16.恩賞と領地
玉座が空席だからだろうか、豪奢な内装が施されているにもかかわらず、王の間は異常なほどの広さとその天井の高さも相まって、どことなく空虚な印象だ。
赤絨毯が敷き詰められる中、広間の左右を陣取るように文官と武官が整列している。いずれも無感動、あるいは無関心の眼差しを本日の主役……つまり、俺とレオンハルトに向けていて、いつも通りのその反応に、俺自身がやれやれといった心境に陥るのだった。
玉座の両隣には、長兄殿下のミヒャエルと、次兄殿下のエーミールが礼服をまとって佇立している。
先日の国境紛争に対する俺とレオンハルトの功績を称え、また恩賞を与えるため、この二人が、病床である国王ベルンハルト十三世の名代を務めると、そういうことになっているのだ。
恩賞。なんとも魅力的で危険な響きのこもった言葉だろうか。
考えてみて欲しい。単なる兄弟ゲンカに終わった恩賞会議や、国王との謁見からすでに三週間が経過しているのだ。
俺のことを毛嫌いしているミヒャエルにしてみれば、「こいつには銅貨の一枚をくれてやるのも惜しい」と考えていたものの、父親の手前、そういうわけにはいかないとか思っていたに違いない。
しかも自分の失態で手柄を立てさせてしまったわけで、今日の日を迎えるにあたっては、きっと怒り狂っているんだろうなと、俺としてはそんなことを予想していたんだけど……。
見事に外れたよね。ミヒャエル殿下ったら、満面の笑みでこっちを見ているのさ。それはもう、気味が悪いぐらい。
で、おそらく、恩賞についての立案をしたであろうエーミール殿下も静かな笑みをたたえて佇んでいるし。
いや、ミヒャエルとエーミールの仲がどれだけ悪かったとしても、恩賞については事前に協議していたはずなんだよ。一応、国王陛下の裁可が必要だからね。
でもほら、宮中って結局はパワーゲームだからさ、どちらの派閥にも得を与えず、できれば損失を与えたいぐらいのことは考えていたはずなんだよな。
それが両者満足の体でいるってことは、だ。どちらにも利するなにかを、俺に押しつけるつもりでいるなと察してもおかしくはないでしょ? 恩賞と称した面倒事とか厄介事をね。
(さてさて、どんな無理難題を押しつけられることやら……)
内心で身構えつつ、なおも姿勢は立て膝のまま、静かに頭を下げていると、やがて一人の文官が一辺の書面を携えながら歩み出て、肺活量を誇示するような声量で、高らかに読み上げるのだった。
「先のラインフェルト双鷲帝国との戦いにおける功績を称え、レオンハルト・フォン・ブライトクロイツを将軍に封ず」
宣言が終わる間もなく、王の間がざわつくのがわかった。少数民族の出自というだけで忌避されてきた無位無冠の若者が、突然、将軍職を任されることになったのである。抜擢以外の何物でもない、異例中の異例ともいえる人事だ。
レオンハルトの反応を確かめるように、俺はチラリと視線を横に向けた。灰色の長髪をした美丈夫は、表情を変えるでもなく、いたって冷静といった様相で、望外な恩賞を受け止めているようだ。
「静粛に! ……レオンハルト殿。前へ」
文官が告げると、レオンハルトは立ち上がり、一歩一歩確かめるように玉座の前へと進み出た。
名代を任されていたエーミールが将軍の証である宝剣を両手に持って、レオンハルトに差し出しながら声をかける。
「本日、この時を持って、卿をベルンハルト王国の将軍に封ず。今後も国王陛下に忠誠を尽くすよう」
「はっ……」
うやうやしく一礼を施し、宝剣を受け取ったレオンハルトがきびすを返す。周囲からの好奇の視線を受け止めながら、武官の列に加わった若き騎士は、粛然と襟を正すのだった。
レオンハルトが将軍か。将来有望な若者が、才覚にふさわしい地位に就いたわけだ。いやはや、国王陛下にお願いしてよかったな。めでたしめでたし。
……で、終わらないよなあ、さすがに。
国の中核を担うブライトクロイツ家が、日頃からレオンハルトを冷遇していたことはエーミールも承知していただろう。それを踏まえた上で将軍職に就けたとあれば、なにか裏があるに決まっている。
「……アルフォンス殿下」
思案を巡らせていた矢先、文官の声が意識を現実に引き戻した。そうだった、俺の恩賞はこれから発表されるんだったな。
「先のラインフェルト双鷲帝国との戦いにおける功績を称え、領地を封ず。以降、領主として、王国への忠節を尽くされるよう」
文官がそこまで言い終えると、エーミールが穏やかに語をついだ。
「アルフォンス。お前にはアーベントラントを与えることにした。お前の直轄地だ。存分に手腕を発揮するといい」
エーミールの言葉に、再び広間がざわつき始める。ただし、ラインハルトとの時とは異なった明らかな嘲弄の響きであり、ひそひそと交わされる声の中には、「これはこれは……、殿下も意地の悪い」といったものも含まれている。もちろん同情などではなく、侮蔑的な意味合いだ。
「殿下。失礼ながら、よろしいでしょうか?」
俺は顔を上げ、エーミールのほうへと視線を向けた。
「アーベントラントとは、あのアーベントラントでしょうか?」
「そうだ。西方に位置する、あのアーベントラントだ。他にそのような領地はないだろう?」
「私にアーベントラントの領主が務まる、殿下はそのようにお考えなのですか?」
「お前に務まらなければ、他の誰にも務まらないだろうな」
出たよ、「お前にできなきゃ、他の誰にもできない」。聞き心地のいいキラーワードのように感じるけど、大抵は不可能事を押しつけるときに使う言葉なんだよな。
それにしたって……。アーベントラントの領主? 恩賞じゃなくて刑罰の間違いだろ?
なおも穏やかな笑みをたたえるエーミール。人好きのするような笑顔をしておきながら、相当に腹黒だぞ、この人。
玉座を挟んで佇立するミヒャエルなんか、愉快痛快といった感じでこちらを見ているし。
……なるほどね。お互いに俺を排除する方向でやっていこうという合意に達したわけだ。
そんなことを考えていると、ミヒャエルは三日月状に口元をゆがめながら、悪魔めいた笑顔で声を上げるのだった。
「アーベントラントの領主となったからには、王族の証であるベルンハルトを名乗るのは不自然というもの。本日、この時を持って、貴様はアルフォンス・アーベントラントとして生きるとよい」
おまけに事実上の決別宣言ときましたか。確かに領地名を名前につけるのは、こっちの世界では常識ですけどね。それにしたって、ベルンハルトに比べると、アーベントラントは格落ちが過ぎる。
嫌がらせしたいのはわかるけど、十五歳の少年相手に大人げないにも程があるだろう……。元々のアルフォンス君だったら、間違いなくグレちゃうぞ?
……まあ、そんなことを考えて現実逃避したところで、恩賞の内容が変わるはずもなく。
せいぜい、うやうやしく頭を下げた俺は、
「ありがたき幸せ。つつしんで領主の任をお受けいたします」
と、心にもないことを口にするのだった。
***
アーベントラント。いわゆる難治の地だ。
王国の西方に位置する広大な地で、元々は豊かな穀倉地帯である。その豊かさゆえ、独立した地方行政が認められており、なおかつ王国の食料庫として知られていたこの土地は、十年前に発生した大凶作により、その姿を一変させる。
大凶作が起きた年、それでも翌年まで乗り越えられる作物を保管していた民衆たちだったが、当時の領主は毎年の収穫量と同じように、それらを微塵も残すことなく徴収し、結果として民衆を餓えさせることになった。
以降、人為的に発生した飢饉と、度重なる災害によって、アーベントラントは貧困の一途を辿っていく。民心は離れ、労働力は低下し、治安は悪化。
無数の無産者層が路上にあふれ、自然と盗賊や山賊が幅をきかせるようになったのだ。
これといった生産力もなく、収益も見込めない。むしろ資金を投じて領内を改善する必要がある。
そんな現状を踏まえても、この土地を任された領主は国へ税を納めなければならず、やがて、アーベントラントは“貴族の墓場”という不名誉な異名がついたのだった。
権力を握る王侯貴族の政敵が、この土地の領主に任命されるのだ。金だけでなく、名誉も誇りも奪い取ったところで、わざと助けを乞わせる。王侯貴族はたっぷりと恩を売り、二度と自分たちに刃向かえないよう仕向ける、と、……そういった具合である。
「……つまりだね」
自室のソファに腰を下ろしながら、ティーカップを手に取った俺はテーブル越しの人物に呟いた。
「ミヒャエル殿下もエーミール殿下も、俺が弱りに弱って助けを乞うのを待っているんだろうね。これでもかっていうぐらいに恩を売ると、そういうつもりなんだろう」
「芸のない奴らだ」
ゲラルトは一笑に付すと、乱暴に茶菓子をつかんで口に放り込んだ。
本来だったら、傭兵団の団長を宮中に招き入れるのは問題視される行為なんだけど、二人の殿下からありがたい恩賞を賜った後、打つべき手を打っておかなければならないと考えた俺は、「直接、仕事を依頼したい」という名目で、ゲラルトを招き入れたのだ。
「アルフォンス様。差し出がましいようですが、ここは辞退なさるべきでは?」
ソファの後ろでは将軍職を任されることになったレオンハルトが立っていて、せっかく偉くなったのにもかかわらず、俺の護衛から離れようとしない。
「そういうわけにはいかないよ、レオンハルト。恩賞については陛下も承知の上だろう。いわば王命だ。従う以外の選択肢はないね」
さりげなく応じながら、俺は別のことに思いをはせた。つまり、『お前がかわいがっている直属の騎士を将軍にしてやったんだ。だから……わかるよな?』ということを、ミヒャエルもエーミールも示唆しているのである。
あらかじめ断れない状況を作り上げる手腕は、権謀術数渦巻く宮中ならではだなとか、変に感心を覚えるけど。当事者となってしまうとそうも言ってられないわけで……。
ティーカップの水面に映る顔をぼんやりと眺めていると、赤褐色をした短い頭髪をボリボリとかきむしりながら、ゲラルトが呟いた。
「しかし、わからんな。国王陛下は坊やのことをいたく気に入っているんだろう? 立案はバカ殿下だとしても、国王はどうしてそんな場所に送り込むことを承知したんだ?」
「ああ、それなら簡単だよ。餓えた土地がある。ここはひとつ、才能ある弟を送り込んで再生させてはどうでしょうとかなんとかいえば、安易に説得できるってものさ」
「ものはいいようってやつか。いやはや、殿下たちは性格が悪くていらっしゃる」
苦笑いを浮かべつつ、団長はテーブルに身を乗り出しては、「それで?」と続けるのだった。
「頼みたい仕事があるんだろう? おれたちにアーベントラントの“掃除”を任せるっていうなら喜んで引き受けるぞ」
盗賊退治だろうが山賊退治だろうがどんとこい。そんな不敵な表情のゲラルトには申し訳ないけれど、あいにく頼みたい仕事はそれではないのだ。
「なんだよ、ついて行かせろよ。治安が悪い場所なら、おれたちがついて行ったほうがいいだろうが」
「そうしたいのは山々なんだけど。単純な話、『暁の狼』を雇おうにも金がないんだよ」
傭兵団を長期で雇うには、かなりの資金を必要とする。有名な『暁の狼』であればなおさらだ。
あるいは、「支払いは後でもいい」と団長は言ってくれるかもしれないけど、その言葉に甘えたら最後、『暁の狼』は金がなくても仕事を引き受けたという悪評が立つ。
「そういうわけで、アーベントラントにはレオンハルトが新たに率いる配下の兵だけを連れて行くつもりさ。というか、その兵たちを食わせるので手一杯になるだろうね」
肩をすくめると、ゲラルトは倒れ込むようにしてソファの背もたれに寄りかかった。
「つまらん! 実につまらんなあ。また暴れられると思っていたんだが」
「まあまあ、そう言わないでよ、団長。団長を見込んでお願いがあるんだからさ」
そう言ったものの、ゲラルトの機嫌は直らず。半ばやけになったような口調で声を上げた。
「言っておくがな、面白くない依頼なら断るぞ」
「そう言わないでよ、団長。団長の人脈で信頼できる商人を探して欲しいんだ」
「商人?」
『暁の狼』が商人たちの護衛についていることは知っている。そのつてを使って、既得権益にとらわれない、若手の有望な商人を紹介して欲しい。
そう言うと、ゲラルトは身を起こし、それから瞳に興味の色をたたえ、こちらを見据えた。
「なんだい、坊や。領地で商売でもやるつもりか?」
「そうじゃないよ。借金をしようと思ってさ」
いずれにせよ、アーベントラントを統治するにあたって、手持ちの資金はすぐに底をつくだろう。であれば、借金をせざるを得ない。
貴族たちの息がかかった大商人は足下を見てくるだろうし、それに領内が落ち着いてきたらやりたいこともある。できれば柔軟な発想ができる若手の有望株が望ましいのだ。
「探すのは構わんが、担保はどうする?」
ゲラルトはティーカップに手を伸ばすと、冷めた紅茶を一気に喉へと流し込んだ。
「金を借りるにも担保がいるだろう。いくら坊やが王族であっても、商人たちにしてみたら何の保証にもなりはせんのだからな。そこはどうするつもりだ?」
「ああ、それについては問題ないよ」
軽く微笑み、俺は続ける。
「俺の首を担保にするのさ」




