13.ベルンハルト十三世
ため息交じりに『白鳥の間』を後にした俺は、灰色の長髪をした美丈夫が佇立している姿を視界にとらえた。もちろん、レオンハルトである。
入室を許されていないことから、帰って休むようにと伝えていたんだけど、律儀にも待っていてくれたみたいだ。こちらを見るなり駆け寄った若き騎士は、心配と不安をない交ぜにした表情を浮かべた。
「先ほど、ミヒャエル殿下とコンラート殿下が出て行かれましたが……。何か問題が生じましたか?」
「いや、たいしたことは起こっていないよ」
部屋の中には、まだエーミールたちが残っている。余計な発言を耳に入れるわけにはいかないと考えた俺は、足早に廊下を急ぎ、離れた場所でようやく口を開いた。
「まったく不毛な時間だったね。恩賞会議とはよく言ったものさ。いつも通り、殿下たちの争いに巻き込まれただけで終わったよ」
先ほどの喧噪を思い出し、俺は黒い頭髪をかき回した。頼むから、俺のいないところでやってくれないかなあという思いが強い。
「俺としてはね」
レオンハルトのほうを向き直って続ける。
「俺個人の恩賞よりも、レオンハルトの労に報いてやりたいよ。この戦いで誰よりも功績を立てたのはレオンハルトなんだからさ」
本音である。これほどの実力を持ちながら、これといった役職もなく、一武官のままでいるのはあまりにも惜しい。力量にふさわしい地位にあるべきだと思うんだけど、俺と同じく、少数民族かつ庶子という出自では、貴族たちも快く思わないようだ。
というかね。
ぶっちゃけてしまうと、俺は将来的に悠々自適な生活を送るつもりなんですよ。そんな暮らしにだよ? 前途ある有望な若者を一緒にさせるわけにはいかないでしょう? ただでさえ生真面目な性格のレオンハルトだもん。ほぼ確実に付いてくるって言うだろうしね。
そんな時に爵位とかがあればさ、それを放り出してまでレオンハルトも付いてくるとか言わないと思うんだよね。申し訳ないけど、保険的な意味合いもあるのだ。
そんな俺の考えなどつゆ知らず、若い騎士は真剣な眼差しで応じるのだった。
「いえ、私の功績など些末に過ぎません。この戦いにおける作戦立案と傭兵団の統率。アルフォンス様の活躍こそ称揚されるべきです」
俺は思わず、頭髪をかき回す手をやや速めた。不埒なことを考えていてごめんなさい。いやはや、まったく、俺を補佐する騎士は頼りがいがあるけれど、私欲が少なくて困ってしまうなあ。俺がレオンハルトの立場だったら、間違いなく報奨金と休暇ぐらいはせびるけどね。
いずれにせよ、だ。
エーミールが保証してくれたとはいえ、どの程度の恩賞がもらえるかどうか定かではない。できれば、レオンハルトにも分け与えられるものがいいんだけど。どうなるんだろうなあ。長兄殿下がアレな分、次兄殿下は食えないところがあるから、いまいち考えを読みにくい。
……まあ、いくら考えたところで、もはやどうしようもない。これが欲しいですと要望を出せる立場でもないし、こればかりは待つほかないかと、半ば諦めにも近い心境でいた矢先、背後から聞き覚えのある声が耳元に届いた。
「アルフォンス殿下」
振り向いた先にいたのは初老の男で、ベルンハルト十三世お付きの文官である。「探しておりました」と付け加えた文官は、こちらに近づき、うやうやしい一礼と共に続けるのだった。
「陛下がアルフォンス様をお呼びするように、と。すぐに寝室までお越しください」
「陛下が?」
つい今し方まで行われていた、面倒極まりない恩賞会議が脳裏によみがえった俺は、国王陛下まで厄介ごとを押しつけてくるんじゃないかと疑ってしまった。こういうことって、かなりの確率で重なって起こるからなあ。
ともあれ無視を決め込むわけにもいかない。なにせ相手は国王なのだ。俺はレオンハルトに今度こそ休むように伝えてから、文官に従い、国王の待つ寝室へと足を運ぶのだった。
***
そこは寝室と呼ぶにはあまりにも巨大かつ豪華であり、きらびやかな装飾に目がくらみながらも、俺は冷静さを取り繕って、これまた豪奢なベッドの脇に立て膝を付いた。
「アルフォンス、参りました」
天蓋付きのベッドに上半身を起こしているのは、やけに疲れ果てた面持ちの様子の老人である。正確に言えば、老人と呼べる年齢ではない。
ベルンハルト十三世、五十五歳。本名はグレーゴール・フォン・ベルンハルトという。五年前、病に倒れて以来、執務のほとんどを寝室から執り行うようになった“暴君”だ。
「……よく来た。我が息子、アルフォンスよ。話は聞いたぞ、此度の戦で見事な働きだったそうではないか」
白髪の目立つ頭髪に優しげな目元をたたえ、まさに父親らしく、ベルンハルト十三世は労をねぎらった。その穏やかな口調に頭を下げながら、俺はつい別のことを考えてしまう。
目の前にいる老人は、それこそ心優しいのかもしれないが、それはあくまで身内だけのこと。対象が民衆レベルとなれば、その態度は冷徹なものに取って変わるのだ。
二十五歳の時に即位したグレーゴールは、長年の敵国であるラインフェルト双鷲帝国の打倒を掲げ、野心と野望を満たすべく、民衆に圧政を強いてきた。
しかしながら、元々、周囲の者が眉をひそめるほどの猟色で知られていたグレーゴールである。王座に就いてから、そこに贅沢な食事や美酒に耽る生活が加わると、圧政は自らの欲望を満たすための手段へと、ごくごく自然な変化を遂げたのだ。
みずみずしい肉体を誇っていたグレーゴールの身体は、やがて脂肪に包まれ、おこぼれに預かる王侯貴族たちは、その肉体だけでなく、私腹すらも肥やすようになる。そんな環境下で育った王子たちは、承知の通り、ミヒャエルを筆頭に性格が破綻。
息子たちの素行を注意もせず、むしろ寛大な心で見守ってきた“暴君”だったが、五十歳の時に病に倒れると、その様子は一変する。
みるみるうちに肉体は痩せ細り、精神的にも衰弱の一途を辿ったグレーゴールは、過ぎ去った過去を惜しむように日々を過ごし始めたのだ。そして、それが庶子探索、ひいては第七王子アルフォンスという今日につながるのである。
そう考えると、まったく運命というのは、相当に残酷なものなんだなと思い知らされる。グレーゴールの圧政がなければ、あるいは猟色がなければ、そして病に倒れていなければ、いまのアルフォンスは存在していなかったのだ。
第七王子たるアルフォンス、庶民としてのアルフォンス、果たしてどちらの生活が幸せだったのだろうか……。
そんな想像の翼を広げていると、ベルンハルト十三世――グレーゴール――の声が、脳裏に響いた。
「アルフォンス。戦の恩賞についてはミヒャエルたちに一任している。そなたの兄たちは、必ずや、此度の功績を報いるにふさわしい褒美を用意するだろう」
「はっ」
応じながら、俺は内心でかぶりを振った。それはね、そう言うに決まっているよ。えらいものでミヒャエルたちもボロを出さないからな。国王陛下の前では、俺を嫌っている態度なんて取らないし。
いっそのこと、恩賞会議での一部始終を話してやろうかななんて誘惑に駆られるけれど、たかだか三年程度の付き合いしかない俺よりも、生まれてからずっと生活を共にしているミヒャエルやエーミールを信じるだろうからな。言ったところで、効果はなさそうだ。
とはいえ、国王陛下がこうまで言っているのだ。次兄殿下だって、そこそこの恩賞を用意してくれるかもしれない。淡い期待を胸に抱きつつ、なおも頭を下げている俺にベルンハルト十三世は続けた。
「そなたを呼び寄せたのはほかでもない。公の恩賞はミヒャエルたちに任せるとして、わし個人としても、そなたの労に報いたいと考えたのだ」
「陛下ご自身がですか?」
「うむ。いままでそなたには苦労をかけていたからな。ミヒャエルたちと同じように、父親らしいことをしてやれずにいたのを心苦しく思っていたのだ」
ようやく顔を上げた俺は、ベルンハルト十三世の顔を見た。静かな微笑みは子を思う父親のそれである。
「だからといって、そなたを贔屓していては他の者も良くは思わぬ。しかしながら、戦で功績を挙げたとなれば話は別だ」
「…………」
「かしこまる必要は無い。そなたの願いを叶えてやる良い機会だと思ったのだ。なんでもよい、望みはないか?」
思いがけないベルンハルト十三世の言葉に、俺は困惑した。正直、そんなことを言われてもなあという心境である。
生活費諸々は宮中から捻出されているし、金銭的な面で不自由な思いをしていない。かといって、なにか欲しいものがあるかといわれても、特に思い浮かばない。
あとね、ここで欲目を出しても、後々、面倒なことが起きるに決まっている。ミヒャエルやエーミールたちから、何か言われるに違いないのだ。
そんなわけなので、ここは丁重に褒美を断ろうかなと考えたのだけど。ふと、レオンハルトとのやり取りを思い出した俺は、断るという選択肢を撤回し、国王陛下に申し出た。
「でしたら陛下。厚かましいのですが、私の願いを聞き入れていただけないでしょうか?」
「うむ。何なりと申せ」
「私を補佐しているレオンハルトという騎士がおります。ブライトクロイツ家の血を引く、武勇に優れた若者なのです」
「ほう、あのブライトクロイツ家にそのような者がおるとは知らなかった。そのレオンハルトなる者がどうかしたか?」
「はっ、このレオンハルト。この度の戦において、私の窮地を救い、帝国軍を打ち破るにふさわしい活躍をしてくれました。しかしながら、レオンハルトはいまだ無位無冠の身。私としては配下の労に報いてやりたいのです」
第七王子とはいえ、その権力は無いに等しい。功績をあげたからといって、レオンハルトに爵位などを与えられない立場なのだ。
であれば、国王陛下御自ら、それなりの地位やら恩賞を賜ってもらえないだろうかと考えたのである。
そんな申し出を意外に思ったのか、ベルンハルト十三世は顎に手を当て、しばらく考え込んでいたものの、やがて諒解したように頷きを返した。
「そなたは欲が無いな。自身ではなく、配下の功績に応えたいか。よかろう、そのレオンハルトなる騎士に対し、相応の褒美を用意しようではないか」
「ありがたきお言葉。レオンハルトも喜びましょう」
「なに、そなたを補佐する騎士にありながら、無位無冠では立場もあるまい。ここはわしに任せると良い」
その声に、俺は再び頭を下げた。やれやれ、これでようやくレオンハルトに報いることができるぞ。有望な若者には夢と希望を持ってもらいたいからね。レオンハルトにとって、これがその一助になればいい。
なにせ国王陛下直々のお言葉なのだ。ミヒャエルもエーミールも口を出せないだろう……と、そんな風に考えていたのだけれど。
後日、レオンハルトに対する恩賞が、俺への恩賞に少なからぬ影響を及ぼすことが判明すると、俺は国王陛下に申し出た願いの迂闊さを後悔するのだった。




