第9話 元カノが最低最悪の脅迫をしてきたんだが
「……なんとか言えよ」
問いかける声は、自分でも驚くほど低かった。
桜子は何も答えなかった。ただ、俺の顔を見て、口元を震わせていた。
しかし、次の瞬間──。
「ふふっ」
桜子が小さく笑った。
「翔くん、そんなにあたしに冷たくしていいの?」
「何だよ、急に」
桜子がスマホを取り出す。
「これ見て」
桜子が画面を俺に向けた。
そこに映っていたのは──ファミレスで遥香と一緒にいる俺の写真だった。
「お前……隠し撮りしてたのかよ」
「百合ヶ丘遥香。なんとなく既視感あったから特定するのは簡単だったよ」
俺の血の気が引いた。
莉乃が俺の袖を引っ張る。
「お兄……」
「大丈夫だ」
俺は桜子を睨みつけた。
「で、それがどうしたって言うんだ」
「わからないかな? 調べたんだけど、あの子、弱者男向けの売り方してるみたいだね。アニメが好きだとか、休日は一人で過ごしてるだとか、友達いないとか」
桜子の声が嫌らしくなる。
「翔くんと付き合ってるって流されるの、困るんじゃない?」
「まず誤解してる、俺たちは付き合ってない。ただの知り合いだ」
「ふーん? ならいいけど、これから先、付き合うかもしれないよね。でもそれはやめてね。もし付き合うなら、あたしがネットに流してあげる。あの子が彼氏持ちだって思われるのあんまりよくないんじゃない?」
俺は拳を握りしめた。
「何が目的だ」
「あたしとヨリを戻してくれたら、この写真は消してあげる」
「ふざけんな」
「ふざけてないよ。本気だもん」
桜子がさらに続ける。
「莉乃ちゃんも同じだよ」
「え?」
莉乃が顔が青ざめる。
「住所とか本名とか色々個人情報漏洩できるよね? コスプレイヤーのRinonちゃん? 男ファン多いんだからストーカーされたら大変だね?」
「……っ。そんなの普通に犯罪じゃん……! やっていいことじゃない!」
「そんなの知らないよ。あたしはただでさえプライドをズタボロにされてるの! あたしと別れた途端、カッコよくなって、オシャレして、あまつさえ芸能人と付き合うとか許さないから! 翔くんはあたしのなんだから。あたしの自慢の彼氏なんだから……!」
「全部、そっちが悪いんじゃん! 自分からお兄捨てといて都合良すぎるよ!」
「あたしは散々我慢してきた。全然、彼氏と自覚を持たない翔くんに耐えてきた。いつか変わってくれるだろうって思ってた。なのに、全然幼馴染だった頃と変わらなかった。悪いのは翔くんでしょ。浮気の原因作ったのは翔くんじゃん! あたしも翔くんのこと許すし、翔くんもあたしのこと許して両成敗。それでいいでしょ? 違う!?」
こいつの思考回路が理解できない……。
俺、こんな頭のおかしいやつと付き合ってたのか?
莉乃は愕然としながら、クイクイと俺の服の袖を引っ張る。
「お兄、あんなの相手にしちゃダメだからね」
「わかってる」
俺は桜子を睨みつける。
「もういいから帰れよ。これ以上居座る気なら警察呼ぶからな」
桜子の目に涙が浮かぶ。
「本当にいいの? 写真、ばら撒くよ?」
「やってみろよ」
俺の冷たい視線に、桜子が震え始める。
「は、ハッタリだって思ってるんでしょ。あたしのこと舐めてるんだ? 本気でやるよ、あたし」
「帰れって言ってるだろ」
桜子がグッと拳を握る。
桜子は最後に俺を見つめ、そして玄関に向かった。
あいつの性格からしてすぐに行動に移さない。やろうとしていることは犯罪だしな。でもどこかで決着をつけないと取り返しのつかないことをしてきそうだ……。
ドアが閉まる音が響く。
俺も莉乃も、しばらく何も言わなかった。
さっきまでの張り詰めた空気がまだ尾を引いていて、呼吸ひとつすら慎重になる。
「……鍵、閉めてくるね」
莉乃がそう言って、玄関へ向かう足音だけがやけに大きく響いた。
ソファに腰を下ろして、スマホを手に取った──その瞬間、画面が明るく光る。
遥香からのメッセージだった。
『翔太さん、お疲れさまです!
今度お時間がある時に、一緒にお出かけしませんか?
水族館とか映画とか、翔太さんの好きな場所に行きたいです♡』
俺は画面を見つめたまま、眉根を寄せた。
「遥香ちゃんから?」
莉乃が肩越しにのぞいてくる。
「ああ……」
「デートのお誘いじゃん! まずは映画がいいんじゃない?」
莉乃のアドバイスを無視して、俺は別の文言を作り始める。
『二人きりで会うのはやめたほうがいいと思う。芸能人なんだし、余計なデマでも流されたら困るだろ』
俺がそう打って送信すると、すぐに返事が来た。
『悪いことしてるわけじゃないですし、構いません!』
『でもそれで芸能活動に支障が出たらどうするんだよ?』
『その時は翔太さんが面倒見てくれますか?』
莉乃が俺の隣でメッセージを読みながら、柔和な笑みを浮かべる。
「遥香ちゃん、積極的だね」
「……だな」
──その時は翔太さんが面倒見てくれますか?
冗談交じりの文章なのに、やけに本気みたいで。
俺はスマホを見つめたまま、なんて返せばいいのかわからなかった。