトを控えさせて、天幕の中に入った俺を出迎えたのは、アルコールのもやを漂わせ、微塵も勝利を疑っていないとばかりに威勢のよい声を上げる長兄殿下である。
ミヒャエル・フォン・ベルンハルト。ベルンハルト十三世の第一王子にして、王位継承権第一位の人物。何の問題もなく、順当にいけば、数年後にはベルンハルト十四世と呼ばれる予定の若者。
「アルフォンス、参りました」
片膝をつきながら名乗る俺に、ミヒャエルは興をそがれたと言わんばかりに「面を上げよ」と応じる。愛想の一ミリも含まれていない声に頭を上げながら、俺は不敬にならない程度に長兄殿下に視線を送った。
肩までかかるブロンドの髪、鼻筋は高いものの、顎はとがり気味だ。なにより権力を笠に着るきらいと、選民傾向が強く見受けられ、不遜な面立ちがその内実を証明しているかのように思われる。
そんな第一王子の周りを固めるのが、第四王子コンラートを中心としたイエスマンの人々なのだ。
これはね、大変によろしくない。即位した瞬間、暗君への道まっしぐらですわ。いまでも出会ったときの第一印象をハッキリと覚えているんだけど、
「忌み嫌われた民族の出自、あまつさえ庶子とは畜生以下であるが、父上陛下の手前、貴様の存在を許そうではないか」
とか、本気で言いやがったからね。神か、それとも創造主気取りか? こいつの教育係はどんなことを教えていたのかと本気で問い詰めてやりたくなったもんなあ。
……で、この敬愛すべき長兄殿下、さらには筋金入りの英雄崇拝っぷりを発揮している。
三〇〇年前。かつて大陸に厄災をもたらした邪龍を打ち倒し九人の英雄、そのリーダー格であるヘルムートという人物が、このベルンハルト王国を興したと記録に残されているのだが。
そのヘルムートさんとやらを、この長兄王子は崇拝してやまないようで、自分もそうなりたいと常日頃から、周りの人々に熱弁を振るっているのである。
とはいえ、この世界には邪龍など存在しない。魔族が治める国家こそ存在するが、魔物なんてものもおらず、ヘルムートさんのように打ち倒す敵もいないので、どうするつもりなのだろうと思っていたら、このバカ……じゃなかった長兄殿下、こんなことを考えていたそうだ。
「神聖にして不可侵なるは、我がベルンハルト王国のみである。よって、この大陸はベルンハルト王国のみが統治することこそがふさわしい」
もうね、どこかしらに讒言やら忠言をするような側近がいなかったのかと。いや、長兄殿下の性格上、言っても聞く耳持たなかったんだろうなあ。
即位したら、大陸中に戦端を開くのだろうかなんて考えるとぞっとしない。こんな人物が次の国王になるぐらいなら、別の人物、例えば王位継承権第二位である第二王子エーミールが即位してくれないものかとも思うんだけど……。
この人もこの人で、いろいろ問題を抱えているのである。まったく、こんなことなら第七王子になるんじゃなかったと、心底後悔を覚えるのだ。
「貴様を呼んだのは、この聖戦の方針が決まった故、一応知らせておいてやろうと思ったのだ」
想像から現実の岸へと俺を引き上げたのは、ミヒャエルの大仰な発言である。個人的にはお前のやらかしで国境紛争になりかけているのに、なにを聖戦とか格好つけているんだと突っ込んでやりたい。
視界の端では、囲むように座する人々が嘲弄、あるいは非好意的な眼差しでこちらを見ているのがわかる。こちらの世界に来てからというもの、こんな場面は数多く経験してきたので、いまさらなんとも思わないけど。
とりあえず、おとなしく聞いている風を装っていると、ミヒャエルは空になったグラスを掲げ、従者にワインを注がせる。赤紫色をした液体が注がれていくのを満足げに眺めながら、長兄殿下は続けるのだった。
「いやしくも貴様は陛下直属の五〇〇の兵を預かっている。その兵に何かあっては、陛下に顔向けできないであろう」
これから戦が控えているというのにもかかわらず、長兄殿下はパーティに赴くような出で立ちである。きらびやかというよりも派手な服装は見ているだけで目に悪い。
豪奢な椅子で足を組み、ワインを口もとに運ぶミヒャエルは、天幕の外に控える兵たちにも周知させるような声量で告げるのだった。
「よって貴様は五〇〇の兵、そして、あの薄汚い傭兵連中とともに本陣に控えておれ。よいか? この聖戦において、貴様が出陣することは決して許さぬ。我々の華麗な戦ぶりを、せいぜい指をくわえて後ろで眺めていることだ」
なるほど。「お前に手柄を立てさせるつもりはない」と、そういうことかと諒解する。それならそれで結構。五〇〇人に限定されるけれど、兵を死においやる危険はない。
あとは長兄殿下がうまいこと指揮を執ってくれれば、これだけの兵力差、経験不足という弱点はあっても負けはしないだろう。
……なんてことを考えていたのだが。さすがは英雄崇拝で名の知れた殿下、ありがたいことに、こんなことを仰るのだった。
「残りの兵は二手に分け、私とコンラートが指揮を執る。数に劣る帝国の兵を挟撃し、これを殲滅するのだ」
席を立ったミヒャエルは、卓上に広がる地図を指し示した。双方の兵を示す駒を動かすと、おそらく彼が思い描いているのであろう、華麗な包囲網が完成する。
えーと……。ちょっと待ってもらいたい。数において勝るのに、わざわざ兵力を分散させる意味がまったくわからない。
おまけにこちらの兵は経験不足。挟撃するにも緻密な連携が必要になり、このままだと各個撃破の餌食になるだけじゃないかという当然の危機感を抱くわけだ。
とはいえ、尊敬し敬愛する長兄殿下に「各個撃破で全滅の可能性があるから、止めた方がいいですよ」なんてことは口が裂けても言えない。
せいぜい控えめに、
「意見具申よろしいでしょうか?」
と、お伺いを立てるぐらいしかできないんだなあ。
「ふん。構わぬ、申してみよ」
露骨に「ちっ、うるせえなあ」というような表情を浮かべるミヒャエル。酒が不味くなると言いたげな様子を眺めやりながら、俺は口を開いた。
「こちらは相手の倍近い兵力を誇っております。であれば、その総力を持ってして対峙すればこそ、勝利は疑いようもないのでは?」
正攻法こそ王道ですよというこちらの真意をそれとなく察したのか、みるみるうちに機嫌が悪くなったミヒャエルは手に持ったワイングラスを床にたたきつけると一喝する。
「黙れ! 貴様ごときが兵法を語るな!」
飛び散ったワインが俺の衣服を汚す。これもこれで高い服なのだろう、シミを落とすのが大変だろうなとかそんなことを考えながら、恐縮した様子を装って、俺は長兄殿下の発言に耳を傾けた。
「兵法を知らぬ貴様にも教えてやる。我が祖、ベルンハルト一世は、その華麗な戦いぶりで大陸中に名を知らしめたのだ!」
英雄の名を引き合いに出して、ミヒャエルは拳を握りしめる。
「大軍勢を率いた決戦においては、見事なまでの包囲殲滅戦で魔物どもを殲滅しあそばれたのである!」
名演説の口調だな。会社員時代に経験した飲み会で、「オレも昔はやんちゃしてたんだよ」とか、上司の武勇伝を聞かされるのと同じぐらいに聞くに堪えない。
とはいえ、そんな経験を積んだからこそ、冷静に聞き流せる忍耐力が培われたわけなんだよな。人生なにがあるかわからないもんだね。
口角泡を飛ばしながら、なおもミヒャエルは続けてみせる。
「この聖戦は、いわばその再現の序章であるのだ! 私こそ、ベルンハルト一世の正当な後継者と知らしめるためのな。であればこそ、華麗かつ優雅に敵を屠らなければならないというのに、貴様にはそんなことすらわからぬか!」
現実を直視しようとしない第一王子の思考に、思わず頭が痛くなる。これだから周りをイエスマンで固めた権力者は救いがたいのだ。
「私はこの聖戦を勝利した暁には、憎き帝国を滅ぼすつもりなのだ。帝国のありとあらゆる場所に、誇り高き王国の旗をそびえ立ててくれる」
息を整えるように、一拍おいてから、ミヒャエルは語をついだ。
「さすれば父上も誰が次の王にふさわしいか、はっきりとご理解いただけるであろう。エーミールなどではなく、このミヒャエルことが国を率いるのに値する、とな」
第二王子の名前を口にする第一王子の姿に、あるいはこちらが本音なのかも知れないなと感じ取りながら、俺はせいぜいうやうやしく頭を下げた。
「わかったのなら、とっとと立ち去れ。あの“兵なし”と仲良く、本陣で縮こまっていることだな」
外で控えるレオンハルトを侮蔑するのを忘れない長兄殿下に、一言、「御意」とだけ応じた俺は立ち上がり、その場を後にした。
邪魔者がいなくなって、ようやく酒宴が再開できるとばかりに気炎を上げる、コンラートと取り巻きたちの声が背中越しに響き渡る。
「兄上、帝国兵の頭蓋骨で杯を作ってやりましょう!」
「実に結構! ですがくれぐれも背後には気をつけなければなりませんな」
「左様。狼の獲物を横取りする野犬が、我々の中にも潜んでいるやもしれませぬ。いつ何時、本陣から抜け出してくるともわかりませんぞ?」
過剰な自信を含んだ下品な笑い声、そして蛮族さながらの言葉を受けながら、俺はやむを得ないなと、とある決意を固めるのだった。
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連続更新2回目です!
続きは19時に!