12.第二王子エーミール
面倒な仕事を片付けた際、ベテランの諸先輩から「あー、こういうやり方、あんまり良くないんだよなあ」とか、小言とも説教とも受け取れる話を聞かされたことが、会社員時代、たまーに、あったんですよ。
例えば、Excelで複雑な計算してるなあ、もっと簡単にできないかなあと思ってマクロを組んだら、「こんなの他の人にはわからない、元に戻せ」とかね。いや、こっちは他の人にも使いやすいようにしているし、なんだったら、事前にこういう風にしたいんですけどって相談しましたよね?
……まあ、言ったところで忘れているどころか、相談を受けたこと自体なかったことになっているんだろうなと諦めて、「あ、スンマセン」と乾いた笑いを返しては、Excelを元の形式に戻したりしていたわけだ。
小言や説教をする前に、まずは労をねぎらってもらえないかなと。
大変だったね、でもね、申し訳ないけどウチのやり方は違うんだ、みたいな言い方だったら、まだギリギリ納得のしようがあるじゃないですか。そんな時に、つくづく言葉の選び方って大事だなって思うわけなのですよ。
何が言いたいかというとね、いま現在、我らが敬愛すべき長兄殿下ミヒャエルが大激怒中なんですわ。こちとらグリュンヴァルト平野の戦いが終わった後、膨大な事務処理を片付けて宮中に戻ってきたというのに、どうにもそれが気に食わなかったらしい。
「貴様のような青二才が、帝国と交渉など笑止千万! なぜ捕虜を引き連れ戻ってこなかったのだ!」
『白鳥の間』と呼ばれる巨大な部屋には、これまた大きな長テーブルが置かれていて、その上座に陣取ったミヒャエルは怒りに顔を紅潮させては、次から次へとまくし立てている。
長テーブルには、ほかにもミヒャエル以外の王子たちがそれぞれの側近を従えて腰を下ろしており、一人下座に座り込んだ俺としては肩身が狭い。
補佐を任せているレオンハルトは、無役職の一武官に過ぎないため、出席を認められていないのだ。まあ、同席させたら同席させたで、立腹してミヒャエル相手に大立ち回りしていたかもしれないのでヨシとしておこう。
長兄殿下の荒らげた声を右から左に受け流し、俺は目の前に置かれたティーカップの水面に疲れ果てた顔を写した。……まったく、こんな秘密会議めいたものに参加するぐらいだったら、さっさと部屋に戻って寝たいんだけどなあ。
そもそも、どうしてこんな会議が開かれることになったのか。理由は俺の“敗戦処理”にある。
ミヒャエル殿下が大敗を喫して敗走した帝国軍を相手に、わずかな手勢で勝利を収めた――個人的には勝ったなんて思ってないけど――功績により、アルフォンスに褒美を与える必要性が生じた。
しかもアルフォンスは、庶子とはいえ第七王子である。ほかの貴族たちよりも格が上であり、国王陛下より直々に褒美を賜る機会を与えなければならない。
であれば、事前にどの程度の恩賞を与えるか、事前に決めておき、その旨を国王陛下に伝えれば、病床にある陛下も頭を悩ませることなく、お言葉を賜るだけで済むだろう。
……と、こういう理由で七人いる王子と側近が集まって、内々の会議を開くことになったのだった。俺いらなくない? 帰っていい?
いや、もう、ほんっとうに疲れているんだって!
帝国との捕虜交換は、あっちにミヒャエルの取り巻きがいるからものすごく気を遣ったし、身代金なんて相場がわからないから、レオンハルトとゲラルトにいちいち相談しながら決めなきゃいけなかったし。
しかも、捕虜交換で戻ってきた取り巻きたちといえば、少しも感謝せず、むしろ赤っ恥をかいたとばかりに、
「戦場の勇者から戦死の名誉を奪い取るとは、無作法者め!」
なんて感じで言い捨てて、勝手に城に戻ったりしちゃうしさ。もう、ホント、頭が痛いのなんのって。
帝国側から受け取った身代金も、苦労の割には微々たる金額だったんだよなあ。いや、金目当ての戦いじゃないからいいんだけど、なんか、こう、せめて少しは報われてくれないかなと思っちゃうわけ。
余談だけど、ゲラルト率いる『暁の狼』は、事後処理が終わった後、馴染みの酒場である『風見鶏の丘』に直行しました。
「帝国兵相手に、思いっきり暴れることができたんだ。美味い酒が飲めるぞ」
団長たちは、今頃、武勇伝を肴にジョッキに満たされたエールを流し込んでいるんだろうなあ。……はあ、許されるなら、俺も参加したかったよ。
「聞いているのか! アルフォンス!」
怒声に顔を上げると、ミヒャエル殿下が顔を真っ赤にして、こちらをにらみつけている。まいったな、まさか正直に「つまんないから全然聞いていませんでした」なんて言えないよなとか考えていると、ミヒャエルの隣に座る軍服姿の男が、長兄殿下の怒気を制した。
「まあまあ、良いではありませんか、兄上。そんなに怒ってばかりでは、アルフォンスもかわいそうです」
穏やかな口調の持ち主は、第二王子エーミール・フォン・ベルンハルトによるものだ。王位継承権第二位の人物であり、沈着な性格で知られている。
ブロンドの髪は七三に整えられており、コバルトブルーをした切れ長の瞳や端正な顔立ちもあって、宮中では貴婦人たちの人気が高い。
並んで座ると、どちらを次の国王陛下に据えるか判断に悩むところであり、実際問題、ミヒャエルとエーミールの二大派閥が、次期王座を狙っているのだ。
でね、こういう性格だったら、まだエーミールのほうが次の王様に相応しいんじゃないかって思うじゃない? これがまたとんでもないわけ。
第二王子エーミールは根っからの軍国主義者で、常日頃から軍拡を推し進めるべく、活発な行動を起こしているんだよ。
言わずもがな、軍備ってお金がかかるでしょう? ただでさえ財政難だっていうのに、この人、国民皆兵目指そうとしているからね。他国を侵略して、奪った富で国庫を潤そうとか、そういうことを考えているのだ。軍事特需も見込めないのに、マジで付き合いきれない。
ともあれ。
七人いる王子の内、長兄殿下ミヒャエルには、四男のコンラートが支持を表明。第二王子エーミールを、三男ダミアンと五男オイゲン、六男ヨアヒムが支えるという、割と地獄の様相を呈しているのだった。
俺? もちろん、蚊帳の外ですよ。嫌われているからね、ハハッ。
そういった事情もあって、ミヒャエルとエーミールが顔を合わせると、両者による、ささやかながらも深刻な攻防戦が繰り広げられる次第なのだ。
やがて、部屋中に聞こえるように、エーミールがよく通る声で続ける。
「そもそも、この戦いは兄上の“国境警備”によって引き起こされたはず。であるのに、当事者である兄上が不在の中、アルフォンスは賢明に善戦したのです。これを賞賛せずしてどうします」
「差し出口を叩くな、エーミール。事情を知らぬ者に言われる筋合いはないわ」
「事情ならよく知っておりますよ、兄上」
「何だと?」
ティーカップに手を伸ばし、喉を潤したエーミールは穏やかな笑みをたたえる。
「ええ、ええ。よく知っておりますとも兄上。負傷した兵士たちより聞きました。兄上が無謀な作戦を立て、無様にも敗れ去ったことも。あまつさえ、ご友人の貴族数名を捕虜に取られたとか」
「き、貴様……」
「いわば、アルフォンスは兄上の失態を挽回してくれたのです。兄上こそ、アルフォンスに感謝なさったらいかがですか?」
「エーミール! 私を侮辱するか!?」
「とんでもない、事実を申し上げたまで。ああ、そうそう。出陣の前に、コンラートたちと前後不覚になるまで酒宴を開いていたことも耳にしておりますが……」
一瞥した先では、コンラートが赤面してうつむいている。隠しようもない事実なだけに、言葉もないらしい。
そしてミヒャエルといえば、もう、蒸気が立ち上っているのが見て取れるぐらい、屈辱と怒りで顔を真っ赤にし、ふるふると全身を震わせている。
やがて、反論に窮したのか、いきなり席を立ち上がったミヒャエルは、大股で歩き出すと扉の方へと向かっていった。
「おや、どちらへ?」
「貴様には関係ない! あとは勝手にしろ!」
そう言って、慌てて付き従う側近たちと共に逃げ出すようにして廊下へと飛び出していく。もちろん、コンラートも一緒だ。
残された王子たちは、嘲りとともに、ミヒャエルを侮蔑する。
「大言壮語の割に兄上もたいしたことはないですな」
長兄殿下の失態を喜ぶように、三男のダミアンが率先して声を上げると、露骨な媚びの色を隠そうともせず、五男オイゲンと六男ヨアヒムが熱心に唱和した。
「この程度の戦で尻尾を巻いて逃げ帰るとは……、取り返しのつかない汚点となりましたね」
「いやはや。これでエーミール兄上が、また一歩王座に近づいたというもの」
それらの声にエーミールは満足そうに頷いている。その光景を無感動に眺めながら、俺はすっかり冷めてしまった紅茶をすすった。ミヒャエルとエーミールによる、権力争いなど知ったことじゃない。生産性を一切感じることのできない会議なんぞ早く終わらせて、さっさと休ませてくれないかな。
「アルフォンス」
その声に視線を上げる。エーミールが穏やかな眼差しでこちらを見ているのがわかった。
「すまないな。聞くに堪えなかっただろう。せっかく不名誉を挽回してくれたというのに、兄上にはそれが理解できないらしい」
やれやれとかぶりを振るうエーミールに、俺は、言葉少なに「いえ」と答えた。
「会議は台無しになってしまったが、お前の労にはしっかりと報いるつもりだ。どうか私を信じて欲しい」
真摯なエーミールの言葉を聞いて、正直、俺は戸惑った。この人も、庶子であるアルフォンスを毛嫌いしていたはずなのだ。
まさか小規模とはいえ、戦いに勝ったことを評価しているのか? いや、十分にあり得る話だな。軍国主義を掲げるエーミールにしてみれば、軍事的発想を持った人材は一人でも多く抱えたいところだろう。
えー……、そういうの、超絶めんどくさいんですけど。つまり恩賞をくれてやるから、エーミール派閥に入れとか、そういう感じになるんでしょう? 嫌だなあ、勘弁してくれないかなあ。
個人的にベストな恩賞はね、どこか、小さくてもいいから平和な領地をもらいたいわけ。そこで悠々自適、のんびりした生活を送るっていうのが理想なんだけど、そういう感じにしてもらえないかなあ。
……この時は、こんなことを考えていたんだけど。
いやあ、やっぱりそんな甘い話はなかったね。後日、陛下より賜ったのは、俺の予想を遙かに超えた、最悪な恩賞だったのだ。




